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記事 26件
  • 「Y2J」コールができなくても楽しかったクリス・ジェリコ■二階堂綾乃先生のイッテンヨン

    2018-01-16 16:15  
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    イラストはイッテンヨン出場全選手のネコです!!2018年にもなって「いまの新日本プロレスには猪木イズムが足りない!」などと口走ってしまうオールドファンに向けて二階堂彩乃(@nikaidoayano)先生が“いまのプロレス”の魅力をお伝えする共存共栄コーナー。今回のテーマはイッテンヨン東京ドーム大会です(聞き手/今年もIGF大好きジャン斉藤)
    ――二階堂さん、あけましておめでとうございます。
    二階堂 おめでとうございます〜。でも、まだ新年を迎えた感じはしないんですよ。
    ――イッテンヨンドームも終わってるのに?
    二階堂 その前日のイッテンサン『大プロレス祭り2018』で似顔絵さん屋を毎年やらせてもらってるんですね。以前はその場で描いてたんですけど、大行列ができて大変なことになってしまったので、いまは受付だけしてもらって後日データをお送りするというシステムなんです。で、いま書き始めたところで。
    ――なるほど〜。受注したぶんを描き終わるまで2017年は終わらない!と。
    二階堂 そういうことですねっ(笑)。
    ――それで今回はボクのような回顧型プロレスファンにイッテンヨンの解説をお願いしまようかなと。  
    二階堂 でも、わたしはクリス・ジェリコが新日本に参戦していた頃のことを知らないんですよ。
    ――ということはあ〜、この試合に関してはあ〜、オールドファンのボクが優位ということですねっ(ギロリ)。
    二階堂 ハハハハハハ! 
    ――じゃあ、ジェリコの参戦発表されたときは、あまりピンとこなかったんですか?
    二階堂 いや、何年か前のWWE日本公演を見に行ったときにジェリコが出ていたので知ってはいたんですよ。でも、Y2Jの意味もわからなかったし、知り合いのガチプオタな方は「Y2Jコールもできないなんて!?」って言ってましたけど(笑)。
    ――ボクのようなオールドファンはですね、「えぇ〜、そんなことも知らないの?」でしか胸を張れないんですよぉ! 優しい目で見守ってあげてください……。
    二階堂 ジェリコが試合中に冬木弘道やエディ・ゲレロのムーブをやったじゃないですか。それにも感涙したらしくて。
    ――過去を知ってると、より楽しめるってやつですね。もちろん知らなくても楽しめるんですけど。
    二階堂 いろいろとやってたみたいなんで、ジェリコのことを検索しちゃいました。「なるほど〜、そんな歴史があったのか!」と。
    ――そうやって過去と現在が繋げて見られることは、ジェリコにとっても本望でしょうねぇ。
    二階堂 ジェリコはお年を召してるのに、あれだけ動けることも普通に凄いなと思いました。レジェンドレスラーっていま出てきても、そんなに動けないことって多いじゃないですか。ケニーは“体力オバケ”なところがあるので「ジェリコは47歳だけど、大丈夫なのかな……」ってちょっと心配してて。
    ――ケニーの動きについてこれるのかな、と。
    二階堂 でも、メッチャ動いてましたね〜。危ない技のシーンも何回かあったので、こういうこともできるんだーって。そんなに試合をしてるわけじゃないのに「なんでこんなに凄いんだろ?」ってビックリしました。
    ――しかもケニーとは初手合わせなのに。
    二階堂 あとジェリコがさすがだなと思ったのは、表情が豊か! 新日本の中継カメラって、いつもは選手の顔をあまりアップにしないんですよ。この続きと、安田忠夫、RIZIN特集、ジェリコvsケニー、長州激怒、ローデス親子、ミゼットの現在などの記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1412013
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  • “新・入れ墨モンスター”シュラックのデスマッチ・メタルに震えろ■アメプロインディ通信「フリーバーズ」

    2018-01-14 12:48  
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    アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマは、“新・入れ墨モンスター”シュラックのデスマッチ・メタルに震えろ!!<関連記事>・カナダの狂乱のハードコア団体『IWS』――人生の栄光と転落・アメリカのデスマッチキングは銀行強盗犯…ニック・ゲイジの最狂人生・知ってるようで知らないアメリカ第3の団体ROH・アメリカ第3の団体ROHを変えた2人の日本人プロレスラー・あの日本人もここからWWEに? 時代の最先端を走る「PWG」!!
    フィラデルフィアのタトゥーショップ『ブラック・バルチャー・ギャラリー』で、現在、彫り師(タトゥーアーティスト)として活動しているある男がいる。彫り師歴は20年にも及び、日本の伝説の和彫り師、三代目彫よしと会うのが夢だと、私に教えてくれた。
    同じくこのフィラデルフィアに、バンドのメンバーが流血しながら演奏するウルトラバイオレントなデスメタルバンドが存在することをご存知だろうか。プロレスラーが乱入したり、凶器でお互いを殴り合う“デスマッチ・メタル”とでも言うべき演奏形態を得意とする『EAT THE TURNBUCKLE (イート・ザ・ターンバックル)』だ。
    そんな過激さゆえに、イギリスツアーを決行中、スコットランド・グラスゴー公演が、地元保守系政治家から「あまりにも暴力的すぎて危険だ」という理由で圧力がかかり、公演中止となってしまった。
    そんな我々にとっては愛すべきバンドで、ギターを担当しているのが、“新・入れ墨モンスター”の異名を持ち、プロレスラーとしても活躍中のSHLAK(シュラック)だ。そう、先ほど紹介した彫り師の男である。彫り師、ミュージシャン、プロレスラーと、三足のわらじを履き、「アイツは何者だ!」とばかりに、日本の米インディーマニアにもじわりじわりと名前が浸透しつつある彼に、今回あれこれと質問をぶつけてみた。
    シュラック所属のメタルバンド『イート・ザ・ターンバックル』は、ドイツで開催された世界最大級のメタルフェス「Wacken Open Air (ヴァッケン・オープン・エア)2016」に出演。また、チェコ共和国で行われる過激なことで有名な「Obscene Extreme Festival (オブセンス・エクストリーム ・フェスティバル)2016」では、ステージ上にプロレスのリングを組み、有刺鉄線や蛍光灯、竹串攻撃などで流血しながら演奏するという破茶滅茶なステージングを見せつけ、狂っている観客たちをより狂わせた実績を持っている。この続きと、安田忠夫、RIZIN特集、ジェリコvsケニー、長州激怒、ローデス親子、ミゼットの現在などの記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • “UFC金の卵”ガヌーはマイク・タイソンになれるか■シュウ・ヒラタのMMAマシンガントーク

    2018-01-14 12:22  
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    多くのMMAファイターをマネジメントするシュウ・ヒラタ氏が北米MMAシーンを縦横無尽に語りまくるDropkickニコ生配信コーナー。深くてタメになるトークを活字でもお届けします!(12月に配信された一部を加筆編集したものです)。今回のテーマは、次世代のヘビー級を背負うフランシス・ガヌーの周辺がいろんな意味で慌ただしく……【関連記事】ホームレスからUFCの次代の大物へ:フランシス・ガヌーの驚くべき冒険「おまえらちゃんとやれ!」……アメリカ連邦議会がUFCを攻撃!日本大会総括】 UFCが欲しがってるのは那須川天心と◯◯◯…――シュウさんにとって2017年はどんな年でした?
    シュウ いろいろなことが起きた年なんですけども、ほら、私の場合は会社を売ったりしましたし……。
    ――ああ、アライアンスMMAにマネジメント会社を売却したんですよね。
    シュウ アライアンスMMAは日本ではあまり話題にはなってないんですが、けっこう凄いことをやっていて。ローカル団体を7つも買って、チケットエージェンシーも買って、私がパトーナーとやっていたマネジメント会社も買い取って。
    ――MMA複合ビジネス組織というか。
    シュウ ただ、まだ何をやろうとしてるのか見えてないんですよね。
    ――えっ、ここまでやっておいてまだ実態がわからない(笑)。
    シュウ 当初はUFCに選手を供給するマイナーリーグを作るという構想だったんですけど。マイナーリーグと言ってもアメリカだけで世界中の選手を独占できるわけじゃないですから。それにアメリカ国内でも「UFCとベラトールに続く第3の団体はどこか?」と言えば、ほとんどの人が名前をあげる団体はTitan Fighting Championship、Legacy Fighting Alliance、そしてShamrock FCあたりで、この三つはアライアンスMMAの傘下に入っているわけではないですからね。ちょっと厳しいんじゃないかなあと。MMA関連の会社としては初めてNY証券市場に上場したんですが、いま株価がどんどん下がって大変なことになっていますね(笑)。
    ――会社を売却したことでシュウさんもガッポリ儲かったんですよね?(笑)。
    シュウ ええと、MMAのマネジメント会社がこんな額で売れるなんて夢にも思ってなかったですね(笑)。
    ――うらやましいです!(笑)。
    シュウ だけど、ほかに2人のパートナーがいたので三等分なんですけどね。その2人はそのまま会社に残って、ボクだけ抜けたんですよ。残ったは2人はいまでも非常に良い給料をもらってます(笑)。
    ――シュウさんも残っていたほうが……。
    シュウ いやあ、絶対にイヤですよ。やっぱりプロモーターとマネジメントが一緒の会社にいるのはおかしいと思うんですよ。いざとなったときに相手がUFCやベラトールだろうが選手のためにケンカできない立場にいるのはおかしいと思ってるので。そこは折れたくなかったんですよね。金銭的には大損してるとは言われてるんですけど(笑)。
    ――シュウさんは今度UFCヘビー級王座に挑戦するフランシス・ガヌーをマネジメントしてますね。
    シュウ 公になってるから言いますけど、ガヌーくんのファイトマネーは1試合25万ドル、約3000万円。そこにリーボックのスポンサーフィーも加わります。2018年の3月でガヌーくんとのマネジメント契約を更新しきゃいけないんですけど、そのタイミングでウチを離れるんじゃないかなって予感はありますね。
    ――あら、何かあったんですか?
    シュウ ガヌーくんはアフリカからヒッチハイクでフランスにやってきたほどの選手ですから、自分に自信を持ってるというか、セルフマネジメントができるという考えを強く持ってるんですね。それにこのクラスの選手になると、ほかのマネジメントからの引き抜き攻勢が凄いんですよ。
    ――あー、ガヌー争奪戦になってるんですか!この続きと、安田忠夫、RIZIN特集、ジェリコvsケニー、長州激怒、ローデス親子、ミゼットの現在などの記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
    http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1412013
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  • 米国人記者が語るイッテンヨン東京ドーム■MMA Unleashed

    2018-01-12 08:57  
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    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは「米国人記者が語るイッテンヨン東京ドーム」です!

    新日本プロレスの年間最大のイベント、レッスルキングダム12(2018年1月4日)が幕を閉じた。米国でも大きな反響があったこの大会、1.4を見るために来日した米国人ファンが、ついでに大みそかのRIZINや正月の全日本プロレス・後楽園ホール大会などにも来場、業界にカネの雨を降らせた模様だというから、まるでWWEのレッスルマニア・ウィークの日本版といった様相を呈している。
    そこで今回は、今年のイッテンヨンが米国でどんなふうに報じられたのか、かいつまんでご紹介したい。
    ●ジェリコ再評価 
    天山広吉より年上、47歳のクリス・ジェリコなら、ケニー・オメガとの試合が名作にならなかったとしても、許されたはずである。前年のオカダ・オメガ戦に匹敵する試合など、誰も期待していなかった。そんなことはありえないからだ。1999年からずっとWWEでやってきたジェリコが、新日本で戦っているというだけで十分なはずだった。
    それでもジェリコとオメガは、やるべき試合を完璧にやってのけた。そもそもこの試合は、5つ星を目指す試合ではなく、流血あり、凶器ありの決闘と位置づけられていた。スポットでは、オメガは自ら世界最高のレスラーであることを見せつけるかのように全力で動いた。ジェリコも、終盤の難しいスポットでも、キビキビと動き、タイミングを失うこともなかった。
    この大会が始まる前と終わった後とでは、出場選手はみな、存在感をアップさせているのだが、ジェリコほどその恩恵を受けた人はいない。ジェリコはこれまでよりもビッグスターになり、プロレス業界の話題の中心になり、やりたかった試合をやり、しかも新日本で昔の友人たちと一緒に仕事することを存分に楽しんでいるようだった。
    この続きと、安田忠夫、RIZIN特集、ジェリコvsケニー、長州激怒、ローデス親子、ミゼットの現在などの記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 【ミゼットプロレスのいま】プリティ太田「ボクの代でミゼットを終わらせるわけにはいきません!」

    2018-01-11 13:12  
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    日本に2人しか存在しないミゼットレスラーのひとり、プリティ太田インタビュー。かつて全日本女子プロレスの前座で会場を沸かせに沸かせたミゼットプロレスだが、選手不足もあり試合機会は減少していった。現在は通常のプロレスの試合もこなしているプリティ太田のいままでと、これからをうかがいました!――いま日本のミゼットレスラーは太田さんとミスター・ブッタマンの2人しかおらず、ミゼットプロレスの試合機会がなかなか作れないということですが、それ以外に人権団体から「見世物として扱うのはいかがなものか」という批判もあって、メディアが取り上げづらい風潮があったんですよね。
    太田 まあまあ、そうですね。昔からテレビにある批判なんですけど、低身長の方々を見世物にしていると。ただ「そうらしい」ってことなんですね。
    ――「そうらしい」ということは、太田さんはそういった経験はされてないと。
    太田 ボクは知らないんですけど、昔の関係者から話を聞くと、そういう批判があったらしくて。映像のほうがなかなかテレビに出にくかったと。ボクもいまはテレビに出ていますけど、いまのところはそういったことはないです。徐々に規制が解け始めてるのかな……ってボクの中ではそう思ってますね。
    ――テレビ側が自主規制をしてたんじゃないかということですね。
    太田 はい。ボクの中では自主規制だったんじゃないかって思うんですね。一時期テレビとかメディアってうるさかったじゃないですか。当時は何か抗議をされるのが嫌だったんじゃないですかね。
    ――いまは自主規制することへの批判のほうが大きくなりつつありますね。
    太田 いまそんなことをやったら逆に「何をやってるんだ?」って話になりますよね。だから、どんどん表に出て「こういうプロレスがあるんだぞ!」ってアピールしたいんです。このままだとボクの代で、なくなっちゃうかもしれないので……。
    ――太田さんとブッダさんの後継者がいない。
    太田 後継者を作るためには、とりあえずミゼットのことを知ってもらうことが一番なんで。いまは以前よりは存在自体は知られてきてると思うんですけど。
    ――じつは存在自体が消えかかっていた……ということなんですね。
    太田 もう自主規制とかで消されることはないと思うんで、もっと取りあげてほしいですよね。
    ――昔は全日本女子プロレスの前座でミゼットプロレスは日常的に見られてましたね。
    太田 ボクも中学の頃、全女でその存在を知って。プロレス自体は好きで、よく見てたんですけど、知らなかったんです。チケットを買って会場に行ったら、そういうプロレスをやっていて凄くビックリしました。
    ――そこで「自分もやってみたい」と思われたんですか?
    太田 そうですね。やれればやりたいなって。そのときはリトル・フランキーさんと、全女のレフェリーをやってた村山大値さんから声をかけられたんです。最初は、ちょっかいをかけてきて(笑)。列に並んでるときから、ちょっかいを出してきてて。意味がわからなかったんですけど、凄くやさしくしてくれて。
    ――要はスカウト活動の一環だったというか。
    太田 そういうことだったんでしょうね。
    ――太田さんがデビューしたのは20代半ばのことで、それからだいぶ時間は経ってますね。
    太田 やりたかったけど、親の反対が……やっぱり危険じゃないですか。そこは低身長の人が通る壁なんでしょうけど、みんな親に反対されるみたいで。本人の「プロレスをやりたい!」という意志だけじゃ厳しいんですね。
    ――太田さんもやってみたかったけど、親の反対があったわけですか。
    太田 そうですけど、ずっとやりたいと思ってて。とりあえず普通に働いていてもつまらなかったんで、親には「とりあえず1年やらせてくれないか」ってお願いして。それでやっと許可をもらったというか。全女は普通に受け入れてくれました。当時はブッダさんひとりしかいなかったんで、ボクが入ったことでひさしぶりに試合ができることになるので(笑)。
    ――太田さんは救世主だったんですね(笑)。じゃあすぐにデビューということなんですか?
    太田 そうですけど、最初は(角掛)留造さんとブッダさんの試合を見て勉強するという話だったんですよ。でも、留三さんがドタキャンなのか、急にNGになってしまって。いきなりボクが試合をすることになっちゃったんですよ。
    ――えっ、いきなり?
    太田 何も教わってないまま突然試合に出されて、よくわからないままやって。デビュー戦はうまくいったのかなあ……もう記憶にないです(笑)。
    ――試合はやりながら、おぼえていくという。
    太田 基本的に、お笑いなんで。どうやったらお客さんを沸かすことができるのか。そこが一番重要で、あとは基本的な動きができればいいだけなんで。最初は何もわからないので、ブッダさんに任せっきりだったんですけど。
    ――プロレスって新人には厳しく当たりがちですけど、ブッダさんはどうだったんですか?
    太田 優しかったのかな、いちおう。上から「あんまりイジメるなよ」的なことは言われていたのかもしれませんけど(笑)。
    ――いなくなったら試合ができなくなりますし(笑)。
    太田 ボクが入るまでブッダさんひとりしかいませんでしたから、「新しい奴がきた!」ってことでネタにはなりましたし。
    ――どちらかがケガで欠場なんてことになったら……。
    太田 そうなると大変ですよ。最初の頃はボクがケガしないように優しくしてくれましたけど、ボクはボクでブッダさんが倒れないようにしないとなって。
    ――毎日対戦相手が同じだとマンネリになりませんか?
    太田 まあ、毎日ブッダさんだからマンネリはしますね(笑)。やってて飽きますよね、ネタも限られてきちゃうので。変わったこともそんなにできないですし。そういう意味では大変だったかなーって。
    ――新ネタを入れるタイミングってあるんですか?
    太田 ブッダさんと話し合って「今回はここを変えません?」っていろいろとやりましたけど、基本は大きくは変らないんですよね。
    ――ブッダさんと何試合やったかは……。
    太田 いやあ〜〜、もうおぼえてないですねぇ、さすがに(笑)。ボクがデビューした2004年からずっとですから、それなりにはやってますけど、チェックしてないですからね。いま思えばチェックしておけばよかった。
    ――『週プロ』もチェックしてないでしょうし。
    太田 どうなんですかね……ボクらの試合結果は載ってない場合がほとんどだし、誰も取材してない団体とかでやってたりしますからね。
    ――念願だったプロレスの世界はいかがでした?
    太田 最初の頃はいろいろとおぼえることがいっぱいあったので、楽しむどころじゃなかったんですよね。いまは会場に行けばいろんな選手に会えて楽しいですけど、当時はそんな余裕はなかったですから。試合と試合以外の仕事をおぼえるだけでいっぱいいっぱい。巡業のときは先に会場入りして、イスを並べたり、リングの設営を手伝ったり。
    ――当時の全女って景気はあまりよくなかったですよね。
    太田 もう全然悪いですよ。下火でしたから、完全に。でも、やりたい職業に就けたから、あまり気にならなかったですね。
    ――目黒の全女ビルはまだあったんですか?
    太田 入門を申し入れたときはありましたけど、そのうちなくなってましたね。それから事務所は転々とするようになって。
    ――倒産寸前の頃だったんですね……。金銭的に厳しい時期だったので、未払いもあったんじゃないですか?
    太田 ギャラをもらえない日もあったり(苦笑)。
    ――とっぱらいなんですか?
    太田 基本的に、とっぱらいです。
    ――失礼ですけど、額は……。
    太田 5000円とか、それくらいですよ。凄く安かったです。ブッダさんはどうだったんですかねぇ。ちょっとアップくらいじゃないですかね。ブッダさんは社員でもなかったので。
    ――その額だと生活は大変だったんじゃないですか? 部屋を借りるのも……。
    太田 いや、アパートを借りるお金もなかったので、茨城の実家から通いでしたね。地方巡業のときは全女が出してくれましたけど。
    ――なるほど。プロレスが好きじゃないとやれないですね!
    太田 絶対にできないと思いますよ、これは(笑)。ブッダさんも好きでやってますからね。そうじゃないと、あんなに長くはできないですよ。この続きと、安田忠夫、RIZIN特集、ジェリコvsケニー、長州激怒、ローデス親子、ミゼットの現在などの記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 浅倉カンナ“初代女王”インタビュー「MMAとの出会いが人生を救ってくれました……」

    2018-01-07 15:21  
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    本命RENAを破ってRIZINスーパーアトム級GPを制した“初代女王”浅倉カンナインタビュー!! レジェンド藤井惠のサポートから、浅倉が「救われた」というRENAの言葉まで、ジョシカクの歴史を大いに感じせる優勝の裏側に迫りました(聞き手/松下ミワ)【大晦日関連記事】堀口恭司RIZINバンタム級GP優勝インタビュー「いつもどおり戦いました」史上最高の大晦日! 堀口恭司から始まり、堀口恭司で終わった2017年のRIZIN――!!マネジメントから見た「堀口恭司UFC離脱からRIZIN GP完全制覇」まで■石井史彦
    【神取忍戦また消滅】体重超過12.7キロ!! ギャビ・ガルシアはなぜウソ泣きをしたのか?ベッキーのタイキックはシュートだったのか■事情通Zのプロレス点と線――浅倉選手、あけましておめでとうございます。ベルトを持って新年を迎えられるなんて、最高のお正月ですね!
    浅倉 ホントですね!(笑)。でも、自分ではまだベルトを獲ったという実感がまったくわいてこなくて……。
    ――へえ~、意外とそういう感覚なんですかね。
    浅倉 ただ単に2試合、無事に戦えたなあ……という感じなんですけど、自分がチャンピオンになった実感は全然ないんですよ。唯一、SNSの通知が昨日からブーブーブーブー鳴りっ放しなので、それを見て「あ、じつは凄いことをしちゃったのかな?」というのはあるんですけど(笑)。
    ――大晦日地上波の反響は凄いんですね。じゃあ、昨日の夜は興奮して眠れなかったりして。
    浅倉 実際、寝たのは2時間ぐらいです。というか、じつは昨日の夜にちょっとしたうれしいサプライズもありまして。
    ――なんですか、サプライズって?
    浅倉 試合後に家族とご飯を食べにいったんですけど。そのあとに一人暮らしの自分の家に帰ったら、友達が家の中から急に出てきて、クラッカー鳴らしてお祝いしてくれたんですよ! 「おめでとー!」って。
    ――えっ! 友達が自分の家の中に? 
    浅倉 そうなんです! うれしかったなあ……。
    ――ちょ、ちょっと待ってください。セキュリティは大丈夫なんでしょうか???
    浅倉 私、一番仲の良い友だちに家のカギを預けているんです。
    ――なるほどぉ(笑)。
    浅倉 その友達がみんなを集めてくれたのか、4人ぐらい家の中で待っていてくれたんですよ。
    ――でも、大会後に食事して帰宅となると、夜もけっこう深い時間ですよね?
    浅倉 たぶん3時ぐらいだったかなあ。でも、みんなでお祝いしてくれたので、ホントにうれしかったです。試合の興奮とそのサプライズで、やっぱりあんまり眠れなかったですね。
    ――なかなか寝付けないと、試合のこととか何度も頭の中でリプレイしちゃうんじゃないですか?
    浅倉 しました、しました。でも、昨日の試合は集中しすぎていたのか、不思議と試合の詳細ってあんまり覚えていないんですよ。
    ――あんなにタックルがバンバン決まったのに。
    浅倉 そのへんはぼんやり覚えているような……。
    ――とくに、準決勝のマリア・オリベイラ戦の最初のタックルはかなりエキサイティングでした!
    浅倉 あの、持ち上げて叩き付けたヤツでよね? たしかに自分でも「いったー!」と思いましたね(笑)。試合のときって、最初のアクションって凄く怖いんですよ。しかも、今回の相手は打撃の圧もあったし、身長差も10センチ以上あったし。だから、打撃には一切付き合わず、自分の得意なテイクダウンから一本極めにいかないとなってと思っていたんで。
    ――その気持ちが、あのタックルにつながったんですね。
    浅倉 レスリングは子供のころからずっと続けてきたことなので、それが総合格闘技の試合で通用するというのは、やっぱりうれしいかったですね。
    ――そのタックルも決まり、準決勝は見事な腕十字で一本勝ちしました。が、いつもの試合と違うのは、次に決勝を控えるトーナメント戦だったことですよね。
    浅倉 そうですね。レスリングをやっていたときは1日に何試合かやることもあったんですけど、打撃ありの総合格闘技の試合を1日に複数回するのは初めてだったので、 「どんなふうになるのかな……」と大会前はけっこうソワソワしていましたね。ただ、私の試合の前がRENAさんのが準決勝だったじゃないですか。あの試合にも、かなり刺激を受けまして。
    ――RENA選手の準決勝はアイリーン・リベラ戦で、1ラウンド終盤でのKO勝利でした。
    浅倉 私、その試合をアップスペースのモニターでチラチラ見ていたんですよ。で、RENAさんが1ラウンド、しかもノーダメージで決勝に上がってきてたのを見て、「これは自分が3ラウンドまで戦ったら不利になるな」と思ったので、そこでスイッチが入ったんです。
    ――結果、準決勝は2ラウンド中盤での一本勝ちでしたが、見事に計画を実行できたという。
    浅倉 準決勝のあと、決勝までの時間も、鶴屋(浩:パラエストラ千葉ネットワーク代表)先生に「まだもう1試合あるから集中しろ!」と言われて、凄く集中できていましたし、精神的にも肉体的にも決勝のほうが調子がよかったですね。
    ――RENA選手が相手でも、気負いするところもなかった、と。
    浅倉 逆に、RENAさんだったからこそ、しっかり集中して気持ちを高められたんだと思います。この続きと、安田忠夫、RIZIN特集、ジェリコvsケニー、長州激怒、ローデス親子、ミゼットの現在などの記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 【笑ってはいけない大晦日】ベッキーのタイキックはシュートだったのか■事情通Zのプロレス点と線

    2018-01-07 15:05  
    51pt
    プロレス業界のあらゆる情報に精通する事情通Zの「プロレス 点と線」――。今回のテーマは「ベッキータイキックはシュートだったのか」です!!(聞き手/ジャン斉藤) ――Zさん、あけましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします!
    事情通Z はい、よろしく! さて新年一発目の話題は、やっぱり新日本プロレスのイッテンヨン東京ドームの……。
    ――いや、大晦日の日本テレビ放映された『絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』ベッキーのタイキック騒動です!
    Z なんでだよ!(笑)。
    ――簡単に説明すると、仕掛け人のベッキーが“逆ドッキリ”でタイキックを食らったことで「国連、憲法の視点からも最悪」「女性の人権問題」等の批判を浴びてまして。
    Z そんなことを言い出したら、山崎邦正vsモリマンのときに騒いでくれよ!(笑)。
    ――そのうちプロレス格闘技も変な因縁を付けられそうで怖いんですよね。「男が女を殴った!!」とか、コーディ・ローデスに対して「奥さんを盾にするな!」とか。
    Z まさかとは思うけど、信じられないクレームは起きかねない風潮があるよなあ。
    ――一方で「お約束でしょ」「台本通り」という冷めた声も挙がってるんですが、そうやって簡単に白黒言い切るのもどうかと思うんですよ。やっぱり我々プロレス者は、橋本真也vs小川直也の“1・4事変”を100回以上見直して「何が起こっていたのか」を妄想して無駄な人生を送ってきたじゃないですか。
    Z えーっと、一緒にしないでくれ(笑)。この続きと、安田忠夫、RIZIN特集、ジェリコvsケニー、長州激怒、ローデス親子、ミゼットの現在などの記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • 【イッテンヨンに冬木軍】理不尽大王・冬木弘道の壮絶人生!!■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」

    2018-01-05 13:40  
    110pt
    サムソンクラッチにマッチョポーズ……元・冬木軍のクリス・ジェリコがイッテンヨンでよみがえらせた冬木弘道――!! 好評連載中「小佐野景浩のプロレス歴史発見」で冬木さんを取り上げた回を再録します。16000字で語り尽くす理不尽大王の壮絶人生!! 
    ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩が90年代のプロレス界を回顧する「プロレス歴史発見」。今回のテーマは「冬木弘道」――。
    国際プロレスでデビュー。全日本プロレスでは「サムソン冬木」のリングネームでアジアタッグ王座を獲得。天龍源一郎のあとを追うようにSWSに移籍し、WARでは寡黙なキャラを投げ捨て理不尽な言動を振りまく理不尽大王に変身。マッチョボディを自称するだらしない身体でのパワフルファイトと、マット界1、2を争うプロレス頭から繰り出されるアイデアと憎まれ口でヒール人気を得る。2002年、癌のため引退。団体プロデューサーとして再出発するが半年後に癌が再発。橋本真也との電流爆破デスマッチで一夜限りの復帰を宣言するも、リングに上がることなく死去した――。
    イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」冬木弘道版つきでお届けします。
    ――今回は“理不尽大王”冬木弘道さんについておうがいいたします。
    小佐野 ……いやあ、あの人のことを思い出すとね、涙が出そうになりますね(しみじみと)。亡くなるまでの1年間は本当に凄い生き様でしたから……。
    ――小佐野さんは冬木さんとはいつ頃から付き合いがあったんですか?
    小佐野 冬木さんとよく話すようになったのは、『ゴング』が週刊化されて、ボクが記者として取材活動をするようになってからですよね。あれは84年の春で、そのときあの人は全日本プロレスの合宿所寮長。三沢(光晴)、越中(詩朗)がメキシコ武者修行に出た直後で、下にいたのはターザン後藤、川田利明、練習生の小川良成くらいかな。すっごく無口な人でね、合宿所に取材に行くじゃないですか。冬木さんはボクの一つ歳上なんですけど、ぜんぜん口を利いてくれないというか。
    ――理不尽大王時代からは考えられない姿ですね(笑)。
    小佐野 「……俺、この人に嫌われてるのかあ」とか考えちゃうくらいコミュニュケーションが取れなかった。そのあと(グラン)浜田さんに連れられてメキシコ修行に行ってプエルトリコへ渡って、1年後の世界最強タッグの途中に、髪の毛を長く伸ばして太って帰ってきたんだけど。
    ――一般的な冬木さんのイメージですね。
    小佐野 そうしたら「ひさしぶり!!」って元気よく声をかけられて。海外生活を経て凄くフレンドリーな性格に変わっていたんです。あとになって事情を聞いたら「天龍さんがマスコミには愛想よくしろというから仕方なくやっていたんだよ」って(笑)。そこからは普通にしゃべるようになったんですけど、冬木さんは話をしていて面白かった。国際プロレスに入門した理由を聞くと、当時国際って入場券プレゼントをやっていたんですけど、プロレスファンの時代の冬木さんは一度も外れたことがなかったそうなんですよね。
    ――まさか読プレの要領で入門ですか!(笑)。
    小佐野 親しみを持って入門テストを受けに行ったら、もうぜんぜんダメで。でも、アニマル浜口さんが「合宿所に荷物を持って住み込んじゃえ!」ってアドバイスされて、そのまま住み着いたんですよね(笑)。
    ――ハハハハハ!
    小佐野 冬木さんはそれまで何もスポーツをやってなくて、体力もなかったみたいですけど、本人は「じっと耐えていた。そうしたらいつのまにかプロレスラーになれた」と。でも実際は国際の社員だった若松(市松)さんと一緒にリング屋として働いていて、ほかの選手が合同練習をやってる脇で、若松さんの指導を受けていた。そういう苦労人なんだけど、それを本人を面白おかしく言っていってたんですよね。
    ――プロ野球で言うところの打撃投手やブルペン捕手みたいなもんだったんですね。その国際が崩壊して冬木さんは全日本に移りますよね。
    小佐野 そこで冬木さんは天龍さんの初代・付き人を務めたんです。全日本プロレスって最初は馬場さんにしか付き人がいなかった。それは馬場さんがレスラーに付き人をつけるのを嫌がっていた。そこからやがて派閥ができるから。
    ――日本プロレス時代、派閥の揉め事を見続けてきた馬場さんらしい判断ですね。
    小佐野 たしかに昔のプロレス記者に話を聞くと、日プロは派閥ができて人間関係が複雑になってたというから。極端に言えば、猪木派と馬場派だったけど、実際にはもっと複雑だったみたいで。そうなることを馬場さんは嫌がったんだけど、さすがにジャンボ、天龍には付き人を付けないといけないという話になったときに、ジャンボは三沢、天龍さんは国際から来て肩身の狭そうな冬木さんをチョイスした、と。
    ――冬木さんは肩身が狭かったんですか?
    小佐野 冬木さんはおとなしい人ではあったし、本人には「やっぱり自分は外様」という意識はあったんじゃないかな。実際にメキシコ遠征に行ったのも、天龍さんが「メキシコでもなんでも海外に行けば、あとは好きなところに行けるから」と国外に出るチャンスを作ってあげたんですよ。
    ――団体主導ではなく天龍さんの計らいだったんですね。
    小佐野 帰国してからは大きいファイトをするようになったし、そこそこ上に行くのかなと思っていたら、馬場さんから「太り過ぎ」と言われたのかな。またアメリカに出されて、そのあいだに日本では天龍さんと(阿修羅)原さんの龍原砲が生まれ、レボリューション(天龍同盟)の最中に帰国して。
    ――そのまま天龍同盟に加入したんですか?
    小佐野 いや、それが初めは敵対関係だったんですよ。合流する流れは凄く面倒くさいので割愛しますけど、冬木さんが言うには「この世界はね、本当に仲が良い者同士はくっつけたくないんだよ。俺と天龍さんは仲がいいでしょ。会社は離したかったの」って。
    ――それは先ほどお話された派閥問題の危惧があったんでしょうね。
    小佐野 そうそう。でも、そこは原さんが天龍同盟に合流する機運を作ったんでしょうね。そして、川田も海外から帰ってきて前座でくすぶっていたんですよ。「こんなに動けるのになんで前座で技の制約を受けて……」という。天龍さんもそんな川田をもったいないと思っていて、だったらレボリューションに来て伸び伸びやったほうがいいだろう、と。
    ――そうやって天龍同盟入りした冬木さんと川田さんの2人がフットルースを結成したわけですね。
    小佐野 メインは龍原砲、中堅はフットルースが全日本マットを活性化させていったんです。
    ――フットルースというネーミングは誰が付けたんですか?
    小佐野 川田は「小佐野さんがゴングで勝手に書いた!」って言うんだけど、当時リングアナだった(仲田)龍さんだと思う。フットルースの派手なバンダナとタイツは天龍さんのアイデア。ロックンロールエクスプレスの影響で(笑)。
    ――ハハハハハ! ザ・80年代のセンス(笑)。
    小佐野 「俺と阿修羅は辛気臭いかんじだから。おまえらは明るくやれ!」と。2人は試合前に御徒町で自前で買ったバンダナを客席に投げる。あのパフォーマンスを川田は死ぬほど嫌がっていたんだけど(笑)。
    ――クククククク。
    小佐野 冬木さんはべつに嫌がるわけでもなく「ま、こんなもんだろ」と斜に構える感じで。
    作/アカツキ
    ――天龍同盟における冬木さんはどんな立ち位置だったんですか?
    小佐野 天龍同盟に冬木さんは必要でしたよ。とくに技や動きが凄いわけでもないけど、あの人が一番物事をよく見ていた。ある意味、冬木さんが天龍同盟を回していた。原さんが失踪したあと、天龍さんと川田の3人になるじゃないですか。あの人はインサイドワークがうまかったから、6人タッグになると自分が死んで死んで死んで、天龍さんや川田につないで試合を盛り上げる。
    ――冬木さんが試合がリードしていたんですね。
    小佐野 冬木さんは天龍さんにアイデアも出していたと思うんだけど、天龍同盟が解散する頃は2人の仲はギクシャクしていた。天龍さんと冬木さんの考えが合わなくなっていたんです。そうすると天龍さんが不機嫌になって口を利かなくてなって、そんな日が最初は1日だけだったのが、2日になり3日となり……。
    ――溝が深まっていったんですね。
    小佐野 原さんが解雇されてだいぶ経ったあるとき、天龍さんが「冬木、俺は阿修羅を踏み台にしてるか?」と聞いたら、冬木さんは「当然ですよ!」と答えたそうなんです。それを聞いた天龍さんは大激怒して机をひっくり返したという(笑)。
    ――そこで「当然ですよ!」と言えちゃうんですか(笑)。
    小佐野 そこは冬木さんは素直であり、天龍さんに対してウソがつけないわけですよね。でも、そう言えちゃうくらい天龍さんのことが好きだったんでしょうね。
    ――天龍さんがそんなことを聞くってことは、それくらい冬木さんを信用していたことでもありますね。
    小佐野 そうそう。天龍さんは冬木さんだけには弱みを見せていた。まあ、その頃のレボリューションは行き詰っていたところがあって、全日本を活性化させるという天龍同盟の役割は終わっていたわけですから。武道館大会なんてカード発表前にチケットが完売しちゃう状況の中で、天龍さんには「阿修羅と2人でやってきたことがなかったことにされてたまるかよ!!」っていう思いはあったんでしょうけど。
    ――結局、天龍同盟は解散しちゃいますね。
    小佐野 川田は正規軍に戻りたくなかった。というのは海外から帰ってきてから正規軍より天龍同盟の控室にいるほうが長いから。天龍さんと一緒だとそこまで気は楽じゃないだろうけど、正規軍よりは居心地はいいと。でも、冬木さんは正規軍に戻ってもいいと思ってたんじゃないかな。レスラーとしてはそろそろ環境を変えたほうがいいだろう、と。
    ――そこは野心があったんですかね。
    小佐野 冬木さんには個人的な野心があったというわけでもないんだよね。戻ったほうがレスラーとして展望が広がるんじゃないかという感じで。結局、天龍さんがSWSに行ったら冬木さんもあとを追うように移ってしまうんだけど。
    ――SWSの件は天龍さんから話を聞いてたんですか?
    小佐野 冬木さんは自分から天龍さんに連絡を取って「行かせてください」と頼んだみたい。その当時の冬木さんは30歳で彼なりに考えることがあって、このまま全日本にいてもどうなのかなあ、と。
    ――天龍さん離脱時、馬場さんは川田さんを呼び出して「おまえは全日本に必要な選手」として残留を促しましたけど、一方で冬木さんに対する評価はどんなものだったんですか?
    小佐野 ほとんど接点がなかったんじゃないかなあ。だって天龍同盟にいるかぎり、冬木さんが馬場さんと話す場面は生まれないでしょ。馬場さんがしゃべるのは天龍さんだけだもん。冬木さんから馬場さんに話しかけるわけがないし。ただね、冬木さんがプエルトリコから帰ってきたときの会場で、冬木さんは救急箱を持たされたそうなんですけど。そんなの若手と同じじゃないですか。冬木さんはかなり失望したみたいなんですよね。
    ――凱旋帰国してきて救急箱担当はガッカリですねぇ。
    小佐野 それでケツをまくろうとしたら天龍さんに止められてね。天龍さんが馬場さんに「こいつはできるヤツだから、今日だけメインイベントごっちゃんです」って頼んで、ジャンボ&天龍&冬木組で出たんですよ。
    ――そこも天龍さんが計らいで。
    小佐野 どうして「サムソン冬木」というリングネームになったかといえば、「天龍さんがつけてくれたんだけど、天龍さんの馬場さんへのゴマすりだよ。馬場さんはサムソン・クツワダをかわいがっていたから」って冬木さんは言ってましたね(笑)。
    ――天龍さんなくして冬木弘道というレスラーはいなかったくらいの面倒見ですねぇ。
    小佐野 そんな天龍さんがいなくなったあとの全日本ではとくにポジションはなかったと思う。リング上の序列では天龍同盟の頃から川田のほうが上だったじゃないですか。ファンの見る目も川田が上だし、一番上にジャンボがいて、谷津さん、カブキさんがいて、とりあえず三沢、川田。その次に冬木さんなのかなあ、という。それに本人も上を狙うタイプではなくて、死んで死んで盛り上げるという自己分析をしていたわけだし。
    ――SWSでも縁の下の力持ちでしたね。
    小佐野 それこそ新婚なのに復帰したばかりの原さんを同居させてね。冬木さんは「後輩の俺から言うのもなんだけど、天龍さん、原さんと仲は良かったと勝手に思ってるから。俺、あの人たちのことは大好きだったし」って。
    ――それでSWS崩壊後も天龍さんのWARに当然のように移って。
    小佐野 そこで天龍さんが気にしていたのは、当時、川田は全日本でトップに立っていたじゃないですか。94年春に川田はチャンピオン・カーニバルで優勝してるわけですよ。でも、冬木さんは相変わらずの中堅ポジション。そんな冬木さんを天龍さんは不憫に思っていて。「俺についてきたから、冬木はいつまでも下っ端なのかなあ……」って。そんなときに冬木さんが天龍さんに反旗を翻したんです。
    ――“理不尽大王”に変身して、一世を風靡した冬木軍が結成されるわけですね。
    小佐野 結成のきっかけは、その年の3月に龍原砲vs大仁田・ターザン後藤組があって、天龍さんが大仁田にフォール負けをしたですよ。冬木さんはそれにまず怒った。大垣城ホールの試合後だったかな。「ふざけるなよ! 俺はアンタたちのために何年も何年も死んできた。それが大仁田なんかに負けやがって!責任を取れ!!」と。「俺はおまえらを立てるためにずっと死んできたんぞ。それがなんだ。おまけに川田なんてしょっぱい奴がカーニバルで優勝してるんだぞ。ふざけるよな!!」とまで言い放ってね。
    ――そこは本音の叫びだったんですね。
    小佐野 理不尽節ですよね。しかもね、記者が大勢いる中で、私ひとりに向かって怒るんですよ。
    ――ああ、小佐野さんは天龍番でしたから。
    小佐野 「おまえが天龍を持ち上げるからだ!」というね。いまの『週プロ』編集長の佐藤くんも取材にきてたんだけど、冬木さんがずっとボクに向かって怒るから「小佐野さん、冬木さんと何かあったんですか?」と聞くくらい(笑)。
    ――佐藤大編集長もビックリ(笑)。
    小佐野 「どうせおまえらマスコミは“反逆の冬木”とか適当な記事を書くんだろ。そう思っていればいいよ。そうはいかねえぞ!」って。その言葉の重さはのちのちわかるんですけども……。
    ――単なる造反劇ではない、と。それくらい天龍さんが大仁田に負けたことがショックだったんですね。
    小佐野 そしてフリーとしてWARに上がっていた邪道・外道を引っ張りこんで冬木軍を作った。その年の春にWARは新日本の提携が終わってるんですよ。それで大仁田とやった後には他団体とやれることがなくなったから、WARの中で作っていくしかない。そんなときに冬木さんが行動を起こしたわけですよね。
    ――それって天龍さんが全日本で原さんと一緒にレボリューションを始めた経緯を同じですね……。
    小佐野 冬木さんがのちに言っていたのは「あれをやらせたのは天龍さんだからね。俺は目立たなくても良かった。ひっそりと暮らしてプロレスラー人生を送りたかった。天龍おまえのせいなんだ!」という理不尽節で。
    いま入会すれば読める1月更新記事
    安田忠夫、激白「カネ、暴力、博打」/堀口恭司RIZINGP完全優勝の裏側/ギャビはなぜウソ泣きを?/ベストバウトは新日本が独占? 米メディア2017年/カナダの狂乱のハードコア団体『IWS』……
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  • 【神取忍戦また消滅】体重超過12.7キロ!! ギャビ・ガルシアはなぜウソ泣きをしたのか?

    2018-01-05 13:18  
    66pt
    12月29日のRIZINバンタム級GP、そしてギャビ・ガルシアの体重超過騒動を語るDropkickニコ生配信! 29日の夜に語られた内容を再編集・加筆した記事になります!(語り・ジャン斉藤)先ほど29日のRIZINが終わったばかりですが、かなり面白かったですねー。RIZINはいつも面白いんですけど、ストレートなMMAとしてこんなに面白かったのは初めてじゃないですかね。明後日31日大晦日のハードルが上がりすぎちゃったんじゃないでしょうか(笑)。
    今回のバンタム級GPと比べると、一昨年と去年のGPはワンマッチの羅列でしかなかったことがよくわかりますよね。ミルコ・クロコップvsキング・モーとか注目カードはあったんですが、GPならではの面白さが感じられなかった。ところが今回は選手それぞれのストーリーが、GPという場で共鳴してて。大塚隆史選手の「ああ、このまま負けるんだろうな……」ところからの逆転勝利。石渡伸太郎選手がその強さを見せつける劇的勝利。トーナメントには欠かせないケイプの伏兵ぶり。そして本命・堀口恭司選手の盤石な勝利。堀口選手が強さは知ってはいたんですけど、10キロ近く体重差もあるのに何もさせずに圧倒しちゃんですからねぇ……。
    DEEP王者の大塚選手が勝ち上がったことは凄く大きいですよね。いままで大塚選手は、さいたまスーパーアリーナで一度も勝ったことなかったんですね。3戦全敗、メジャーイベント未勝利。DEEPの佐伯さんが、たまアリの会場使用権を維持するために博打的に行った2014年のDEEP大晦日で、大塚選手は石渡選手に負けています。その時以来の再戦を明後日やるんですが、それはつまり個人を超えて日本格闘技界のドラマがあるってことですよね。佐伯さんが業界を背負って興行をやらなきゃRIZINは生まれてなかったわけですし。大塚選手の煽りVが佐伯さんの語り中心だったことも、こういう結果になるといい味が出てますよね。
    石渡選手が大塚選手を返り討ちにすれば、4年振りの堀口選手との再戦が行われるかもしれない。去年の今頃なんて堀口選手はUFCにいたんですよ。今日の爆発によって、それぞれの物語もグワッ〜と表に吹き出してきたということですよね。この続きと、安田忠夫、RIZIN特集、ジェリコvsケニー、長州激怒、ローデス親子、ミゼットの現在などの記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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  • ベストバウトは新日本が独占? アメリカメディア2017年ニュースオブザイヤー■MMA Unleashed

    2018-01-05 12:54  
    62pt
    Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム「MMA Unleashed」――今回のテーマは米MMA・プロレスニュースサイトが振り返る2017年! 年末年始になると米MMA・プロレスニュースサイトはこぞって、年間まとめ記事を掲載する。主要サイトのほとんどが、年間ベストファイトや年間ベストファイター、ベストノックアウト、ベストサブミッション、ラウンドオブザイヤー、ルーキーオブザイヤーなど、さまざまなくくりで年間ベストを選定し発表している。それらの中から今回は、MMA Unleashed的に気になったランキングをいくつか、解説付きで紹介してみたい。
    ●MMA Fighting選定の『2017年トップMMAストーリーライン』
    最大手MMA Fightingでは、2017年MMA界の重要ニュースを5本選定している。
    5位 相次ぐ計量失格
    ……2017年のUFCでは、38大会のうち実に36大会で、計量失格選手が出たり、大会当日もしくは数日前に選手の急な欠場が発表されたりした。そのほとんどが、急激な減量を原因とするものだ。欠場選手が出ない場合でも、公式計量の時間になかなか選手が現れないなど、息詰まるシーンがしばしば見られた。
    3月のUFC 209では、ハビブ・ヌルマゴメドフが減量中に入院、トニー・ファーガソンとの暫定王座戦が流れた。UFC 210ではダニエル・コーミエが、タオルを握りしめて計量に合格するという茶番があった。UFC 213とUFC 215では、減量に起因する原因でタイトルマッチが2試合流れている・・・
    4位 マネー、実績、暫定タイトル
    ……これは古くさいテーマではあるのだが、ベストなファイターが必ずしも、最も稼ぐ選手ではないことが問題なのだ。選手がUFCのチャンピオンになった途端に、コンテンダーよりもマネーファイトに興味が向くのは当然のことではある。UFCにしても、チャンピオンにマネーファイトをさせればメリットが享受できる。
    MMAを純粋なスポーツとしてみたい人、タイトルマッチは実績だけに基づいて決定されるべきだと考えているハードコアなMMAファンにとって、2017年にUFCが取った方向性には不満が残るだろう。プロモーターにはこういう傾向が常にあるとはいえ、2017年にはこの傾向がかつてなく強まった・・・大企業というのは、短期的な現金収入を取りに行くものなのだ。本当の問題はこうだ。「マネーファイトが、新しいスターを作り出すのに、役に立っているだろうか」・・・この続きと、安田忠夫、RIZIN特集、ジェリコvsケニー、長州激怒、ローデス親子、ミゼットの現在などの記事がまとめて読める「11万字・記事詰め合わせセット」はコチラ 
     
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