• 感情を最優先すると、道理も合理性も正義も全て無視される

    2020-01-28 07:31
    さて、客観的に状況を見るに、私がヲチっている保育園の状況は

    特定の男性保育士をいじめて、団結力を高めていた女性職員たち
    (※女性職員たち本人はイジメと思っていない。悪いやつを懲らしめてると思っている)
     ↓
    一部の女性職員がいじめの現場の決定的な証拠を、男性保育士に握られてしまう(動画・音声録音)
     ↓
    男性保育士の一転攻勢
     ↓

    ・・・から、現状どうなっているかというと、男性保育士をとにかく悪者にしようと躍起になっているようだ。


    【言い分 その1】

    防犯カメラの映像が気に入らない。
    あのカメラは、盗難などを防ぐためにつけたものではないのか?
    なのになぜ、職員の言動が監視されているのか。プライベートの侵害ではないのか。

    <反証>
    カメラは事務室につけられていた。
    設置の最初の目的は、少額ながら金銭を扱う場という点、傘の盗難の訴えをうけ、傘立てを監視する目的でつけたものだ。職員にも周知している

    事務室はプライベートの場ではない。というか、悪口が言われていたときには事務室内に他の職員も居た。
    扉も開いていて、それに悪口を言っている2人も気づいている。
    周りに聞こえるよう意識して声の音量も大きくしており、2人もそれを認めている。「私的な話をしていた」というのはあまりに無理がある。

    そもそも、防犯カメラのあるなし、録画の有無に関わらず、他の職員の悪口を言うという、あまりに社会正義に反することをしてはいいという理由にはならない


    【言い分 その2】

    ブログで他の職員を批判してる。
    担任の苦労も知らずに切り取りで悪いところだけをクローズアップしており、モラルに反する。
    しかも、真実でないことが書かれている。

    <反証>
    匿名で書かれたブログ記事は、特定の職員を指すものではない
    「真実でない」と言うのなら、それはその職員のことを書いたものではないのではないか?

    内容的にも、保育観の違いによる葛藤で、ブログ主、書かれた職員(?)どちらが正しいというものではない。
    ブログ主がよりよい保育を模索し、それでいて他職員との関係を壊さないよう努めている様子が記されている。

    そもそも、ブログはプライベートの場なので、そこに(友人という枠からではなく)口を出すというのは、著しくモラルに反することである



    など、とにかく男性保育士を糾弾したいという感情、何とかして自分たち(女性職員)の思い通りにコントロールしてやろうという思いが強く表れている
    反証で示した通り、それらは客観的に見ると極めて理不尽な申し出であることが分かる。

    これらの訴えを受け、男性保育士は極めて合理的に、上記反証のような受け答えをするのだが、それが正しいだけに余計に女性職員たちの反感を買う結果になっている。

    男性保育士を悪者にしたい女性職員、しかし、どこまでも正しい男性保育士という、非常にねじれた構図になって収集がつかなくなっている。

    女性職員たちは、感情を最優先した結果、正しいものを受け入れることが出来ない状態になっているのである。

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  • 保育士のいじめの実態、特定の職員の排除の動き ~弱みを見せたら徹底的に叩く~

    2020-01-27 18:03
    さて、騒動の中心にいる男性保育士の特徴と、それを叩くことで連帯感を高めているという前の記事より、かなり危うい力関係が成り立ってることが分かったと思う。

    〇〇〇先生(男性保育士)…子どもたちが楽しめる保育を展開。ただし、内容が男性的であったり革新的だったりするため、他職員の批判の的になりやすい。能力は高い。

    他の職員(全員女性)…ひとりだけ浮いている男性保育士(〇〇〇先生)を、常日頃叩いて連帯感を高めていた

    ざっくり言うとこんな感じだ。

    そしてある日、ついに決定的な出来事が起きてしまう。

    〇〇〇先生は、ニコ生等で培ったトークスキル、ホラゲー実況で蓄えた知識等で、子どもたちに「怖い話」をすることで非常に人気が高かった。
    その「怖い話」に、保護者(子供の親)から苦情が入ったのである。

    といっても、「子どもが怖がってるからやめてほしい」ではない。
    子どもは、保育園で聞いた話を得意になって、〇〇〇先生の真似をしてお母さんに話して聞かせたのだ。
    しかしそこは、子どもの記憶力と語り口。
    「怖い」部分だけがクローズアップされてしまったために、それだけが母親に伝わってしまった。
    間が悪いことにそれが、あの川崎市登戸通り魔事件(バス停で小学生を中心に複数人死傷した事件)の次の日だった。

    「保育園で聞いた怖い話が、怖すぎる」

    内容としては「なんだそりゃ…」というものだが、一応は苦情として対応はしないといけない。
    ただしこの「〇〇〇先生による、非公式の怖い話」は、1年以上にわたって続けられていたものだった。
    子どもたちもとても楽しみにしているものだし、『苦情が入ったから、即やめます』は非常に違和感がある。
    しかし、ああいった事件の直後ということもあって、内容はちと抑えたものにしようということで話がまとまった。

    つまり、園の方針としては怖い話は別に禁止じゃないよ。ただし内容はマイルドになるよ。といった感じだ。


    これに納得いかなかったのが、それまでの鬱憤が積もりに積もっている他の職員だ。
    今まで散々下に見て叩く(いじめる)対象としていた〇〇〇先生。しかし隙の無い保育をしているため表立って攻撃する機会が無く、くすぶり続けていた炎が一気に燃え上がったのだ。

    「(苦情が入ったから)怖い話禁止じゃないんですか?!」

    再度言うが、園の方針としては決して、禁止ではなかった。
    他の職員が、隙を見せた〇〇〇先生を、便乗してここぞとばかりに攻撃しにいったのだ。

    〇〇〇先生も、正直納得はしていなかったようだが、一応は「保護者の苦情」という形で結果があらわれてしまったので、主任に要請されるままに、「怖い話」をしていた早番・遅番を退いたのである。


    【曖昧な、園側の態度】

    ここでも、園長・主任の態度の曖昧さが目に付く。
    最初の取り決めで、苦情の解決策として

    怖い話は別に禁止しないよ。ただし内容はマイルドにするよ

    そう決めたのなら、それを貫くべきだった
    それを、周りの職員が便乗して攻撃するからといって、いちど決めたものを曲げてはいけなかった
    そのせいで、園の姿勢に一貫性がなく弱腰に見え、職員にも保護者にもゴネれば通るという印象を抱かせてしまっている

    苦情の解決責任者は主任であり、この対応の責任は非常に重い。

  • 男性保育士が孤立する必然性 ~今回の騒動を俯瞰して~

    2020-01-27 07:14
    前の記事で紹介した男性保育士。
    ちょっと変わってるな、やや偏屈だなというくらいで、まぁ「普通の人」の範疇だというのは分かってもらえたと思う。
    それが、今や職場を挙げての「排除」の方向に動いているのは、どういった背景があるのかを書いていきたいと思う。


    【キッカケ?というか、下地として】

    「男性ならではの保育」というのが、すごく大きな原因としてあると思う。
    例えば「肩車」、これは○○○先生は普通にやる。
    女性職員は、絶対にやらない。

    ちいさな子どもを肩車したことがある方はいるだろうか。
    したことはなくても、子どもの頃に父親などからしてもらったという思い出はあるだろうか。
    してもらった経験がある方なら、十中八九、楽しい経験として思い出に残ってるのではないか?(よっぽど、落ちて怪我した、肩の上にいるときに何かにぶつかったなど痛い思いをしていなければ)

    大人の目線よりも更に上、広がる視界は未知の体験だ。
    更に保育園での集団生活の場合、足元(下の視界)には、友達が「ぼくも わたしも」と集っているのが見える。
    これは、家庭では絶対に体験できない経験になるんだ。
    大人ですら見る事の出来ない視界、自分だけの世界。とんでもない優越感。
    現代っ子には育ちづらい「自尊感情」をメリメリ育てることができる。

    ○○○先生も、自分がやってもらって楽しかったという経験、そして保育を学んで今挙げたようなメリットも意識している。だからやる

    もちろん、デメリット(リスク)はある。
    集団保育だと、経験する機会は均等でなければいけない
    要するに、ひとりを肩車するなら、全員を肩車しないといけない。
    じゃないと不公平だからだ。実に分かりやすい。子どももこれを分かっている。
    ひとクラス30人前後を、全員肩車するのは体力的にキツいと即座に分かる。

    おまけに、1人を支えるために完全に手が塞がる。他の子に手を差し伸べることが実質不可能になる。
    物理的に高い、というリスクももちろんある。
    ○○○先生も十分これを把握していて、「肩車」は土曜保育など、ごく子どもが少ない時くらいにしかしないちゃんと考えているんだ
    実際、肩車が原因で子どもに大きな怪我をさせたことは、1度も無い。


    逆に考える。女性保育士はなぜ、「肩車」をしないか。
    ほぼ「イメージ」を優先するためだろう。

    女性が、子どもを肩車するなんて、はしたない

    肉体的に男女差があり、体力が無いという点もあるだろうが、子どもがごく少ない、おまけに体重が重い子も居ない状況でも絶対にやらないのは、この感情が最も大きいのではないだろうか。

    ここで、女性保育士としての葛藤が発生する。
    そのきっかけは、例えば子どもの「なんで△△△せんせい(女性)は、肩車しないの?」の質問だ。
    正直に答えるとすれば

    「○○○先生(男性)の方が力持ちだから、できるんだよ」
    わたしがやると危ないから、しないんだよ」

    ここで「女性がやるもんじゃない」というイメージの話をしても、子どもは納得できない、だからこう言うしかないだろう。
    つまり、男性保育士の力(物理的な意味)を認め、それに比べ女性(自分)は力が劣っていると説明しないといけない
    普通ならここで、男は力が強い、女性は細かい作業が得意とかいった、そういう性別による能力の差、得意なことは人それぞれ違うということを、子どもが学ぶ機会として転換すべきだ。
    特に、幼児教育を学んだのなら、普通はそうする。
    そうすれば、職員同士お互いの仕事を尊重する


    【女性特有の、強烈なナワバリ意識・マウンティング】

    しかし、○○○先生の保育園ではそうならなかった。何故か。
    ひとりだけ浮いた○○○先生は、叩く存在。もっと言うなら、イジメの対象にしておきたいからである。
    そうなると、女性職員はさっき挙げた「肩車」の件を、どう扱うか…

    △△△「園長先生。○○○先生が子どもを肩車してたんですけど、危ないからやめさせてもらっていいですか?

    こうなる。
    園長先生は、その訴えをそれとなく、もしくは直接的に○○○先生に伝える。
    ただ、○○○先生の性格的に「わかりました、やめます」とはならない
    先に挙げたような理論と、実際に怪我をさせていないこと、子どもも喜んでいるという理由を盾に、続けるだろう。
    園長先生も、理由があってやっていると分かるので、それ以上は言えないわけだ。
    恐らく、△△△先生にも、○○○先生の言い分をそのまま伝えるだろう。

    これは…扱いを間違えると、本当に最悪な方向にしかいかなくなる。
    △△△先生的には、ダメなこと(危ないこと)を続けて○○○先生サイアック!!と悪口を言う口実になる
    ○○○先生的には、理由があってやっている、危なくないように配慮している、子どもも実際喜んでいると良いことづくめなのに、こいつら何言ってんだ??となる。

    そういったものが積み重なって、女性職員の中では「○○○先生は変なこと、危ないことばかりをやるダメなやつ」という認識になっていき、それを言い合うことで○○○先生を叩くのが当たり前、あいつはダメなやつと下にみることで、女性職員同士の仲間意識を高めるという…まぁあまり褒められたものではない効果があったわけだ。

    ○○○先生としては、聞こえないところでやってくれてれば別にいいよ。(俺は、子どもが楽しいことをしたいから職員のご機嫌はとらないよ)という感じで、なまじ子どもの人気が高いだけに余計に女性職員としては気に入らなかっただろう



    【ついに出てしまった本性】

    そうした下地がありつつ、例の「○○○先生が悪口を言われた」事件につながる。
    聞こえてないところで言っていた悪口を、聞こえるように言ってしまったのだ。

    ○○○先生の言い分的には、「幼児教育に携わる人は、それだけはやってはいけないことだ」という点で、逆鱗に触れたのだ。
    おまけに、その様子が防犯カメラで撮れてしまったという点も非常に大きい。

    悪口を言ってしまったふたり(若い方をA、年上の方をBとする)は、実は○○○先生とは浅からぬ因縁があり、たびたび直接衝突していたのだ。(とくにA先生は露骨に○○○先生を毛嫌いしていた)

    なぜ、このふたりが悪口を聞こえるように言ってしまったのかは、ひとつ大きな理由がある。
    それは、A先生が、ある行事のチーフの立場だったからだ
    自分が中心となって行事を回す中、正直に言って○○○先生はそれほど積極的に手伝ってはいなかった。
    まさに最低限といった感じの役割をこなしていた。
    それが気に入らなかったのだ。

    自分がチーフとして行事を回す。自分の指示でみんなが動く。
    誤解を恐れず言うと、A先生は偉くなった気持ちになってしまっていた

    自分は偉いんだから、働き方がヌルい○○○先生には何を言ってもいい。
    むしろ、言ってやらないとダメだ!
    ・・・とまで、思ったかもしれない。
    もちろん、先に挙げたように「○○○先生は最悪だから叩いていい」という風潮に後押しされて、である。

    実際、悪口を言った後の言動は全て「私は当然のことを言っただけ」という態度を貫いていた。



    【どうすれば回避できたのか】

    はっきり言うが、園長・主任クラスがもっと毅然とした明確な態度でないといけなかったと、強く思う。
    例に出したのが「肩車」なので、どうしてもそれを例に説明するが…
    例えば、

    △△△「園長先生。○○○先生が子どもを肩車してたんですけど、危ないからやめさせてもらっていいですか?

    があった場合。
    まず、こういう訴えが出る時点でモロに黄色信号なのだ。
    態度を明確に示さないと、非常にマズい事態になる。

    態度を明確に示すとは、つまりどういうことか。

    1.園長・主任命令(つまり、上司命令)として、肩車を禁止する

    2.△△△先生に、○○○先生の意図を伝え、そんな訴えをすること自体が間違っている、子どもが男女差を学べる機会にしなさい。と、△△△先生を叱責する



    「1」は、○○○先生を制する方向。
    「2」は、△△△先生を制する方向である。

    実際になされた対応は、△△△先生がとても納得できる対応ではなかったため、わだかまりが高まるだけになってしまった。

    客観的に見る目が大事だ。
    ○○○先生は、別に常識を逸脱した保育をしていたというわけではないのだ。(性格に難はあるとは思う)