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かんなさん のコメント

その喪失感について。いつまでも続く、いつまでもそこにいてくださる存在、と私は勝手に思っていました。いつか終わりがくる、「永遠」なんかはこの世にないと分かっているのですが、不思議と「永遠」って実はあるんじゃないか?と感じさせてくださいましたし、今もそう思っています。(実はまだ夢をみているようで全然実感が湧かないですが)
去年の夏、私はその方達のおかげでえんそくさんに出会えました。今年の夏はいままでとは違うかもしれません、でも私はえんそくさんがいてくださる限り最高に熱い場所に出向きぐっちゃぐちゃに汗かいてドロドロになって、最高の夏を過ごすのだろうと思います。その前に「甘い死」が待つ春が来るのを心から楽しみにしています!
No.2
95ヶ月前
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明日は死んだばかりのおばあちゃんのなんかお決まりのイベント?があるので、朝から現場に向かいがてら黒いネクタイと黒い靴を買います。ぶうです。 期間限定でうちにおばあちゃんの遺骨が家にあって、 なのでそこに線香とかとセットでチーンて呼び出すやつもあったんで、 実は先日そいつを勝手に拝借して録音、 今度のCD「惡道に死す」にチーンと入れました。へへへ。 特に意味はありません(笑) でもさ。 なんかパワーありそうじゃん? (どの曲のどの部分かは聴いて探してみて下さい。) ちょうどいいタイミングでうちに来てくれてたね。 で、もしもさ。 このことで「おばあちゃんの霊が怒るよ」とかなんとかって言う奴が、なんか細木和子みたいな?人がいたらさ、 バカだなぁ。うちのおばあちゃんはそんなことじゃこの可愛い孫を怒ったりしないよ。 と言ってやるし、 本来ならば別に靴もスニーカーだっていいくらいなんだ。 ただ、ボクだって知ってる。 そうゆうイベント、 いわゆる宗教的儀式は別に死んだおばあちゃんの為にやるわけではなくて、 おばあちゃんを失った周囲の誰かの何かしらの「喪失」を埋める為にあるんだろうから、 親族の知らないとこでチーンを無許可で持ち去って録音をする孫だけど、 スニーカーでそのイベントに行ったりなんかはしない。 そこはちゃんと古くからの様式にのっとってやるとこで、 宗教的イベントとしての意味を求める人がいるならばその通りに果すべきなんだと、 こんな惡ガキのボクでもちゃーんとわかっているのだ。 ちなみに、 そんな無慈悲にある時突然やってくる「喪失」ってものを昨日ボクも、 小さいながら味わいました。 思えば学生の時ってのは本当に暇だったので、 誇張でもなんでもなく毎日毎日本屋に通っていたんだけれど、 それが最近じゃあめっきり行きつけの本屋にも顔を出せなくて、 いよいよゲームに続いて本からも遠ざかっちゃってて、無趣味化が止まんなくて参ったもんですよ。って感じで、 でも昨日は久しぶりに一日何もなかったので散歩がてら本屋に行ったんです。 (花粉が本格化したら引きこもるのでまだ外に出られるうちに。) どうも年始からバタバタし続けてたせいか町並みに目をやる隙もなかったみたいで、 随分と建物の様子が変わっていることに気づいて驚きました。 この空き地? 何が建ってたっけ??? そう思う時ボクは、 何が建ってたか思い出せる時よりもよっぽど切なくなります。 自分の町のはずなのにすっぽりと過去が失われたみたいでやるせない。 きっと、もう夢の中ですら「幼少の頃の町並み」を再現することはできないんだろう。 そういやクラスメイトの名前も顔も、マジで4分の1くらいしか思い出せない。 地図がじわじわ虫食っていくようなジリジリとした喪失感。 あ、でもこれ、 さっそく話がそれちゃっただけで(笑) 本題はこいつじゃないの。 さて、行きつけの本屋に着きまして。 いつもの巡回ルートで新刊をチェック。 「コミック何巻まで買ったか分からなくなる現象」によって購入まで踏み切れない作品がいくつもあった(少なくともバイオーグトリニティの分厚い最新刊は持ってなかったけど、はて既刊がどこまで家にあったか…?)のですが、 やっと「それ町(それでも町は廻っている)」の最終巻を買いました。 "終わらない日常に終幕きたる!" 帯にはそんな煽りが。 やめろよぉ。 うぅ……。 ボクはね。 根っから、 「怒濤の盛り上げを毎週ぶっこんでドラマティックの洪水で攻め立て大きな物語を描いていく」王道少年漫画派、 つまるところ週刊少年ジャンプ党ですがね。 実は、事件→日常→事件→日常……で、 永遠に続いて行きそうなサンデー系の漫画も大好きなんです。 素晴らしい作品は登場人物達の個々のキャラクターの作り込みの巧妙さから、本当にそこに人格が、魂があるかのように感情移入してしちゃって、 それが長期連載ともなるとどんどん肉付けされていって、 最終話には、物語の展開どうこう抜きにして、 「もうこいつら(キャラクター達)に会えないのか!」 って寂しさに襲われちゃう。 (「今日から俺は!」なんてもう本当に最終回を読むの辛かったよ。初めてその感覚を味わったのは忘れもしない小説「六番目の小夜子」だったかなー。このお二方の作品はどれもキャラクターの人間味が凄い!) と言っても、 やっぱ本当に「ずーーっと日常やってる」作品とか、 女の子達しか出てこなくてその「きゃいきゃいしてる様子を見守るだけ」系の作品にハマったことはなくて、 唯一それに近しいところで好きになったのが、 この「それても町は廻っている」でした。 この登場人物はもう好き嫌いとかじゃなく、人間味があってホントそこにいる友達かのような感覚で読めてたー。 たから寂しいなぁー。 みんなともう会えないのが切ないなぁー。 いくらでもエピソードを追加し続けて欲しかった。 永遠に続けていられそうな漫画なのになんで止めるんだろうか? まぁ、何か理由があって止めたんだな。 当然だけどやっぱりさ。 「続けられる」ってことと「続ける」ってことはイコールじゃないんだよね。 終わらないはずのものが終わること、 終わる必然性をまったく感じさせないままふいに終わること、 ある。 漫画ごときで大袈裟な! と思うかもしれないけど、ボクにとっては友達が転校しちゃったみたいな感じだよ。 今の年齢で別れるならともかくね。 転校したらだいたいもう二度と会えないんだ。 それがわかってるから寂しいよ。 この小さくもガチな喪失感。 埋め合わせてくれる代わりの漫画なんてありえないんだ…。 と。 こんな話をしたついでに。 これ、あんまり声を大にして言いたくはないんだけど。 もっと巨大な喪失について。 ボク、先日モニター越しで泣きかけたのでサンプラでは絶対泣いちゃうと思うんです。 ねぇ。 今年はどんな夏になるだろう。 どんな旅になるんだろうね。 いつもの熱く暑い旅から帰って、 車を降りた夏の終わりの早稲田通りで、 ボクは何を思い、思い出すだろう。 何故か、 ひどく勝手に、 その誰かの、季節の、世界の、 ポッカリ空くであろう穴、 その喪失を、 「どうしたら埋めることができるんだろう?」 とか考えていたボクかいて、 そんなの無理だし、そんなこと考えるのはおこがましいし、そんな立位置でもないし、 何ホント勝手に考えちゃってるの!? って感じなんだけど。 いつもすぐ隣にあった「世界の一部」がなくなっちゃうんだよなー。 無力感。 この年齢になってこの感覚を味わうとは。 湿っぽいのは嫌だし、誰も望んでないので笑いますけど。 まだまだボクは自分の歌や理想に見合うぶんだけ強く成長しなきゃいけないなぁと思います。 あ、でも明日は空気読んで笑わないようにしないと(笑) 間に合わせの黒いネクタイと黒い靴で。 一足先に黒服限定ギグしてきます。
イイコ通信
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