時間をかけることの意義
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時間をかけることの意義

2015-11-05 01:47

    あまり彼の炎上商法に関わりたくないのですが…
    ホリエモンこと堀江貴文氏が、すし職人の修行が何年もかかることについて
    そんな事覚えんのに何年もかかる奴が馬鹿って事だよボケ
    と書いているらしく、私としても思うことがあったので書きます。

    確かに「技術は盗んで覚えるもの」というのは非効率でしょう。本当にそういう技術の伝承があるのなら、それはその技術が「見ればわかる程度のもの」ということでもあります。また、若い職人が「見て分かったつもり」でシャリを握って失敗すれば、店の信頼が傷つきます。
    師匠は若い職人を見て「違う、そうじゃない」「こうやるんだよ」と指導するでしょう。
    本当に「盗んで覚える」だけの技術の伝承方法があるとは考えにくいです。
    「盗んで覚える」というのは「師匠の働きっぷりをよく観察しろ」ということです。
    口頭では伝えにくい感覚的なモノ、ひょっとしたら師匠自身気もついてないクセ・コツなど、「師匠は教えてくれるけど、観察して得られる”+α”が重要」ということです。
    では、何を得るのに何年もかけるのでしょうか?技術だけでしょうか?

    技術には「効率的な教授法」が存在します。昔ながらの教授法が絶対ではありません。
    そもそも、たまたま弟子入りした店の技術が「正しい」という保証もありません。
    多くの職人の知恵をまとめた良質な教材があれば、修業期間を短くすることも可能でしょう。師匠からは「えーと、包丁をスッと入れてサッと伸ばすんだよ」と感覚的にしか伝えられず、観て感覚をつかむしかなかったコツも、多くの職人を観察した結果、「包丁の角度は60度、切ってから1秒以内に…」など数値的にまとめられているかもしれません。
    技術は再現可能であるべきで、専門学校の数か月でそれが可能ならば素晴らしいことです。
    そして、実際にそれが可能だと主張されています。私はそれは否定しません。
    理屈抜きに短期的な学習を否定して「昔ながらの方法」に固執するのは宗教的な感情論です。
    だから、「年数をかける、昔ながらの方法は何が優れているのか」を考える必要があります。
    逆に言えば「短期間で教わるだけでは何が問題なのか、何が足りないか」を考えることです。
    「技術を教わっただけでなく、体に染みつくには年月が必要」という考え方もあります。
    しかし、今回はそういった技術論以外のことも考えてみたいと思います。

    私の経験をもとに「すし屋の修行」の必要性を類推してみます。
    私はすし職人ではありませんが、同じように徒弟制度の考えが残る業界にいます。大学です
    大学では学生や若い研究者は「~先生のお弟子さん」という感覚で、「助教授」は教授の補佐でした。2007年からより独立性を高めた「准教授」に変わりましたが、依然として独立性には様々な制限が付き、古い教授には昔の感覚が残っています。
    「准教授の独立性を高めよう」という動きはありますが、一方で「そう簡単に独立するのもいかがなものか」という意見も聞かれます。私は、どちらも言い分があると思います。

    まず「准教授の独立性を高めよう」という考えは、「助教授」が「准教授」に変わった理由と同じで「優秀な研究者が教授の補佐に留まるのはもったいない」という考えがあります。
    堀江氏が言うような「センスがあれば早々に独立できるし、そうすべし」という考えです。

    私は現在、(海外の)大学で(日本でいう)准教授の職にあります。
    専門分野の知識・発想力は「それなりにある」と自負しています。
    しかし、上司(教授)の仕事ぶりを見るに「まだまだ未熟だな」と痛感することも多く、独り立ちするにはまだ不安があり、あと数年は上司の下で学びたいと思っています。
    つまり、「センスはあるが、独立には不安を覚える」立場(自己採点で)です。
    私が「未熟さ・不安」を感じるのは、研究そのものよりも学生の集め方・指導法、ポスドク選び、外部との打ち合わせ、人脈を通じた研究の視野の広さ等々に対してです。研究室では研究さえしていればいいというわけにはいきません。

    私は、現在の職(ポスドク~助教~准教授)の前は派遣会社で技術系の仕事をしていました。
    派遣元の連絡会で、若くして独立した准教授の研究室(化学系)のサポートに呼ばれた同僚が「准教授が忙しくて留守が多く、安全管理も良くない」とクレームを出していました。
    独立したはいいが「研究室の運営」のノウハウが足りていなかったわけです。
    他にも、雑用に追われたり、金銭的に余裕がなかったり、古巣の影響から逃れようと選んだ新しい研究テーマが伸びなかったりと、独立後に苦労している人も多いようです。

    独立にはそれ相応の義務も発生し、研究に集中してきた若手には不得手なこともやらなくてはなりません。研究テーマの設定や遂行の独立性は必要ですが、独立の結果その他の雑務(学生の掃除当番の割り振りとか)まで増やして負担になるのは「タワケ」だと思われます。
    大きな集団に属し、様々な”厄介ごと”の盾になってくれる”ボス”の下にいるのは利点も多く、やがて自分がその立場になれるまでジックリとノウハウを学びたいと、私は考えています。
    師匠を見て学べるのは「技術(専門知識・研究の仕方)」だけではありません。

    また、私は武術・格闘技を学んだ経験もあります(下手の横好きですが)。
    団体の代表が代替わりしたとき、技術ではピカイチの先輩が「私では不適」と退きました。
    「なんでですか?」と聞くと、その先輩は
    「格闘技の団体では『人が死ぬ』ことがある。責任者には『人の死を扱う経験』が必要だ。だから、私ではなく、警察官の経験があるAさんが好ましい」
    と答えました。私がいた団体ではないのですが、近い武術団体で後輩をリンチして殺してしまった事件の記憶もありました。
    団体を率いる立場では、個人のスキルより運営上のスキル、特に「トラブル」に対応する能力が必要で、それにはそれの場数を踏んでいることが望ましいのです。

    長くなりましたが、まとめると、
    独立には「仕事内容」以外に様々な厄介ごとがつきもの。
    特に「トラブル」に対応するため場数を踏んで経験値をためるべし、
    「技術さえあればいい」という考えでは甘い、ということです。

    すし屋に戻れば、握り方以外にも卸との付き合い方、酒を出すなら酔客のあしらい方等々のケーススタディをトラブル対応も含めて行い、「すし屋」のあり方を考えて、店をもつ覚悟を決める期間が必要で、それには何年もかかる、というのが経験則ではないでしょうか?
    まあ、そういう面倒ごとを引き受けてくれる会社の下でチェーン店としてなら気軽に短期間の「技術研修」でも問題はないかもしれません。…でも、それって「独立」では無いですよね。

    っていうか、堀江氏ってそれで痛い目を見たんですよね。
    都合のよい「想定の範囲内」ばかり追っていて「想定外」に足をすくわれた。
    それで「生き急いだ」と反省したんじゃなかったの?と思います。

    自分の失敗から学ぶ、他者の失敗から学ぶ、その経験の集積としての「物語」を学ぶことは大切だと思います。そしてその物語は「石の上にも三年」「急がば回れ」とも言っています。
    昔ながらの修行に固執する必要はないでしょうが、その意義を軽んじるのは愚かです。

    漫画「北斗の拳」の登場人物に「雲のジュウザ」というキャラがいます。彼は主人公やボスキャラたちと匹敵する天才ですが、その戦い方は我流であり、ラオウに「攻において威を発するが守に転じて威を失う」と弱点を見抜かれて敗北します。
    まさに、才能に頼ってイケイケで攻めたが、経験不足でトラブルに対処できない描写です。
    漫画における「天才キャラ」って、大抵そうですよね。
    漫画にすら浸透している「昔からの知恵」の教訓を忘れるべきではないでしょう。


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