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「中井りん活動休止」「インフル欠場問題」■事情通Zのプロレス点と線
2017-02-16 13:1055ptプロレス業界のあらゆる情報に精通する事情通Zの「プロレス 点と線」。今回は「中井りん活動休止」「インフル欠場問題」について!
事情通Z 中井りん選手がブログで「活動休止」を発表したことが大きな騒ぎになってるね。
――いまってブログだけじゃなくてツイッターやFacebookと併せて使う選手が多いじゃないですか。「はてなブログ」だけでガンガン更新して拡散していくスタイルはちょっと凄いですよね。
Z たしかに(笑)。最終的にこのニュースはYahooトップまで上り詰めて。
――コメント欄も熱いファンが多いですよ!「私の周りの資本家や投資家に相談してみます」とか書き込んでる人もいますし。
Z うーん、熱いぞ(笑)。
――中井りん選手はプロレス格闘技の「はてなブログ」をひとりで背負ってますね。この続きと、堀口恭司、アジャ・コング、ジミー・スヌーカ、里美和、Team DATEなどの記事20本以上がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1199493 -
【無料記事】茅ヶ崎にオープン!! KEI山宮のジムに行ってみた■二階堂綾乃
2017-02-16 12:30新日本プロレスの選手イラストを描いてキャッキャしていたプオタ女子・二階堂綾乃がいつのまにかMMAジムに通いだし、ついに格闘技デビューをしてしまったこのコーナー。今回のテーマは……KEI山宮選手が茅ヶ崎にオープンしたジムに行ってみた!<関連記事>KEI山宮インタビュー――パンクラシストの憧れと死を見つめてhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1019252私が通っているグラバカジムにて週1でインストラクターを務めるKEI山宮さんが、去年茅ヶ崎にジムをオープンしました。茅ヶ崎と言ったら湘南。湘南と言ったら観光地。ジムへ遊びに行くついでにちょっと観光でもできたらなあ~と思い、2月11日土曜日、「湘南魂スポーツジム」に行ってきました。 今回の旅の仲間は左から
・私…プオタ。 ・ソフマッチョさん…アシスタントのソフトなマッチョ。プオタ。 ・西川パト -
中井祐樹の「東奔西走日記」2月1日〜14日編
2017-02-16 12:0955pt日本格闘技界の礎を築いたレジェンド、中井祐樹先生@yuki_nakai1970 が日常を綴る連載! 今回は2月1日から 15日まで!2月1日 水曜日 晴れ 本当の伝承
昼。稽古やれず…。あまり体調がすぐれなかったから、まあいいさ。2/19関東柔術オープンにあわせ8分、からの2分。みんなガンバれ!
池袋支部指導へ。仁木征輝先生に昨年教わってやり方を最近変えた「足抜き2017」を紹介。その後リクエストにより腕返し(立ち&グラウンド式)や腕絡み返しをレクチャー。
特にグラウンドの腕返しは私の完全オリジナル技法である。クラシカルなものに必要とあらばアレンジを施して今に伝える、それが自分の役目のひとつ。本当の伝承だ。また二週後会いまSHOW。
2月2日 木曜日 晴れ 万人に向けて&クラスは生き物
UFC収録。シェフチェンコvsペーニャにセラーニvsマスヴィダルほか。放送ぶんの全試合が一本&KOという、いわば神大会。
再放送やリピート放送ででも見てね。FOXスポーツ&エンターテイメントのUFC放送は「ゴールデンタイム中心」なのが強みですから。万人に向けているんです。
レンタルDVDを返してまた借りたり、カフェでしばし作業したりしながら夜クラスに戻った。夜の中井柔術クラスも少しずつやり方が変わってきましたよ! こればっかりは受けた人のお楽しみ。クラスは生き物。
2月3日 金曜日 晴れ ヒールフックできる間柄
ジョージ・ハリスンの傑作『オール・シングス・マスト・パス』を聴く朝方。俺はジョージが本当に好きだぜ~。
昼練。6分、10分、3分20秒。主に2/19関東柔術オープン選手権にあわせ。私は打ち込みをし(必須ですぞ!)、バックやサイドからSさんやHさんとやった。MMAファイター・上久保周哉選手とは一本決まるまで。ヒールフックできる間柄、重要っす!
2月4日 土曜日 晴れ 身体と思考
指導ざんまいDAY。セントラルウェルネスクラブ新浦安・キッズレスリングスクールおよびリリオセントラルフィットネスクラブ・亀有キッズレスリングスクール、さらにパラエストラ町田。技術的には未熟でも、「やりたい!」という熱が入った練習は見ていて気持ちが良い。そういう時は心からの質問も出てくるし。身体が思考してるんだ。
キッズレスリング、だんだん形になってきている。本格的に他の曜日にも練習したいという子も出てきたので掛け持ちを薦めます。所属がどうこうよりまずはやりたい気持ち、好きな気持ちを大事にしたいと思います。
町田は月始めの中井担当日はノーギ(道衣なし)という不文律どおりノーギで実施。ただ、少し身体に無理がかかったかひとりメンバーさんが膝を痛めてしまった。すみません。道衣は動きを抑制する・させる方向にむかうが裸はその逆。勢いに歯止めがかからず無理な動きが現出してしまうことがあるのだ。気をつけていきます。この続きと、堀口恭司、アジャ・コング、ジミー・スヌーカ、里美和、Team DATEなどの記事20本以上がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1199493 -
【無料記事】大事な大事なオープニング! 「第1試合」を一番多く飾ったMMAファイターは誰だ?
2017-02-10 00:00皆さん、RIZINの「第1試合」の結果がすべてKO・一本決着であることをご存知ですか? 一昨年の年末からスタートして昨年の年末まで6回の開催を数えるRIZIN。いまだにオープニングマッチの勝敗はジャッジに委ねられていないのです――。
RIZIN
15年12月29日 高阪剛vsジェームス・トンプソン(TKO)
15年12月31日 RENAvsイリアーナ・ヴァレンティーノ(一本)
16年4月17日 悠矢vs祐毅(TKO)※キックボクシングルール
16年9月25日 ギャビ・ガルシアvsデスティニー・ヤーブロー(一本)
16年12月29日 北岡悟vsダロン・クルックシャンク(一本)
16年12月31日 那須川天心vsカウイカ・オリージョ(一本)
プロレス格闘技の「第1試合」はその多くはキャリアが浅い選手が起用されます。いわゆる前座ってやつですね。しかし、日本のメジャーMMAイベントの場合、派手な -
【新春恒例】佐伯繁DEEP代表インタビュー「日本格闘技界から見たRIZIN 」「パンクラスとの全面対抗戦」…
2017-02-10 00:0077pt日本格闘技界で最もスマートな視点を持ち合わせる巨漢プロモーター、DEEP代表佐伯繁インタビュー。RIZIN登場以降の日本格闘技界はどう変わっているのか? 「RIZIN出場枠、スケジュール問題」「パンクラスとの全面対抗戦」「abemaTVの影響」……出だしからアクセル全開だ!
佐伯 昨日の山口(日昇)さんのやつ(『SEI☆ZA』)、行ったの?
――行ってないです。
佐伯 なんで? 仲が悪いから?
――いや、興味があればチケットを買ってでも見に行きますが、まったくピンとこなくて。佐伯さんは行かれたんですか?
佐伯 ホントは行きたかったんだけど、谷川(貞治)さんも来てるでしょ。
――あの2人はつるんで興行をやってますね。佐伯 谷川さんは自分に会いたくないだろうから行かなかった。
――えっ、不穏なこと言い出しますね。ぜひ詳しく!(笑)。
佐伯 詳しいことは言えないけどさ、年末に谷川さんと話さなきゃいけないことがあったんだわ。でも、何回電話をしても出てくれないんだよ。
――……佐伯さん、あいかわらずで大変ですね。谷川貞治もですけど(笑)。
佐伯 年末を含めて、ひさしぶりに「ああ、昔の格闘技界ってこんな感じだったよな……」って懐かしいですよね。
――ドタバタしてきたということは日本の格闘技界が元気になってきた証ですかね。イヤな証ですけど(笑)。
佐伯 元気になったというか……去年9月にRIZINがあったでしょ。
――所英男vsクロン・グレイシー、RENAvs山本美憂があった大会。
佐伯 ボクはPRIDE武士道から始まり、DREAM、そしてRIZINまで、ずっと会場に行ってたんですけど、あの9月の大会は初めて現場に行けなかったんですよ。
――へえー!
佐伯 なぜかというとモンゴルで大会があったから。
――あ、モンゴルで現地の団体と対抗戦をやってましたね。
佐伯 ウチの選手を連れてモンゴルに行くことは前々から決まってたから。向こうでRIZINの大会速報を読んでたんだけど、4月の名古屋大会とはだいぶ雰囲気が違うなってことが文字からでも伝わってきたんですよ。
――ああ、なんとなくわかります。たしかにそれまでのRIZINとは空気が違ってましたね。
佐伯 何かが変わったんですよ。名古屋もよかったんだけど、大会自体が長くてね。最後の試合を見ないで帰るお客さんもいたから。
――佐伯さんは何がきっかけで変わったと思います?
佐伯 春頃から女子が来てるなって感じはしましたね。みんな「出たい」「出してくれ!!」ってアピールして「ああ、懐かしい感じだなあ」って。
――これまたいつか見た風景(笑)。
佐伯 選手からすればRIZINという目標ができたことも大きいいですよね。でも、まだ課題が残ってるとは思いますね。これは良い意味での課題。
――良い意味で?
佐伯 まだまだ大会数が多くないから選手が出れない。
――あー、たしかに。昔のPRIDEは、ナンバーシリーズやGP、RPIDE武士道なんかがあって隔月開催だったし、DREAMも隔月ペースだったから出場枠はけっこうありましたね。
佐伯 そうなんですよ。去年のRIZINは実質4ヵ月ペースでしょ。これはどういうことかといえば、前回出場した選手たちは、大きなケガがなければ体調的に全員に出られるんですよ。今度のRIZINは4月。年末の29日と31日に出た選手からすれば、これが2月や3月の開催だったら「ちょっと休もうかな」となるんだけど。
――ちょうどいいペースですけど、年末は2大会分ですから4月大会は全員は出られないですよね。
佐伯 勝った選手は当然出られるもんだと思うし、負けた選手だって借りを返したい。それにいまRIZINは女子に力をいれてるから、女子の試合が確実に増えてくるでしょ。そうすると男子の枠が減る可能性がある。
――ますます狭き門になる。
佐伯 試合数でいえば15試合は無理じゃん。12、13試合が限界。もちろん新しい選手、若い子も出さないといけない。テレビ的に引きがある選手も必要。
――前回活躍した選手、女子、テレビ要員、外国人、新規ファイター……大変だ!
佐伯 いっぱいいっぱい。選手枠がないのがRIZINの課題だと思うんですよ。それだけ使ってみたい選手やチャンスを待ってる選手がたくさんいるって嬉しい悲鳴だとは思うんだけどね。
――かといって大会数を増やすと、カードやクオリティが薄まっちゃいますし……。
佐伯 同じプロモーターの視点から見ると実際、大会の経費などのリスクを考えても現状はまだその段階ではないかもしれませんので一歩づつ前に進むことが大切だと思います。で、ここからが本題!
――押忍!
佐伯 DREAMや戦極があった時代と比べると、ウチもそうだし、パンクラスなんかもマッチメイクが早くなってるんですよ。なぜかというと地下格闘技を含め色んな大会や自主興行が増えすぎちゃって、早めに選手を確保しないとカードが組めなくなっちゃったんです。
――だから必然的にマッチメイクが早くなった。
佐伯 パンクラスは3ヵ月前からですよ。ウチは目標として2ヵ月前に8割、最低でも45日前には全カードを出したい。これは昔だったらありえない早さ。うちを含めいまの日本のインディーは3ヵ月前、2ヵ月前には選手にオファーを出しているので、RIZINから急なオファーがあっても対応しづらいんですよね。
――もう試合が決まってる選手が多いという。
佐伯 そういうこと。で、ここからがもっと大事!
――押忍押忍!!
佐伯 RIZINに出られるか微妙な位置の選手は、飯を食べていくために待機してられない方もいるのです。
――RIZINに確実に出られると保証されていない。だったらDEEPに出ますね。
佐伯 そういうこと。たとえばウチに出ている選手が年末に勝ったけど、4月のRIZINに出られるかわからないがオファーを待っています。でも、これに出れなかったら、選手によってはほかで試合をしたい。ウチの次の大会は3月と5月だけど、スケジュール的には次に出られるのは5月になってしまいます。
――5月だと、もう決めないといけない頃ですね。
佐伯 でも、ウチにはウチの都合もあるからね。たとえば5月にその選手が出てくれるのは嬉しいけど、大塚(隆史)のタイトルマッチが決まってるし、そのほかのカードの都合や予算的にも調整しないといけないのです。
――RIZINがダメだからDEEP……とスンナリ簡単にはいかない。それに5月のDEEPはそろそろ決めないといけない時期だけど、4月のRIZINはまだまだ決めづらいですよね。それこそ4月にずれ込むことも。
佐伯 当たり前ですがメジャーイベントは軸になるカードを先に決めるのですが、「これはどうなんだろうな?」という微妙なマッチメイクを時間がないから妥協して早めに発表しましょうとはならないでしょ。
――ほかにもっといいカードを検討しますね。
佐伯 より良いカードに練り込むためにギリギリまで時間がかかるんです。たとえば一昨年の所英男vsキザエモンなんかもギリギリになったけど結果的に魅力のあるカードになりましたからね。この続きと、堀口恭司、アジャ・コング、ジミー・スヌーカ、里美和、Team DATEなどの記事20本以上がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1199493
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必読!! 2017年1月1日改正MMAユニファイドルールを徹底解説■MMA Unleashed
2017-02-10 00:0055ptOmasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは……2017年1月1日改正MMAユニファイドルールを徹底解説
やる側も見る側も要注意!いまはまだ、大会ごとに違うルールが採用されている!
2017年の1回目のUFC中継をFight Passで見ていたところ、アナウンサーが「MMAユニファイドルールが変更になりました」と説明し、画面には次のようなフリップが表示された。
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MMAユニファイドルールの変更点
・グラウンド状態の定義の見直し:片手が付いた状態の選手はスタンド状態にあるとみなされる
・対戦相手に指を向ける行為を反則とする:腕を延ばして、指を対戦相手に向けて立てる行為は反則
・次の行為は反則ではなくなった。ボトム・ポジションからのカカトによる腎臓への打撃
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ユニファイドルールは昨年夏のボクシング・コミッション協会総会で議論の上採択されたもので、MMA Unleashedでもその内容が判明した時点で断片的にはお伝えしてきたところであるが、新ルールが実際に2017年1月1日から効力を発揮していることを受け、今回はいまいちど、ルールの変更点をおさらいしておきたい。新ルールの取りまとめに中心的な役割を果たしたビッグ・ジョン・マッカーシーが公開しているレクチャービデオ、取材に答えて語った内容をまとめる。この続きと、堀口恭司、アジャ・コング、ジミー・スヌーカ、里美和、Team DATEなどの記事20本以上がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1199493 -
追悼ジミー・スヌーカ……スーパーフライの栄光と殺人疑惑■「斎藤文彦INTERVIEWS⑪」
2017-02-07 23:3677pt
ブロディ、スヌーカ、斎藤文彦氏の3ショット。1885年5月頃、
新日本プロレスのシリーズに参加したときに『週刊プロレス』がスタジオ撮影。
80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト斎藤文彦氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは、“スーパーフライ”ジミー・スヌーカです!イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!Dropkick「斎藤文彦INTERVIEWS」バックナンバー■プロレス史上最大の裏切り「モントリオール事件」http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1010682■オペラ座の怪人スティング、「プロレスの歴史」に舞い戻るhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1022731■なぜ、どうして――? クリス・ベンワーの栄光と最期http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1039248■超獣ブルーザー・ブロディhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1059153■「プロレスの神様」カール・ゴッチの生涯……http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1077006■『週刊プロレス』と第1次UWF〜ジャーナリズム精神の誕生〜http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1101028■ヤング・フミサイトーは伝説のプロレス番組『ギブUPまで待てない!!』の構成作家だった http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1115776■SWSの興亡と全日本再生、キャピトル東急『オリガミ』の集いhttp://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1131001■「現場監督」長州力と取材拒否http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1154386■ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1167003――日本でも活躍した“スーパーフライ”ジミー・スヌーカが胃癌により1月15日にお亡くなりになりました。
フミ スヌーカは“プロレスラーが憧れるプロレスラー”でしたね。田中将斗選手や外道選手なんかが「スーパーフライ!」と叫びながらコーナーポストから飛ぶのは、スヌーカへのトリビュートでしょうね。スヌーカは日本では80年代に活躍しましたが、当時の日本で一番有名な外国人レスラーはスタン・ハンセンとブルーザー・ブロディ。スヌーカは番付でいえば、この2人より格が落ちて見えていたと思うんですが……。
――大関という感じですね。
フミ でも、アメリカにおけるステータスや知名度でいえば、スヌーカのほうがハンセンやブロディより全然上なんです。それはWWEが「WWF」と呼ばれていた時代のニューヨークでスヌーカが一世を風靡したからです。その象徴的な試合として、1983年10月17日マディソン・スクエア・ガーデンで行なわれたドン・ムラコとの因縁完全決着金網マッチがあります。あのときスヌーカがケージ最上段から10メートルダイブした姿は、プロレス史に残る名場面としていまだに語り継がれている。その会場で当時大学生だったミック・フォーリーや、10代だったトミー・ドリーマーが試合を見ており、スヌーカのダイブを目撃してプロレスラーになることを決意したんです。
――後世に影響を与える名勝負だったんですねぇ。
フミ 生い立ちから話すと、スヌーカは南太平洋に浮かぶ小さな島国フィジー島の出身。1943年5月18日生まれだから戦中派ということになりますし、ブロディよりも歳は3つ上なんです。日本のファンにはおなじみだったブロディ&スヌーカ組といえば、体格的にもブロディのほうが大きいし、ブロディが親分格に見えますけど、歳もキャリアもスヌーカのほうが上なんですね。ということは、ハンセンより年齢は6つ上ということにもなる。
――ブロディやハンセンの先輩だったんですね。作/アカツキ
フミ スヌーカは15歳のときに家族と共にフィジーからハワイに移り住み、ボディビルで「ミスターハワイ」になりましが、そのときに通っていたジムの経営者がディーン樋口という日系アメリカ人の方で、リングネームはディーン・ホーというプロレスラーだったんです。ディーン・ホーは70年代前半のWWWF(現WWE)でタッグチャンピオンになったり、東京プロレスや国際プロレスのリングにも上がりました。そのジムはプロレスラーのたまり場だったこともあったので、スヌーカは“カウボーイ”フランキー・レーンというレスラーにスカウトされたんですね。デビューしたのは1969年、昭和44年のこと。プロレスデビューは26歳と遅いんです。
――オールドルーキーだったんですね。
フミ 最初はハワイで試合をしていたんですが、最初にブレイクしたのはオレゴン州なんです。ドン・オーエンが主宰するパシフィック・ノースウエスト・レスリング。アントニオ猪木さんがアメリカ武者修行時代、カジモトというリングネームで長期滞在した団体です。西海岸といえば西海岸なんですが、オレゴンはカリフォルニアほどは都会ではない。オレゴンとワシントンを中心としたローカル団体で所属選手は15人くらい。人数が少ないからカード編成も当然マンネリになりますが、プロレスのベーシックを学ぶ場としては最適なんですね。同じ相手とシングルマッチやタッグマッチで戦い、抗争が発展していくとランバージャックデスマッチ、ケージマッチまで辿り着く。
――小さなテリトリーで同じ相手と戦うから、ストーリーのフルコースを勉強できる場所だったんですね。
フミ スヌーカだけではなく、メジャーシーンに行く直前のレスラーがオレゴンで修行を積んでいます。スヌーカと日本の繋がりで言えば、初来日は71年、キャリア2年で日本プロレスに来てるんですね。そのときはあまり注目はされませんでしたけど、スヌーカはポリネシアンじゃなくてネイティブアメリカン、つまりインディアンの衣装でリングに上がってるんですよ。
――えっ(笑)。
フミ なぜかというとタッグパトーナーがサニー・ウォー・クラウドというインディアンレスラーだったからなんでしょうね。その後オレゴンを卒業したスヌーカはキャリアを積んで、NWAミッドアトランティック地区、いわゆるジム・クロケットプロモーションズというNWA主流派のリングで活躍するようになります。その頃のNWAはハーリー・レイスが世界チャンピオンで、スヌーカはその次のベルトと位置づけられたUSヘビー級王座をリック・フレアーと争っていたんです。そして当時のNWAミッドアトランティック地区のドル箱カードと言われていたのが、スヌーカとリッキー・スティムボートとの因縁マッチ。
――フレアーやスティムボートと渡り合うってスター候補ですね!
フミ その定番カードの評判は海を超えて日本にも伝わってきていたので、81年に馬場・全日本がスヌーカvsスティムボートのドル箱カードごと直輸入したんです。そこから日本でも一流レスラーとして認知されたスヌーカは、全日本旗揚げ10周年記念のジャイアントシリーズにも呼ばれますが、そのときのメンバーが超豪華なんですよ。ザ・ファンクス、ブロディ、マスカラス、タイガー・ジェット・シンに上田馬之助、ハリー・レイス、特別参加でブルーノ・サンマルチノとリック・フレアーも来ている。
――凄い!!(笑)。その中にスヌーカもいた。
フミ そのままスヌーカはブロディとのコンビで81年暮れの世界最強タッグに参戦。決勝戦でファンクスを破って優勝したんですけど、そのときの一番の思い出のシーンはスタン・ハンセンの乱入になっちゃうんですよね。
――当時新日本の外国人エースだったハンセンがブロディ&スヌーカのセコンドとして電撃登場。そのまま全日本に移籍するという衝撃にかき消されちゃいましたねぇ。
フミ 白いカウボーイハットを被ったハンセンが私服姿のままブロディ&スヌーカ組のセコンドとして登場しました。そして場外乱闘になるとスヌーカに加勢してテリーにウエスタンラリアットを見舞った。リング上ではブロディがキングコングニードロップでドリーさんからフォール勝ち。ドリーさんから完璧に3カウントを取るってなかなかないことですよ。
――起こり得ないことが次々に起きた。
フミ 試合後にブロディとハンセンが抱き合って喜ぶの後ろにスヌーカの姿はあったんです。そうするとスヌーカはブロディの子分のように見えてしまったし、ハンセンにパートナーの座を奪われてしまったかのようにも見えた。
――あそこで日本における格付けがされちゃったところはありますね。
フミ でも、スヌーカ本人は翌82年1月から本格的にWWFに参戦することになるんです。当時のWWFはいまのビンス・マクマホンのお父さん、シニアがやっていて、スヌーカは最初は大ヒールとしてチャンピオンのボブ・バックランドに挑戦するわけですが、スヌーカのピークはこの82年と83年の2年間に訪れます。ヒールだったのにあまりにも人気が出すぎてベビーフェイスに転向。それはWWFからすれば計算外な出来事なんでしょうけど、何度目かの対決のときからはバックランドがブーイングを食らって、スヌーカが大歓声を浴びてしまったんです。
――いったい何が起きたんですか?
フミ 単純にスヌーカのほうがカッコイイし、見てて面白かったんでしょうね。
――あー、たしかにビジュアルはバックランドよりカッコイイですね(笑)。
フミ 動きも違った。いまだったら、エプロンからスワンダイブ式にトップロープに立つ動きは珍しいものではないんですけど、ボディビルダーのような筋骨隆々の肉体で、裸足のスヌーカがトップロープの上にバランスよく飛び乗っちゃうのは当時は衝撃だったんですね。そして「パン!」と手拍子を一度打ったあとに宙を舞ってフライングボディアタックや手刀を落としたり、トップロープからリングの中央より向こうに寝ている相手にボディプレスをやったりする。観客も早くスヌーカがスーパーフライをやらないかなと待ち望むようになったんです。この続きと、堀口恭司、アジャ・コング、ジミー・スヌーカ、里美和、Team DATEなどの記事20本以上がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1199493 -
2017年 格闘家のCM事情〜起用されるのは誰だ!?〜■「MMAオレンジ色の手帖」
2017-02-07 23:1555pt格闘技ブログ「MMA THE ORANGE」の管理人オレンジがディープなエピソードをお届けする「MMAオレンジ色の手帖」! 今回のテーマは「2017年 格闘家のCM事情〜起用されるのは誰だ!?〜」です。先日の「フライデー」で発表された最新アスリートCMギャラランキング。錦織圭、松山英樹、ダルビッシュ有、大谷翔平など世界を舞台に活躍する各競技のトップ選手は1本1億円という高額ギャラで同額一位。抜群の成績はもちろんの事、端正な甘いマスクとクリーンなイメージが大きく影響しているのでしょう。なんとも羨ましい話です。競技別に見ていくと、やはり野球、ゴルフ、サッカーといったメジャースポーツに集中していましたが、興味深いのが格闘技系競技の大躍進。以前からお茶の間への浸透度が高いレスリングの伊調馨(1500万円)に吉田沙保里(1200万円)は当然としても、
リオデジャネイロオリンピックでブレイクした登坂絵莉(650万円)、土性沙羅(150万円)も堂々のランクイン。さらには柔道界からベイカー茉秋(1000万円)、松本薫(250万円)が登場しており、ランキングの中でも一大勢力を形勢しつつあります。拡大解釈するなら、今年はこの流れに乗って総合格闘技やキックの選手がCMにパラパラと登場するなんて事も!? RIZINのゴールデンタイム中継も定着してきたし、可能性は十分にあるんじゃないかと勝手ながら推測しています。
長らく低迷期を迎えていた日本格闘技界において皆無に等しくなった格闘家のCM出演。今では夢のまた夢のような感覚ですが、過去の歴史を振り返ると一昔前には格闘家のCM出演が相次いでいた黄金期がありました。
象徴的なのはPRIDE・K-1時代。PRIDEでは桜庭和志がキリン「ラガービール」やリクルート「フロム・エー」、マクセルの「DVD」といった一流企業の人気商品のCMに相次いで登場。質量ともにCM王に相応しい活躍を見せていました。同じくPRIDEの日本人トップファイターだった吉田秀彦もDHCの男性用化粧品やサッポロの「ドラフトワン」などのCMに起用される充実ぶり。さらに日本人選手ばかりか、ミルコ・クロコップがサントリーの缶コーヒー「BOSS」のCMに登場したり、ヴァンダレイ・シウバとマーコ・コールマンという意外な組み合わせでシックの髭剃りのCMに出演するなど外国人選手も積極的に起用されていました。今でいうとキング・モーやダロン・クルックシャンクがCMに起用されるようなものですからね。。。PRIDEがどれだけお茶の間に認知されていたのか改めて思い知らされます。
■桜庭和志 マクセル
https://youtu.be/QRAOs3cLVQw
■吉田秀彦 サッポロドラフトワン
https://youtu.be/myrcT4DV6oI
■ミルコ BOSS
https://youtu.be/EfDpufgTHfgこの続きと、堀口恭司、アジャ・コング、ジミー・スヌーカ、里美和、Team DATEなどの記事20本以上がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1199493 -
現在32本を全文公開中! Dropkickの無料記事一覧です!!
2017-02-03 16:41現在32本を公開中!Dropkickの無料記事一覧です!http://ch.nicovideo.jp/search/%E5%85%A8%E6%96%87%E5%85%AC%E9%96%8B%E4%B8%AD?type=article -
「FMWアイドル女子レスラー」の今はキリスト教伝道師……里美和ロングインタビュー
2017-02-03 13:14110ptFMW旗揚げ戦でプロレスデビュー。アイドルレスラーとして活躍した里美和さんは現在キリスト教伝道師として活動をしている。プロレスラーを引退したのも神に使えるためだったという里さん。13000字インタビューで里さんの身に起きた奇跡に迫ります! イラストレーター・アカツキさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届けします!(聞き手/小野 仁)◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉◉
非会員でも購入できる大好評インタビュー詰め合わせセット! part36は大好評インタビュー15本、コラム10本、14万字オーバーで540円!!(税込み) http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1181523◎セクシー公開計量の真実!! 中井りん正月独占インタビュー「恥ずかしいけど、RIZINでも頑張りました!!」
◎1万3000字の激語り!! RIZIN広報・笹原圭一インタビュー「RIZINはいま何を考えているのか?」
◎血まみれのRIZIN激勝!! 北岡悟インタビュー「こんな機会はないまま現役生活は終わっていくと思ってた」
◎衝撃のMMA“連戦”デビュー!! 止まらない天才・那須川天心インタビュー
◎「斎藤文彦INTERVIEWS⑩」
ジェイク“ザ・スネーク”ロバーツ…ヘビに人生を飲み込まれなかった男
◎小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー
◎アジャ・コングインタビューシリーズ
対抗戦ブームの終焉と全女退団……
◎事情通のプロレス 点と線
角田信朗の松本人志共演NG騒動は「魔裟斗vs佐藤嘉洋の呪い」なのか/
今年の大晦日TBSは魔裟斗vs小比類巻貴之か
◎3階級制覇のパンクラシスト・砂辺光久がRIZIN出撃へ! 「内藤のび太と世界一を決めたい!」
◎ブシロードはキックをメジャーにするか? 『KNOCK OUT』の頭脳・花澤勇佑に聞く
◎シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク活字版
「クリス・サイボーグ薬物陽性反応」「UFCスタッフ大量解雇!現場の士気は?」
◎桜井マッハ速人、大晦日の小池栄子とお正月のケータイ紛失を語る
◎TKがカツアゲに遭う国、物騒なオランダ/金原弘光
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オマスキファイトのMMA Unleashed
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――まずはFMW入りの経緯から振り返っていただきましょう。
里 ジャッキー佐藤さん(元ビューティ・ペア)が五反田のトレーニングジムで開いていた教室に通っていて、ジャッキーさんから「大仁田厚さんという人が新団体を旗揚げするのでやってみないか?」と声がかかり、それでオーディションなしでOKっていうことになったんです。
――その新団体がFMWだったんですね。
里 馬込にあった事務所の地下の道場で、モンキーマジック・ワキタさん(スペル・デルフィン)や秋吉さん(昭二=邪道)、高山さん(圭司=外道)……元TPG(たけしプロレス軍団)の方々が練習をされていて、私もそこで稽古をつけてもらうようになって。
――いまや皆さんプロレス界の重鎮ですね。
里 美術学校に通っていたツッチー(シャーク土屋)も帰りにのぞきに来たりとか。オーディション受けてたら、私は絶対に落ちてたなって思うぐらいの人数が集まって、テストメニューも過酷でしたね。身長・体重も規定なし、男女も問わない、総合格闘技団体としてプロレスラー志望に限らず格闘家も求めるってことだったので柔道や空手、テコンドーの心得のある人たちが集まって。
――当時はプロレス団体の数がまだ少なかったですものね。旗揚げ戦(1989年10月6日、愛知・露橋スポーツセンター)で里さんたち女子部の1期生3選手(土屋恵理子=シャーク、松田久美子=ツッパリ・マック)がデビューしましたが、当初は酷評を受けましたよね。「あれはプロレスじゃなくて踊りだ」とか。
里 もう、もちろんでございます(苦笑)。まだ技も何もできていないうちに名古屋でデビューするってことになって。1人じゃなくて3人一緒だったことはちょっと心強かったですけど。振り返ってみても、よく試合に出させてもらったなって思うぐらい。でも、練習は凄いしてましたよ、ホントに。
――デビュー前に過労でドクターストップがかかったほどだったそうですね。
里 急性肝炎になっちゃって。と言っても、A型とかB型とかC型ではなく、ちゃんと証明書もあるんですけれど。毎日9時間の練習をしていたので。
――毎日9時間の練習ですか!
里 五反田のジャッキーさんのところ、馬込の道場、それから浅草のアニマル浜口さんのジムにも通って、3時間ずつぐらいやって。それでアルバイトもして……。
――それは倒れないほうがおかしいですね!?
里 そうですねぇ。深夜にデニーズで働いてたんですけれども。その生活を何ヵ月間か続けていたら、黄疸が出て……。本来なら入院だって言われたんですけど、通院で済ませてもらって点滴を打ちながら練習を続けました。90分間の点滴だったんですけど、早く道場に行きたい一心で、その時間も惜しくって。早く液剤が落ちるようにして終わりました。
――もうダッシュで練習に向かうような?
里 ダッシュしたいんですけど、点滴を早めて打つと、起き上がった直後は平衡感覚が乱れてフラフラする感じで。
――プロレスをやってる場合じゃなかったんですね。
里 それ以上のことにならなくて、急性のままで終わってよかったですけど。
――デニーズのアルバイトはデビューしてからも続けていましたよね。当時、テレビのニュース番組だったかで里さんの日常生活が「新興プロレス団体の若手女子レスラーに密着!」のように取り上げられて、オフにウエートレスとして働いている姿を見ましたよ。
里 そうですそうです! ありましたねぇ。最初のうちはファイトマネーだけでは、どうしても生活できなかったので。でも、「狭いながらも楽しい我が家」みたいな感じで、あの頃は本当に家族感があって。大仁田さんが自らカレーを作って、みんなで食べたりとか。みんなで小さなバンに乗って移動して、大仁田さんより先に寝ると鼻にピーナッツ詰められたりして(笑)。
――お金はなくても楽しかったんですね。
里 地方回りで田舎の山奥まで行っておじいちゃん、おばあちゃんの前で試合をやっている状況から、どんどんどんどん団体が大きくなっていって。川崎球場や横浜スタジアムへ進出したんですからねぇ。
――大仁田さんの得意ネタに、FMW旗揚げシリーズの飛騨古川大会(89年12月3日)がありますよね。話すたびにエピソードが大げさになって、観客の数が「5人だった」「3人だった」と減っていくという(笑)。
里 アハハハハハ(苦笑)。いや、でも本当に、ほかの団体ではやらなかったような、洋上マッチ(90年7月22日、宮崎県日南市油津港湾の海面にリングを設置した)とか。あんなのもよくできたなって。どう作ったのか、いまでも不思議なんですけど。里美和ブログからhttp://blog.goo.ne.jp/miwatti88/e/99ce77d31a4c19841da1109518e86b00
――洋上マッチのときは、里さんが海に落ちていく姿が専門誌に大きく載りましたよね。
里 あ~。「ひぃ~、ドボ~ン!」みたいな(笑)。あとはノーリングマッチ(90年9月20日)とか。奈良県の橿原市で、台風のせいでリングトラックが間に合わなくて中止になりかけたんですけど、雨の中お客さんたちが集まってくれたので、体育館にあったマットを敷いて、その上で試合したんですよ。あのときは、お客さんたちの「どうしてもやってくれ」って要望も強くって、会場の外で「大仁田! 大仁田!!」ってコールが上がってるのを聞いたら、大仁田さんが「やるぞ!」って。
――本来は大会中止の流れだったんですね。
里 「ええっ!? リングもないのにどうやってやるんですか???」みたいな。いまではリングを使わない興行もあるみたいですけど、それもFMWが元祖になりますよね。
――ああ、そうですよね。大仁田さんを先頭にFMWが作った前例がヒントになって、いろいろな形で現在まで引き継がれていますね。
里 懐かしいです……。何も考えていないときでした。ただ楽しんでたっていう。
――FMW女子1期生の中で、里さんに男性ファンの人気が集中していましたよね。……と言われて、「はい、そうでした!」とは、なかなか言いづらいでしょうけど(笑)。
里 ハハハ! 同期はみんなボーイッシュなタイプでしたからね。
――土屋選手、クラッシャー前泊選手を始め……。
里 マックも森松(由紀=ドレイク森松)も。みんなボーイッシュだったので。
――里さん一人だけアイドル的存在でしたよね。
里 最初は……(笑)。
――まだ技術が身についていないと思っているのに人気が先行する状態で、チャンスもわりと多かったじゃないですか。ご本人としてはいかがだったのでしょう?
里 う~ん、たしかに同期と比べてチャンスは与えられてましたよね。工藤さん(めぐみ)が私たちの側(女子正規軍)に来るまでは……。
――いえ、その後も伝説の汐留大会(90年8月4日。大仁田とターザン後藤が初の電流爆破デスマッチで激突)で、マグニフィセント・ミミさんの全欧選手権に挑戦したりとか。試合動画 https://youtu.be/0XdHD7DefiM?t=8m29s
里 思い出したくない(苦笑)。3日前だったか、かなり急に言われて。誰かの代理だったんですよ、あれって。「実力ないのにこんなの赤っ恥かくだけじゃん」って。まだまだベルトなんて、とてもとても。普通の試合(ノンタイトル戦)でいいのに……逃げたい隠れたいって気持ちでしたね。
――では、人気が出てしまって声援が集まることも、重荷に感じていましたか?
里 いや、それは嬉しかったですよ。でも、疑問でしたけど。「こんな弱いのに、なんで?」って(笑)。きっと弱いから応援してくれるんだなって。
――いや、弱いだけでは支持されませんよ。やられながらも懸命に立ち向う姿勢が伝わってきましたからね。
里 あ、なんか「おしん」とか言われてましたね。
――それともちろん、ルックス的な要因もありましたけど。
里 いや、まぁ、周りがボーイッシュだったから。
――またそれを言いますか(笑)。
里 いやいやいや(笑)。たしかに、ベビーフェイス(女子正規軍)のときはファンクラブが3つぐらいあったんですよ~。
――個人のファンクラブが3つあったって、凄いことですよ!
里 のちに猛毒隊に入ったら、一気になくなりましたけど(笑)。どれも公認のファンクラブで、関東とか関西とか地域で分かれてたみたいな。
――相当な人気ぶりだった証明ですね。ところで、現役時代の最高の思い出は?
里 1度だけ試合を観に来た母親の前でベルトを獲れたことですね(91年10月14日、福岡・博多スターレーンでコンバット豊田からWWA世界女子王座を奪取)。しかも、そのとき胸骨を折っていたんですよ。本当に泣きながら闘うみたいな。対戦相手の豊田さんも「こんなケガしてるヤツとタイトルマッチやらせるなよ! チャレンジャーを代えたほうがいい」って言ってたんですけど……。だって、そこに豊田さんのドロップキックなんてモロに入ったら、複雑骨折になってしまうぐらいの破壊力ですよ。実際にドロップキックをやられたときに手で胸をカバーしたんですよ。そうしたら、指が全部、逆に曲がっちゃうみたいな。
――うわあ、里さんが胸骨を折っていると承知の上で、そこまで強烈なドロップキックを豊田さんは打ってきたんですか……。
里 はい。でも、最後は小技で丸め込めたんですよ。そのベルトを獲った試合のときに、お母さんが最前列にいて。私がプロレスラーになりたいと思ったのは、お母さんの影響なんですよ。お母さんは柔道や空手、合気道をやってた人で。その血を引いて、私も幼い頃から柔道を習って。お父さんは優しかったんですけど、お母さんは私がいじめられて泣いて帰ってこようものなら、「やり返してこい! 相手の骨の1本も折って帰ってこい!」みたいな(笑)。
――強いお母さんだったんですね。
里 その試合のときも、セコンドじゃないですけど、「やり返さんかい!!」という声が聞こえてくるわけですよ。このままリングに上がってくるんじゃないかって思ったぐらいで(笑)。
――WWA王者時代の試合では、ボクサーのクリス・クルーズ・クリストファーを挑戦者に迎えた初防衛戦(同年12月9日、NKホール)が語り草になっています。
里 パンチを食らいすぎて脳が揺れちゃって、その試合のことをあんまり憶えてないんですよね。ボクサーのパンチを甘く見ていました。相手はパフパフを付けてたじゃないですか。
――パフパフ!? ……ああ、グローブのことですね?(笑)。
里 はい。だって、私なんて、天田麗文さんとかに素手の拳で何度も殴られてますから(苦笑)。それに比べたら、あんなのでパフパフパフパフ叩かれたって大丈夫……と思ってたんですよ、タイトルマッチ当日まで。
――パフパフを甘く見てたんですね。
里 相手は挑戦者決定戦でツッチーに勝ってますけど、「ツッチーは攻めのタイプだから意外と打たれ弱いのかな? でも、私は受けのタイプだから打たれ強いぞ! 天田さんに素手で殴られてんだぞ! パフパフ付いてたらクッションじゃん」みたいな。いやぁ、ナメてましたねぇ。この続きと、堀口恭司、アジャ・コング、ジミー・スヌーカ、里美和、Team DATEなどの記事20本以上がまとめて読める「14万字・詰め合わせセット」はコチラ http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1199493
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