2016年2月27日(土)よりテアトル新宿、桜坂劇場他、全国公開される映画『シェル・コレクター』。原作は、ピューリッツァー賞受賞作家のアンソニー・ドーアによる同名短編小説。リリー・フランキー演じる盲目の貝類学者が沖縄の離島で家族(息子役は池松壮亮)と離れて暮らす中、謎の女、いづみ(寺島しのぶ)が島に漂流。彼女が苦しんでいた奇病を偶然、ある貝の毒で治癒したことで彼の状況は一変。静かな暮らしを好む盲目の貝類学者は脚光を浴びることに。そして、地元の有力者の娘(橋本愛)を筆頭に治療を求める患者が次々と島へ...。自然の不可思議さ、自然と対峙した人間の無力さ、生きる上でのエゴが、独特のトーンで描かれている異色の作品。近年の日本映画には珍しく監督のカラーが濃く打ち出されている。
今回ハードワーカーズでは、同小説にほれ込み映画化まで持ち込んだ、監督の坪田義史氏に注目。兎にも角にも、映画完成に至るまでの彼のバイタリティがスゴい。権利および制作費の獲得、売れっ子俳優陣のブッキング、沖縄の離島での撮影などなど、その途方もない道のりたるや...。坪田監督の映画作りにかける猛烈な行動力、熱量に迫ってみた。
映画制作は、猛烈な情熱と行動力がないと始まらない
― 映画作るのってめちゃくちゃ大変そうじゃないですか。そもそも映画を撮ろうと思ったきっかけって何ですか?
前作の『美代子阿佐ヶ谷気分』(※)もそうですが、僕は映画を作る際、誰かが考えた企画に乗っかるわけでもなく、「監督やってくれ」というオファーを承諾するわけでもなく...。自分から湧き出る衝動に駆られて...ということでしょうか。
(※町田マリー主演の同作は国内で数々の映画賞を獲得。また、2010年のロッテルダム映画祭で招待作品として上映されるなど、海外での評価も高い)
― 『美代子阿佐ヶ谷気分』はどのような経緯で映画化されたんですか。
僕はもともとガロ(1964年に創刊されたカルト的漫画雑誌)の影響が強いんです。中でも安部愼一さんの『美代子阿佐ヶ谷気分』(1971年発表)には引き込まれましたね。で、とにかく、これを何としてでも映画にせねばという一心で、企画書を練って、プロデューサーを介して版権元に持っていったんです。何せ40年近く前のアングラ作品なので、さぞかしビックリされたでしょうね。懸命にプレゼンし、僕の学生時代の作品を見てもらったりしたところ、ありがたいことに面白がってくれまして...。そこからすべてが動き出しました。
『美代子阿佐ヶ谷気分』トレーラー
https://www.youtube.com/watch?v=TAZlkIMuZ1c
― 猛烈な情熱と実行力で突き進んだわけですね。
今回の『シェル・コレクター』に関してもそう。2012年にニューヨークを拠点にしていたときに着想を得たんです。当時は海外をメインに映像制作の仕事をする中、どうしたら日本の文化・芸術を面白く伝えられるかをずっと考えてました。そんな中、思いついたのは、海外の純文学を日本の文脈に合うようアレンジして、アプローチするという手法。そのアイディア自体、今までなかったなと閃き、今回実践してみたわけです。
― 原作『シェル・コレクター』を選んだ理由は?
アンソニー・ドーアの『シェル・コレクター』は渡米前から読んでて、気にはなってたんですね。で、震災(東日本大震災)の後、思うところがありもう一度読み直したら、印象がかなり変わったんですよ。「これって今の日本にとって、すごく重大かつシリアスなテーマになりうるんじゃないかな?」って。自然そのものへの畏怖とか、自然と人間が対峙する姿とか、人間の果てしないエゴとかが見事に表現されていたから。
― なるほど、3・11以降の日本と照らし合わせると共振するものがあったわけですね。そこからどのように駒を進めていったのですか。
たまたまNYで出会ったインディペンデントの映画プロデューサーが、ポール・オースター(アメリカの大御所作家。映画化された作品は多数)の原作を取得されたプロデューサーの黒岩久美さんだったんです。その方に「海外ではどうやって作品の映画化権利を取得するの?」といった相談をする中で、もう1人、アメリカのインディペンデント映画のプロデューサーのエリック・ニアリさんと巡り合いまして、そこから『シェル・コレクター』映画化の可能性についてミーティングしながら模索していきました。ほんと手探りの状態で。最終的な契約はクランクインの少し前でしたから、もうヒヤヒヤでしたね。
多国籍プロジェクトをうまく進めるコツは、「"違う"ことそのものを楽しむべし」
― 音楽を手掛けたビリー・マーティン氏(メデスキ、マーティン&ウッドのドラムとしても著名)も、坪田さんから直々に依頼したとか。
ビリー・マーティンの場合、ニューヨークでライヴを観にいきました。前衛的なアートパフォーマンスが得意な方で、いろいろなものを打楽器として使用したり、映像や朗読を入れたりと、とにかく自由度の高いパフォーマンスが印象的でしたね。今作の世界観に相応しいと思い音楽制作をオファーしました。あと、今回引き受けて頂いた背景には、彼が親日家だというのも大きかったかも。ニュージャージーにある彼の家に遊びに行ったことがあるのですが、そこには茶室までありましたからね。
― 今回、彼とはどのように作業を進めていったんですか?
まず前作の『美代子』を見せて、「こういうのが好きなんだよね」と僕のフィーリングを確かめてもらいつつ、ビリーさん所有の膨大なジャズのコレクションや、僕がアイディアレベルでストックしていた楽曲群の中から「ニュアンス的にはこれかな」って探していきながら、方向性をすり合わせていきました。
― 今作は日米合作映画ということから、外国の方とのコラボレートが日常的だったと思いますが、多国籍チームにおけるプロジェクトの進め方、コミュニケーション法のコツみたいなものってありますか?
確実に言えるのは「"違う"ことそのものを楽しむべし」って心意気ですね。人種の坩堝、NY的というか、異なっているからこそ、同じベクトルに揃ったときの推進力は非常にデカい。これは実際の制作の場で考えても同じことです。照明、カメラマン、音声...いろんなジャンルの名うての職人さんであり、それぞれ異なるバックボーンを持った人たちなので、それぞれ"違う"わけですよ。そういった人たちの技術を引き出しながら、自分の感性を伝え、目指すべき方向へと足並みを揃えていくという。何ごとにおいても違うのは当然なので、その方向性を整え、最終的に作品に落とし込み、良いものを生み出していくことが、監督の大きなミッションであり喜びではないかと思ってます。
プレッシャーに打ち勝つには、自ら積極的に感動していく姿勢こそ重要
― 沖縄県渡嘉敷村での撮影はどのように進められたんですか?
撮影は3週間ちょっとでしたが、渡嘉敷島にクルーが泊まり込んで撮影しました。主演のリリー・フランキーさんにはずっと滞在して頂きました。映画の内容のごとく、橋本愛さんや池松壮亮さん、寺島しのぶさんが、続々と島を渡り、撮影をして、そして島を出ていくわけです。
― スタッフ、出演者は同じ宿舎で寝泊まりしたと聞きましたが。
今回、みんな同じ宿に滞在してたので、撮影自体は非常にスムーズでしたね。全員、徒歩圏内にいるので意思疎通はバッチリ。普段の撮影だとそうはいきませんからね。例えば東京の場合だと、撮影が延びたらみんな家に帰って、スケジュール調整して改めて撮影するわけです。そのあたり合宿形式はコミュニケーションと段取りは円滑でしたね。
― 合宿によって一体感も醸成されますよね。
同じ釜の飯を食う、みたいなノリはもちろんありましたね。環境が環境だけにお酒も進んじゃいますし。僕は控えていましたけど(笑)。
― 今回の作品って、豪華キャストが集い、何十人ものスタッフを沖縄の離島で束ねて撮影されたわけですが、その重圧たるや相当なものかと思います。プレッシャーとはどのように向き合ってましたか?
プレッシャーは常にありましたね。監督って、まず、いろいろな人から顔色を見られます。演者やスタッフ含め、みなさん「この映画は大丈夫なのか」「いい画が撮れているのか、撮れていないのか」というのを、監督の表情や態度から読み取ってしまうんです。だからサングラスをする監督が多いんだと思います。やっぱり、監督が不安な顔をしてたら「うまくいってないのか?」ってなりますよね。どんな心境であれ大切なのは、とにかくネガティヴな要素を顔やしぐさに出さないこと。まずは自分自身が気持ちを高揚させ、積極的に"感動してこう"って思わないとダメなんですね。
あのリリー・フランキーを本当に海に沈めて撮影!
― 今回の撮影で、もっとも大変だったシーンといえば?
リリーさんが海底のイスに座っているシーンがあります。当初はブルーの背景で合成という案も上がったんですが、リリーさんからの「自然と人が対峙するという話ならば、合成よりは実際に海に入ったほうが説得力が得られるのでは?」というご意見に背中を押され「よし、やってみよう」と。生身の人間が水中に潜って撮影するので、当然ながら危険を伴います。しかも、あの人気者のリリーさんなので...。
― 監督として、堂々としていなければいけない状況の中、内心ビクビクですよね。
緊張しっぱなしでした。渡嘉敷島の沖合での撮影で、僕はボートの上でモニターを見ていればいいのですが、リリーさんには実際に1月の寒い沖縄の海に入ってもらったわけですから。身体に重りを付けた状態で海底に入り、酸素ボンベを外して、数十秒間演技してもらいました。そして「カット!」の声で浮かんできては、船上に用意していたお風呂で体を温めてもらい...その繰り返しですね。ほんと、つらい撮影だったと思います。また、絶対に事故がなように経験豊富なダイバーたちにサポートしてもらいました。彼らの力も大きかったですね。
― 水中で演技してもらうにあたって監督からの伝達はどのように?
僕の声が海底のスピーカーに出るようになっていたんですが、とにかく伝達事項は極力シンプルに。余計なことは一切言わないようにしました。おかげで素晴らしいシーンが撮れましたね。
― では最後に監督から、この『シェル・コレクター』をどんな風に観てもらいたいですか?
いくぶん抽象的な映画ではありますがが、肩ひじ張らずに楽しんでもらえると嬉しいです。今回、ヴィジュアル的にも聴覚的にも観る人を刺激する仕掛けをいっぱい用意しました。その中で何かが刺さって、観る人の感性を高揚させられたらいいですね。
― 近年の日本映画で、こういった手触りの作品は他に無いと思いました。
「あぁ感動した! 泣けたし笑えた!」ってタイプの作品では決してないので...。僕は『シェル・コレクター』を「感じ、観てほしい」と言い続けています。"感じ観る"という体験を提供できればうれしいですね。ブルース・リーのお言葉を借りるとしたら「Don't think! Feel.」ってことでしょうか。
『シェル・コレクター』トレーラー
https://www.youtube.com/watch?v=wPlq8BCWCt0
(C)2016 Shell Collector LLC(USA)、「シェル・コレクター」製作委員会
【関連リンク】
・『シェル・コレクター』 公式サイト
http://www.bitters.co.jp/shellcollector/