• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 23件
  • ねえ知ってる?マッチョは風邪をひきやすいんだよ■二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO⑪

    2014-10-17 08:27  
    51pt
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだした! その模様をイラストレポートすることになった当コーナー。今回は「風邪対策」!!ねえ知ってる?マッチョは風邪をひきやすいんだよ。
    ご存じの方も多いであろうこの豆知識、私はマッチョすぎると脂肪がないから寒くて風邪ひいちゃうのかと思っていたのですが、どうやら違うらしいです。科学的にあれやこれやと理由があるそうですが、わかりやすく言うと普段は普通の人よりウィルスに強いマッチョも、トレーニングを頑張りすぎると身体が疲れちゃってウィルスに対する抵抗力が弱くなり、弱ってるときに運が悪いと風邪菌に負けるそうな。でもジムに通っていて思ったのですが、マッチョが風邪をひきやすい理由はそれだけではない気がします。
     
  • 「アンデウソン・シウバ:ライク・ウォーター」■高橋ターヤンのバトル映画地獄変⑤

    2014-10-15 19:21  
    51pt
    映画ライターで北米MMA事情通の高橋ターヤンがプロレス格闘技関連の映画を紹介するコーナー。第5回はUFCのスーパースター、アンデウソン・シウバのドキュメンタリー映画「アンデウソン・シウバ:ライク・ウォーター」!! ホームビデオが普及し、YOUTUBEなど公開の環境も整った現在、多くのMMA選手のドキュメンタリー映画が制作され、様々な形で公開されている。本作はそんな流れの走り的存在であり、その中でも特に評価の高い作品でもある。 映画の冒頭、ブルース・リーの有名なワンシーンから本作は始まる。 「心を空にしなさい。水のように形を無くしなさい。水はカップに入れるとカップの形になる。ボトルに入れるとボトルの形になる。ティーポットに入れるとティーポットの形になる。水は流れることができ、激しくぶつかることもできる。水になりなさい、我が友よ」 1972年にカナダのテレビ局で放映されたトーク番組『ピエール・バートンショー』でブルース・リーが語った一節だ。 アンデウソン・シウバのUFCでの激闘が次々と映し出され、そのままカメラはまさに幸福そのもののようなアンデウソン一家を映し出す。妻がアンデウソンとの馴れ初めと、当時語っていた将来の夢を語る。そしてその夢は見事なまでに実現しているのだ。 そして大批判されたUFCアブダビ大会でのアンデウソンの戦いっぷりと、この戦いに怒り心頭のデイナ・ホワイトの様子へと移っていく。 
  • 【伝説のUWF戦士】中野巽耀1万字インタビュー「一番尊敬できた先輩は高田延彦だよ」

    2014-10-12 18:44  
    204pt
    「練習も率先してやって後輩の見本になってたから。すげえ練習するよ、高田さんは。◯◯さんとは違う。これは書いてもいいけど」伝説のプロレス団体「第2次UWF」旗揚げメンバーのひとり、中野巽耀(旧リングネーム中野龍雄)。強烈なインパクトを与えた「しゃちほこ固め」(変形片エビ固め)、博多スターレーンでの異常な人気ぶりで「博多男」と呼ばれ、白熱する好試合に必ずついてまわる鼻血姿……UWFでも唯一無二の個性は熱狂的なマニアを生んでいた。そんな中野巽耀が激走したUWFという名の格闘ロードとはなんだったのか? 現在は茨城を拠点とする中野選手に話を聞いた。「ラッシャー木村との出会い」「前田日明vs佐山サトル」「約束を破った佐々木健介」「新生UWF崩壊に黒幕がいた?」……大ボリュームの12000字インタビュー!!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■非会員でも購入できる大好評インタビュー&コラム詰め合わせセット! part8は大好評インタビュー5本、コラム2本、6万字オーバーが540円!! ■元パンクラス社長・尾崎允実が語るU系の深層!「前田日明とも昔は仲は良かったんですよ」■小佐野景弘の「プロレス歴史発見」! 天龍源一郎vs週プロ、SWS崩壊劇を語る!■新日、ジャパン、SWSを流浪した新倉史祐が語る昭和・新日本プロレス道場伝説!SWSの真相!!■大山峻護、引退――PRIDE青春残酷物語「ハイアン、ヘンゾ戦はトラウマになりました……」■MMAオレンジ色の手帖、大好評グルメ記事 「後楽園ホール編」「新宿FACE編」■【UFC秒殺デビュー!!】佐々木憂流迦「才能はないけど、選ばれた人間だとは思いますよ」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■そのほかの詰め合わせセットはコチラ→http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar634402――中野さんの身体つきは昔と変わりないですね!
    中野 じゃないと、みっともなくてリングに上がれないからね。うん。
    ――いまでもトレーニングは欠かしてないんですね。
    中野 もちろん! 毎日やってるよ。
    ――毎日!
    中野 俺の弟子があちこちにいて道場をやってるのでね。そこで指導したりして生計を立てているから、トレーニングをすることが生活の一部になってるんだよ。まだまだ引き込んでらんないよ!
    ――中野さんは東京から茨城に引っ越してからだいぶ経ちますね。
    中野 正確に言うと10年くらいになるかもしれない。
    ――試合があるたびに上京されてるわけですね。
    中野 こっちに俺のことをサポートしてくれる人たちがいるので、試合で東京に行くときは車を運転してもらってるんだよ。やっぱり試合で何が起きるかわからないから自分で運転しない。試合に集中したいからさ。
    ――そこは徹底してるんですね。 
    中野 もちろん。プロというのはそういうもんだと思ってるから。
    ――中野さんはもともとは国際プロレスに入団しようとしてたんですよね。
    中野 話すと長くなるかもしれないけど、中学のときからプロレスラーになりたいと思ってて。でも、プロレス界のことをよく知らないから、どうやって入ったらいいかもわからない。そのときに国際プロレスが地元で興行をやって。その興行をいろいろと世話した市議会員の方が知り合いにいてね。その人にいろいろと頼んで国際に口を利いてもらったんだよ。その市議会員は若いときに三菱電機にいたのかな。
    ――三菱電機は日本プロレス中継の番組スポンサーでしたね。試合の合間にリング上で三菱電気の掃除機をかけたり。
    中野 そうそう(笑)。よくおぼえてるなあ。
    ――いや、伝聞だけでボクも実際に見たわけではないんですけど(笑)。
    中野 それでその市議会員に連れられて、中学3年のときに後楽園ホールに国際プロレスを観に行ったんだ。控室でラッシャー木村さんに会って、市議会員と一緒に入門をお願いしたんだけど。当時の俺は身長170センチなくて体重は58キロ。いま考えたらその身体で入門は無理なんだけど(苦笑)。
    ――たしかにその体格だと厳しいですねぇ。
    中野 まあ何日か経って断りの連絡があったんだけど、どうしてもプロレスラーになりたかった。地元に残っていたら高校に通わなきゃいけないし、プロレスの道が遠くなるんじゃないかなって思って、卒業したら東京に行くことに決めてね。
    ――それで上京されたんですか。ガッツありますねぇ。
    中野 俺は3人兄弟の次男なんだよね。子供の頃からお袋に「次男なんだから家から出なきゃいけないんだよ」って言われて。だから家を出ることしか考えてなかった。あと藤波辰爾さんが中学卒業したらすぐにプロレスラーになったでしょ。「それなら俺も!」ってね。それでさっきの市議会議員の紹介で東向島にあった婦人靴関係の製造会社に就職したんだ。そこの社長が国際プロレスの後援をやっていたりしてね。昼間はそこで働いて、夜は錦糸町にあった遠藤光男トレーニングセンターに通って。そこにはアニマル浜口さんも練習に来てたよ。プロレスラーってデカイなあと思ったよね。ラッシャー木村さんに初めて会ったときもビックリしたもん。「なんだ、この身体は!?」って。
    ――そうやってプロレス入りをうかがってたんですね。
    中野 3年くらい働いていたかな。国際も潰れちゃったんだけど、ユニバーサル・プロレス(旧UWF)ができたでしょ。そこにラッシャー木村さんも参加されていて、新弟子を募集していると。国際に入門をお願いした当時のことを履歴書に書いたら木村さんがおぼえていてくれて、入門テストを受けさせてくれて。それがプロレス界に入るきっかけ。
    ――入門テストはどんな内容だったんですか?
    中野 俺のほかに全部15人くらい受けていたのかな。試験官が藤原(喜明)さん。新宿にあったユニバーサルの事務所に集まって、そこからバスに乗って場所は忘れちゃったんだけど、合気道の道場に連れられていったんだよね。
    ――合気道の道場で入門テスト!
    中野 そこで藤原さんが「みんなヒンズースクワットを知ってるだろ? やるぞ!!」って号令をかけて、藤原さんもスクワットをやり出すんだよね。
    ――試験官の藤原さんも一緒に(笑)。
    中野 またひとり、またひとり脱落していって。最終的には600回くらいやったのかな。残ったのは俺と5人くらい。藤原さんからその場で「おまえ合格な」って言われて、会社からも合宿所に入るように連絡があって。俺が合宿所に入ったのは7月1日の夏の日だったよ。
    ――同期はどなたになるんですか?
    中野 同期はいないよ。みんな途中でやめていった。安生(洋二)や宮戸(優光)はだいぶ後輩になるからね。
    ――合宿所に先輩レスラーは誰も住んでいなかったんですか?
    中野 いない。同期の連中だけ。俺が入門した当時は道場がなくて、あちこちのジムに出かけて練習してたんだよ。合宿所に前田(日明)さんや高田(延彦)さんから「明日◯◯に何時」って電話があって。たとえば新宿のスポーツ会館や湘南ジムを指定される。でも、前田さんと高田さんはたいてい約束の時間に遅れてくるんだけど(笑)。
    ――そこは“プロレスラー時間”なんですね(笑)。
    中野 前田さんらが到着したらスクワット500〜1000回やって、腕立て、腹筋、ブリッジをひと通りやって、タックルの打ち込みもやらされて。ヨソのジムだから、あまりでかい声は出せなんだけど。小さい声で怒られながら竹刀で叩かれたりしてたから。
    ――異様な光景ですね(笑)。
    中野 ジムの人間から前田さん言われてたもん。「すいませんが静かにお願いします」って。
    ――では、従来の新弟子生活とはちょっと違ったわけですね。
    中野 うん。毎日どこに呼ばれるのか不安だった。世田谷・大蔵の道場に落ち着くまでは1ヵ月くらいかかったのかな。
    ――そのうちプロレス入りのきっかけを作ってくれた木村さんもをやめちゃいましたよね。
    中野 会社の人や議員さんに言われたよね。「木村さんは出て行っちゃったけど、残って頑張らないといけない」って。言われなくても出て行くつもりはなかったんだけどね。ほかの団体に入るあてもなかったし。
    ――念願の道場もできましたし。
    中野 そうだね。合宿所が渋谷にあったら毎日電車で通ってたけど。ちゃんとした練習場所があったのはよかったよね。藤原さんは足立区から通ってたよ。木戸(修)さんは神奈川からかな。木戸さんはほかの先輩よりも早く来て自分のメニューをやって、日焼けして帰る。
    ――あの褐色の肌はそうやって維持されてたんですね(笑)。中野 佐山(サトル)さんは三軒茶屋でスーパータイガージムをやってたから、大蔵には取材のときくらいしか来なかったよね。
    ――佐山さんの加入後の旧UWFは格闘技色が徐々に濃くなっていきましたよね。
    中野 俺はこういうもんだとしか思わなかったから。それはいまでも変わらないし。それが良かったのかどうかはわからないけど、べつに悔いはないよ。
    ――旧UWFの客入りはどうでしたか?
    中野 たとえば東京、大阪や福岡はけっこう入ってた。青森とかの田舎は酷かった。2階席なんてお客さんを数えられたから。地方の人間なんてアントニオ猪木とジャイアント馬場しか知らないからね。「ユニバーサル・プロレス」なんて言ったってわからないでしょ。
    ――史上最大の悪徳商法詐欺事件で世間を震撼させた豊田商事がスポンサーだった時期もありますよね。それで一時期「海外UWF」を名乗って。
    中野 あったあった。潰れるちょっと前にね。殺されっちゃったんだよね。
    ――永野会長刺殺事件ですね。殺害の様子がテレビで生中継されたという……。
    中野 いろいろ景気のいい話を聞いていたよ。プール付きの合宿所ができるとか、年に何回かは海外旅行に行けるとか、中国で試合をするとか。豊田商事だけじゃなくて、変な話がいっぱい舞い込んできてたんだよ。占い師が怪しい話を持ってきたりね。
    ――若手の中野さんでも経営的の厳しさは感じましたか?
    中野 うーん、そうねえ。先輩たちが気まずくなっていった当時は大変かなあとは思ったよね。
    ――旧UWFは方向性を巡って、佐山さんと前田さんら他のレスラーたちが対立していきましたよね。
    中野 性格の問題だね、単純な話。合う・合わないだったと思う。最初はそうじゃなかったよ、俺が入門した当時はね。途中で佐山さんがいろいろとやりだしたじゃない。ルールがどうのこうのとか面倒くさいことになって。そのへんからおかしくなった。
    ――佐山さんは競技路線を推し進めましたよね。
    中野 その前は客が入らなくても「どうにでもなんだろ」と思ってた。選手がみんなまとまってる雰囲気があったんでね。若い連中のあいだでも「前田さんと佐山さん、もし別れたらどっちにつく」なんて話もなくはなかった。冗談半分でそういう話をしたことがある。
    ――それが現実になってしまったち。中野さんはどっち派だったんですか?
    中野 それは言えない。ワハハハハハハ!
    ――あ、20年以上経ってもダメですか(笑)。その溝が深まっていった結果、前田さんと佐山さんが不穏試合をやったじゃないですか。あの大阪府立臨海スポーツセンターの現場にはいらしたんですか?
    中野 うん。俺もいた。
    ――どういう状況だったんですか?
    中野 どういう状況って前田さんが最初から試合をする気がなかったんだよね。まともな試合をするつもりがなかった。佐山さんを潰してやるみたいなところがあって。それは前田さん個人の考えではなかったと思うんだよね。前田さんを炊きつけた人間がいる。誰とは言わないけどさ。
    ――黒幕がいると?
    中野 前田さんは他人の意見に左右されちゃうところがあるんだよね。それくらい純粋な人なんだけど。前田さんの個人的な考えだけでああいうことはやらないと思う。なんか裏であったんだと思う。
    ――そして旧UWFは経営破綻します。潰れたときはどういう報告があったんですか?
    中野 俺はテレビ番組の取材でカール・ゴッチさんのところに修行に行っていて。日本に帰ってきたら潰れてたんだよ(笑)。
    ――いないあいだに(笑)。
    中野 神(新二)さんが空港に迎えに来てくれて、帰りの車の中でボソボソ伝えてくるんだよ。
    ――旧UWFの社員で新生UWFでは社長を務める神さんですね。
    中野 それだったら日本に帰ってきたくなかったなって。見通しがないのに帰ってきたってしょうがないでしょ。ゴッチさんのところにいたほうが勉強になったし。ゴッチさんのところでは、走らされて、ロープを登ったり、ブリッジをやったり、まあ基本的なことだよね。あの人は怒鳴ったり怒ったりしないから。ゴッチさんはユニバーサル時代にも来日して何回か教わったけど、どうしてもできない選手がいるわけよ。でも、怒らないでどうにかできるように指導するからね。日本の先輩はできないと怒ったり引っ叩いたりするんだけど、ゴッチさんはそういうことは一切しなかった。たしかにゴッチさんは厳しいは厳しいんだけど、やる気のある選手にはどうにかできるように教える。それが神様と呼ばれる所以なのかなって。
    ――帰国しても試合がないならそのまま残留したかったですよね。
    中野 試合もないからモチベーションがない。なんのために道場で練習をしてるか意味がわかならなかったから。そんなときに新日本との業務提携話が出てきた。でも、俺は新日本に行きたくなかったら、ハッキリ言って。
    ――それはどうしてですか?
    中野 やっぱり新日本は“違う畑”。俺は新日本で育ってきたわけじゃないしね。UWFで試合ができないんだったらどうでもいいやみたいな気持ちだったし。
    ――実際新日本のリングに上がってみていかがでした?
    中野 というか、最初は安生との試合ばっかりだったんだけど。も〜〜う何回やったかわからない。顔を見るのも嫌だったよね(笑)。
    ――最初はUWF同士の試合ばかりで、新日本側も様子見だったというか。
    中野 新日本とUWFの上の選手同士が噛みあうようになってきて、それから若手同士もやるようになって。あのときのUWFの若手は俺と安生、あと宮戸かな。
    ――新日本の若手とはかなりガンガンやってましたよね。
    中野 お互いに敵対心丸出しだった。口もきかなかった。船木誠勝、野上彰の連中とタッグで戦うようになって、そこからかな、面白くなってきたのは。
    ――船木さんは中野さんと試合をするようになって「打撃を勉強しなきゃダメだ」ってことで骨法に通うようになりましたね。
    中野 船木選手がそう言ってた? それは当時の俺もわかってたよ。一生懸命、骨法とかに通ってたもんね。だから彼らとの試合は面白かったよ。そんな中、前田さんが長州さんの顔面を蹴った事件が起きたでしょ。
    ――顔面襲撃事件ですね。「プロレス道にもとる行為」をやったとして前田さんは新日本プロレスを解雇されて。
    中野 あれがなかったらUWFは新日本に吸収されていたよ。前田さんのアレでダメになった。まあ、俺は吸収されるのはイヤだったんだけどね。そうなったらやめていたかもしれない。その前に新日本とUWFの合同合宿があったり、完璧に吸収される雰囲気だったんだよ。そんな合宿、俺は嫌だったからスッポかしたんだよ(笑)。
    ――我が道を歩いてますねぇ(笑)。
    中野 向こうの若手の佐々木健介と仲が良くてさ、「行くのやめような」という話をしていたのに、あの野郎は約束を破って行きやがって。あとから聞いたら「長州さんが行けというから」だって。それで俺だけ坂口(征二)さんに怒られて、干されてしばらく試合が組まれなかったもんな(笑)。
    ――それって新日本とUWFの親睦会で酔った選手が暴れて九州の旅館をぶっ壊した時期ですよね。
    中野 あったなあ。親睦どころかみんな酔っ払って大変だった。俺と安生は途中でスッポかして何があったかは見てないんだけど。
    ――あ、そこもスッポかしましたか(笑)。
    中野 洗濯とか雑用があったからね。みんなができあがったときにはいなかった。旅館をぶっ壊したというのはあとから聞いたけど、みんなそれくらいストレスがたまってたんだろうね。
    ――旅館を壊すほどストレスって(笑)。
    中野 だって新日本にはアントニオ猪木さんに絡むレスラーがいたくらいだから。
    ――後藤達俊さんが日本刀を振り回しながら「猪木はどこだあ!」って叫んでたんですよね(笑)。
    中野 そうしたら後ろに猪木さんがいたというね(笑)。
    ――前田さんと武藤(敬司)さんの殴り合いはどういうふうに聞いてますか? いろんな説があるんですけど。
    中野 誰かが武藤さんに命令して前田さんが殴ったら、前田さんがブチ切れて馬乗りになってボコボコにした。それで武藤さんが顔を腫らしちゃって、翌日の試合を休んだという。あと前田さんと高田さんが雨の中、素っ裸でタクシーを捕まえて乗ったとか。まあ現場にいなくて本当によかったよね(笑)。
    ――ほかのUWFのメンバーは吸収ムードをどう捉えていたんですか?
    中野 賛成・反対のふたつに分かれていたよね。前田さんは反対だった。俺と前田さんだけじゃない、反対は。
    ――高田さんは吸収歓迎派で。
    中野 高田さんはそう。藤原さんもね。安生も宮戸も新日本の道場に練習に行くようになってたから。――新日本にすっかり馴染んでいたんですね。中野 俺はひとりで大蔵の道場で練習をしてたよ。神さんから電話で「もうちょっと待っててくれ。いいことあるからな」と言われていたんだけど。
    ――業務提携の当時から、のちの三派分裂に繋がる亀裂はあったんですかね。
    中野 あったと思う。だって我の強い人間の集まりだもん、UWFは。長く続くとは思わなかったよ。
    ――でも、前田さんの顔面蹴りはある意味で吸収ムードをぶち壊したんですね。
    中野 うーーーーーん、結果的にはね(苦笑)。だってあの試合後の何日かは前田さんと高田さんの仲はぎこちなかった。高田さんは新日本に残ってやっていくつもりだったから。でも、前田さんがやっちゃって。
    ――でも、前田さんはわざと長州さんの顔面を蹴ったわけじゃないですよね?
    このインタビューの続きと、高瀬大樹、阿修羅・原、桜田一男、佐伯繁、佐野哲也、しなしさとこのインタビューも合わせて読める詰め合わせセットはコチラ!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar654402 
  • 喜怒哀楽の人間ドラマ! アスレティックコミッション定例会議の内側■MMA Unleashed

    2014-10-10 09:58  
    55pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。今回は北米MMAイベントを管轄する「ネバダ州アスレティックコミッションの定例会議」の内幕について!
     
    ネバダ州アスレティックコミッションの定例会議は、およそ月に1度程度、ネバダ州政府ビルの会議室で行われる。2014年9月23日の会議では、全部で36の議題が扱われた。どんな議題が挙げられているかといえば、次のような具合だ。
    議題1 2014年10月18日にプロMMA興行の宣伝活動をラスベガスのサム・ボイド・スタジアム場外で行いたいとするベラトールMMAからの申請について
    議題3 2014年12月13日にラスベガスのコスモポリタンホテルで、HBOで放送されるプロボクシング興行を行いたいとするトップランク社からの申請について
    議題5 2015年1月10日にラスベガスのハードロックホテルで、プロキックボクシング興行を行いたいとするキックボクシングエンパイヤ社からの申請について
    下座に一列に並んだコミッショナーたちは、こうした議題について説明を受ける。単純で形式的な了承案件については、サクサクと進んでいく。議題によっては時間をかけた審議が行われる。今回の会議で時間がかかった議題は次の通りだった。

    議題28 フロイド・メイウエザー出廷、Showtimeで放送された「All Access」番組について説明
    議題29 MMA選手、ジョナサン・ジョーンズに対する懲罰に関する事情聴取
    議題30 MMA選手、ダニエル・コーミエに対する懲罰に関する事情聴取
    議題31 MMA選手、ヴァンダレイ・シウバによる懲罰取り下げ要請に関する事情聴取
    議題32 MMA選手、ヴァンダレイ・シウバに対する懲罰に関する事情聴取
     
  • 嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!!■小佐野景浩のプロレス歴史発見⑤

    2014-10-09 17:25  
    110pt
    元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩が90年代のプロレス界を回顧する「プロレス歴史発見」。第5回のテーマは「阿修羅・原」! 天龍源一郎の盟友だった男の壮絶なレスラー人生を追う!!……イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」の出張版つきでお届けします!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■非会員でも購入できる大好評インタビュー&コラム詰め合わせセット! part8は大好評インタビュー5本、コラム2本、6万字オーバーが540円!! ■元パンクラス社長・尾崎允実が語るU系の深層!「前田日明とも昔は仲は良かったんですよ」■小佐野景弘の「プロレス歴史発見」! 天龍源一郎vs週プロ、SWS崩壊劇を語る!■新日、ジャパン、SWSを流浪した新倉史祐が語る昭和・新日本プロレス道場伝説!SWSの真相!!■大山峻護、引退――PRIDE青春残酷物語「ハイアン、ヘンゾ戦はトラウマになりました……」■MMAオレンジ色の手帖、大好評グルメ記事 「後楽園ホール編」「新宿FACE編」■【UFC秒殺デビュー!!】佐々木憂流迦「才能はないけど、選ばれた人間だとは思いますよ」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■そのほかの詰め合わせセットはコチラ→http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar634402――小佐野さんが原さんと初めて出会ったのはいつですか?
    小佐野 もともと『ゴング』は月刊誌だったので、その当時のボクは記者ではなく編集者だから、あまり選手と接する機会は少なかったんですよ。『ゴング』が週刊になったのは84年の春。そのとき全日本プロレスの担当記者になったんです。
    ――初担当が全日本だったんですね。
    小佐野 原さんはすでに全日本に参戦してたんだけど、その頃に会話をした記憶がほとんどないんですよ。というのは、僕が全日本担当になったのが4月で、原さんは10月に失踪していたから。
    ――それは天龍同盟に起きた騒動とはまたべつの失踪なんですよね。
    小佐野 そのときはね、原さんが地元・長崎の興行に関係していたと思うんですよ。でも、会場に行ったら何の宣伝もされず放置されていて。普通はポスターが貼られたり、チケットを売ったりするでしょ。営業活動が何もされてなくて原さんもどこかに消えちゃったんですよね。
    ――いったい何があったんですか?
    小佐野 わからない。たぶん何か問題があったんでしょうけど、原さんはズボラな人ではないので。
    ――原さんも地元で営業活動に専念するにはいきませんから、誰かしらに委託はしますよね。
    小佐野 そうそう。全日本から原さんが興行を買って、それで誰かに頼んでいたと思うんですよ。で、原さんと親しくなったのは、その失踪後に“ヒットマン”として全日本に戻ってきてから。あれは85年の山形、夏前だったかなあ。長州力vs石川敬士のシングルマッチに私服姿の阿修羅・原が乱入して長州を血だるまにするという事件が起きたんです。
    ――その事件から原さんは“ヒットマン”と呼ばれるようになったんですね。
    小佐野 その後も乱入を繰り返す原さんを追いかけていくうちにコミュケーションが取れるようになって。原さんが走り去る際に、ホテルの部屋番号を告げていくというね(笑)。
    ――ハハハハハハ!
    小佐野 原さんとしても乱入乱入でさびしいわけですよね。携帯もない時代で孤独なわけですから。そうやって話をするようになったんですね
    ――失踪しているあいだは何をやっていたんですかね?
    小佐野 わからない。聞いたことないですね。結婚してるし、息子さんも娘さんもいたんですけどね。
    ――そこはミステリーなんですね。
    小佐野 そのへんの事情は若僧だったからわからないですが、原さんは風貌とは裏腹にラクビーの国際選抜に選ばれたこともある超エリートじゃないですか。根性論の人じゃないんですよ。合理的にいかに自分の運動能力が引き出すかを考える人。ヒットマンの絵作りのために岩でベンチプレスする姿は撮りましたけど(笑)。
    ――ハハハハハハ!
    小佐野 一生懸命頑張る当たり前。みんなが頑張る中でどうやったら上に行けるかを考える。風貌だけを見ると昭和のプロレスラーですけど、じつはスポーツ最先端の人だったんです。それにあの人は女性にもモテますよ。渋くて優しくて、けっこうロマンチストでピュアな一面もあって。
    ――そんな原さんがどんな経緯で天龍さんとの運命の合体を果たすんですか?
    小佐野 原さんはもともとは所属していた国際プロレスが潰れて全日本にはフリーとして参戦したんですけど、その第一戦が後楽園ホールの天龍源一郎戦だったんです。そのあとに客が全然入っていない大分の荷揚町の会場で天龍さんとUN戦をやったんですけど。原さんいわく「ラクビーでイングランドと戦ったときのような感覚があった」そうなんですよ。
    ――へえー! それが地方会場だったところがまたいいですね(笑)。
    小佐野 勝ち負けじゃなくて、純粋に真っ直ぐラクビーボールを追っていたあの感覚を味わいたかった。それでプロレスに来たら天龍戦で味わえたという。その感覚が忘れられなくて、ヒットマン時代は天龍さんや長州力を狙ってたんですよね。全日本としては国際血盟軍でラッシャー木村さん、鶴見(五郎)さんと同じ括りなんですけど。原さん本人は「血盟軍ではなくてフリーだから」と言っていて。
    ――そこには強い拘りがあったんですね。
    小佐野 それで87年春に長州力が全日本を離脱して新日本に戻ったことで、天龍さんが相当落ち込むわけですよ。スランプに陥った。
    ――天龍さんにとって自分を燃えさせてくれる存在が長州力だったんですね。
    小佐野 そのときに原さんが天龍さんのことを心配していて。「最近、源ちゃんどうなの? こないだ道場で顔を見たら元気がなかったよ」って。天龍さんと原さんは敵同士だから一緒に行動もしないし、会話もしなかったんです。
    ――そこは徹底してたんですね。
    小佐野 ホテルも日本人と外国人は別々で、巡業バスも正規軍、ガイジン、ジャパンプロレスの3つあったのかな。国際血盟軍はガイジンのバスに乗っていたけど、原さんは「フリー」を主張しているから単独行動をしてたんですよね。
    ――その気概は素晴らしいですね(笑)。
    小佐野 シリーズ開幕戦の小山ゆうえんちに向かう新幹線の中で原さんにばったり会って。原さんは「源ちゃんが新しいアクションを起こすなら一緒にやるのも手かな」と言ってたんです。シングルをやるといっても年に1~2試合しかチャンスがない。一緒に組んで競い合うという手もあるから。そうしたら、天龍さんが小山ゆうえんちの開幕戦で「鶴龍コンビの解散」を口にしたんです。天龍さんの考えでは、鶴龍コンビを解散してジャンボ鶴田、輪島(大士)の反目に回ったほうが全日本は盛り上がると。
    ――「日本人vs外国人」の世界に戻ったらダメだろう、と。
    小佐野 でも、馬場さんは天龍さんの正規軍離脱を許さない。シリーズのカードは決まってるし、勝手なことは許されないと。その問題を解決したのは試合ですよ。
    ――試合で解決ですか?
    小佐野 金沢でやった猛虎七番勝負の天龍vsタイガーマスクが本当に素晴らしい試合だったんですよ。馬場さんも大絶賛で「こういう試合をやれば下の選手は育つんだ」っていうことに気付いて、天龍さんの正規軍離脱を許したんですよね。
    ――そもそも長州力離脱を受けて、馬場さんにはどういうビジョンを描いてたんですか?
    小佐野 具体的になかったと思う。長州がいなくなってまだ2シリーズ目ということもあったし。それで馬場さんからOKが出たということで、シリーズ中のオフ日の6月4日、名古屋のシャンピアホテルで天龍さんと原さんが会談を持ったんです。それが龍原砲の始まりですね。
    ――フロント主導ではなく、選手が自分たちで構築していく面白さがありますねぇ。
    小佐野 当時はリング上のマイクパフォーマンスも珍しかったですからね。いまは誰もマイクを持つじゃないですか。あの頃は長州の“噛ませ犬発言”くらいでしたから。めったにないことだから、あれだけのインパクトがあったんですよ。
    ――当時のマイクは“心の叫び”だったんですね。
    小佐野 ボクはその天龍さんと原さんの初会合に行けなかったんです。出張費を出してもらえなかったから(笑)。結局、その2日後の6月6日に長門市スポーツセンターで初めて龍原砲が実現して輪島・大熊元司組と戦ったんです。
    ――それもまた渋いカードですね(笑)。
    小佐野 そこは会社に掛け合って、山口宇部まで飛行機で飛んで、そこからローカル線を乗り継いで取材に行きましたよ(笑)。作/アカツキ
    ――龍原砲結成後の天龍さんたちも、それからの移動は電車だったそうですね。
    小佐野 そうそう。彼らはふたりだけの軍団だから移動バスがないんですよね。川田(利明)、冬木(弘道)が合流して天龍同盟というユニットになってからしばらくして専用のバスができましたけど。それまでは天龍さんと原さんが時刻表片手に電車を乗り継ぐか、電車で行けない場所はリング屋さんのトラックに乗り込むわけですよ。
    ――車寅次郎の世界ですね(笑)。
    小佐野 ボクも一緒に電車で旅をしましたよ。川田が入った最初の頃は、レンタカーを借りて川田が運転手をやってましたよね(笑)。
    ――ガイジンバスに乗ればいいのに、そこはちゃんと線を引くんですね。
    小佐野 とにかく正規軍や外国人レスラーと口を利かない。顔を合わせるのはリング上だけ。そうしないと相手のことをおもいきり殴れないから。このインタビューの続きと、中野巽耀、高瀬大樹、佐野哲也、桜田一男、佐伯繁、しなしさとこのインタビューも合わせて読める詰め合わせセットはコチラ!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar654402
     
  • 格闘技版「孤独のグルメ」〜代々木第二体育館編〜■MMAオレンジ色の手帖<File⑦>

    2014-10-08 14:00  
    55pt
    格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! File⑦は大好評!格闘技板「孤独のグルメ」代々木第二体育館編です。今回も美味いぞ〜!水道橋編  http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar620887新宿編   http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar630323水道橋・新宿編がまとめて読める好評企画詰め合わせセットはコチラhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar634380■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ おかげさまでご好評をいただいている格闘技版「孤独のグルメ」。残念ながら本家のテレビ放送は終了してしまいましたが、その分、分家? スピンオフ? オマージュが頑張らなくては。
    そんなわけで今回は第3弾。VTJなどで使用されている代々木第二体育館周辺・渋谷近辺で格闘技マニア感涙モノのグルメスポットを紹介していきたいと思います。ちなみに今回は肉!肉!肉!肉のオンパレード!格闘技好きに肉嫌いなし。怒涛の肉弾戦を仕掛けたいと思います。 
    まず、格闘技と切っても切れない密接な関係にある肉料理といえば……。焼肉!? ステーキ!? いえいえ、ブラジリアンバーベキュー「シュラスコ」を忘れてはいけません!PRIDE全盛期にブラジル修行に行った桜庭和志が体重を増やすために食べていたという格闘技に所縁の深い料理。そのシュラスコをバイキング形式でお腹一杯味わえるお店が「バルバッコア・グリル」です。
    バーベキューと言うと、甘ったるいソースを想像する人も多いと思いますが、シュラスコは軽い塩味で素材重視。肉本来の旨味を存分に楽しめます。しかも、店員さんが焼き上がったばかりの肉の塊をテーブルに持ってきて、その場で好きなだけ切り分けてくれるという贅沢の極み。こちらが「ギブアップ」と言うまで運び続けるその様はまるで肉のわんこそば状態です。
    しかも、その肉のバリエーションの豊富なこと! ショートリブ、ガーリックステーキ、ペッパーステーキ、牛肩ロース、カイノミ、ラムレッグ、豚肩ロース、ローストチキン、鶏ハツ……。牛肉、豚肉、鶏肉なんでもござれ。「もうお腹一杯」と思ったところで、初遭遇の肉が運ばれて来るのは店の好意なのか、陰謀か。桜庭が増量に成功したのもうなずけます。お値段は1人4800円と決して安くはありませんが、肉好きとしては是が非でも食べておきたい名店です。
    さて、次は渋谷駅周辺で幕を開けた肉食バトルの話題。 
  • 【緊急インタビュー!!】佐伯繁DEEP代表「なぜ大晦日格闘技興行をやるのか」

    2014-10-08 14:00  
    55pt
    格闘技界の伝統は俺が守る! 格闘技イベントDEEPが今年の大晦日さいたまスーパーアリーナでビッグマッチを行なうことが発表された。さいたまスーパーアリーナの格闘技興行といえば、2001年から始まり、ゼロゼロ年代格闘技人気の象徴ともいえた。しかし、メジャー団体の凋落とともに地上波中継がされることもなくなり、客入りの悪さもあいまって昨年2013年は未開催。「格闘技界の聖地」と崇められるさいたまスーパーアリーナだが、興行的には鬼門となっており、どのプロモーションも苦戦しているのが正直なところだ。そんな寒風吹きすさぶ中、なぜDEEPはたまアリを目指すのか――? 佐伯繁代表に話を聞いた!!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■非会員でも購入できる大好評インタビュー&コラム詰め合わせセット! part8は大好評インタビュー5本、コラム2本、6万字オーバーが540円!! ■元パンクラス社長・尾崎允実が語るU系の深層!「前田日明とも昔は仲は良かったんですよ」■小佐野景弘の「プロレス歴史発見」! 天龍源一郎vs週プロ、SWS崩壊劇を語る!■新日、ジャパン、SWSを流浪した新倉史祐が語る昭和・新日本プロレス道場伝説!SWSの真相!!■大山峻護、引退――PRIDE青春残酷物語「ハイアン、ヘンゾ戦はトラウマになりました……」■MMAオレンジ色の手帖、大好評グルメ記事 「後楽園ホール編」「新宿FACE編」■【UFC秒殺デビュー!!】佐々木憂流迦「才能はないけど、選ばれた人間だとは思いますよ」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■そのほかの詰め合わせセットはコチラ→http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar634402――佐伯さん!このインタビューがアップされる頃には発表されていますが、なんとDEEPが大晦日のさいたまスーパーアリーナに進出するそうですね。
    佐伯 ……いやあ、これは人生最大の勝負ですよぉ(神妙な面持ちで)。
    ――人生最大の勝負!! まさにまさに。
    佐伯 その発表記者会見自体は10月8日水曜日の14時からやります。まず会見をやらないと始まらないところがあるからね。これから死ぬ気でスポンサーを集めますし、もし興味がある方は事務所に電話していただければ(笑)。
    ――ハハハハハ。現時点で決定しているのは「大晦日さいたまスーパーアリーナでDEEPを開催する」ということだけですか?
    佐伯 そうなんだけど、大晦日以外にもDEEPでやることが多すぎて。今月はTDCホールのビッグマッチもあるし、11月にはジュエルス(女子MMAイベント)が新宿FACEであるし、大晦日の10日前にディファ有明で興行もある。
    ――そんなスケジュールの中で大晦日。メチャクチャ大変じゃないですか!
    佐伯 さいたまのイベントとなると、普段のDEEPとチケットの枚数だって違うから用意するのも大変ですよ。いままで作ったことのない枚数ですからね(笑)。PRIDEやDREAMの場合は、会場の設営にしろ専門チームがいたわけじゃないですか。ボクらは自分でやるしかないから。
    ――あそこはイベント会社ですもんね。ちなみにさいたまスーパーアリーナのどのバージョンでやるんですか?
    佐伯 こないだのUFC日本大会と同じ。1万2000人くらい。こないだUFCの日本大会を観に行ったときヤバイと思ったよね。「この大きさで大丈夫かなあ……」って(笑)。
    ――DEEPの大規模興行はひさしぶりですよね。
    佐伯 2002年の有明コロシアム以来かなあ……。あのときでも8000人規模くらいだよね。
    ――田村潔司vsミノワマンがメインイベントで。LEGENDとDynamite!と興行戦争になって(笑)。
    佐伯 あのときも大変だったなあ……。でもまあ、今回は会場の大きさよりも、“大晦日のさいたま”でやることのほうにプレッシャーありますよね。
    ――会場規模の問題ではない。
    佐伯 うん。大晦日にさいたまで格闘技をやる歴史が何年続いたかはわからないけど、去年でいったん途絶えたわけでしょ。2001年 INOKI BOM-BA-YE 2001   安田忠夫vsバンナ、永田裕志vsミルコ・クロコップ2002年 INOKI BOM-BA-YE 2002   高山善廣vsボブ・サップ、吉田秀彦vs佐竹雅昭2003年 PRIDE男祭り2003      桜庭和志vsホジェリオ、吉田秀彦vsホイス2004年 PRIDE男祭り2004-SADAME- ヒョードルvsノゲイラ、マーク・ハントvsシウバ2005年 PRIDE男祭り2005-ITADAKI-  小川直也vs吉田秀彦、ヴァンダレイvsアローナ2006年 PRIDE男祭り2006-FUMETSU- ヒョードルvsハント、五味隆典vs石田光洋2007年 やれんのか!大晦日!2007   ヒョードルvsホンマン、秋山成勲vs三崎和雄2008年 Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜 田村潔司vs桜庭和志、アリスターvsバダ・ハリ2009年 Dynamite!! 〜勇気のチカラ2009〜 魔娑斗vsサワー、青木真也vs廣田瑞人2010年 Dynamite!! 〜勇気のチカラ2010〜 青木真也vs自演乙、川尻達也vsトムソン2011年 元気ですか!! 大晦日!! 2011 ヒョードルvs石井慧、桜庭&柴田vs鈴川&澤田2012年 DREAM.18 & GLORY 4   第1部MMA、第2部キックボクシング2013年 開催せず
    佐伯 ボクはいままでPRIDEやDREAMを手伝ってはきたけど、何気なく見てきたことを自分でやるっていうプレッシャーは凄くありますよ。ホントに不安。
    ――大晦日たまアリ興行は格闘技のブランドでしたもんね。
    佐伯 ボクは選手や関係者が知らない興行事情を把握しているし、実券がどれくらい売れてるのかもわかってる。それらを考えた結果でも「やる」という判断を下したんだけど、それでも怖いわけですよ。
    ――決断したのはいつくらいなんですか?
    佐伯 9月12日くらいですね。そこから調整に動いてますね。会場側と話をしたりして最終決定したのは9月末です。
    ――大晦日のたまアリは、2001年からこれまで旧PRIDEスタッフが使用権を持っていましたね。たまアリは前年度の主催者に優先使用権があって。去年は開催できなかったから使用権の行方が気になっていましたが。
    佐伯 そこの話はけっこう複雑で説明はできないんだわ。もともと4月の段階でDREAMがやらないのであれば「DEEPで」というふうに手は挙げていたんだけど。簡単にいうと、そうやってアピールしてたのでボクのところに話が来たということですね。
    ――格闘技にかぎらず、ほかに名乗り出たイベントは多かったんじゃないですか。
    佐伯 名乗り出たかわからんけど、大晦日さいたまが空いてるなんて言ったら、まず音楽業界が黙っていないでしょ。
    ――大晦日の関東近郊の会場はどこも埋まってますからね。
    佐伯 だから去年DREAMがやれなかったでしょ。で、今年ウチがやらなかったら、さすがに大晦日のさいたまは明け渡すしかない。今回ウチがやらなかったら、大晦日のたまアリで格闘技興行は永遠にやれなくなるかも。だから今回は大晦日を守るという意識は強いよね(キッパリ)。このインタビューの続きと、中野巽耀、高瀬大樹、阿修羅・原、桜田一男、佐野哲也、しなしさとこのインタビューも合わせて読める詰め合わせセットはコチラ!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar654402 
  • 【なんと6年ぶりに復帰!!】しなしさとこインタビュー「総合格闘技と女性の戦い」

    2014-10-06 08:00  
    55pt
    女子格闘技黎明期から活躍し、トップファイターとして君臨。出産を機に試合から遠ざかっていたDEEP女子フライ級王者しなしさとこが6年ぶりにDEEPのリングに戻ってくることになった。インタビューでは今回復帰を決意した理由を中心に“ママさんファイター”の苦労などを語っていただきました!!■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■非会員でも購入できる大好評インタビュー&コラム詰め合わせセット! part8は大好評インタビュー5本、コラム2本、6万字オーバーが540円!!  ■元パンクラス社長・尾崎允実が語るU系の深層!「前田日明とも昔は仲は良かったんですよ」■小佐野景弘の「プロレス歴史発見」! 天龍源一郎vs週プロ、SWS崩壊劇を語る!■新日、ジャパン、SWSを流浪した新倉史祐が語る昭和・新日本プロレス道場伝説!SWSの真相!!■大山峻護、引退――PRIDE青春残酷物語「ハイアン、ヘンゾ戦はトラウマになりました……」■MMAオレンジ色の手帖、大好評グルメ記事 「後楽園ホール編」「新宿FACE編」■【UFC秒殺デビュー!!】佐々木憂流迦「才能はないけど、選ばれた人間だとは思いますよ」■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――10月26日のDEEP TDCホール大会で08年10月以来、6年ぶりの復帰戦を行なうわけですが、実質引退されてると思っていたのでビックリしました!
    しなし わたしも「……6年も空いちゃって大丈夫かな?」って思っちゃってるんですよ(笑)。
    ――ハハハハハハ! しなし選手は出産を機に格闘技活動をお休みになって。DEEP代表の佐伯さんは「産休・育児休暇扱い」としてDEEP女子フライ級王座防衛期限に1年間の猶予を与えてましたね。
    しなし はい。わたしも1年で復帰する予定だったんですけど、出産が“生き死に”になってしまったんです。切迫早産だったから体調も悪くて、妊娠8ヶ月から入院生活を2ヵ月間も送ってたんですよね。
    ――2ヵ月ってずいぶんと長いですね。
    しなし いつ生まれてくるかわからないのでトイレ以外、病室から出ちゃいけないんです。出産したときも緊急帝王切開で大出血しちゃって。貧血の数値が酷くて出産後も1ヵ月入院。都合3ヵ月も入院してたんですよ。
    ――そんな状態だったら、しばらく休養は必要になりますね。
    しなし 体調も悪くて1年くらいは外にあまり出られなかったというか。そんな状態だったので格闘技どころじゃなかったですし、やっぱり育児と同時に格闘技をやるのは難しいですよね。だって育児はいましかできないことじゃないですか。やっぱり乳飲み子を放ってはできないですから。
    ――今回は格闘技に復帰できる環境が整ったということなんですか?
    しなし いや、わたしは今年で37歳ですし、ここで復帰しないともう無理だろうなって思ったんです。6年遠ざかるってかなりヤバイですよねぇ。
    ――6年間、練習らしきことはやってなかったんですか?
    しなし まったくやってないです(笑)。
    ――なるほど(笑)。となると6年という空白は怖いですよね。
    しなし どうなんですかねぇ……(苦笑)。正直怖い気持ちもあるし、それと同じくらい楽しみもあるし。
    ――しかし、よくご主人は復帰を了承しましたね。
    しなし 相談したのがちょうど半年くらい前ですかね。相談といっても「今年復帰しないともうできないから、わたしはやる!」と言ったんですけど。ウフフフ。
    ――あ、決定事項の報告(笑)。
    しなし わたしが一度言い出したら聞かないことを知ってるので。「ケガだけはしないでくれ」とは言われました。
    ――いや、本当に心配されてると思いますよ。
    しなし 怖いですよねー。眼窩底骨折も1回やってるから。だけど、自分自身に挑戦したい気持ちが強くって。私は家事があまり得意ではないですけど、それなりにやってきたんですね(苦笑)。でも、普通の毎日が物足りなくなってきたんです。人生の半分は格闘技をやってきてますから。
    ――柔道、サンボ、総合格闘技と。
    しなし 15歳から柔道をやっていて、サンボにしろ総合にしろ常に何かしら目標があったので。結婚して出産してから、目標がない毎日で「こんなんでいいのかな……」って疑問に思っちゃって。
    ――お子さんが5歳になったことで、だいぶ手がかからくなったこともあるんですかね。
    しなし それもありますかね。子供が幼稚園に通うようになってから午前中に時間ができたりして。それなりに楽しい毎日ではあったんですよ。友達とランチしたり。いま思えば優雅ですよねー。ウフフフフ。
    ――それがお昼のランチから顔面パンチに(笑)。
    しなし 育児に必死だったときは何にも思わなかったんですよ。子供が1歳や2歳になるにつれ「復帰したい」という気持ちは高まっていったんですけど、そのタイミングがなかなか……この子を連れて練習には毎日は行けないなあって。格闘技ジムって子供を練習に連れてきてもOKという雰囲気ではないと思うんですよね。子供がギャンギャン泣いていたら迷惑になりますし、私は働いてなかったので保育園には預けられませんでしたし。
    ――男子格闘家とは育児事情が違いますねぇ。
    しなし 男は作るだけですから!(笑)。もちろん家庭があることは男子格闘家にとっても大きいですけど。いまは子供を保育園まで迎えに行って、義母に預けて、練習に行って、また子供を迎えに行って、家に帰って食事して寝る(笑)。その繰り返しでプライベートは一切ないですね。
    ――家庭を持つと現役のハードルは高くなるわけですね。
    しなし いま瀧本美咲ちゃんと週2回マンツーマンで練習してるんですけど。瀧本美咲ちゃんも1年くらい試合をしてなくて。試合をするとなると仕事が難しくなるって言っていたから。彼女も女子格闘技の初期から頑張ってるメンバーで凄く強いんですけどね。
    ――女子格闘家って男子よりリングから早目に遠ざかりますね。
    しなし 原因は明確だと思うんです。あと、いまは海外の試合も増えてますけど、私が総合を始めた当初はスマックガールしかなかったんですよ。そこでみんな一番を目指しますけど、そこでチャンピオンになっても「あれ? イメージしていたのと違う……」みたいな。
    ――当時は大金を稼げるわけではなかったですし。
    しなし そうそう。マスコミが取り上げてくれるといっても専門誌くらいじゃないですか。そうすると雑念が入ってくるんじゃないですかね。女の子の場合は恋愛もしたい、結婚もしたい、出産もしたいと。それに結婚する相手によって格闘技を続けることができるかどうかも違ってきますし。
    ――そういえば、佐伯さんは、しなし選手が結婚されたときに「1年持たない!絶対に別れる!!」と断言してましたね(笑)。このインタビューの続きと、中野巽耀、高瀬大樹、阿修羅・原、桜田一男、佐伯繁、佐野哲也のインタビューも合わせて読める詰め合わせセットはコチラ!http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar654402 
  • 【フリー公開】総合格闘技と脊椎側弯症/二階堂綾乃のオールラウンダーAYANO⑩

    2014-10-02 23:01  
    新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだした! その模様をイラストレポートすることになった当コーナー。今回は二階堂さんが抱える「脊椎側弯症」について。
    私はギリギリ未熟児になるかならないかくらいの小ささで生まれたためか、小さくて細くて身体の弱い子でした。中学になると「モアレ検査」(中学校等の健康診断で前屈をするやつ)に引っかかり、脊椎側弯症(せきついそくわんしょう)という背骨が弯曲する病気にかかっていることが判明しました。この病気は程度の差はありますがかなり患者数の多い病気です。有名人だとチェロ奏者のヨー・ヨー・マ、ニルヴァーナのカート・コバーン、そしてあのウサイン・ボルト選手もこの病気に罹っています。私はこの病気のため、親や整体の先生等に骨がよけいずれるから激しい運動は控えるよう言われていました。今回はそんな私が激しすぎ
  • ヴァンダレイ・シウバ引退劇場! 晩節を汚したのか、それとも新たなスタートの炎なのか!!■MMA Unleashed

    2014-10-02 22:50  
    55pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム。今回は事実上引退に追い込まれたヴァンダレイ・シウバとUFCの舌戦を追っています! ヴァンダレイもダナ・ホワイトも激しすぎ!!ヴァンダレイ・シウバ(38)は、9月19日に自ら公開した動画の中で、UFCを猛烈に批判し、自ら現役からの引退を宣言した。

    「私はプロモーターから、2014年5月31日の大会に出場してほしいとの要請を受けた。私は体調がよくなかったので、要請を断った。1週間後にプロモーターは、やはりどうしてもその日に試合をしてほしいとして、多額のボーナスを申し出た。最初からその金額でオファーをくれていればよかったのだ。プロモーターはこうしていつも、カネを出し渋る。それでも私は、コンディションが悪くてファンの期待に添った試合ができないと答えた。その後もミーティングが繰り返され、出場するよう何度も促されたが、私は年末まで体調が整わないと答えた。するとプロモーターは『年末だって?』と驚いてみせた。結局7月大会出場に同意したが、体調が良くなく、本来は難しかった。身体が動かないので、必要な練習ができないのだ。無理をして試合に出て負けたりしたら、プロモーターから解雇されてしまうのはこちらなのだ」