飴屋法水と、Dumb Typeは何をしていたのか――1984年以降の身体性
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飴屋法水と、Dumb Typeは何をしていたのか――1984年以降の身体性

2013-04-26 23:18
    1984年に「東京グランギニョル」を結成、
    その後「M.M.M.」といった集団での活動へと
    向かっていった飴屋法水。

    同じく84年に京都市立芸術大学の学生を中心に
    結成されたアーティスト集団「Dumb Type」と、そのメンバーたち。

    パフォーミング・アートの周囲で、しかしまったく異なる文脈で活躍し、
    また現在の立ち位置も異なっていた彼らだが
    やはりここにはある種の共通性があったように思う。

    飴屋は、その後のショップ「動物堂」の経営(後の活動停止)、
    『バ ング ント』展や平田オリザ『転校生』の演出での復活、
    そしてそれ以降の目覚ましい活躍にスポットライトが当たる
    (そうでない点で注目されるとしたら、「東京グランギニョル」の舞台作品
    『ライチ光クラブ』の古屋兎丸による漫画化/再舞台化の話についてだろう)。
    一方でのDumb Typeも、現在では
    高嶺格、砂山典子、高谷史郎、池田亮司ら
    往時のメンバー/関係者が活躍し続けている。

    しかし、それらと同時に気になるのは、
    80年代後半に、彼らが自らの身体と、
    メカニカルに、インダストリアルに、そしてバイオロジカルに
    向かい合っていたことだ。
    筆者が物心つく前の出来事であるので
    文献や残された映像から遡るしかないのだが、
    飴屋が「M.M.M.」で舞台化した「SKIN」シリーズは
    生殖をテーマにロボティックなイメージが横溢しており、
    一方のDumb Typeでは、
    池田亮司の電子音楽と共に、舞台上の人物を
    光がスキャンし続けていた
    (その極点のひとつに、古橋悌二のHIV感染が契機となった
    あの『S/N』があるのだろう)。
    彼らがこのとき以降に格闘していた身体性とは何だったのだろうか。
    まだ結論には程遠いものの、彼らの問いは、形を変えて、
    現在でもクリティカルなものであるように思えてならない。
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