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なえさん のコメント

霞のセカイの説明王ことぶう様、こんにちは!
お昼間から丁寧な解説ありがとうございます!

聖書の中の文言をアレコレ浅い頭をめぐらせ読み解こうとするのは、もちろん至福のひとときではありますが。

思いがけず天の啓示のごとく解説を頂けたりすると、それはそれでまたうれしくて。
言うなら、まさに目からウロコ状態で。。

「そういうことなんですね!」
って、大感激でテンションも即刻あがるのと同時に。

この終末ライフも、なかなか捨てたものではありませんね!って思ったりしているランチタイムです。

そんなこんなで、以前のアルバムはもとより。
何より今は、惡道に死すをリピートしまくり。
何か心に浮かんだ際は感想をお伝え致します。

お天気も、とびきり上々ですし◎
素敵な金曜日をお過ごし下さい♪
No.1
91ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
「霞の住人」とも呼ばれてるし「説明」とも呼ばれてるからホントややこしいんですよ。ぶうです。 さて、ボクの持っている基本的な「喩え方」を知ってもらう事は、 えんそくの歌を「あ、すっきり」と読み解く上でイイヒントになるはずで、  ニューアルバムも発売して10日以上経ちますし、これから改めてえんそく作品を聴く上でそれが少し楽しみに繋がればいいなぁと思うので、 今日はヒントを1つ。 「ミラーボール」 と言えばボクの中では、 「自分とまったく縁の無い毒々しいダンスフロアーのイメージ」で定まったいます。 今風に言えばパリピの象徴? 虚飾の街の頂点に位置し、人々の頭上から無差別に光を反射する、人工的一大幻想装置。 みたいな(霞) とすると、 そこから転ずれば、 えんそくの歌にある、 「ミラーボールのお月様」 ってのはアレですな。 「太陽」が自然の作り出した絶対的なルールであるのに対して、 「狂ったセカイの天井に備えられた時計仕掛けの神様」。 どうでしょう。 「月」ってのは原始の時代から人々を見おろす、 手の届かない巨大な光で、 暦や、それこそ進化の過程で獲得した生物としてのバイオリズム、 さらには潮の満ち引きまで引き起こし、 まさにこの惑星の「周期」をコントロールする為に配置されたと言っても過言では無い、 古代人にとってでなくとも、地上を支配する「神」と言って差し支えない存在なわけじゃないですか。 だから「ミラーボールのお月様」って言葉は、 「人の手で造られた神」 ボクラの生まれる前に誰かが勝手に作りやかった絶対的(に見える)ルールの比喩表現なのかもしれませんねー。 さて、そんな「ミラーボールのお月様」と言えば、 ジャケットで大活躍の 「カミュの左手カフカの右手」 なんですが、 今になってこの「カミュの左手カフカの右手」が完売していてもう手に入らないとゆう事実に気がついてしまいました。 これはけっこー大問題ですよね。 なんせセカンドプレスする気もなければ、今のところ録り直す気もまったくおきないのです(笑) つまりもう手に入らないじゃないですか。 (密かに違法コピーするしかないじゃないですか…ぐぅ、こっちから出してない以上「じゃあどうせいっちゅうねん!」てことで止められないですよねこの場合。) 困るなぁそれは。 なにが困るって、「後から追っかけてもちゃんと必要な情報は手に入る。」ってのは大事じゃないですか。 じゃないと後発のプレイヤーにとってはテンション下がるじゃないですか。 ボクそうゆうの大嫌いですからね。 (どうでもいいことではたまにそんなイジワルもやりますけどね。) この「カミュの左手カフカの右手」とゆう作品は、 ちょっと妙で。 初回生産ぶんは1つのケースに二枚のCDが入った、 6曲づつ収録のミニアルバム二枚組作品、 2nd&3rd MINI ALBUM 「カミュの左手カフカの右手(初回生産盤)」 としてリリースされました。 なんでそんな無駄に金と労力のかかる妙なことをしたかって、 もちろんボクのわがままです(笑) ボクとしてはそれなりにこだわって それぞれのディスクをコンセプチュアルにまとめたんですが、 まぁ後になってみると結局それが仇になりまくってるとゆうね(笑) 曲前の余計なSEみたいのもうっとおしいし、 何より全部聴くのにディスク変えなきゃいけないし…。 てことで、 めでたく初回が完売した後に一枚のディスクにフルアルバムとしてまとめて、 3rd ALBUM 「カミュの左手カフカの右手(後出し盤)」 として販売しました(笑) こだわったボクとしては残念なんですが、 すごく聴きやすくなりましたよ!(笑) もう作詞者のこだわりを一切捨てて音楽が求めるままに並べた曲順わけですからとうぜんの結果です。 でも、 もしもこの一枚のディスクのほうしか聴いたことが無いって人がいたら、 是非ホームページのCDのとこを見て、二枚のミニアルバムの曲順にして聴いてみて欲しいと思います。 もしかしたらボクの意図するところがよりハッキリ伝わって新しい発見があるかもしれません! で、話は戻りまして、 気付いたことの本題と言うか、 一番困ったのがですねぇ、 この後出し盤のフルアルバム仕様のほうでは「あるもの」がカットされちゃってるってのを思い出したんですね。 これは「あるてい」で俺は話進めてるんだよなぁーって。 そこは「ある」をベーシックししときてえんだよなぁと。 ですから、ちゃんとここにヒント?情報?として書いておきます。 初回盤「カミュの左手カフカの右手」には、 「Disc【右】」の最後、6トラック目に、 後出し盤には収録されていない 「ザ・エンドロールの歌」 とゆう、何語かわからないふざけた軍歌風(?)の曲が入っています。 (死の間際に人生の失敗を走馬灯の様に振り替えるがごとく、戦士の戦いの日々がNGシーンとなってジャッキー映画あるあるよろしく浮かび上がる。そんなイメージです。) そしてそのトラック。 曲が終わってからもしばらく止まらずに流れ続け… そう! 実はその後に隠された楽曲が入っているのです! それは、 長い長い「波の音」の果てにあるバラード。 これがフルアルバム仕様になったディスクにおいても(偶然)同じ6トラック目に収録されている、 (つまり「波の音」を経なくても聴けるようになってしまったわけだ!!これが誤算だった!) 「君の左手ボクラの右手」と名付けられた曲。 ミニアルバム収録時のタイトルだと正確には、 「君の左手ボクラの右手~ありふれたエンドロールの後に~」 ここで作詞者の立場から、 このバラードは「波の音の果てにあるのが正式な場所」であると明言しておきます。 そしてあれから時は流れ、 この歌詞を書いたボクはもういないとゆうことも。 そう言えば近年、 1度だけライブでこの曲を披露したことがあります。 「君の左手ボクラの右手~ありふれたエンドロールの前に~」 と少しだけタイトルと、 歌詞を変えて。 ボクの携帯の中にだけ入っているそのデモバージョン。 いつかちゃんとレコーディングされて皆に届けられることがあるでしょうか? (今のところ無い寄り!笑) 今のボクはありふれたエンドロールを待たずに、 終わる前に飛び出して行くぞ。 あの頃なら離してしまっていた手も繋いだままで、 全員引っ張って行くぞ。 掌の上の街の誰も届かない夜の隅っこの霞に、闇に紛れて出ていく。 そんな感じ。 あ、これ以上は野暮か。 「説明」が過ぎる、ってもんかもしれませんね。 まずは皆さんの「惡道に死す」第一報的感想レター楽しく読ませてもらいました。 これからもCD、いっぱい聴いて下さい。 そして、「霞の住人」の諸君はまた感想や考察など書いて下さいね。 楽しみにしています。
イイコ通信
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