例えばプリンスが他人のために曲を書こうと申し出てくれたとしたら、少し警戒した方が良いかもしれない。その曲が良ければ良い程、結局作った本人は自分の持ち曲にしてしまおうとするからだ。
他アーティストのために書かれたのに、諸事情あって結局作者の持ち歌になってしまったという例は実は多い。そしてそれがヒットを記録すると、歌わなかったアーティストは悔しい思いをするのだ。運命のいたずらに左右された名曲20曲をここで紹介したい。
まずは前編、珠玉の10曲をどうぞ。
「Long and Winding Road」
ビートルズ
人気の絶頂だったトム・ジョーンズがポールに曲を書いてくれないかと頼んだのだが、マネージメント事情により先に別の曲をシングルとしてリリースすることが決まっていたため、結局ビートルズ最後のシングルとして発表されてしまった。ジョーンズはその後何年も後悔したという。
「Telephone」
レディ・ガガ
希代のポップスターとしてセンセーションを巻き起こす前の彼女はSony/ATV専属のソングライターだった。このナンバーはブリトニー・スピアーズのために書いたものだったが、ブリトニーがこれを拒否。密かに喜んだガガはしめしめとばかりに自分でレコーディングし、ゲストボーカルでブリトニーを呼ぼうとしたのだが、結局ビヨンセと言う究極マッチが実現してしまった。
「Born In The U.S.A.」
ブルース・スプリングスティーン
1981年、ポール・シュレーダー監督に曲を依頼されたスプリングスティーンは、それまで取り掛かっていた「Vietnam」という曲に手を加えてこの有名なナンバーに完成させた。ところが自分でえらく気に入ってしまったため、結局は自分の持ち曲にすることに。その代わりに「Light Of Day」と言うナンバーを(ジョーン・ジェットとマイケルJフォックスの演奏シーンに)提供すると、このタイトルが急遽映画のタイトルになってしまったのである。
「Superstition」
スティーヴィー・ワンダー
「迷信」の邦題で有名なこのナンバー、もしかしたら多くはジェフ・ベックの名演で知ったのでは? しかしこの曲はそもそも、ワンダーのレコーディングに参加したベックが休憩時間にドラムを叩き始め、そのビートを気に入ったワンダーが曲を書き上げたと言う代物で、ワンダーは当初ベックに提供するつもりだったのだ。しかしモータウンがワンダーのシングルとしてリリースすることを頑に主張したため結局自分のものとしてリリースし、ナンバー1を獲得してしまった。
「Powderfinger」
ニール・ヤング
ニール・ヤングがレイナード・スキナードにあげようとしたナンバー。両者の間に確執があったという者もいるが、実際には仲良しだったようだ。レイナードのボーカル、ロニー・ヴァンザントはかつて「俺たちはニールと彼の音楽が大好きなんだ」とインタビューで語っている。しかし1977年、有名な飛行機事故でヴァンザントと他に2名のメンバーが命を落とし、直前でレコーディングは実現しなかった。
「Put Your Hands Up」
ネリーナ・パロット
カイリー・ミノーグが発売した2010年のアルバム『Aphrodite』に収録予定だったのだが、カイリーはもう1曲の似たタイトルのナンバー、ネルヴォのペンによる「Put Your Hands Up(If You Feel Love)」も収録したがっていた。結局後者が選ばれ、パロットのアルバムからの第一弾シングルとして前者は日の目を観たのである。
「Cover Me」
ブルース・スプリングスティーン
ディスコ・クイーン、ドナ・サマーのために書かれた曲。当時彼女の歌を気に入っていたスプリングスティーンは、後に「当時の人種差別的なアンチ・ディスコな風潮が大嫌いだった」と語り、このナンバーのデモを作ったときはあまりにも出来が良かったのでしばらく置いておいて、「もう一曲『Protection』と言う曲をドナとクインシー・ジョーンズとレコーディングしたんだ」と説明。結局「Protection」は「Cover Me」ほどのセールスはマークしなかったが、グラミーの最優秀女性ロックボーカル賞をドナにもたらしたのである。
「Dim The Lights」
ドナ・サマー
ロッド・スチュワートがディスコ・ブームの波に乗ってイケイケだった頃、ドナ・サマーがロッドのために書いたナンバーであった。しかしドナが歌うことによって彼女は再びトップ10に返り咲くことができたのである。一方ロッドはロックボーカリストとしての評価を取り戻すために当時あがいていたと言う。
「Kiss」
プリンス
プリンスが自分のレーベル<ペイズリー・パーク>と契約させたバンド、Mazaratiにブルージーなデモを渡すと、彼らはその「Kiss」と題された曲をファンクチューンに仕上げてしまった。それを聴いたプリンスは曲を返すように命じ、ファルセット・ボーカルとギターを重ね、自らの作品とリリース。結果、グラミー賞を受賞してしまう。Mazaratiはバックボーカルとして作品にクレジットされるも、その翌年ラストアルバムを残しシーンを去ってしまう。
「The Wind Blows」
オール・アメリカン・リジェクツ
このポップな曲は元々グェン・ステファニー向けに書かれたのだが、拒絶されてしまった。「たぶんコーラスが彼女が好きになるには弱すぎたのかなって思うよ」とはギタリストのニックの弁。「それで僕らはこれを自分たちの曲にすることにして、リッターがコーラス部分を書き直したんだ。僕はそのことをものすごく誇りに思ってるよ。本当に奇麗な曲なんだ。」
Permalink
| Email this | Comments