昭和の時代から、お茶の間を温かい笑いで包み込んでくれた村上ショージが、ついに芸歴40年を迎えた。節目となった40周年記念ライブ『売れるまでの下準備スイッチオン ~押してなかったんや...「うん。」~』が満員御礼のうちに終幕した翌日、AOLではインタビューを敢行。当の本人は、「終わったことに浸る暇はないんですよ」と朗らかに笑みを浮かべ、もう前を向いていた。すべり芸という礎を築いた村上が歩んできた道程とは、どのようなものだったのか。優しく身に染みる言葉の数々を、ノーカットでお届けしたいと思う。
――40周年記念ライブ、お疲れさまでした。いかがでしたか?
楽しかったですけど、なんせ疲れましたね(笑)。昨日は中川家から千鳥から雨上がり(決死隊)から、大阪公演では銀シャリとか(間)寛平さんなどにも出ていただいて、本当に皆さんのおかげでこうやって無事終わることができました。
――終わっても、翌日すぐ『ルミネtheよしもと』の出番なんですね。
だから、1日ってなんやろなとか思います。自分の節目のイベントをやったところで、人間って過ぎてしまうものって、そんなに感動するもんでもないなって。40年のイベントより、今日の舞台のほうが、それはそれで大事かなと思っていて。
――すごく現役感あふれる言葉ですね。日々は続いていくというか。
そうなんですよね。僕はいつもマネージャーにも言うんですけど、仕事でも生きることでも今日という1日を一番大事に、って。また明日が来たり明後日が来たり、1週間、1カ月、1年、10年とか、そういうふうな歳月の積み重ねやと思うから。「俺はこうなろう」とか、そういうことも大事やと思うんですけど、僕の生き方はやっぱり先々のことまでではなく、今日1日を一番大事にすることなんです。
――となると、40年という歳月も、気付いたら40年という感覚のほうが近いんでしょうか?
ほんまに振り返ってみると、10代の自分が背中合わせにいてるように思うんですけど、振り向いたらもう60歳の自分がいてて。その間ってそんなに、いろんなことがほんまはあったんでしょうけど、過ぎてしまえば大したことでもなかったのかなって、常に思ってしまうんですね。
――人生をグラフにすると、緩やかにずっと上り調子という感じですか?
いや、あのね、グラフにできないです。自分の中でピークとか、上がったり、下がったりみたいなんは、あまり感じ取れないというか。そのとき、そのときで一生懸命生きていたんだろうなとか思うんですけどね。ほんまに大きなこともあったんですけど...。何か僕は芸人の生き方をしたいなとか。そういう部分を大事にしてきたんで。
――芸人の生き方。言葉にすると、どういうことになりますか?
自由に振る舞うというか、自分が「こうや!」と思うと、押し通すこともします。でも、やっぱり今の社会の中では、全てが全てそういうふうなことが難しかったりもしますね。時代の流れもありますしね。自分が納得できない部分を飲み込まなきゃいけないこともたくさんありますし、妥協もせなあかんやろうし。でもそういう中で、できる限り自分の思想というか、生き方はあまり変えたくないなとか思いながら、いつも板の上に立ったり、仕事に行っています。
――私なんかは小さいときから『オレたちひょうきん族』を見てきて、村上さんはずっとメディアに出続けている印象が強いのですが、今お話があった時代の変遷の中で、メディアに対して思うことはありますか?
メディアが変わったというよりも、携帯電話が出て変わりましたね。スマホとかね。ネット動画があったりして、一般の人が発信できるし、何でもいろんなものが見られるじゃないですか。やっぱり僕らは小さいとき、「さあ、帰ってテレビ見よ」とかやったけど、そういう時代じゃないんですよね。テレビって、本当にゆくゆくはどうなるんやろって思うんですけど。 本当に、これ(スマホ)は楽で、ひとつのネタをつくるときでも、いろいろなことを調べられますからありがたいですけど、みんなが知ってしまう部分じゃないですか。それが、どうかなあと。四苦八苦しながら資料室に行って調べたりしていたけど、みんながすぐ調べられたら、「ああ、知ってるわ」ってなってまう。これもこれで、またやりにくいんですよね。
――見た気や知った気になってしまいますので。
そう。やっぱりボヤッと見せる部分というのが大事やと思うんですよね。うん。それをみんながボヤッとじゃなしに鮮明に調べてるし。ほんま便利やけど、僕の中ではあまり便利ではないと言うか。うーん。
――芸のことで言えば、村上さんはピンでやっていらっしゃいますが、ピンにされた理由はありますか?
僕はね、コンビは絶対無理やと思います。
――即答でした。
相手をスベらすようなことはできませんからね。自分ひとりでスベるのは全然。もうスベり慣れてるし、いろんな空気の中で耐えられる自分自身も培ってきてますし、泣きもしない、悩みもしないみたいな免疫ができているんで(笑)。
――(笑)。コンビではないですが、やはり明石家さんまさんとの掛け合いは、見ている側としては絶対的に面白いと期待してしまいます。
そうですね。さんまさんは本当に世話になっていましてね。吉本に入る前から、さんまさんと(島田)紳助さんは別格でした。むっちゃ面白いし。このお2人には絶対勝たれへんやろうなと思ったんで、同じようなことをやったって絶対無理やと。思い浮かばないやろうし。それならば、自分自身ができるものや、自分自身に合ったものを見つけ出す部分が一番大事やったんかなとか思います。
――そんな村上さんの姿に憧れて、芸人になった方も多くいるのではないでしょうか。
いや、憧れと言うか、逆で。僕の道は、あまり人が通る道じゃないですからね(笑)。例えば、漫才でも中川家とかはきちっとどこへ行っても鉄板でウケるんです。ああいう漫才なんかいいなあと思いながら、自分は絶対できないです。
――できないというか、その道は選んでいないということですよね?
はい。
――ご自身の道の開拓というのは、どういうふうにしてきたんですか?
やっていたら意外とできていた。本当に雑木林をずっと歩いていたら、だんだん道ができてきた、みたいな部分もありますよ。最初から道はつくっていないですから。獣道みたいなところをずっと通っとったら、ほんまに道ができるようなもので。それをずっと歩いていけるみたいな部分やと思います。
――これから先に歩く道も、まだ道ができていないわけですよね?
はい。本当にいろいろなところを歩いてみたいなあ、とか思いながら。まだできていない道をがさつに歩いてみたりとか、なんか道をつくっていきたいなあとか、そっちのほうが自分には合っているかな、とか。だから「お前いつまでそんなことやっとんねん!」と言われることを、ずっとやり続けたいなと思います。
――そして、新たなチャレンジがCDデビューかと思います。
ビートたけし師匠の名曲『浅草キッド』を歌わせてもらいました。僕はお酒を飲みに行っちゃあ、周りから「師匠、『浅草キッド』歌ってください」、「ほんならママ、入れて」とか言いながら、ほろ酔い気分になるとよく歌っていたんです。もともとは『浅草キッド』を超えるような歌をつくったろ思て、新幹線とかで時間があるときに歌詞を書いていたんです。でもね、『浅草キッド』に勝る曲と詞はないんですよね。
――それでカバーすることになったんですか?
はい。たけし師匠に、ご挨拶に行かせていただきまして。「どうしても歌いたいので師匠、歌わしていただいてよろしいですか?」と。ほんなら、たけし師匠も、「いいよ、いいよ、お前。勝手に歌えよ」みたいなね。すごくシャイな方なので。それで歌わしていただきます、と。
――意外にと言うのは失礼ですが、ものすごく美声で驚きました。
いやあ、でも60を超えると声が出なくなってきて...。(レコーディングで)歌うとき、本当にちょっと喉を開かさなあかんから、マネージャーに「ちょっとウィスキー買うて来て」言うたんです。僕はお酒を飲んでたら喉が開くし、よく声が出るんですよね。それで「買うて来ました!」言うから見たら、コンビニの安っい小っさい210円ぐらいのウィスキー。
――(笑)。
「何やねん、お前。もうちょっと高いウィスキーあるやろ!」って。14年とか、せめて12年とか。値段のシールも取っときゃええねんけど、210円てついとる。「何やねんこれ!ヤクルト飲んどんちゃうぞ!」言うて(笑)。
――210円の、どうしたんですか?
一応飲みましたけど(笑)。でも「高いウィスキー飲んでガッといったら気持ちが違うねん。もうええわ、自分で買うて来るわ」って、次は自分で買いに行きました。
――それで、このいい声なんですね。ちなみに、弾き語りのギターは、ずっと趣味でやられていたんですか?
いえいえ。生演奏でやりたい思て、ギターも9月から始めました。ネットで都内のギター教室を探して...そういうときネットは便利ですよね(笑)。まずは無料体験コースというのがあったので、それを...。
――えっ。無料体験コースに行かれたんですか?
はい。そこの人も、びっくりしてました。「この人、無料体験に来るんや」っていう(笑)。
――村上ショージが来たら、誰だって驚きます(笑)。
「このおっさん、無料体験来とるわ!」思われた。無料体験を1時間やって、「どうしはりますか?」言うから、「いや、やめます」って言われへんでしょ(笑)。それで、僕も「いや、やりますよ。それよりも先生、1回おいくらですか?」言うて。「このおっさん、どれだけ石橋叩くねん」思われながら(笑)。
――いやあ、本気度が伝わるエピソードだと思います。
ほんまにちょっとギターうまくなったろ思てますし、また新たに歌つくりたいな、思てるんです。
――期待しております。いろいろお話いただいてありがとうございました。最後に、AOLの読者は日々の生活でスポットが当たりづらいサラリーマンが多いのですが、人生の先輩である村上さんから、彼らにメッセージをいただけませんか?
いや、でも僕らの世界も一緒なんですよ。そんなにスポット当たってる人間って、ごくわずかで。僕いつも言うんですけど、頑張ることの必要性っていうのは、どんな仕事でも欠かせない。でも、頑張ったから言うて何かを得ようと思たって無理やで、と。「頑張ったからこれください」っていうのは間違いやで、と。でも、やっぱり頑張ってない奴より頑張っている奴のほうが道は拓けるし、チャンスはくる。人って頑張ることしかないんですよ。「頑張ったところでこんなんやわ」ってなっても、後々、「ああ、あのとき頑張ったから今があるんやな」とか、いろんなことが感じ取れるようになってくるんですよね。人って人を見ているわけやから、自分が言わなくても周りが感じることもあるし、わかってくるってこともあるから。やっぱり頑張り続けてほしいなと思います。(取材・文・写真:赤山恭子)
『浅草キッド』は好評発売中。
自身の芸人人生と重ね合わせて、事あるごとに歌い続けてきたというビートたけしの名曲をカヴァー。
カップリングには、自身が作詞に参加して作り上げた書き下ろし曲を収録。
さらに、自身初の作詞・作曲のデモトラックを収録した...《天才》村上ショージの魂が詰まった作品。
http://www.randc.jp/artist/murakamishoji/discography_detail/3461