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「nuts」「小悪魔ageha」を出版していたインフォレストの突然の倒産で騒然としているギャル雑誌業界。そこに、第二の余波が。元祖ギャル雑誌として有名な「egg」エッグが休刊するらしい。


この話題は、eggの読者モデルのツイッターや元メンズeggモデルの植竹拓氏(http://ameblo.jp/peace-on-mars/entry-11828515749.html)のブログで語られている。氏のブログによると、

「知っている人も多いと思うけど、ギャル雑誌の金字塔[ egg ]が5月31日をもって休刊する。」

とのことである。

ガングロなどギャル文化を牽引したeggの休刊。ギャル文化はどうなるのであろうか?
ということで、お馴染みの渋谷若者文化に詳しい元メンズナックル編集長の篠塚さんに真相を聞いてみた。

いつもは明快な答えを頂ける篠塚氏も今回の話題は言葉が重かった。

―egg休刊というのは本当なのですか?

という噂があるのは知っています。ただ、出版社に直接聞いた話ではないので僕が知っているのはあくまで噂という話です。

―昨今、ギャル雑誌の休刊が相次いでいますが、そこはどう考えていますか?そもそもギャルとはいったいなんなんでしょうか?

この質問に篠塚氏から、ギャルの歴史から今後という丁寧なお答えを頂いた。

■渋谷からギャルが消えた
若者文化の発信地、渋谷には、以前ほどの分かりやすいギャルとギャル男がいなくなった。昔はファッションを一目みたらこの子が何の雑誌を読んでいるかが一目瞭然だった。それくらい個性的で目立っていたし、そういう若者を"面"として認識することができた。しかし、今の渋谷はみんながバラバラで何を参考にしているかも分かりにくい状態になっている。よく見れば、こんな雑誌を参考にしているのだろーってのはわかるけれども、それは"面"ではなく"点"として認識できるくらいのレベルになってしまった。
それには色々な理由があるとは思うのだけども、今の渋谷には昔ほどの個性は無くなり流行の発信地としての力が弱くなっている気がする。

2006年くらいの渋谷はギャルとギャル男たちのパワーに溢れていた。センター街(現バスケットボールストリート)には至る所に金髪の若者が座り込み、ダべっていた。週末ともなればギャルサーが集団でパラパラの練習をしていたり、まさに渋谷はギャル文化の発信地だった。良い悪いは別にして、カルチャーとしての「ギャル」というものを皆が認識していた。

■ギャルとは何なのか?
広義でのギャル呼称はwikiに任せるとして(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AB)、ギャルのイメージは人それぞれだが、ギャルというカルチャーをイメージ付けたのは俗に言うコギャルと言われていた存在ではないだろうか。ガングロと言われるくらい肌を焼き、派手な色遣いのファッションに独特のギャル語を駆使した少女たち。雑誌ならばegg以外に考えられない。

コギャルの発生は1990年代中期だと言われ、eggの創刊は1995年。そしてキーワードになるのが「援助交際」という言葉だ。
1996年に『援助交際 - 女子中高生の危険な放課後』(黒沼克史)という書籍がヒットしていることで、世間の認識としてギャル=援助交際とういう図式がなんとなく出来上がっていった。売春という言葉を言い換えた援助交際をある種のファッションとしてやるコギャルたちは、まさしくアウトローで不良以外のなにものでもない。ここに旧来の不良のイメージである暴走族(レディース)から、新たな不良のイメージとしてギャルというものが台頭してきたのだ。
そして援助交際というワードを見せるか見せないかのギリギリのさじ加減でギャルのライフスタイルをフィーチャーした「egg」が爆発的に売れることになる。


■若者文化の先駆けはいつも不良だった
いつの時代もアウトロー不良に憧れるという考えが日本人の中にはあった。戦後、映画業界を牽引したのは任侠映画とも言われている。高倉健、石原裕次郎、矢沢栄吉、尾崎豊などなど若い世代のカリスマは常にアウトロー不良というキーワードを持っていた。怖いもの見たさと、自分ができないことをしている人間にうっすらとでも憧れる気持ちは誰しも持っている。

そしてコギャルこそが新しい不良イメージとして存在しだし、それが雑誌という目に見える形になって全国の若者に認識されていった。
現在、読モと呼ばれるギャルのカリスマを生み出しているギャル雑誌の主流はポップティーンだ。今でこそ、オシャレな女子のファッションスタイルの提案をしているが、創刊時は全く異なった雑誌だった。1980年に創刊され富士見書房 飛鳥新社 角川春樹事務所と出版社を変えながら存続している。ティーン誌という若い世代が欲しがる情報の発信をしてきたポップティーンも、昔はチャンプロードも真っ青なヤンキー不良、そしてエロ要素が満載の雑誌だったという歴史を持つ。

一昔前の不良は暴走族をイメージしてもらえればいい、この文化を根底にギャルたちは暴走族という集団をサークルへと名前を変え、特攻服が109のギャル服(特攻服を着る女子は今まで少数だったが、カワイイをキーワードとしてアルバローザなどが仕掛けたファッションでギャルたちを面で可視化していき、自分がギャルであるという帰属意識を植え付けた)となった。

すなわち、以前のギャルという言葉は渋谷にいる今風の女の子といった意味合いだったが、1990年代に流行った援助交際という不良文化を吸収して今、我々が想像するギャルというイメージが出来上がった。そして不良というスパイスを得たギャル文化は大きく花開くことになった。eggを筆頭するティーン誌はこぞってギャルの生態をあぶり出し、世に出していき、渋谷発の新たな文化として全国へギャルという存在が認識されたのである。

■ギャルカルチャーの発信
カルチャーを発信する側の人間はいつもストリートにいた。雑誌はそれを追っかけていればよかった時代がある。常にストリートの方が前を走り、雑誌はそれを追随していた。ファッション、ヘアスタイル、恋愛観、ライフスタイル。彼女達は何かを生み出そうとしていた訳ではなく、ナチュラルに楽しい事を追求していた。それがカルチャーとなった。
しかし、いつしかその関係性は逆になってきた。
雑誌が前に来たことで文化は消費材へと変化した。雑誌が前にきたことで、楽しい事から儲かる事へとシフトしていった。
創刊当時のエッグは人物の特集が主であった。この面白い生き方をしている女の子は、こんなことを考えて、こんなアイテムを持っている。
しかし雑誌が前にたったころから、このブランドの服をこの女の子はこんな風に着こなしている。というように、広告的な見せ方が多くなってきた。つまり雑誌は、雑誌に合う人間を選別するようになってきた。女の子よりも雑誌が上位に立ったことで、アウトローだった人間は消費社会の一環に組み込まれたのである。即ちこれが読者モデル。読モの誕生である。雑誌の看板を背負った読モたちは自ら楽しい事を探すというパワーはなく、雑誌の顔色を伺いながら雑誌の枠からはみ出る事はなく皆、均一的な人間になっていった。新たなカルチャーが生まれ辛くなったっと言える。

■ネットの普及と雑誌の関係
ネットが流行った事によって雑誌の売り上げが落ちた。と言う出版関係者は多い。一概にそれは否定できない。今までは月に一回、雑誌でしか彼女達の情報を知る事が出来なかったが、それがブログ、SNSの普及により毎日、憧れている女の子の情報が手に入る。そしてネットでは彼女達と直接コミュニケーションを取る事も可能になった。
即ち、雑誌を読まなくても情報が手に入るから雑誌が売れなくなったと言うのが要因の一つに上げられる。
ただ、もっとも大きな要因は彼女達がブログで発信していることと、同じことを雑誌がやっていたことではないだろうか。ブログでは手に入らない情報という付加価値を雑誌が持てなかったことが大きな要因な気がする。


■ギャルはいなくなるのか?
日本の文化に根付いたギャルという言葉。Shibuya 109で買い物をする人々は第三者からみれば全てギャルとも言える。それくらいギャルという言葉は広く知れ渡っている。
雑誌がなくなるという事は雑誌に縛られないということ。面白い事が出来る可能性がまた、無限に広まったということでもある。そして、彼女達は自ら発信するすべを持っている。ブログ、SNS然りツイキャスなど、彼女達が面白いと感じたものが、雑誌を通さずとも発信が出来るのである。ここに、今までの雑誌主導ではなく、egg創刊当時のようなパワーに満ちあふれた新たなギャル文化が生まれる土壌があるといえる。

ありがとうございました!

雑誌はなくなることがあってもギャル文化は永遠に不滅とのこと!あらたなギャルの活躍に目が離せない!

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