於:中国・嵩山フォーラム
尊敬する張宝文(Zhang Baowen)中国全人代常務委員会副委員長、尊敬する張厂智(Zhang Guangzhi)河南省人民政府副省長、尊敬する林麗韞先生はじめ中国国際文化交流センターのみなさん、中国国立芸術アカデミーのみなさん、北京大学人文科学研究所のみなさん、華夏族歴史文明...遺産継承発展基金のみなさん、そしてご来会のみなさま、私はこの度の嵩山(ソンシャン)フォーラムに夫婦ともどもお招きをいただき、誠に光栄に存じます。とくに中国国際文化センターの林麗韞先生には、親しくお付き合いをさせていただき、昨日は妻幸の母、橋本秀子の自叙伝を中国語と日本語で出版することにご尽力をいただき、出版記念会を開催していただき、心より感謝をいたします。
ご当地嵩山はインドから渡来した達磨によって中国に禅宗が開かれた由緒ある少林寺の存在する地であり、精神と身体を共に鍛錬する少林拳は世界的に広く知られております。この地で文化交流のフォーラムが開かれますことは大きな意義があることと存じます。
世界では英語が標準語になりつつあります。例えば日本と中国と韓国の人々がシンポジウムを開くとき、共通語として英語が用いられることが多くなってきています。本日のフォーラムもレジメを英語で提出をするように命ぜられました。私たち東洋人も普段は洋服を着て生活していますし、生活のパターンも西洋風になってきています。
近現代は西洋文明が世界でただ一つの大文明として広がり、文明学者の山本新氏によれば、それ以外の文明はすべて「周辺文明」として、西洋文明の影響下に置かれていることになります。その傾向はインターネットの普及によって、ますます強まっているとも言えます。
日本と中国の相違は、古代日本はかつて韓国などと同様に中国文明の周辺文明であったことです。日中間には2千年の文化交流の歴史がありますが、基本的には日本の文化は中国の文化から深い影響を受けてきました。漢字も仏教も律令制度も主に中国から日本に伝えられてきました。
尤も、近代では日本の文化や技術が中国に多く取り入れられています。1966年から10年余り続いた文化大革命によって、中国では孔子や孟子などの中国の伝統的な文化や書物などが一時的に否定されて焼却された時代がありましたので、日本に保存されていた中国の伝統文化が、逆輸入の形で中国に戻ったものも数多くあります。このように日中の文化はお互いに影響し合ってきたのですが、元々は日本は中国の周辺文明であったということです。
すなわち、日本はかつては中国、現在は米国と二重の周辺文明であるのに対して、中国は現在米国の周辺文明となっていることが違いです。二重の周辺文明国の特徴として、相手の文明を素直に受け入れてしまうと言う、適用の早さがあげられると思います。即ち、日本はある意味安易に西洋文明を受け入れたのに対して、中国はそうではなかったのだと思います。したがって、中国が近代化を目指すようになったときには、西洋化した日本から多くの技術や文化を輸入することになりました。昨今では、留学生の動向などをみると、中国の西洋化のスピードのほうが速くなってきているようにも思われます。
世界が西洋文明化していく中で、いかにそれぞれの国や国民が独自のアイデンティティーを求めていくか、と同時に、隣国、隣人同士がいかに共通のアイデンティティーを見出して協力していくかが極めて重要であると思います。日中両国の国民同士が共通を喜び、また違いをも認めて尊重して喜び合えることが最も大切です。
日本と中国の文化は「同文同種」と言われていますが、それぞれ異なる風土や歴史を有しており、その中に潜んだ本質において、異なっていることが多いのです。例えば、日本も中国も漢字を使いますが、中国語は漢・チベット語系で、日本語はアルタイ語系です。日本語は漢字仮名混じり文でもあります。文法も中国語は孤立語であるのに対して、日本語は粘着語(膠着語)です。中国語は一つひとつの文字、即ち、漢字に意味が伴いますが、日本語のひらがなの一つひとつの文字には必ずしも意味があるわけではありません。
2009年5月末、私が総理のときに、温家宝総理をお招きして官邸で晩餐会を行いましたが、その折に、温家宝総理が俳句を披露されたのには感銘をいたしました。俳句は5、7、5の17文字に作者の思いを凝縮させる文化です。この日本生まれの文化を中国のリーダーが愛して下さっていることに感動いたしました。恥ずかしながら、私はその折に生まれて初めて俳句を作り、温家宝総理にお返しいたした次第です。ただ、日本語の17文字と中国語の17文字ではかなり異なります。中国語では日本語より限られた字数の中でかなり豊富な描写をすることが可能となるでしょう。逆に日本語の俳句の方が、より想像力を磨くことが可能となるでしょう。どちらが優れていると比較することに意味があるのではなく、同じベースの上で違いを楽しむことが良いと思います。
歴史的には、先の大戦で侵略した国と侵略された国の違いがあります。中国には日本兵によって、南京を始めとして多くの市民の命が奪われた過去があります。歴史によって文化が作られていきます。日中文化を類似と思い込み、自国文化の物差しで相手の文化を測ると、必ず誤解が生まれ、思わぬ落とし穴に嵌り、行き違いから友好関係が損なわれてしまうことになるのではないでしょうか。
現在、安倍首相の靖国参拝問題と尖閣諸島問題を契機として、政治的に日中間の対立が緊張感を極めて高めてしまっている。これは大変に由々しきことです。歴史の事実は一つです。しかしながら、その歴史をどのように解釈するかという、いわゆる歴史認識に関しては国ごとに異なることがあります。ただ、歴史認識の違いと思われていることでも、しばしば歴史の事実を理解しないために生じていることもあります。したがって、この問題の解決のためには、歴史の事実を冷静に見詰める勇気を持つことがまず肝要です。そのためには、日中間で歴史の事実を擦り合わせて誤解を解くことから始める必要があるのではないでしょうか。そして歴史の事実をお互いに理解した後、死後の霊への敬い方の相違などの文化の違いからくる歴史認識の違いをお互いに学び合い、溝を埋めることが出来れば幸いですし、溝が必ずしも埋まらなくとも、文化の違いをお互いに理解して納得することが求められます。また、何よりも侵略された国は侵略した国への恨みを忘れないことなどを理解することが肝要でしょう。政治指導者の独断でお互いの国益が大きく損なわれることだけは、早急に避けなければなりません。
日本人が祖国のために戦い、尊い命を犠牲にされた英霊に対して哀悼の誠を捧げ、冥福を祈ることは決して否定されるべきものではありません。それはどの国でも同じでしょう。しかしその中にA級戦犯が含まれており、日本は東京裁判の判決を認めてサンフランシスコ講和条約を結び、戦争状態に終止符を打ちましたので、戦争犯罪者の霊に対しても哀悼の誠を捧げることになります。日本人の感覚からは、例え犯罪者であってもその霊に冥福を祈ることに余り違和感がありません。しかしながら、侵略された側からは強い違和感があるのは当然でしょう。中国側としては、一般の日本の国民は中国人と同じ被害者であり、戦争を起こしたA級戦犯だけが戦争責任があると理解しただけに、多くの同胞の命が奪われた戦争の責任者に対して、時の総理が哀悼の誠を捧げるために靖国参拝を行うのは許せないのです。侵略された側から見れば、過去の戦争を肯定していると取られても不思議ではありません。安倍総理の靖国参拝に対して、中国、韓国のみならず米国からも強い批判があったのは当然のことでした。総理や主要閣僚の靖国参拝は行うべきでありません。哀悼の誠を捧げ、冥福を祈ることは心の問題です。もし、それを今後行いたいと思うのならば、心の中で手を合わせれば良いのです。
尖閣諸島問題に関しては、歴史の事実をしっかりと積み上げればおのずから方向性が見出されると確信しています。歴史の事実とは、ポツダム宣言の受諾と日中国交正常化の際の二人の首脳のやり取りです。ポツダム宣言によって、日本はカイロ宣言を守ることが約束されました。カイロ宣言には、「満州、台湾、澎湖島のごとき、日本が清国から盗取した土地は中華民国に返還せよ」とあります。この「ごとき」の中に尖閣諸島が含まれるか否かで中国と日本では主張が異なっているのです。したがって、尖閣諸島は係争地なのです。そのことを理解していたから、1972年の日中国交正常化交渉の席上で、周恩来首相と田中角栄首相との間で、事実上の棚上げと思われるやり取りがあったのです。私はこのときのいきさつを首脳会談の通訳をされた林麗韞顧問より伺いました。林麗韞顧問はまさに尖閣諸島問題の解決の鍵を握る生き証人です。先人たちの賢明な判断に学び、早くこの問題のステージを変えることが、日中間の緊張の糸をほぐすことになるのです。それまでの間、決して一触即発的な事象が起こらないように双方が慎重な行動を取るべきことは言うまでもありません。
同時に、西洋文明化によって、日本も中国も本来の優れた伝統文化を相当に浸食されてしまったのではないかと思います。欧米の文化はスポーツのように、経済活動においても、人間関係においても、また人と自然との関係においても、二元的で分析的で、敵と味方に分かれて黒白をつけたがる傾向があります。それはコンピューターのような科学技術の発展には大きく寄与しました。それに対して、東洋の文化はより唯心論的であり、あなたと私の間に価値を見出し、黒白をつけるよりも和を尊ぶ思想です。西洋文化が日本や中国に入り込むことによって、人生が唯物的になり、新自由主義の嵐の下で拝金主義に陥りすぎているのではないか。経済一辺倒で人の命が二の次にされてしまっているのではないかと思うのです。日本では5年前の政権交代と、3年余り前の東日本大震災で、経済成長至上主義が見直されるのではないかと思われましたが、安倍政権の下で再び経済最優先の政治に戻ってしまった感があります。
欧米でも今、新自由主義的な行き過ぎた市場経済に対して、批判の声が強くなってきています。私はこのような時こそ、日中が協力して命を大切にする新しい経済を打ち立てるべきではないかと思います。私が提案した新しい公共を育むことは友愛の経済への第一歩であると思いますし、稲盛和夫氏の掲げる稲盛哲学は、中国でも多くの経営者に浸透してきていると伺っています。私は先日中国のいくつかの企業を視察してきました。そこでは中国の「弟子規」など伝統文化を社員や地域の自治体の方々が学び、実践しておられました。親孝行の実践や夫婦仲の改善で企業の業績が大きく伸びている実態を拝見して、大変感銘を受けました。
私は日本と中国が緊張関係にある今だからこそ、日中に共通する儒教や仏教などの伝統文化をお互いに協力し合いながら学び、さらには世界に広めていくことが喫緊の課題ではないかと思います。あらゆる経済・社会活動は人々の幸せのためにあるべきなのですから。世界の政治や経済が混沌としているのは、教育が間違っていたからだと、私が尊敬する浄空法師様は指摘されています。世界の子どもたちに日本と中国に共通する伝統文化を教えることが大切ですと言われています。このフォーラムがその意味でも大きな役割を果たすことを期待しています。
教育についてもう一言申し上げれば、若者たちがアジアを共通の舞台として学ぶことを可能にするキャンパスアジア構想が私のイニシアチブで発足しましたが、まずは日中韓で順調に進められていることは喜ばしいことです。いずれこの構想がより多くの国の、より多くの大学で推進されていくことを望んでいます。また、インターネットの活用により、大規模公開オンライン講座(ムーク)が広まっています。誰でもネットで大学の講義を聴き、単位も取得できるシステムです。私は日中韓三か国でムークを開設したら素晴らしいと考えています。そのことによって、若者たちが国境を意識しないで暮らせるようになれば、現在存在している政治的な障害も意味を持たなくなるのではないでしょうか。
演劇の世界では、中国では崑劇や京劇があり、日本には歌舞伎があります。4年ほど前に歌舞伎役者の坂東玉三郎さんが、中国で崑劇を演じて大変好評だったと伺っています。崑劇や京劇や歌舞伎を日中の役者が共演することは素晴らしいことです。それを通じてお互いの文化の共通性と違いをお互いが認識して、日本人と中国人の心の中に存在する距離感を縮めることができるのではないでしょうか。
また、医学の分野でも、西洋医学が近代医学とされ、アジアに於いても重視されてきました。西洋医学は対症療法が中心で、病気を治すことに関しては科学技術的に大変に発達してきています。それに対して日本や中国の伝統医療は漢方薬や鍼灸のような東洋医学で、病気にならない身体をホリスティックに作る予防医学が発達しています。西洋医学を重視するあまり、日本でも中国でも東洋医学はなおざりにされてきたように思います。私は今後は西洋医学と東洋医学をバランスよく活用する統合医療を、日中が協力して研究することによって、世界の医療をリードすることが出来るのではないかと期待しています。
地球環境問題は世界的な課題です。と言うよりも、世界における最も深刻な問題は、地球温暖化問題などの地球環境問題です。世界全体が今すぐに意識を変えなければ、地球上に人間が住めなくなるのも時間の問題です。既に、北京のPM2.5の深刻さは今の問題であり、日本へも大きな影響のある問題です。このまま十分な対策が講じられないでいますと、あと30年足らずで東京は温暖化地獄に突入すると言われています。そもそも東洋の文化は、先ほども申し上げましたように、人間と自然を敵対的に考えるのではなく、いかにして自然と共生を図るかに価値を求める文化です。今こそ、日本と中国の知識を集中させて、協力して地球環境問題に汗を流すべきときです。歴史の問題などで躊躇している時間はありません。
日本と中国がお互いの個性を尊重しながら協力をしていくとき、その先に「東アジア共同体」が見えてきます。既に来年にはASEAN10カ国が共同体に統合されます。このASEAN10カ国に日中韓3カ国を加えた共同体や、さらにインド、オーストラリアとニュージーランドを加えた16カ国の共同体を構想するとき、最も障害と考えられているのは、現在の日中、日韓関係です。その中でも日中関係です。したがって、日中関係が進展することは東アジア共同体構想を大きく前進させることになるのです。この考えはクーデンホフ・カレルギー伯が友愛の理念の下で汎ヨーロッパを唱え、その後EUとして結実したことを範としています。
クーデンホフ・カレルギー伯の時代は、ヒットラードイツの全体主義とスターリンロシアの全体主義が、ヨーロッパに吹き荒れていた時代でありました。カレルギー伯は二つの全体主義と闘う革命思想として友愛を唱えたのです。ヨーロッパが一つにならなければ、他の発展してきた地域に勝てないと考え、汎ヨーロッパを唱えたのです。その思想は、第二次大戦後、それまで戦い続けてきたドイツとフランスを和解させる欧州石炭鉄鋼共同体を産む原動力となり、それが成長して現在はEUとなり、さらにEUROという通貨の統合にまでに至りました。主として経済の統合を中心にして発展してきていますが、EU諸国間には戦争は起きえなくなってきているという意味で、ヨーロッパに不戦共同体が実現したとも言えるのではないでしょうか。
私たちが汎アジアを唱え、東アジア共同体の形成を可能にするとき、同様にアジアは不戦共同体となるのです。そのことが世界平和への大きな貢献となることは間違いありません。
私は「友愛」こそ、これからの世界をリードする理念と信じています。友愛とは自分自身の尊厳と自由を尊重すると同時に、相手の尊厳と自由をも尊重する考え方です。それは自由と平等の架け橋であり、自立と共生の理念でもあります。友愛の外交とは、独りよがりの強がりを言って、相手を封じ込める外交ではなく、自国の尊厳を保ちつつ、相手との違いを理解し尊重しながら、対話を通じて解決を図る外交です。友愛の経済とは、弱肉強食の新自由主義でも、肥大化する政府に依存する平等型の経済でもなく、絆を大切にする協働型の経済です。友愛の理念はまさに日中が共通に有している伝統文化に相通じるものです。友愛の理念を日中で学び、世界に広めていく努力をすることが、世界平和への正しい道のりと信じています。
最後にクーデンホフ・カレルギー伯の言葉を引用いたします。“Every great historical happenings began as a utopia, and ended as a reality”