言いっ放しの議論でなく
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言いっ放しの議論でなく

2015-05-15 19:14
    「大阪都構想」についての藤井教授の意見に、学者として反論する声は多くありません。
    その限られた学者の中で、高橋洋一教授は積極的に記事を発表されています。
    しかし、高橋教授のお話は、これまでのところ「私だったら」とか「直感した」という、学問的な厳密さとはむしろ対極にあるもので、その都度、藤井教授が「再反論」されています。
    私としては、この論戦では「藤井教授より高橋教授の方が分が悪い」と感じます。

    この「分が悪い」という表現、高橋洋一教授の記事からですが、さすが慎重な表現です。
    一連の「大阪都構想」関連の記事で最初のものですが、タイトルからして「バトルが、案外面白い」、最後には「公開討論がないのは本当に残念」と、「傍観者」の立場でした。
    「橋下市長より藤井教授のほうが分が悪い」と「どっちが正しい」という断定を避けました。
    しかし、文章中では「断定」することで自説を通しています。内容を読んでみましょう。

    まず、「政府と住民との間の関係が変わることはない」と言うために住民からみれば、市も特別区も地方政府」と、最初に「同じものだ」と定義することで「だから同じ」と断定
    つまらない循環論法ですし、藤井教授が「市内と市外」という「域内と域外」について説明しているところに「市と特別区」という「域内と域内」の比較をしても無意味です。
    また、「政府と住民の関係」を「地方政府」と一括りでまとめていますが、これはあまりにも粗雑でしょう。政令指定都市・一般の市・特別区の権限の違いが抜け落ちています
    つまり、4ページ中の2ページは「何も関係ないこと」・「話のすり替え」です。

    そして、3ページ目、「住民が受けるサービス自体には変化がない」と断言し、「府+市民が受ける行政サービスは大阪都構想の直前・直後で同じだ」と繰り返すことで、再度、「話のすり替え」をしています。
    藤井教授が指摘したのは「新たな民意を受け、税金が流出していく」という動的なものであるのに対し、高橋教授は「直前・直後で同じ」と、新たな民意が動き出す前の一点のみを取り上げています。バトンリレーで言えば、「次の走者で抜かされるかもしれない」という指摘に対して「バトンをパスした時点では順位は変わらない」と言ってるだけです。何の比較にもなっていません。意味ありません。
    でも、それを指摘しても「だって、サービスは将来のニーズでいくらでも変わりうるでしょ」とか一般論が返ってくるだけでしょう。

    「以上のことからいえば、(中略)何の意味もない」
    その通りですね。高橋教授の話は「無意味な比較」で、意味がありません。
    自分で意味の無いことを持ち出して「こんな議論は意味が無い」と決め付けるのは、サウスパークで「チューバッカ弁論」と呼ばれ、わりと一般的な手法です。橋下氏も似たことをテクニックとして書いていましたね。

    でも、その次に「大阪府と大阪市に二重行政があれば、上の住民参加のメリットに加えて、財政上のメリットが住民は受けられるようになる」と書いたのはどうなんでしょうね?
    自分で「政府内組織再編なので変化は無い」「政府と住民との間の関係が変わることはない」と断言したのを思いっきり否定してますが。

    いずれにせよ、ここで初めて「市が府に吸収される」都構想の話になりました。
    4ページ中、3ページ目も終わりになって「同じ税負担であるが、行政サービス水準を向上させることができる」と「都構想になっての変化」がでてきました。「税金が流出する」という藤井教授に反論しているように見えるけど、関係ない意見です。

    そして、「具体的に考えてみよう」と出したのは、大阪市立大と大阪府立大の統合です。
    直ちにではないだろうが、徐々に、二重部門は統合されていく」と動的な話になりました。
    やはり、それまでの「直前・直後で同じ」という話には「何の意味もない」わけですね。

    そして「二重行政によって、住民が余計な税負担をしている」のが解消されるのがメリット、らしいです。「具体的に考えてみよう」といいつつ「どんな二重行政の無駄があったのか」の具体例は出していません。具体的なのは「大学の名前」だけです。
    「二つもあるのは無駄」という印象を読者に与えられればいい、ということでしょう。

    そして、「科目統合などが行われる」と、正直に「大学が縮小する」ことを示しました。
    普通に考えれば、学生からすればサービス低下です。勉強できる項目が減るんですから。
    行政サービスの低下」とは決して言わず「無駄の削減」なのだと「すり替え」ていますね。
    ついでに前のページで書かれていた「行政サービス水準を向上させる」話も出てきません。
    科目が統合されたとして、大学の何が向上されるのでしょうか?
    「スリム化(縮小)で税金が安くなる」とは言えるでしょうが、「浮いたお金をどこの何に使うか」は全く触れられていません。
    「お金を刷れば需要はどっかで沸いてくる」リフレ派の面目躍如です。

    ここでも「どこにお金を使うか」を重視した藤井教授とすれ違ってます。
    むしろ「無駄の削減」で特別区が縮小していく一方で、「浮いたお金」はどこかで(区外にも)使われるという指摘を裏付けているように見えますが。

    要するに、高橋教授は「税金が流出する」という指摘には何も触れてないんです。
    これでなぜ「橋下市長より藤井教授のほうが分が悪い」と判断されたのか・・・
    判断基準がちょっと分かりづらいですが、高橋教授は最後にこう締めくくります。
    現状のほうが住民参加と住民受益を向上させる点で優れているといえるのだろうか
    たぶん、これが「藤井教授のほうが分が悪い」ことの根拠なのでしょう。
    藤井教授は「都構想ではこうなる」問題を指摘をされ、「こう変えるべき」という指摘はされてません。でも「現状のままでいるべき」とも述べていません。住民に自治権を残し、住民が問題点を解消するという「改善」のやり方を示されています。
    ですから、高橋教授の判断基準は「的外れ」です。

    高橋教授のこの記事を受け、藤井教授は再度解説を行い「高橋教授からは、再々反論は特に無い趣旨のメッセージ、伺っております」と報告されてます。
    当然ですね。
    これはそもそも「反論」ではなく、藤井教授の記事にあわせた「自説の宣伝」です。
    二重行政の無駄を省くメリットがある」と記事に書けさえすればよかったんです。

    以上は、最初に高橋教授の記事を読んで一人でツッコミ入れたものを書き直したものです。
    私は、この記事を読んで、正直、愕然としました。
    話のすり替え」や「自己矛盾」・・・大学教授の肩書きで書いていい文章じゃなかろう、と。

    今の世の中、一般の人々はある程度は判断を専門家に委ねるしかありません。
    専門家には「任された」責任があります。
    しかし、「STAP細胞は、あります!」のように不誠実な専門家もいるのです。
    素人の浅知恵で専門家を安易に断罪することは出来ませんが、「同性婚」の話題で書いたように、明らかにおかしなことを言う「大学教授」もいるのです。
    都構想のメリットは、あります!」も捏造である可能性を疑わなくてはなりません

    STAP細胞の事件は、ネット上で多数の人が集まって「捏造」を暴くきっかけとなりました。
    学問だけではなく、現に動いている社会でも「専門家の言説」をみんなで査読するシステムが必要だと思われます。
    あと数日で「大阪都構想」の可否はハッキリしますが、これで「お仕舞い」にするのではなく、コトの経緯を冷静に見直して、言論人にはそれ相応の責任を取らせねばなりません
    そして、今後の意思決定のために「どうやったら正しい選択をできるのか」という選球眼を養い、それをシステムに落とし込むことが必要だと思われます。でなければ、いつまでたってもデマや悪質な詭弁に踊らされることが繰り返されるでしょう。


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