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1986年のプロ野球・オールスターゲーム第二戦。9回表・セントラルの攻撃で、代打として送られたのは、阪神タイガースの名物男・川藤幸三(37)。彼は近鉄の左腕・小野和義が投じた一球を振りぬき、左中間を破る鋭いライナーを放つ。自らの鈍足を気にして一塁で止まろうとする川藤に対して、一塁コー チャーとして入っていた巨人の王貞治監督(当時)は、満面の笑みで大きく腕をまわして二塁へと向かうように指示。川藤は腹の出た身体をゆさぶりながら、懸命に二塁へと滑り込んでいった...。




今では「阪神好きのおもろいオッサン」という、タレント的なイメージが定着した感のある川藤幸三が、福井県立若狭高校からドラフトを経て阪神タイガースに入団したのは、1967年のこと。強肩俊足の外野手として、主に守備固めや代走として起用されるも、アキレス腱の断裂という致命傷を負ったことから、代打稼業へと転向。しかし、阪神の名物男となってからも、その現役生活は、絶えず解雇と隣り合わせの苦しいものであった。

1985年、プロ入り18年目にして、初のリーグ優勝を経験した川藤であったが、球団は右の代打枠として、かつて日本ハムで四番をつとめていた柏原純一を新たに獲得するなど、再び解雇の危機に直面する。しかし、「どんなに成績が良くても引退する」と挑んだ翌1986年はオープン戦から好成績を残し、シーズンに入ってからも、オールスター直前まで22打数9安打4本塁打、打率4割9厘という驚異的な成績を記録。結果、監督推薦により、オールスターゲームの出場となった。

晴れの打席で鋭い打球を放ち、大観衆が見守る中、二塁へと滑り込んだ川藤は、二塁前で悠々タッチアウト。「さすがにお手上げだ」と言わんばかりの表情で、苦笑いをしてみせた川藤の姿に、スタンドからはもとより、両軍のベンチからも巻き起こる拍手と歓声。その場にいた誰もが、川藤が歩んできた苦しい道のりと、その末に掴んだ晴れ舞台の意味をよく理解していた。

公言していた通り、この年でユニフォームを脱いだ"球界の春団治"こと川藤幸三。最後までその姿は、多くのファンを魅了し続けた、記憶に残る"漢"の姿であったと言えるだろう。

文・吉竹明信

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