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東日本大震災から3年、あの日の自分は…2014春
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東日本大震災から3年、あの日の自分は…2014春

2014-03-10 21:55
  • 22


あの日から3年が経とうとしてます。
今回はあの日の自分の行動を振り返り、次に繋げていければと思います。

当日、なんで羽田空港に居たのか…知人やテレビのインタビューでよく聞かれたのですが、なんとなく羽田空港に来てました。
飛行機は見ようと思えばいつでも見に来れます。
そして14:46に地震が起きました。


とんでもない事がおきているのを改めて認識したのは上の画像のとおり。
遠く離れた場所で起こった地震でもあんなに揺れるものか…と自然の猛威を思い知りました。



何度か大きな揺れを感じ、地下に行けない状況が発生しますが、大きな地震が収まると地下へ行けるようになりました。



携帯電話が全く使えない状況では公衆電話が通信手段となります。
この日から財布の中にテレホンカードを入れておくようになりました。
小銭でもいいのですが、財布の収納性を考えると薄いカードの方が楽ですしね。
(カードの残高が減らない??と思ったのですが、無料開放してたとの事)
家と会社に連絡できて一安心。この時、家のものには帰れないかもしれないと言ってました。



電話した所のすぐ近くにローソンがあり、食料と水を買いに行った結果がコレです(^_^;)
ビールを買った理由??なんとなくですよ、まぁ長い一日になるんだし~というねw
但しお酒飲んだからといって陽気になっていいとは限らないので注意です。
そういう輩がいて顰蹙をかってたのが居ましてね(-_-;)

バタピーはカロリーもあり、塩っけもあるのでお腹がぐぅ~な時にオススメです。
チョコは当分補給、そして何より大事な水を確保できてホッとしたり。
電池類も買いましたが、帰宅までは保たなかったです。
この経験もあり、少し遠出する際にはモバイルバッテリー、水、カロリーメイトやソイジョイを持つようになりました。
旅行好きな自分にとって、当たり前の行為なのですが、歩くには半日以上掛かるような場所に行く時でも持つ事に。
車で移動する時も同じ事。あって困るという事はないですからね。



食事は一口おこわなる空弁とおにぎりをいただきました。
他に弁当が無かったというのも事実ですが…ところがこのおこわがモチモチしてて満足なんですよ、奥さん!
小さくすぐ食べなくても大丈夫なので、羽田空港発で何処かに行く際にもオススメかもよ。



ラッキーだったのは地震発生時に羽田空港に居た事…今でもそう思ってます。
屋内で暖房が効いてて、トイレの心配もなく、適時アナウンスがあり、緊急地震速報も流れ、おまけに座れて寝れる。帰宅困難者という身からすれば快適な一夜を明かす事ができました。



明けて3月12日の夜明け
どんなに気が遠くなる災害があっても、壊滅的な原発事故があっても、次の日というのは来るんだなぁ…と窓から朝日を見ながら思ったものです。
このコメントは今でも変わりません。
どんなに悲しんでも、苦しんでも、自分自身に死が訪れない限り次の日は来るのです。
悲しみや苦しみを乗り越えて行かなくてはならない。
もし、悲しんで苦しむ姿を亡くなられた方々が見てたとすると、どう思うだろう。
そこには色々な答えがあるだろう…最近はそんな事も思ったりします。



TVのインタビューで非常食セットについて色々と聞かれたのですが、きっとコレを見たのかな?
空港だと常備してるようですが、実際に使われる事は皆無でしょう。
羽田空港にいる職員さんが一丸となって取り組まれた結果の素晴らしさを実感しました。
自宅の非常食はありますか?ある場合、日持ちは大丈夫ですか?一度確かめましょうね。

その後、電車や地下鉄に乗ったり歩いたりを繰り返して上野駅に降り、宇都宮線の開通を待って無事地元まで辿り着きました。
自宅の被害の無さっぷりに苦笑いしたのを思い出します。
そして、夜。
いつも聴いてるラジオがやると聞きチューニングを合わせ、第一声と曲に勇気づけられます。


今やもう 「歌ってる場合じゃない」んだそうだ 悲惨な世界前にしてあなたは問う
「歌ってる場合じゃない」世相なのかも知れんと 口ごもりただ戸惑う
確かにあの優しい旋律 かき消すほどやかましい現実
飛び交う銃声と噂話 に対してなんて無力な憂さ晴らし
要は無駄か?この歌と言葉は どうも疑いがち 利口なオトナは
だがオレに言わせりゃだから出番 大ケガ上等なバカだけが
でっかい賭けにまたいずれは勝つ もしくはその日をいつまでだって待つ
先人たちのように背筋伸ばす 古臭い悲観を全部吹き飛ばす
あなたこそ現にそうしてきたはず かつてオレを救った奇跡のヴァース
そのバトンを次の誰かに渡す チャンスを信じてまた奮い立たすから

歌ってる場合ですよ! どんな時間だってこの世に人がいる限り
歌ってる場合ですよ! あなたも止めないさきっと声続く限り

新しいシューズ 鼓膜に新しいビーツ
路上に新しいフライヤー
聴こえる 新しい 新しい音楽
新しいニュース 鼓膜に新しいペイン
心に新しいファイアー
産まれる 新しい 新しい音楽

自然の猛威や自分たちで作ったもののしっぺ返しから
我々のご先祖は乗り越えた訳だから
人間なめちゃダメだよ
我々自身もすごいんだよ

そういう意味での「人間なめんな!」
そして冒頭に流れた「そしてまた歌い出す」

動画は撮った
自分だけの記録にしようかと思ったけど
やっぱりまとめて投稿すべきだ

自分の中で明らかに何かが変わった瞬間で、ベッドから起き、PCを付け、ラジオを聞きながら編集し始めたのです。

そして時は流れ、青森のデスティネーションキャンペーンは予定通り実施されると聞き、どうしても弘前に行ってみたくなり…

東北に行こうよ!という動画へと繋がるのです。
この動画の冒頭のPV(らしきもの)は元々作る予定であって…




東北新幹線はやぶさのCMでもおなじみ、MADE IN DREAM
そのポスターを一目惚れし、絶対PVを作ってみせると思った矢先
東日本大震災が発生しました。
「はやぶさ」はGW連休に復活するのか?やきもきしたのを今でも思い出します。


東北の冬はもうすぐ終わります。
待望の春がやってきます。
東北のGW連休は花見の季節でもあります。
最後に三春の滝桜の写真で締めさせていただきます。それでは、また。



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他12件のコメントを表示
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>>6
外国人さんいらっしゃ~い(アホな日本人ですんません
当時の計画停電は仕方ないとして、電力会社は未だに大規模停電と闘ってます。古い発電機を再稼働させたりしています。
2020年と言えば東京オリンピックですね、その頃には今まで以上に良くなっていると思うし、津波で壊滅的な被害がでた地域も人が集まっている事でしょう、そうなるように頑張っていこうと思ってます。
あと、「恃交援而簡近隣、怙強大之救而侮所迫之国者、可亡也」とならないよう心掛けていきたいですね。
90ヶ月前
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>>7
そうですか、それは大変つらく苦しく悲しいですね。今でも同じ気持ちかと思います。
でも忘れないで下さい。貴方を最も愛し、結婚の約束をした大切な人を、他の誰かを愛するようになろうとも。
もてないオッサンですが、書かせていただきました。
90ヶ月前
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>>8
お、高校生ですね。
プライバシーが無い中、集団で生活する事、大変だったでしょうね。
その経験を次に繋げる事を忘れないで下さい。もっと良くしていく事も忘れないで下さい。
そして行動する事をためらわないでください。オッサンとの約束だよw
90ヶ月前
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>>9
そうですか、静岡ですか。
静岡も大きな地震がありましたよね。大きな被害が無いのが救いでした。
遠く離れた場所で起こった今回の地震は静岡でも大きく揺れたとの事。
そこで得た経験は今後起きる災害に活かす事ができるのです。
思いきって行動すれば大丈夫、オッサンはそう思ってますよ!
90ヶ月前
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>>10
ピザデブなオッサン(自分)は最初の地震が起きた時「おー、ワイ、ぶっ倒れちゃう?」と思った(かなり失礼な事だけど本当の話。
でも建物全体が揺れて、飛行機も揺れてるのを確認して…これは大地震が起きた!とモードチェンジしました。
実際にTV映像を見れたのは携帯ワンセグで、少ししか見れなかったけど、とんでもない事が起きたのだと妙に納得してました。その後、被害地に行き呆然としたりも。
90ヶ月前
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>>12
はい、どうも。
http://p.tl/uaql ←こちらをご覧頂ければわかりますが、1年前も同じ事を記事にしてます。
多分、数年後先も同じ事を記事にする予定です。
言い伝えはとても大切な事で、忘れ去られる事が次の悲劇の始まりになるものです。
どんなに記録したり、色々な事をマニュアルに記したりしても思い返さないとただ単に「書いてあるだけ」です。
前を向いている人は大勢いますというのも解ります。
でも何か忘れてしまった事はないか?あの日に思った事を振り返ると想い出す事もあるかと思います。
閲覧数を狙ったなんて思ってもなくて、こちらがビビってます((((;゚Д゚))))
90ヶ月前
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茨城で震度6強食らったんですがそれからはなんか非日常でした
自転車通いの高校生だったからどうにか帰れましたがブロック塀やらガラスやら屋根瓦が道端に転がってて通れない道もしばしば
私が暮らしてた地区はたまたま電気も水道も生きてたんですが(ガスはプロパン)市内ほぼすべての地域で断水・停電(断水は2カ月近く続きました)
電車も数か月止まるわガソリンスタンドからはガソリンが消え車社会茨城は完全に詰んだ状態でした
県内の東海原発はたまたま震災二日前に津波対策の工事が完了してギリギリ無事でしたが大洗港やら鹿島港などの港も壊滅

茨城だけでなく千葉長野あたりはスルーされまくりで辛かったです
県内ほぼ全域で震度6以上喰らってるのに「あまり茨城揺れてねーだろ」呼ばわりされたりしてなんか不快だった記憶があります、災害救助法まで適用されたのに
東北3県ほど甚大な被害ではないって相対的評価ならわかるんですがエア被災呼ばわりまでされたり・・・
90ヶ月前
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わたしは東京でした。当時中学1年生で、委員会活動中で2階にいました。
はじめは「ゆれてるな~」と軽く見ておりましたが、先輩に「机にもぐれ」と言われてからすぐ大きく揺れ始め、机を必死で押えました。
揺れが収まって校庭へ避難し部活の仲間やクラスメートと合流しました。ほとんどの人が恐怖を抱いて泣いていました。
先生の指示で荷物を取りに校舎へ戻ろうとした時、大きく揺れて先生方が慌てて「戻れ!」と叫んでいました
部活の仲間がパニックを起こし泣き始めてしまい必死に落ち着かせようとしました。
私も自分のことで精一杯になっていました。

その日は先輩方の卒業茶会があり、楽しく終わるはずでした。
しかし、それは一瞬で崩れ落ち茶会は中止になりました。

家に帰ってテレビをつけた時、私は時が止まったような感覚になりました


あれから3年という年月がすぎたのですね
あの時の私の行動は正しかったのだろうか、と今でも考えるときがあります。
「もしあの時こうしていれば・・・」と考えることもあります。
先生に言われた「これからは、あなた達が助ける側になりなさい」と言われたことを心に刻みながら生きています。

最後になりましたが震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします
そして東北の更なる復興を願っています。

長文・乱文失礼しました。
90ヶ月前
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>>19
茨城県古河市在住です。市内の被害は皆無といった方でした。
海沿いは無論、つくば市辺りの状況を聞いていると同じ県内なのか?と思った程。
最初の地震とその後に起きた地震の震源地が違うと言う事を知らない方が多いです。
千葉も酷く、長野も…忘れてはいけません。
青森や北海道も被害があったという事を覚えている方は少なくなっているのかもしれません。
90ヶ月前
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>>20
おお、これまた学生さんですね、仲間を落ち着かせる事を咄嗟に出来る方は凄いとオッサンは思いますよ。
先生が仰った言葉はとても重みのある言葉ですね。
「困っている方がいたら助ける」
ちょっとした事でもいいと思います、ほんの少しでもいいと思います、是非行動してみてください。
最後に…物見遊山でいいから東北へ行ってみて下さい。それが復興への近道かもしれません。
90ヶ月前
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