考え方のクセというか(いわゆる慰安婦問題に絡んで)
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考え方のクセというか(いわゆる慰安婦問題に絡んで)

2016-01-02 04:20
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あけましておめでとうございます。
昨年末は何か無茶苦茶なスケジュールで色々と放置してました。
今年はもっと余裕があって、考えたことを書いていければいいなあ…と願っています。

しかし、そんな中でもニュースは見ていて、大阪市長選中国の景気関連について思ったことは下書きにメモ程度で書いていました。これらは1月中にまとめたいと思っています。

それとは別に興味を引いたのが、年末にいわゆる「保守」の人たちの間で話題になった、いわゆる「慰安婦問題」に最終的な決着をつけようとした安倍政権の動きです。
内容については三橋貴明氏佐藤健志氏が書かれているように、非常に大きな禍根を残したものと言えるでしょう。実際、「最終的に決着」どころか中国台湾まで蒸し返してきました。
当たり前です。これらの国が「国民感情」を盾にする限り、どこまでも続く話です。
そもそも日韓基本条約が「両国間の財産、請求権一切の完全かつ最終的な解決」のはずです。
日本から「決着をつけよう」と言うのは「日本は日韓基本条約を決定事項とみなしていない」ということで、日本側のルール違反です。この点も将来への禍根となるでしょう。

ただ、私として気になったのが、ネットでの反応です。
まず1つ、いわく「10億円で外交カードを売った」とかの反応ですが、これは的外れです。
韓国政府にとって10億円程度、どうでもいいでしょう。韓国の国家予算は30-40兆円で「10億円」はその1万分の1にもなりません。「韓国は借金で苦しいのだ」といっても、10億円程度で何がどう変わるものでもありません。
「慰安婦の支援団体」にとっては10億円は欲しいでしょうが、韓国政府は10億円を得られなくても、それをもって「日本は酷い」と言うことが出来るので「損」にはなりません。
10億円を欲しい「民間団体」が騒げば、それが「外交カード」となるだけです。

個人の感覚では10億円は夢のような大金ですが、その感覚で国家を語るようでは論外です。
これは「成功した経営者が国家経済を語る」問題にも共通することで、「ある問題に対して、自分の体験や感覚を適用するのが適切か」を客観的に判断すべきです。
私自身も「個人の視野」に縛られず「どういう視野で考えるか」を大切にしたいと思います。

もう一つ、「国内向けの玉虫色の説明」についてです。
第一次安倍政権でも我々は責任がある」としてブッシュ大統領に「謝罪」した問題がありました。このとき「どのような責任があるのか」は曖昧にされました。昨年の「安倍談話」でも変わりません。そして、ネットでは「曖昧にするからダメ」という批判がありました。
今回も基本的に従来と同じで「軍の関与があった」とする一方で「どういう関与か」を曖昧にした結果、「強制連行」を蒸し返されました
「国内外向けに解釈の違いを許すから、韓国が自分勝手な解釈を撒き散らかす」
何度も繰り返されたことです。そして、何度も批判されたことです。
実際そうだと思います。私も、政府は断固たる態度をとってほしい、と願っています。
ただし、私は「ネットの反応」についても違和感を覚えます。
「政府はダメだ」とか「アメリカが望んでいない」とか「これまでと同じ」などの批判や解釈は多いのですが、「慰安婦の事実」についての具体的な言及は少ないのです。
これは、日本のネットではすでに
慰安婦は経済的な理由で身売りされた、あるいは同じ朝鮮人に騙されて売春婦となった
『軍の関与』とは、健康管理や民間人の保護である
ということが「常識」となっているからでしょう。
しかし、これらは「日本の国内」の「ネット保守界隈」での常識でしかありません。
海外では別な解釈があり、日本でも「サヨク」は依然として別の解釈を振りまいています。
自分たちの「常識」を暗黙の了解としているのは、政府の「国内向けの解釈」と同じです。

「自分が分かってるから言う必要はない」では通用しない、が政府の失敗からの教訓です。
分かっていても、あえて繰り返すことに意味があります。
「嘘も100回…」が韓国の戦略なら、日本は「事実を1000回でも繰り返す」べきです
そして、日本の政府がその立場上「責任」の内容を明確にできないのであれば、「民間」が、つまり「国民感情として」それを明確にすべきです。
(このあたり、三橋貴明氏は「問題を明確に定義する」ことで、さすがだと思います。)
安倍首相が「責任がある」というのなら、国民は「そうだ、女性が身売りせざるを得なかった貧困には責任がある。だが、『強制連行』はプロパガンダ」と「解釈」を主張すべきです。

「黙っていても分かってくれる」のは均一性が高い日本の社会の利点でしょう。
しかし、そういう文化、「クセ」は「思考の縛り」であり諸刃の剣です。
その「クセ」で政府が失敗したとき、それを批判する我々も同じ「クセ」で失敗しないよう、常に自分で自分を監視することを習慣にしたいと思っています。

以上、新年を迎えての今年の抱負、目標でした。


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最近の日本の文化の問題は「内弁慶」という言葉に尽きる気がする。
「うちの愚妻が」というように、「身内ならば貶めてもOK」ってことで。
これは「連帯感」とかの利点はあるけれど、それが許されるのは「小規模の、互いに事情が分かっている運命共同体」を基本としている社会であって、それが必ずしも成り立たない現代社会では見直すべきなんだろうなあ。
人間が現実の社会生活を送るには、「小規模集団内の連携」に落とし込む必要があるけれど、その構成要素は流動的なわけで、固定された村社会とは違う。
いわば、結晶状態と液体とで分子間の距離や相互作用が異なるようなものだけど、液体としてのメリットや、それを最適化する状態も考えられるわけで……液晶状態のようなモノが良いのかもしれない。
53ヶ月前
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【新春キャスター討論】反日マスメディアの行方 Part2[桜H28/1/4]の感想。
まだ途中だけど「先祖を貶めた」という感傷も必要だけど、それ以上に必要なのは
「日本は濡れ衣を受け入れる国だ」ということを世界に知らしめたことで
今後、世界中から集られる可能性がある、という指摘だろうと思う。
TPPで中野剛志氏が
「TPPは練習問題」
「これを受け入れたら、アメリカは徹底的に日本を見下す」
と指摘していたが、これもその一例。
53ヶ月前
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