いわゆる左翼の宗教性
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いわゆる左翼の宗教性

2016-07-31 03:42
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東京都知事選、桜井誠氏と共産党の街宣がカチ合ったと話題になっているようです。



ことの次第は知りませんが「共産党ならやりかねない」と思わせる点が何とも。
どうもこういう「左翼」の行動は独善的な所が目立ちます。これは「二十歳までに~」で知られるように、現実社会との折り合いを見つけることの出来ない「知能」の問題もあると思いますが、いわゆる「高学歴」の、決して「馬鹿」ではない人まで左翼的主張をしているのは、その「宗教性」にあるんでしょうね。論理を超えた「信仰」の問題です。

「共産主義」というのは、もともと「キリスト教のパクリ」でした。
キリスト教の基本的なストーリーは
大昔の人間は楽園に住んでいたが、悪魔にたぶらかされて楽園を追われ、以来、堕落の一途である。しかし、人類の堕落が極まったとき、神は救世主を使わし、地上を楽園に変える
です。そして、共産主義は
大昔の人間は貧富の差も階級もない楽園に住んでいたが、階級や資本主義によって人類は楽園を失い、以来、堕落の一途である。しかし、資本主義社会の堕落が極まったとき、共産主義社会が実現し、平等な社会が実現する
です。
パクリがパクリ元を良く言うはずもなく、「ウチは科学だ。宗教じゃない」と言い張ります。
しかし、その主張に科学性はありません。「共産主義がどうしたら実現するか」は「神が楽園にする」と同じく「神のみぞ知ること」であり、今に至るまで「どうしたら」に答はありません。そして、無理に「実現してやる」となると、「イスラム国」のようにテロ活動に走るしかなくなります。
ブザマなものです。

そして、「階級闘争」も2000年以上前に陳勝が「王侯将相いずくんぞ種あらんや」と看破しています。階級は固定されたものでは無く、庶民が王様になる「革命」もあるわけです。
そして、それを為してきた武力闘争に代わって「民主主義」の選挙で「代表」を決めるようになってきたのが歴史です。
しかし、共産主義はキリスト教のパクリなので、それを認められません。
キリスト教が「神と悪魔」の二元論であるために、「悪魔の側の資本家」と「神の側の庶民」がコロコロ入れ替わることは認められないわけです。
神の側の存在が悪魔の側につくのは背教です。
共産主義は「民主主義によって、庶民から代表が選ばれる」ことを認めないのです。
民衆の権利とか言っていても、それは「(神の側の)俺たちの権利」であり、(共産党支持者以外の)異教徒や(悪魔の側の)会社経営者などから選ばれた「代表」の下につくことは信仰上認められないのです。そこに独善性が現れます。

そして、この二分化された構造――民主主義による代表の選出を認められない――によって、「悪魔の側から遠い」であろう「外国の庶民」にシンパシーを感じ、外国人参政権などの主張に繋がります。「万国の労働者よ、団結せよ」です。
これは「(悪魔の)政府の支配下にない」点でシンパシーを感じているため、必然的にテロや反政府運動に向かいます。

共産主義の元ネタのキリスト教は、それでも生活に根付いた知恵として
子供達の食事を取り上げて子犬にやるのは良くない
とする常識がありました。あくまでも
テーブルの下の子犬はパン屑を貰う
という順列、恩恵に与る前提として社会への帰順が求められました。
しかし、パクリ宗教である共産主義は、パクリ元のキリスト教を否定するとき、その知恵も捨ててしまいました
その結果が、あの薄っぺらい「外国人だって平等だ」という思想です。
本当にバカバカしい限りです。

キリスト教のような二元論は「職業に貴賤は無い」という卑しい価値観をも生み出しました。
金さえ稼げばそれがたとえ麻薬を売った金であっても「良いこと」になるという価値観です。
だって、「金を稼いだ=神が認めた」という論理ですから。
二元論は「分かりやすい」けれど、社会の実情を説明するにはあまりにも単純化された考えです。「二十歳までに~」という「知能の問題」であるという見方もここにあります。
しかし、これは同時に「信仰の問題」でもあり、論理では説得できず信者を盲目にさせます。
これからの人類の進むべき道として害悪であり、もう卒業すべき考えだと思うのです。


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共産主義か…
11月革命から現在まで共産党は存在しない、名ばかりのえせだ。
万民を救うための政治をすべきなのに過去の共産党は主義のためでなく自分たちの欲のために皆堕落した
というのが私の持論、主さんはどう思いますか
44ヶ月前
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>>1
コメントありがとうございます。すぐに気が付かなくてごめんなさい。
「共産党は存在しない」…そうなんですよね。欲望がある「人間」には難しい理念だと思います。
ひょっとしたら、「神のような」人工知能が生まれれば、実現は可能かもしれません。

共産主義もその対極である資本主義もキリスト教的な世界観「神が何とかしてくれる」から来ていますが、
「政治・経済」と同じく「科学」も結局は「世界観を実現するための手段」ですから、
科学文明の到達点である人工知能が「神(人工知能)が何とかしてくれる」に行きつくのはある意味当然です。
割と近未来に実現するかもしれない人工知能による新しい社会に、私は期待しています。

しかし、キリスト教的な世界観に基づく「神」は「天国と地獄」に世界を二分する危険性をはらんでおり、
人工知能による統治は「勝ち組と負け組」を永遠に固定するものとなる可能性もあります。
(実際、人工知能による金融支配は「超大金持ちの総取り」を実現しつつあります)

(勝ち組ではない)私としては、「地獄」を作らないで人類の未来が軟着陸してほしいのですが、
その為には2つの対立する思想「共産主義」と「資本主義」を止揚させ、新しい哲学を生み出すことが必要なのかなとも考えています。
その際に、第三者的な視点をもちうる日本文明が一つの契機になれば良いとも考えていますが。
44ヶ月前
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