売れない役者はたいてい腹をすかせている。別に何かの比喩などではなく、単純に腹が減っているのだった。ここ三日ほど具のないパスタぐらいしか食べていない。腹の虫は恨めしそうにぼくに鳴くが、泣きたいのはぼくも一緒だ。もう夜も深い。酒でもかっくらい、酔っぱらって寝てしまおうと思い立ったそのとき、ふとテレビの画面が目に入った。
それは焼酎のコマーシャルだった。一人の美女が、カメラ目線で「間接キッスしてみ?」と囁いている。女優だな、と思った。単純にうまい。目線の動かし方、笑いをこらえる芝居、観てるこっちがドキッとしてしまう名演技だ。
さとみ。彼女とぼく、相沢直は、幼稚園からの腐れ縁だ。お遊戯会のお芝居で「共演」したこともある。何だかんだあって、お互い役者の道を志すことになったのだが、だいぶ差がついてしまったのは否めない。昔はこの、6畳のワンルームで、将来の夢を語り合ったこともあったなあなんて、思い出すとまた泣きたくなる。今夜は涙酒か。キッチンに並んだ焼酎の瓶を手に取ろうとしたそのとき、玄関のチャイムが鳴った。
こんな時間に? 恐る恐る、ドアスコープから外をのぞいてみる。
そこには一人の女優が立っていた。右手には焼酎の瓶を持ち、左手にはコンビニの袋を下げている。ついさっき「間接キッスしてみ?」と、ぼくに囁きかけていた彼女がそこにいた。
(※注)
本記事は個人の妄想を勝手に書き連ねたものであり、以下の写真は本文の内容とは一切関係ありません。
一杯目は久しぶりの再会に乾杯し、二杯目は何はともあれお互いが元気でいることに乾杯し、三杯目からは何に乾杯したかも覚えていない。さとみもぼくも、もう既にだいぶ出来上がっていた。さとみは自分が買ってきたコンビニのおでんを、おいしそうに食べている。こういうところは、昔とまるで変わらないのだった。
さとみがアツアツのじゃがいもを口に入れて、ぼくは何の気なしに尋ねる。
「にしても、さとみ、今日何しに来たの?」
「へ? はほへ。ふはひほ、ほうへん」
「いや、全然何言ってるか分かんない」
さとみは口を開けて、パタパタと手のひらでじゃがいもを冷まして、
「舞台の、応援。こんど直、舞台やるんでしょ? ブログで読んだよ」
「え? ああ、そらどうも、ありがとう......」
確かに、来月ぼくは舞台を控えていた。売れない役者にも、立つ板はあるのだ、たまには。だけどそんなことを、さとみが知っているとは思わず、ちょっと虚を突かれた。
「おっ。台本発見」
目ざとく舞台の台本を見つけたさとみは、ページを開き、パラパラと読み始める。
「おい。ちょっと、勝手に......」
と、言いかけて、口をつぐんだ。さっきまで酔っぱらって笑っていたさとみが、急に真面目な、プロの女優の顔になっていたから。彼女が台本を読み進める横顔を見つめながら、ぼくは黙って、杯を傾けていた。
最後のページまで読み終わったさとみは、台本を閉じて、ぼくに言う。
「ラブシーンなんてあるんだ。直のくせに、ナマイキぃ」
「はあ? 何だよその言い草。俺だって、ラブシーンぐらい出来るよ」
「そうかなあ? 直、恋愛経験乏しいからなぁ。リアルなお芝居できますかねえ?」
ちょっと、いらっときた。彼女の女優としての才能を認めてるからこその嫉妬もあって。思わずぼくはさとみに反論していた。
「そんなん、恋愛経験なくたって、恋愛のお芝居は出来るだろうが」
「どうかなあ? 好きな人がいないと、愛の告白のお芝居なんて出来ないと思うけど」
「じゃあ、さとみの、あのCMはどうなんだよ。『間接キッスしてみ?』って言ってるとき、好きな誰かのこと思い浮かべたりしてるわけ?」
一瞬、間があった。何だこの空気。突然の緊張感。さとみがすねたように口を開く。
「別に、良いじゃん。好きな人のこと、思い浮かべたって」
「......いや、まあ、そらもちろん、悪いことはないけども......」
再び、二人はしばらく無言で見つめ合う。沈黙を破ったのは、今度もまた、さとみのほうだった。
「......直のこと、思い浮かべてた」
ぼくは何も言えない。昔から、アドリブに弱いのだ。役者として売れない原因の一つだと自覚もしている。そしてさとみは、言葉を続けた。
「......間接キスじゃなくて、ホントのキスする?」
さとみの表情は、恥ずかし気で、でも真剣そのもので、だけどぼくは、幼稚園からの幼なじみの彼女からそんな急な告白を受けて、何も言えず、何も動けず、そんな気まずい沈黙を破ったのは、さとみの笑い声だった。
「プッ! クククッ! ちょっと直、なに本気にしてんのぉ? お芝居、お芝居!」
「......はぁ?」
「これぐらい、真に迫った演技が出来ないとね! ちょっと、ドキドキしちゃったでしょ?」
さすがは、大女優さんだ。怒る気にもなれなかった。照れくささをごまかすように、ぼくも笑う。
「バーカ。俺も芝居だって分かってたわ! ったくよぉ。......ちょっと、トイレ行ってくる」
トイレに立ち、顔を洗う。何度も、何度も。ちょっとだけでも期待してしまった自分を、冷たい水で洗い流す。これは失恋じゃない。これはただの、お芝居だ。
居間に戻ると、さとみは眠っていた。勝手なやつ。風邪をひかれても困るから、寝室から持ってきた布団をそっとかける。
「......さとみ。電気消すぞ」
返事はない。可愛らしい寝息を立てている。電気を消そうとしたそのとき、寝ぼけたような声が聞こえた。
「直......ホントに好きだよ......」
またかよ。さすがにしつこい。
「おいさとみ、いい加減に......」
向こうに顔をやっているさとみは、まだ寝息を立てている。マジか。これはもしかして、寝言でうっかり本音を言っちゃうっていう、あのベタなパターンのやつ? そんなまさか。
「おい、さとみ」
返事はない。寝息が聞こえる。そっと近づき、顔をのぞいてみる。目はつぶっている。口も閉じている。不自然すぎるほど、ギュッと、強く。恥ずかしそうな表情で、それでも彼女は、必死に眠ったふりを続けようとしていた。
「さとみ......お前、眠る芝居、下手だな」
さとみは、諦めたように目を開ける。潤んだ瞳でぼくを見つめ、悔しそうに言う。
「......こんなに好きな人が相手で......お芝居なんて出来るわけないじゃん......!」
さとみは再び目を閉じる。キスする?なんて台詞もなくて。ぼくも何も言わなくて。二人が思ってることは一緒だったから、そこに言葉は必要なかった。
グラスに入った氷が溶けて、カランと音を立てた。お芝居じゃない、さとみとぼくの本当のストーリーが、クランクインしたことを告げるかのように。
(相沢直)
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