• 漫画のストーリーをそのままアニメ化するのってつまらないことなんですか?

    2020-01-24 23:17

    私は自分が所謂「原作厨」であることを自覚している。

    二次創作をするときは原作を読み込まないと気が済まないし、自分の絵柄にならないようになるべく原作に寄せるようなムーブを取ってしまう。

    他人にそれを強要したいとは全く思わないが。


    映像化に関してもそうだ。

    セリフが微妙に変わっている、重要なシーンがカットされている、謎のオリジナルシーンが追加されている……

    このようなことを原作付アニメでされるとどうしても机に拳をぶつけたい衝動に駆られる。


    しかし上で挙げたような例は正直原作厨の戯言だと思われても仕方がないとも思う。

    私だって漫画・小説を映像化する際に尺だの何だのと色々なしがらみがあることも理解できるので、机にぶつけようとした拳を逆手で抑えて代わりにTwitterという便所の落書きツールで毒を吐くことにより事なきを得ている。


    また、オリジナルシーンでもファンが納得できる「原作の補完」をやってくれるアニメは本当に尊敬できるし、世界が広がったのを感じられる。


    ただ私が本当に許せず、机に拳をぶつけようとする右手を止められずにそればかりかその手で画面を破壊し体調を崩す状況に陥る時がある。


    それは「原作破壊マシーン」と化したアニメを見せられただ。


    私も曲がりなりにもクリエイティブ業に携わっているので、「この通りに作ってね」という指示をそのまま作ることに対して溜息が出てしまう心情はわかる。

    理解はできるが納得はできない。

    私が言いたいことは、

    「クリエイターがやりたい/伝えたいことの為に原作を捻じ曲げるのは絶対に絶対に間違っている」

    ということだ。


    「漫画とアニメが同じだとつまらない」?

    「〇〇を伝えたかった」?

    「原作ファンも驚く展開」?

    あえて言わせてもらうけど

    何を言おうと原作を破壊して行う映像化はカス以下ではないか?


    「ストーリーはもちろん、漫画と同じような構図で止め絵ばっかりで音もまともについてない」とまでいって初めて漫画と変わらないと言えると思う。
    そもそも漫画と同じように作ったらつまらないとかいうセリフ、原作者に失礼すぎると思う。

    なぜ漫画にはないアニメーションだとか音響だとかエフェクトだとかオリジナルの構図カット割演出だとかで勝負しようとしないんだ? マジで理解に苦しむ。

    同じストーリーで原作に並べる自信が無いから改変して原作との差別化をしようとしてるだけだろうとしか思えない。

    そんなのただの逃げだし色々考えて作ったと見せかけた思考停止に過ぎないと私は思う。


    この作品を通してなんちゃらかんちゃらを伝えたかったんだとかなんとかいうのも見たことがあるが、そんなのは「オリジナルでやれ」としか言えない。

    原作漫画を道具としか思っていないのか?

    作家が生み出したキャラクターはクリエイターが自己表現するための人形じゃない。

    作品を借りて公式を名乗ってやる以上、崩してはならない部分は間違いなく存在する。

    アバウトな言い方だが、キャラクターの性格だったり世界観なんてのは絶対変えるべきではない。

    脚本のためにキャラクターを歪めるなんて無能のやることだし最早人権侵害に近いだろ。

    スポーティな格好をしたいと思っている子どもにお人形さんみたいな可愛い洋服を無理やり着させる親と同じようなことだ。本当に腹が立つ。


    原作ファンも驚かせようとしてオリジナル展開にしてるアニメもあるよな。

    いや、原作捻じ曲げて「どや?w原作読んでるお前らでもこんな展開びっくりしたやろ?w」とかやられても「夜道に気をつけろ」としか言えんわな

    こういう話すると

    「いや原作使ってる以上原作者(版元)のOK出てるんだから視聴者のお前が文句言うなや」

    とか言う奴出てくるよな。

    たしかに原作者が「好きにやっていいですよ」と言ったからオリジナル展開にしてるんだろうなとは思うよ。

    でもそれって常識的に考えて「(作品の根幹を変えなければ)好きにやっていいですよ」じゃないか?

    自分がなにか作品を作ったとして、アニメ化するとして、原作ストーリーに囚われずに自分が作ったものとは違う物語を見せて欲しいと思って「自由にやってください」とアニメ制作の人間に言うとする。

    そんででてきたものを見てみたら、ポジティブに産んだファンタジーのキャラが全く違うネガティブな性格になってて、監督が「現実を描きました」とか言い出したらどう思うか、大抵の人間なら想像できると思う。

    今まで世に出たクソ原作付き映像の監督とかプロデューサーは想像できなかったんだろうなとしか思えない。




    あともう一つ言いたいことがあって、これまで殴り書いたことは原作付きだけじゃなくてシリーズの続編ものにも言えることだと思う。


    人気のシリーズを締めたくなくて、でもマンネリ化させたくなくて、客を驚かせようとして、前任者のやっていたことを否定したくて、その手段として選ぶのがキャラクターを歪めてやりたい脚本の流れに合わせることだったり、シリーズでずっと大事にしてきたはずの世界観を覆すことだったり。

    そういう作品が去年は少なくとも2本はあった。



    オジサンは思うんだ。全ての表現活動は個人の本来は共有できない感覚を他人に共有・披露するためにあると君たちは思っているかもしれない。でもそれは、確固たる土台が存在する原作付き作品やシリーズものでその土台を壊してまで披露すべきことではない。本来共有できない君の中に内包されている感覚が他人と共有されるということを、私は大事なことだとは思わない。確かに君が言う通り、人間は言葉や音楽や映像で他の動物より少し多彩に繊細に自分の中に内包されているモノを表現できる。でも、それを先に言った土台を壊してやったことで原作ファンが受け入れられるかどうかは別問題なんだ。君のやったような、キャラクターと世界観を捻じ曲げて多くのファンが腹を立てるように作られるような作品は、僕は全く面白くないものどころかファンを含めたIP自体を地獄にたたき落とすということになりがちだと思う。君には理解できないかもしれないけど、そうならないために監督という職業があるんだと思う。



    まあ怪文書のパロディはこれくらいにして(そもそもこの記事自体怪文書)、冷静になってきたので言いたいことをまとめたいと思う。


    どんなに原作とズレていようと、どれだけ原作キャラがクリエイターの意思表示の道具に使われていようと、それを肯定する人間を私は否定しないし、それを好きだと思う気持ちも否定したくはない。

    上で書いた原作者のお気持ちだって単なる私の想像だし、本当は捻じ曲げられてても特に何も思っていなくて、映像化されるだけで喜んでいるのかもしれない。


    しかし、何度も言うが、原作のキャラクターや世界観を都合よく捻じ曲げるクリエイターたちを、誰がなんと言おうと私は絶対に否定するし、これまでそうやって作品紛いの原作付映像(ゲーム)を世に出してきた人間を許すつもりもない。



    今後不幸なIPが産まれないことを切に願って、この便所の落書きを締めようと思う。



    あ、この記事は私のお気持ち表明であって、原作厨の総意じゃないからね。


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  • 「けものフレンズ2」は何の2期なのか(けものフレンズを恨むのはもうやめる)

    2019-04-10 22:21
    私は「けものフレンズプロジェクト」の作品が大好きでした。
    2017年の「たつき版けものフレンズ」のガイドブック付きの円盤はもちろん全巻持っています。ニコニコ動画の1話は数え切れないほど再生し、二次創作動画も未だに漁り続けています。


    2019年。
    「けものフレンズ2」は、多くのけもフレファンの心を壊していきました。
    楽しく優しい世界であふれていたニコ動のけもフレ関連動画は呪詛と阿鼻叫喚で溢れ、私はその惨状に悲しみながらも、それらを一つひとつ再生しました。
    誰かとこの感情を共有したかったからです。
    愛していたコンテンツを恨み、作品を貶して暴言を吐く自分が嫌で、仲間がいることに安心したかったんだと思います。

    その動画のコメントにこのようなものがありました。
    結局、俺が好きだったのはけもフレじゃなくてたつき監督の作品だったんだな

    この時、何かが肩から落ちたような気がしました。
    きっと私もこのコメント主と同じだったのかもしれません。アプリからけもフレを愛していた人たちには怒られるかもしれませんが。


    散々言われている通り、コンセプトデザイン・総監督などの肩書きを持つ吉崎観音先生は「損得勘定を度外視して、利害関係の外から遠慮なく意見や提案ができて、結果的にIPの質を保てる」著作者人格権を行使できる立場にあります。

    「2」が制作され、放送された。
    それはすなわち、吉崎先生があの「2」に対して「IPの質を貶めるものではない」と判断したということです。
    私たちが「あんなのはけもフレじゃない」と考えているのにです。
    続編でありながら設定を意味なく変更し、キャラクターの性格を捻じ曲げ、精神的に殺害し、動物を貶め命を軽く扱うような描写をしているのにです。


    これはどういうことか、私が出した答えは一つでした。


    私たちが愛した「たつき版けものフレンズ」こそ、吉崎観音が目指すものから逸脱した世界観だったということです。

    これはとても悲しい仮定ですが、同時に私にとっては救いの考えでもありました。

    最終回を見た後は、これが無印の地続きにある世界だということに絶望しました。
    たつき版アニメとその「信者」をKFP(けものフレンズプロジェクト)から切り放そうという悪意、その悪意で生み出された作品があのたつき版の続きに存在するという現実を突きつけられ、精神がおかしくなりかけました。

    しかし、前述した通りたつき版がKFPの方針から外れていたのだとしたら、方針通りに作られたはずの「2」と世界線が繋がっているわけがない。
    なるほど、設定がねじ曲がっているわけです。


    私はこう思うことにしました。


    「けものフレンズ2」は「たつき監督がリライトする前の吉崎観音のプロット通りにストーリーが進んだ世界」の2期なのです。

    「Fate/zero」が「Fate/Stay night」の本当の前日譚ではないのと同じような考えです。(多分)
    「2」は単なる「似たような世界の続き」なのです。


    かばんさんがサーバルを呼び捨てにすることも、ラッキービーストをモノのように扱うことも、キャラクターがギスギスし続けることも、その他全ての「たつき版の描写に対するアンチテーゼ」のように捉えられる全ての描写に説明がつきます。


    私たちが愛した2017年の「けものフレンズ」は汚されていなかった。


    たつき監督がKFPから降ろされたことで、サーバルとかばんちゃんとラッキーさん、そしてアライさんとフェネックの旅は終ぞ描かれることはありませんでしたが、この仮定が私の中にある以上、これからもあの世界は私の頭の中で続いていきます。




    最近、たつき監督のアンチを続けていたアカウントが細谷Pの裏垢ではないかという疑惑が上がり、各所で大炎上しています。

    真偽はわかりませんし、正直もう私にはどうでもいいことです。

    KFPに限らず、悪意の権化のような人間はそこかしこにいます。
    所構わず悪意を垂れ流し、人を傷つけます。
    私もそのような人間の一人なんだと思う。

    そういう世界を忘れて楽しめる世界が、あの「たつき版けものフレンズ」だったんだなと改めて思います。


    その世界がKFPの望む世界ではなかったのだとしたら、
    私は「けものフレンズプロジェクト」を愛するのはやめます。
    もちろん恨むのも。


    私が愛していたのは、たつき監督の描く世界だったのです。

  • 免許取得日記 9-14日目

    2017-02-15 22:18
    前回のあらすじ
     やればできる子YDK


    前回の日記からかなり時間があいてしまったが、その間にも講習は着々と進んでいた。
    なぜこんなにも更新しなかったかと言うと、決して飽きたからとか3日坊主とかそういうことではない。
    とくに日記にするほど面白い事がなかったのだ。

    Twitterでも言ったが、効果測定は一発合格だった。
    友人が効果測定落ちたと言っていたので恐れおおのいていたが、ただの簡単な○×問題だった。(余裕で解けたとは言っていない)

    この数日の講習で特に言及することがあるとすれば、技能講習で別の教官にあたったという事だろうか。
    そう、O教官からようやく解放されたのである。
    正直O教官とは運命を共にする気でいたのだが、せっかく神が慈悲を向けてくださったので、ありがたく享受することにした。

    この期間、私は3人の教官に教わった。
    1人目は、最初の技能講習の時間に車の操作方法を教えてくれた教官だった。
    正直あの最初の講習の時の彼の記憶は恐怖と緊張によりほとんど残っておらず、覚えている事といえば「触ったらセクハラになる」という特に面白くもないジョークのみだった。
    しかし彼の講習は非常にわかりやすかった。
    きちんと説明してくれるというだけでも、O教官よりわかりやすいのは明白である。
    O教官の時にはろくにできなかった幅寄せなども、彼の講習ですぐできるようになった。

    2人目は女教官だった。
    彼女は私にかなりきつい口調で「何しにここに来たんや」「学科でやったところくらいちゃんと覚えとけ」などと言った。
    恐らく女だからといってなめられまいと、最初の洗礼としてキツい事を言っているのだろうが、中学高校と部活動で精神的苦痛を強いられてきた私にとっては彼女のそんな言葉などは小鳥の囀りと等しかった。
    実際次に彼女に教わったときは全く厳しくされなかったので、本当に最初の洗礼だったのかもしれない。

    3人目は、ものすごく丁寧に教えてくれる人でありがたかったが、なにぶん丁寧すぎる説明により、他の教官に教わった時と比べて私が運転している時間は半分くらいだった。
    O教官と足して2で割りたいランキングがこの教習所にあるとしたら、彼がダントツトップに君臨するだろう。

    と、このようにして、なぜかO教官の時にできなかったことが他の教官の時には普通にできるようになり、正直日記に書いても面白くないほど普通に操作できるようになったのである。

    ちなみにこの3人に教わった後もう一度O教官に教わる時間があったのだが、人並み以下の私の運転が人並み程度に成長しているのを見て「やればできるやん」と、「ワシが育てた」とでも言いたげな顔で言ってきたが、まあ彼に育ててもらったというのも間違いではないので素直に礼を言っておいた。


    そして、いよいよ仮免試験である。
    これに受からなければ路上講習はできない。
    路上講習を受けなければ免許は取得できないのだから絶対に受からなければならないし、私は就職までに早く免許を取らなければいけない身なので、不合格になっている時間の猶予は全くないのである。

    入学初日は、免許を取りたくない、車に乗りたくない、死にたくないと涙を流した私だったが、仮免技能試験、なんと一発合格だった。
    学科試験も(恐らくギリギリだが)一発で合格できた。

    入学当初の私の様子からは信じられない結果である。
    正直2回は落ちる覚悟でいたのだが、人間とは成長するものなのだなと感動するばかりだ。
    こんなわたしでも仮免取得できるのだから、まだ免許を取っていない人たちも安心して頑張ってほしいと思う。
    私ができるのだから大抵どんな人も大体何とかなると断言できる。

    しかし、本番はここからである。
    仮免を取得した先に待っている路上講習。
    日本でトップレベルに交通マナーの悪い地方での地獄のデスロード。
    生きるか死ぬか、はたまた殺すかの戦いがこれから始まるのだ。
    殺したとしても責任は教官にあるのだという事だけを心のよりどころとして、私はとりあえず交通ルールだけは頭に入れておこうと、震える手で教科書にしがみついた。