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  • 私が著作権を軽視する理由 ~著作権は消滅する編~

    2021-07-01 23:22

    私は著作権はそう遠くない未来に消滅するものだと考えています。
    今回はこうした私の著作権観について記します。

    とは言え前回も言った通りこれは私の主張したい事とは少々ズレます。
    主張したい事は前回の記事に書きました。
    今回はただ私が著作権に対してどのように認識しているかを補足するものなので、
    ああいった文を書いた人はこんな考えの人なのかと思う程度で良いですし、
    読まなくても結構です。

    著作権とは?

    そもそも著作権とは何なのでしょうか。
    著作権法第一条には著作権の目的が描かれています。
    この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。

    長々と書いてありますが、要は「文化の発展に寄与すること」を目的としています。
    ただ、こんなものが建前だと言うことは誰もが察する事だと思います。
    ここで言う文化の発展の寄与とはつまり、文化の発展には作品を世間に循環させる健全な市場が必要で、
    そしてその市場を支える企業、企業を支える利益を安定させる事が目的という事です。
    要はプロの創作者を抱える企業を守る為の法律です。

    だから著作権には隣接権やら権利の売買やら作者の死後も一定期間認めらる等、
    その権利は必ずしも作者に留まりません。
    作り出された作品は幾度となく使いまわされ、利益を生み出し続け、
    多くの人にその儲けを行き渡らせます。
    また、市場が危うくなれば著作権も強化されたりもするわけです。
    例えば音楽教室の演奏にも使用料を払うべきではなんて話も持ち上がったりもしました。
    これまで音楽教室ではこうした楽曲は無断使用されまくっていたわけですが、
    これにより今まで音楽の世界は暗黒の時代を歩んできたとは誰も思ってはいないでしょう。
    単にそれだけ市場が危うくなり、藁をも掴む気持ちで、
    そうした今まで気にも留めていなかった事にすら利益を求めようとしたんだと思います。
    結局この話は認められなかったように、白い目で見られることが多かったようですが、
    長期的な観点とかはともかく、少なくとも市場を守るという著作権の本音の目的を考えれば、
    納得するかは別として、その意図は理解はしやすいと思います。

    一方で訴えたら逆に時間や金が損するような訴える価値の無い程の金銭の絡まない、
    絡んでも少額の作品には一次二次問わず著作権は存在しないも同然と言えます。
    ましてや著作権は親告罪です。
    今では当然のように世に出回っていますが、
    アニメアイコンやキャプチャーした画像や動画の使用などは勿論、
    手描きの二次創作であってもネット上という個人的、家庭内の利用に収まらない利用であれば本来著作権侵害に当たります。
    ファンアートだとかリスペクトだとか宣伝になるからだとか
    そんなものの有無なんて関係ありません。
    それ言い出すと本来取り締まりたいパチモンや海賊版すら
    あれこれ理屈並べられるだけで取り締まりづらくなってしまいますから。

    それらは偏に利益に繋がる、損害が薄い、関心が無いなど本人の意図はともかく権利者が訴えないから犯罪として扱われないだけです。
    実際同人作品であっても、稀に権利者が気に入らなければ、
    大抵は大人しく引き下がるからそれ以上話が大きくならないとは言え、
    警告を貰うといった事態もあるわけです。

    そもそもプロであっても、ちょっとしたパクリは割とよく見かける事だと思います。
    そして例えバレバレでもすっとぼけつつ、パロディとして認められることを期待し、
    K9999のように怒られたら素直に引き下がるといった手段を取る事が多いと思います。
    そういう面でもネット上で主張される著作権は、
    実際に扱われている著作権よりも、過敏に騒ぎ立てられているとも言えます。

    前回多すぎて数行まで省いて済ましていた内容は大体このようになります。

    そして二次創作もまた著作権違反である事にも関わらずそれを棚に上げ、
    あるいはその自覚すらなく、
    アマチュア創作者が利己的な感情に基づいて著作権を血統書かのように扱い、
    本来の目的である商業的な観点からも離れて、共有された目的も無い、
    合理性の欠いたルールになってしまっていると、
    前回の記事では話題を繋げていきました。
    まだ読んでおらずこの話に興味のある方は前回の記事を読んでください。

    著作権の前提条件の崩壊

    実際、作品の制作、そしてそれを世に広めるにはそれなりの資本が必要になります。
    漫画一つとっても、道具や資材は勿論アシスタントや編集者など人材も確保し、
    技術の習得にも時間や労力を費やします。
    そして完成してもそれを本にして量産し、それを店に届け、
    店で売れるよう広告も必要になります。
    資本が足りなければ折角世に出してもその周辺地域、
    街一つしか広まっていないなんて状況すらあります。
    そこで著作権によって作品に繰り返し利益を生み出す安定した価値を付与するようにして、
    資金源を確保できるようにしているわけです。

    創作者の望みは一つは創作活動そのものと、その作品を多くの人に伝える事だと思います。
    少なくともネット上で創作活動をしている人なら、そのような欲求は持っているはずです。
    しかし、創作者1人だけでは限界があります。
    回し読みで友達の間に広めるのが精いっぱいという事もあるでしょう。
    ましてや傾向としてそうした創作者は人より友達が少ないものです。
    また、作る事に関しても限界はあります。
    それは技術や資材、人材に道具といった限界は勿論、
    創作をするうえでは時間や労力も必要になりますから
    その分、仕事など自分の生活に必要な時間も確保できるよう制限しなければなりません。
    そこでプロの創作者となって創作そのものを仕事にする事で、
    本来仕事に費やす時間と労力を創作と併合し、その問題も解決しているわけです。
    だからこそ上記のように著作権によって作品の価値を高め安定させ、様々な企業と協力し、
    それによって、創作に制限が生じても、自分以外に人間に著作隣接権が生じても、
    売買などによって著作権が自分の手から離れてしまう可能性があっても、
    自分だけでは作れないもの広められない事の為に、そうしたリスクも飲むわけです。

    しかし、時代は変わりました。
    インターネットの普及で誰でもクリック一つで世界中に作品を広める事が出来るようになりました。
    どんどん便利なツールが誕生して創作の敷居も下がっています。
    創作も発表方法もプロで無ければ用意できないような資本を必要とせず、
    趣味の範囲で出来る事が増えました。

    そうなれば当然資本を確保する必要性も薄れてきます。
    ただでさえ門が狭く、制約の多いプロにわざわざならずとも、
    創作欲を満たせるようになりました。
    一方プロからしてみれば、創作と流通の敷居の低下で商売敵がどんどん増えていきます。
    それも単なる商売敵ではなく、金にならなくても、金を払ってでも作品を世に出したいという
    創作そのものを娯楽と見て目的にしているアマチュアすら同じ土俵で勝負しなければなりません。
    そのような相手に対して価格勝負ではまず勝てません。
    クオリティで勝負しようにも優秀なツールの普及で素人でもできる事は増え続けています。
    創作によってちょっとした金銭のやり取りを行う敷居は下がり続けるでしょうが、
    それで生涯食っていく敷居は上がり続けるだろうと思います。

    実際YouTuberにskeb、noteと個人で金銭の売買をする光景はよく目にすると思います。
    私は詳しくありませんが音楽もそうなのでしょう。
    そしてそれらは必ずしも金銭が必要とされず、無料で公開されているものも多いはずです。
    というより大体無料だと思います。
    そして料金の有無が作品の良さ、特に個人の好みにおいて差を生み出すとは限らない、
    要は無料でも良い作品はいっぱいあるし、
    有料でも必ずしも良いとは限らない事も実感している人は多いと思います。

    このように私が言うまでもなく作品の商品価値は既に曖昧になっていることだと思います。
    そして、そんな作品の商品価値を維持するための存在である著作権もまた
    その存在意義を失い、そう遠くない未来に消滅、
    あるいは形骸化して力を失っていくのではと考えています。

    これは決して悪い事だとは思っていません。
    少なくともプロにならなった、なれなかったアマチュアという大半の人にとっては、
    創作も発表も敷居が下がってやれることが増えたのですから、喜ばしい事でしょうし、
    今、創作活動をしている人の大半は私が書くまでもなく既に実感していると思います。

    そしてプロの創作者もまた、プロとしての実力がある限りは、
    著作権が失われたぐらいじゃその地位は揺らがないと考えています。
    身につけた実力は権利の有無なんかで失うものでもありませんし、
    自ら生み出せるという事は、ノウハウの蓄積においても調達の速さにおいても
    模倣している側よりも大きなアドバンテージを持っています。
    勿論、著作権が残ろうが消えようが激化するであろう競争において、
    アマチュアを蹴散らすプロ相応の実力がある限りですが
    厳しい言い方にもなりますが、私は創作者とは創作をしている者であって、
    創作をしていた者は創作者だった者と見ています。
    だからプロの創作者がプロの創作者である限り、
    著作権が無くてもやっていけると見ているわけです。

    著作権が失われて困るとすれば、創作者に資本を提供する側だった企業や
    過去の作品に支えてもらっているプロとかでしょうか。
    そして今後も規制強化やら取り締まりでこうした流れを阻止しようと様々な動きもあるでしょう。
    しかし、創作活動はその行為そのものが娯楽でもあります。
    この前提がある限りは維持よりも消滅の方が分があるように思えます。

    おわりに

    私はこのように予想しているから、別に著作権という法律を消滅させようと行動する気はありません。
    前回指摘した事もあくまでアマチュアが掲げる著作権は著作権の体を成していないから不要というだけです。
    そもそも持論に従えば何もせずとも自然と著作権が消失するか形骸化するはずです。
    それで食ってるプロなら何か行動をする必要があるのかもしれませんが、
    アマチュアである私が何かする事はありません。
    またそんな予想なので外れたところでどうするという事もありません。
    いずれにしろ私は権利に縛られないというアマチュアの恩恵にあずかりながら、
    アマチュアらしく細々と創作を続けていくだけです。

    また私は目指していませんが、プロを目指す事にも否定的なわけではありません。
    著作権が無くてもアマチュアを蹴散らすような、
    資本を費やしただけのある作品を生み出し続ける創作者を目指す事もまたとても素晴らしい事だと思いますし、
    そうした創作者が活躍してくれることを願っています。

    長々と書きましたが著作権に対する一連の記事はここまでになります。
    先述したように今回の記事は単なる自己紹介的な前回の補足であり、
    主張したい事は前回の記事で大体書き終わらせたつもりです。
    人によっては攻撃的に見える記述もあるかもしれませんが、
    私の思いとしては、これまで様々な創作者の、
    特にアマチュア同士における醜い争いをネット上で目にしてきた中で、
    どうすれば皆でもっと楽しい創作活動が出来るのかという考えが根底にあります。

    アマチュアがアマチュアらしく振舞うのは良いでしょう。
    プロがプロの立場として振舞う事ももっともだと思います。
    しかし、アマチュアがプロのように振舞う事で、
    その不相応な立場によってそうした醜い争いを生むのではと考え記事としてまとめました。
    そして、アマチュアらしい立場というのは互いに利用し合えると立場であり、
    それがアマチュアの恩恵だとも記しました。

    私の考えに共感した事しない事様々だと思いますが、
    この記事によって楽しい創作活動に向かう手助けに少しでもなれればと思います。



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  • 私が著作権を軽視する理由 ~アマチュアがプロ意識を持つな編~

    2021-06-23 02:0317
    まず結論から言いますが、私がネット上で著作権を軽視するようになったのは、
    ネット上で扱われている著作権の多くが文化の発展の寄与という建前とは無縁の
    単なるアマチュア創作者の利己的な起源主張になってしまっているからです。
    そもそも著作権とは文化の発展の寄与という建前を掲げつつも、
    隣接権やら権利の売買やら作者の死後も一定期間認められたりと、その本質はプロの創作者やそれを抱える企業を守る為のものです。
    この辺の私の著作権に対する認識については、今回の話題から脱線する上、話すと長くなってしまうので、次の記事にでも書いておきます。
    とりあえず著作権は商業的な保護であるという事を前提にこれから話を進めると認識してくれれば十分です。
    あと子供の頃は無知に因る著作権の軽視もありましたが、これも本題とズレるので省きます。

    ネット上の著作権の扱いについて

    著作権は本来商業的な保護というのが私の認識ですが、
    ネット上の特にアマチュア間で取り扱われる著作権の話題はパクったパクってないとか、
    トレスしたとかしてないとか、誰のアイデアだオリジナルだとか
    そうした事に重点が置かれがちです。
    また逆に著作物を拝借していても元の作品や作者をリスペクトしてるかとか、
    断りとか引用を入れたとかそういった側面や、同人作品であれば許容するといった風潮も見られます。
    ここから見えてくるのは著作権の侵害による商業的な損害への危惧ではなく、
    作者は誰なのかという事を正しく広めたいという意図だと思います。
    別に世の中、法律だけが全てではありません。
    しかし例えばプロの一次創作者の寛容さ(その意図はどうであれ)の上で成り立っている文化、例えばMUGENやMMDといったもので
    そのキャラ製作者が一次創作者以上に厳しく三次創作者に対して利用規約を取り締まる姿を見てどう感じるでしょうか。
    人によって色んな受け止め方があるでしょうが私には醜く見えます。

    そこには法律を越えた倫理や礼儀、著作権の建前である文化の発展の寄与といった目的も感じ取れません。
    本人たちはそうだと思い込んでいるのかもしれませんが…
    しかし、実際は著作権の本音である市場の保護ともかけ離れた創作者が自尊心を満たす、
    あるいは傷付けられない事に重点を置かれたものです。
    もっと砕いて言えば
    創作者が自分の作品で威張りたい、馬鹿にされたくないという欲求が生み出した利己的なルールです。
    そしてそのルールはもはや言い出した本人すら消えても、転載禁止と言った利用規約を守り、それを破る者を糾弾する事すらあります。
    創作者と使う側の争いなら創作者側に分があるのでまだ円滑に進みますが、創作者同士の争いになると目も当てられません。
    こんなルールがまかり通っているのは、そのルールが機能的に優れているからというよりも、
    作者の機嫌を損ねれば配布禁止や使用禁止、引退による新作への見込みの消失と言った、
    これまで出した、あるいはこれから出すかもしれない作品を人質にとった脅しが可能という状況に基づく立場の強さに支えられたものです。
    著作権も単なる血統書です。

    素晴らしい創作者であれば優れた人格を持っているという図式が成り立つならば、この作者ありきのルールも良い方向へと形作られていくのかもしれません。、
    ただ別にそんな事は無いようです。
    偏見もありますが、創作者というのは大なり小なり人より気難しい傾向があるように思えます。
    あるいはそうした繊細さこそが創作においては有利に働くのかもしれません。だとすればそれは素晴らしい事でもあります。
    しかし、そのような人々が皆が従うのを良い事に個人の感情で秩序や道徳を作ってしまうのは問題です。
    創作者は創作者であって、法学者でも経営者でも聖人でもありません。
    例えば仮にガチガチの商業主義の著作権があったとします。
    しかし、そのような悪法でも様々な専門家が長い時間をかけて形作られていくはずで、
    少なくとも商業的な目的には一定の合理性はある事だと思います。
    でも、アマチュア創作者の感情論が根底にあるこうした秩序にはそうした合理性すらありません。

    そもそもこうしたトラブルの元となる自身の作品に対する反応というものは、制御できるものではありません。
    どんなに超売れっ子の漫画家だって読者全員の反応を制御できません。
    全ての反応を制御したいなら、中学生の頃の黒歴史ノートの如く、自分だけで楽しめば良いでしょう。
    そしてネットに作品を公開したという事は、大なり小なり自分の予測できないタイミング、内容の反応が欲しくてした事だと思います。
    だとすれば思惑通り予想外の反応が来ただけです。
    自覚してるかはともかく、そうした思わしくない反応が来る可能性のある環境において、良い反応を貰うからこそ嬉しさが際立つことを期待しての活動だと思います。
    そしてそれが他人からの評価の醍醐味なはずです。

    以上のような状況から私はネットでよく見る著作権に対して反感を覚え無視するようになりました。
    じゃあどうあるべきなんだという私の意見ですが、著作権というのは結局のところプロのものです。
    プロならまだしもアマチュアはプロの立場なんか取らず、アマチュアの立場にいる事が良いというのが私の考えです。

    アマチュアはプロを気取るべきではない

    アマチュアには大きな強みがあります。それは遊びであるがゆえ権利に縛られないという事です。
    極端な話、誰かの作品を勝手に拝借し転載し、アイデアをパクリ、自分の創作に利用できます。
    そんなんじゃ創作者としての能力は高められないのかもしれません。他では通用しないのかもしれません。経済にも文化や芸術の発展にも繋がらないのかもしれません。
    プロであるならそれは今後の売上やブランドなど自身の根本的な存在価値に関わってくるものなので注意する必要があります。
    でもアマチュアは気にする必要はありません。
    作品を勝手に使ってもアマチュアの作品であれば訴えられません。訴えてもその労力に見合った価値も損害もないのですから。
    プロの作品にしても、大抵の場合YouTubeやニコニコ動画と言った仲介役がいるでしょうから、その仲介役が削除する形で対応を取ってくれます。
    そして作る側は削除避けなり再投稿なりでリスクなく逃げ回り続けられます。
    まあよほど厳しいところは中々逃げ切れないかもしれませんが、
    そこまで固執する必要もないので大人しく諦めて他を題材とするのも良いでしょう。
    題材はいくらでもありますし、大抵のプロはアマチュア相手にそこまでしつこく追いたがりません。
    実力を高めるという点では成長を妨げてしまっているのかもしれません。
    でもそれで創作が楽しいのならそれで良いでしょう。遊びなのですから。
    急ぐ必要もないので成長したくなったら、その時改めて鍛えれば良いでしょう。
    そして自分がしている事はそっくりそのまま誰かによってされるわけです。
    でも自分はアマチュアなので損失は受けません。

    そしてこうした活動は既に多くの人がやっているはずです。
    MAD動画の投稿者は勿論ですが、キャプチャー画像のツイート、アニメアイコン、
    そもそも自分で描いていようが二次創作全般がキャラデザ設定を拝借したものです。
    二次設定も設定考察も色んな人々の考えが集合しているものです。
    そしてインターネットという存在はそうしたアマチュア創作者にとって非常に心強い道具です。
    何せクリック一つで世界中の人と作品を共有できます。
    自分の作品は世界中の人が見れるし、自分も世界中の人の作品が見れます。
    そして世界中の人と利用し合う事が出来ます。
    私は多くの動画を投稿しましたが、それらは様々な素材やネタやソフト、ノウハウを勝手に拝借したからこそ作り出せたものです。
    私のような実力の無い創作者でも、他人の力を利用する事で実力以上の作品を作る事が出来ます。
    そして私の作品もまた、誰かに実力以上の実力を発揮させる糧として利用されているのだと思います。
    互いが互いを勝手に利用し合えるという状況によって実力以上の力を創作に発揮できるという事がアマチュアの大きな強みだと思います。

    そしてアマチュアの身でありながら、プロを真似て権利を主張すれば
    そうしたアマチュアの恩恵も捨ててしまう事になってしまいます。
    一方そうしたところでアマチュアである以上プロの恩恵は得られません。

    今回はこのようなアマチュアだから出来るドーピング漬けのような創作活動を多くの人に楽しんでもらえれば良いと思いこの記事を書いた意図もあります。
    これは親切心もないわけではありませんが、
    互いに利用し合うという性質上より多くの人がそんな楽しみ方をもっと嗜んでくれればマルチ商法のように私もその恩恵を多く得られるからです。
    そしてこれは少なくともアマチュアである限りはスポーツのドーピングや本物のマルチのように自身を害することもありません。

    パクって上等の常識が蔓延るそんな世界を望まないアマチュアの創作者も少なくないかもしれません。
    しかし、先述したよう少なくとも二次創作者であるなら既にその恩恵を受けていることだと思います。
    一次創作者であっても、その活動は界隈の盛り上がりというそうした恩恵に下支えされたもので成り立っているのではと思います。
    そこに立場の強さを利用しただけの個人の感情に基づく線引きを各々がしてしまえば、周りは勿論、自身すらもその恩恵から遠ざかってしまうと考えています。
    それに私は他人の権利を侵害する事を目的としているわけではありません。創作を楽しむ上で権利を侵害する必要があれば躊躇なく侵害するだけで、必要以上に侵害する気はありません。


    プロへの淡い期待は持つな

    私の話はプロにはどうか知りませんが、
    少なくともアマチュアの創作者には良い話だと思います。
    主張も単純でアマチュアがプロ意識を持つなという事だけです。

    近年はYouTuberやskeb、プロゲーマーなどサブカルによってちょっとした金銭を得る機会も増えてきており、
    そうした存在が身近になってきている事もプロへの意識を芽生えさせる要因になっているのかもしれません。
    もしかしたらそうした活動でプロになれるかもと淡い期待を寄せている人も読んでいるのかもしれません。

    しかし、ハッキリ言ってほとんどの人はプロにはなれません。もっと言えばまずプロにはなれません。
    プロの定義自体色々あると思いますが、ここで想定しているプロというのはそれで食って生きていく人です。
    副業するしない関わらず、それを将来自分が生きていくための稼ぎとして確立できるでしょうか。
    短期的なものではなく一生を過ごす為の手段として維持し続けられるでしょうか。
    今や稼ぐ手段も良い作品を作るツールも技術の進歩によってどんどん充実していっています。それによってちょっとした金銭を得るぐらいならハードルもどんどん下がっています。
    場合によっては結構な額を得る機会もあるかもしれません。
    しかし、下がったハードルは同時に急速なライバルも増えていく事も意味しています。
    自分でもできるかもと思う事は、大抵の人もまたそう思っているはずです。
    しかもこのライバルは単なる商売敵ではありません。
    稼げなくていい、場合によっては金を払ってでも世に自分の作品を送り出したいというような
    利益度外視の趣味人すらも競合相手となります。
    そんな連中を相手取ってなお、顧客に金を払わせる程の価値ある作品を生涯生み出し続けられるのでしょうか。
    出来るならとても素晴らしい事なのだと思います。
    どんなにパクりまくろうが、その源泉である三度の飯より創作が好きな実力者を相手取ってアマチュアは勝てません。
    それこそがまさにプロの創作者なんだと思います。
    そして私のような有象無象のアマチュアを圧倒し続けてください。

    ただ、私は無理です。
    今や既に金銭を得るハードルが下がり切っているので、私にだってちょっとした小遣い程度を得る事は出来るかもしれません。
    でも、それで生涯食っていく自信は全くありません。
    だから私は一生アマチュアの創作者で良いです。
    そもそも私は作品で食っていきたくて創作活動を始めたのではありません。
    創作が楽しくてやっているのです。これからも楽しみます。

    あとこれは嫌儲思想が良いという話でもありません。
    即売会のようなちょっとした金銭のやり取りそのものにも縁日やお店屋さんごっこのような娯楽性がある事もわかっているつもりですし、それはアマチュアの範疇です。
    先述した経済にも文化や芸術の発展にも繋がらないという事をアマチュアが気にするなという事は、
    プロでもない者が収入の有無を善か悪か決めるなという事も含んでいます。
    プロの立場からすれば、商売敵に稼がれると場合によっては危惧すべき事態になるでしょうが、アマチュアには関係の無い話です。
    そういった事もまた法学者とか経済学者とか経営者とか、よくわかりませんがそんな感じの専門家が議論して考えるべき事なはずです。

    創作者の定義

    ここまで創作者について話してきましたが、ここで想定している創作者というのは大体絵師とか動画やゲームの製作者、作曲と言ったものだと思われているかもしれませんがそうではありません。
    ブログやnotoと言った文章、もっと言えばツイッターや掲示板、あるいは感想欄といった、公開された場での書き込みもまた創作と想定しています。
    私が創作物と見ているのは継続的に誰かに影響を与えるよう作られたものとしています。短い文であってもそうした意図があるなら立派な創作活動です。
    要は私が今回指摘している対象は匿名非匿名関わらずTwitterやスレであれこれ善し悪しを語っている人も含めています。案外そっちの方が多いのかもしれません。

    終わりに

    私がニコニコの淫夢での活動が心地いいのはこうした互いに利用し合うアマチュアらしい関係が安定して成立しているからです。
    勿論あれこれ口を挟む人はどこにでもいますが、自身が屑であることが前提の淫夢であればお利口さんでいなければならないという使命感もないので簡単に撥ね退けられます。
    逆に言えば、淫夢という何かしら後ろめたいものがあるジャンルでないと創作者というのは傲慢になってしまいがちなのかもしれません。
    そんなものが無いと傲慢になってしまう性があるのだとしたらちょっと悲しく感じないでもありません。
    またこれ以上アングラに寄ると、それはそれで893の掟のような秩序が幅を利かせてしまうようです。
    この辺のバランスは意外とシビアなのかもしれません。

    まとめ

    まとめますが今回の記事では大体以下の事を主張しました。
    ・アマチュアの掲げる著作権は立場の強さを利用して定めた個人的な感情論
    ・創作者は権利とか経済とか道徳とかそういった専門家でも長年議論するような事を定められる身だと思うな
    ・アマチュアの身でプロ意識を持つな、アマチュアらしく振舞う方が得
    ・アマチュア創作者は趣味で創作しているのだから、いかに好きな事に向けて楽しむかを意識しよう
    ・匿名だろうがスレやツイッターで書き込んでいる人も創作者

    まとめきれず長々と記述する形になってしまいましたが、大体言いたいことは記述したのでとりあえず一旦ここで切ります。
    次回はこの記事のおまけになりますが、先述したように私の著作権に対する認識を紹介する予定です。


  • 養殖論争に終止符を 後編

    2020-05-31 16:4710
    この記事は前編の続きになります。

    何故このような認識の齟齬が生まれたのか

    そもそも何故こうしたクッキー☆への認識が生まれて行ったのでしょう?
    こうした特徴をまとめてみるとその原理主義者の掲げる原理主義の内容も見えてきます。
    ここまで読んでくれた人には2014年がやたら出てくることに気付いた人もいるかもしれません。
    実は原理主義者と呼ばれる人がイメージするクッキー☆像の源流は2014年のクッキー☆に集約されています。
    もっと言えばクッキー☆原理主義とはRIM一家、UDK姉妹のキャラを至高とする考えです。
    安直に思われるかもしれませんが、RU、KNN、BNKRG、SNNN、YMN、UDK、MZ、AZS、RIの誰かを主体とした動画を作ってみてください。
    例え素材や演技など二次創作的なネタに溢れていても、個人情報や誹謗中傷に繋がるようなネタを入れなくても。
    恐らく古典派認定されたり、少なくとも原理主義的な批判は見られないと思います。

    RIM一家、UDK姉妹及びそのメンバーのキャラは2014年にUMO兄貴とチョコアイス兄貴の作品によって大いに流行りました。そしてその時期はクッキー☆の住人が爆発的に増えた時でもあります。
    そうして増えた住人の多くがUMOチョコアイスの作品や彼らの作品に感銘を受けた投稿者の作品に強く影響を受け、当時のノリをクッキー☆の本質だと思い込みます。
    しかし、それまでのネタがRIM一家、UDK姉妹のネタに移り変わったようにこのネタも材料屋ブームや二軍淫夢ブームの潮流に取って代わられてしまいます。
    そしてRIM一家、UDK姉妹の頃のネタをあまり見なくなってしまった事に対して鬱憤を溜め、その矛先をRIM一家UDK姉妹に取って代わって材料屋やそれと同時期のネタに向けていきました。
    養殖論争とは実は「天然派vs養殖派」の対立ではなくこの「RIM一家UDK姉妹ファンvs材料屋+αファン」の対立が本質になります。
    その為例えクッキー☆やクッキー☆☆のキャラであるHSI姉貴やDIYUSIが流行っても、それがどれだけ生放送など声優そのものの活動によって生まれた素材や内なるHNSのような中の人ネタを使おうと
    「キャラが面白いだけ」「声優の要素がほとんど無い」「TDN東方」と評して突き放しているわけです。
    逆に迫真マスパや高気圧ガール、カッチャマやKNNマントなどその劇中での役割や素材、MMDの見た目と言った要素ばかりを使っている状況であっても、クッキー☆らしいと認識されていきます。
    アングラへの意識
    同人や声優批判への糾弾も見られるようになったのも2014年のこの辺りで、理由は詳しくわかりませんが、
    クッキー☆でハセカラネタを見るようになったのもこの時期だったことを考えるとハセカラや嫌儲思想の広がりがこの頃クッキー☆にも及んで来ていたのかもしれません。
    この影響でクッキー☆に限らず従来のアングラジャンルが更にアングラさを求めるようにもなっていたのかもしれません。
    しかし、クッキー☆はその存在そのものがそれまで淫夢から原理主義に反すると批判もされてきた身です。
    ノンケを他界隈の住人への蔑称として使用していながら、自分たちが扱うネタは東方と女性ネット声優というノンケそのものです。
    その劣等感に対して「クッキー☆は声優をイジメるからノンケとは違う!」とそれまでの歴史を脚色してまでクッキー☆のアングラさを強調しその立場の安定を図っていった側面もあったと思います。
    ただ、結局は外部からやって来た考えであり、建前上はこうしたアングラさを至高としているような人でも、養殖声優とレッテルを貼った人物の個人情報が出てきたときに話題にすべきか否かで迷いが生まれている様子を見る限り、自覚しないまま新しいネタに恐怖し拒絶している事が行動に現れています。



    原理主義者の心理はこうした新しいネタがクッキー☆の主流になってしまい、自分がクッキー☆において玄人ではなくなってしまうという恐れによる拒絶です。
    だから、新しく出た、発掘された作品を養殖と否定し、新しい声優を養殖声優と言って拒絶します。こうする事で自分の知識の範囲外の存在がクッキー☆に持ち込まれないようにしたわけです。
    そしてその理屈の基盤を固める為に、原理主義を決めていきました。新しい事への拒絶が目的である以上、この目的に合わせる為に原理主義は変化します。
    原理主義が人によって時代によってコロコロ変わるのは原理主義自体を目的としていないからです。
    RRM姉貴のように明らかな養殖声優とレッテルを貼っていたものの面白い言動や個人情報が出た事でアングラと言う側面では条件を満たしてしまい、
    RRM姉貴は「面白いから養殖から外す」「クッキー☆と知らずに応募したから天然」などと言ったような後出しの理屈で整合性を図ろうともされたわけです。

    そしてこれは養殖、天然に限った事ではありません。2014年以降東方に詳しくない人がクッキー☆に増えた事で、東方のネタを拒絶するようになりました。
    投稿者をネタにする事もALISON兄貴や朗読兄貴と言った存在を例外として突き放して拒絶する人も現れました。
    クッキー☆関連のスレでは新たな話題で盛り上がる度に、その話題を派生スレを作って隔離していきました。

    こうした活動において、別に何をクッキー☆とすべきかとか、何がクッキー☆独自のネタなのかとか、売名の有無だとか、ALISON兄貴や朗読兄貴が自分から自分をネタにしていたのかどうかとか、
    どの程度のネタは派生スレとして分けるべきなのかとか、そんな議論や理論は意味がありません。
    そこにある真意はどれも自分がよく知らないネタが流行ってしまい、自分が置いてけぼりを食らわないようにしたいだけです。
    そしてそんな自分の及ばないネタを内輪ネタ、馴れ合いと突き放しているだけです。ネタに普遍性がない以上どんなネタだって内輪と呼ぶ事が出来ますし、馴れ合いとレッテルの貼られる交流はコミュニティの基本的な要素です。
    つまり何にだって内輪とも馴れ合いとも言う事が出来ます。
    更にこうした自分たちが勝手に複雑化させていった理論を分かりやすくするために、嫌いなものは嫌いなもの同士、好きなものは好きなもの同士を
    結び付けてまとめ上げてしまいます。
    嫌いなもの→ホモガキ=新参=学生=ツイカス=声優に媚びるノンケ=チョコ★が好き=DIYUSIが好き=しりり☆から入った=クッキー☆に無知=良識派=…
    好きなもの→匿名=古参=声優を虐める=初代、☆☆が好き=RIM一家UDK姉妹が好き=自分語りを嫌う=クッキー☆に詳しい=過激派=

    と言ったように何でもかんでも一列に並べてしまい、尚更その認識は実情から離れて原理主義はそれに合わせるように変えられてしまいます。
    そしてRIM一家UDK姉妹こそ天然クッキー☆と思い込んでいるのに新しい天然クッキー☆が出ないそうとしかならないような当たり前の状況に嘆くという意味不明な状態にも陥るわけです。

    結局どうすればいいのか

    未知のネタを恐れない事です。別に自分の知らないネタを知っておく必要はありません。
    クッキー☆について何でも知っている玄人になる必要はどこにもありません。クッキー☆にはまだまだ自分の知らない世界があるだけです。
    投稿者ネタが流行ろうが新たな養殖声優が流行ろうが、東方の新キャラが出てこようがRIM一家やUDK姉妹が好きならそれで良いんです。
    好きなものを求めて摂取したり、生み出していればそれで済む話です。クッキー☆とはどうあるべきかを考えたり、クッキー☆ではないと認定したり、別スレに分ける必要はありません。
    所詮クッキー☆はネットに転がる糞みたいな娯楽に過ぎません。そんな娯楽に自分の嫌いなものに向けて対処したり、独自の正義や倫理観を主張する意義はどこにもありません。
    娯楽は娯楽らしく楽しむものであり、それは自分の好きなものであるはずです。


    これを読んでくれた人が自分の好きな事に没頭する意欲を増してくれればと思います。


    最後にこうした論争でよく見られる言葉の正しい定義も紹介します。これらはクッキー☆内でしか通用しないので外部で使用する際は注視してください。
    また、本来の定義と意味が変わっているという事は、それだけ定義を重視していないことになります。
    その為、それがどんな意味であるかを考察する事は無意味な事だと思ってください。
    (例:これはボイスドラマと言って良いのか否か←そもそもクッキー☆では多くのボイスドラマではない作品をボイスドラマと呼んでる)

    ボイスドラマ:映像の無い音声のみで構成された劇。
    クッキー☆においては映像主体であってもボイスドラマと呼んでいる。

    囲い:配信者を特定のリスナーにのみ配信させたり、配信そのものをやめさせるなどの独占行為
    クッキー☆においては単なるファンに対するレッテルとして使用される。

    馴れ合い:会議などにおいて利害の一致する者同士が裏で取り決めを行う出来レース
    クッキー☆においては単なるコミュニティに対するレッテルとして使用される。