ハウトゥワープ全部俺の真実
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ハウトゥワープ全部俺の真実

2018-06-11 11:57



      アカペラが”music”であること。
      アカペラが”a cappella”であること。
      アカペラが”entertainment”であること。
      アカペラが”art”であること。

      すべてを認めたとき、アカペラはどのような姿になるのでしょうか。








    先日、とある不都合な真実に遭遇してしまいました。



       「録音されたアカペラが嫌だ」





    いや、その通りだと思う。

    生演奏の感動というのは、録音で出せるものではないし、「その場に居合わせる」というのは、魔法にかかったような高揚感を与えてくれるものだ。しかし…。


    個人の価値観に差があることを理解しつつも、
    「存在の否定」だったその言葉に動揺してしまった。
    ただただ不甲斐無さを感じ、悔しかった。
    そして、自分の存在を改めて問わざるを得なかった。





    私は、可能性を感じていた。


    以前、アカペラという演奏形態で音楽を楽しむ環境に身を置いていたが、
    ある時気が付いてしまった。

    声を出して演奏す津ことが好きなんじゃなく、
    演奏や鑑賞を通して、表現や感情を感じるのが
    たまらなく好きだったんだ。

    私は演奏者ではなかった。
    私は研究者であり、哲学者だったのだ。

    だから私は、アカペラができる環境を去り、
    ”fff-fortississimo”という環境を構築した。








    しかし、それを求めていない人がいることを知ることができた。

    まぎれもなく伝統的文化であることを見て見ぬふりをしていたのだ。
    そういう「白さ」があることを無視していたのだ。


    そして、その伝統はエンターテイメントとして新たな変遷をたどっている。
    発声、グルーヴ、ライブパフォーマンス、ボーカルディレクション、セルフプロデュース、タレント性…。
    様々な「黒さ」をアカペラが獲得していく中で、
    私は新たな概念を加えてやりたい。





    今こそ原点回帰をするべきだ。




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