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東京から岡山へ、Uターンで「仏を彫る」生き方を選んだ元教師【後篇】 「一番大切なのは諦めずに続けられること」
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東京から岡山へ、Uターンで「仏を彫る」生き方を選んだ元教師【後篇】 「一番大切なのは諦めずに続けられること」

2016-08-21 12:30

    【インタビュー】
    東京から岡山へ。教師から仏師へ―Uターンで"仏を彫る"生き方を選んだ人・伊久利幸さん(後半)



    この度、AOLニュースでは、東京で高校教師として働いていた生活から一転、故郷の岡山にUターンし、現在は、"仏師"として仏像を彫ることを生業とする伊久利幸さんにインタビューを実施。

    Uターンのきっかけや、Uターン生活について、さらには仏師として生きていくきっかけや、気が遠くなるような仏像づくりの作業についてうかがった前半に引き続き、後半では、ちょっと意外な"精神統一"の方法や、気になる"対価"について教えてくれた。

    不動明王

    ―制作に入っているときは、どのようなことを考えているものなのでしょう?

    私は、結構雑念が入ります(苦笑)。いろんなことを考えていますね。というのも、今持っている100%の力と集中力で彫っても、なぜか思い通りに彫れません。力を入れすぎて、とんでもないところまで傷つけてしまったり、大切な部分を削り落してしまったり、ひどい時は、自分の手をブスリ。つまり、80%くらいの力と集中力とがどうも適しているようです。彫っている時、人の声は聞こえませんが、風の音や虫の音は不思議と耳に入ってきます。

    ―そうした集中力を保つ秘訣というか、仏師ならではの変わった作法やしきたりのようなもの、制作上のルールのようなものはありますか?

    特にないと思いますが、精神統一のため、集中力を高めるために、滝に打たれたり、水垢離したりする人はいるかもしれません。あと、白か紺色の作務衣を着て作業をする方がおおいですね。わが師、長谷川隆鳳氏は紺の作務衣を着ていることが多いですね。また、精神面では神社等の月参りはしているみたいです。私は、やる気が出るまで、ただボーとしています。後は、夕方の農業はどんな手順で何をするか、そんなことを考えています。仏像を彫るときに関して言うと、私の場合はモーツァルトを聴きながら彫っています。

    ―モーツァルト(笑)!それは意外ですね。逆にどんなBGMが合うのかもわかりませんが、なんだか不思議な印象を受けます。ちなみに、仏像と向き合い続ける中で、信仰心のようなものは芽生えるものなのでしょうか?

    わが師を見ると神仏に対する 信仰心は染み着いているみたいですが、ひとつの宗教にこだわることはないようです。マリア像も彫っていますから。仏像を彫る人それぞれが、信仰心というより、心の安らぎ、人としてあるべき理想の内面の姿を見つけ出そうとしているのではないでしょうか。仏像の顔は彫った人に似るといいますから。内面が表に出てきているのだと思いますよ。

    ―マリア様!これはさらに意外です。でもそうしたお言葉を伺っていると、妙に納得してしまう部分もありますね。ちなみに、マリア様は別として、変わったオーダーというのはあるものなのでしょうか?また、伊久さんの場合は、仏像のほかにも何か彫りたくなったりしますか?

    変わったオーダーというのは特にないですね。私はありませんが、わが師の話だと、弁財天(弁天様)の注文が来た時は、一応、女陰を彫るかどうか聞くそうです。私は、柿、蛙、南瓜、ザクロ、蝸牛、手等、彫りたいと思ったらなんでも手がけています。しかし、仏師と称する方は一般的な木彫は手掛けないみたいです。でも、皆さん何でも彫れる力は持っています。ちなみに、十二支の動物はある意味で基本でもありますから。私の彫りたい仏像・・・そうですね、一番、二番といった順番はありませんが、水月観音。阿修羅像(興福寺)。中宮寺の弥勒菩薩像。伎芸天。童顔不動明王。モンゴルのターラなんかもいいですね。光雲の観音像もいいですね。

    阿修羅像

    ―今後、挑戦したい作品などはありますか?

    今、途中の原寸大阿修羅像を完成させること。本体50~60㎝の童顔不動明王。水月観音(4面の写真も図面もない)...図面が手に入らなければ、オリジナルで彫ってみようと考えています。

    ―すごい創作意欲ですね。少々聞きづらいことというか、本来であれば不躾もいいところなので大変恐縮なのですが、"ぶっちゃけ"と言いますか...そうした創作活動に懸ける思いや手間隙を考えた上で、それに見合った対価は得られるものなんでしょうか?

    うーん、どうでしょう。大仏師と言われる人は相当高いし、注文も多いと思います。それにスポンサーなんかもついて相当なものだと思います。しかし、弟子を食わせるとなると、どんなもんでしょう。正直なところ、わかりません。それに、いわゆる仏師と言われる人というのは、新しい仏像の注文は、営業をしてもなかなか来ないと思います。そこで、趣味の教室を開いたり、文化財の修復を手掛けたりするわけですが、そうした活動などによって、ある程度名前が売れて、学芸員などに知られるようになれば、それなりの収入はあると思います。でも、そのような人は各県に2、3人居ればいい方ではないでしょうか。

    ―やはり狭き門というか、職業としてみた場合は、それだけで食べていくのはなかなか難しいものなのですね。では最後に、これから仏師を目指そうと思っている人々に向けて、何かアドバイスのようなものがあれば伺いたいのですが。

    そうですね、いきなり大仏師に弟子入りすることはとても難しいと思いますから、まずは芸術系の大学の仏像彫刻科に入ること。私の師もそうですが、仏像彫刻の学校へ入るとことでしょう。あとは、漆かぶれを乗り切れる人。営業ができること...細かい部分を言えばたくさんあると思いますが、そういった部分ではないでしょうか。一番大切なのは彫刻、仏像彫刻が好きであること、諦めずに続けられることでしょう。職業でなくて仏像を彫るのは、自分を見つめることにつながるし、どんなに拙いものでも心安らげるものが出来上がるはずです。それもまたひとつの喜びや満足感を生み出してくれますよ。

    ―ありがとうございます。

    こちらこそ、ありがとうございました。

    工房の様子

    今回、インタビューに応じて頂いた伊久さんの話を聞く限り、仏像とは縁遠い我々からすれば、その内容は、本当に"気の長い作業の連続"で、それこそ「好きでなければつとまったものじゃない仕事」というのが、素朴な印象だ。しかも、技術的な意味で上達したからと言って、必ずしもそれがすぐさま生業になるかと言えばそうではなく、そうした面でも、伊久さんの言うところの、"釣り針を付けないで糸を垂らし釣り続ける太公望のような心境"が必要なようだ。世間では「好きを仕事にする」といった言葉が用いられることもしばしばではあるものの、やはりその「好き」と「仕事」との間には、「を」という一文字以上の重みと、それを繋げるための計り知れない努力が求められているのかもしれない。

    取材/聞き手・鈴木将義

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