男性保育士が孤立する必然性 ~今回の騒動を俯瞰して~
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男性保育士が孤立する必然性 ~今回の騒動を俯瞰して~

2020-01-27 07:14
    前の記事で紹介した男性保育士。
    ちょっと変わってるな、やや偏屈だなというくらいで、まぁ「普通の人」の範疇だというのは分かってもらえたと思う。
    それが、今や職場を挙げての「排除」の方向に動いているのは、どういった背景があるのかを書いていきたいと思う。


    【キッカケ?というか、下地として】

    「男性ならではの保育」というのが、すごく大きな原因としてあると思う。
    例えば「肩車」、これは○○○先生は普通にやる。
    女性職員は、絶対にやらない。

    ちいさな子どもを肩車したことがある方はいるだろうか。
    したことはなくても、子どもの頃に父親などからしてもらったという思い出はあるだろうか。
    してもらった経験がある方なら、十中八九、楽しい経験として思い出に残ってるのではないか?(よっぽど、落ちて怪我した、肩の上にいるときに何かにぶつかったなど痛い思いをしていなければ)

    大人の目線よりも更に上、広がる視界は未知の体験だ。
    更に保育園での集団生活の場合、足元(下の視界)には、友達が「ぼくも わたしも」と集っているのが見える。
    これは、家庭では絶対に体験できない経験になるんだ。
    大人ですら見る事の出来ない視界、自分だけの世界。とんでもない優越感。
    現代っ子には育ちづらい「自尊感情」をメリメリ育てることができる。

    ○○○先生も、自分がやってもらって楽しかったという経験、そして保育を学んで今挙げたようなメリットも意識している。だからやる

    もちろん、デメリット(リスク)はある。
    集団保育だと、経験する機会は均等でなければいけない
    要するに、ひとりを肩車するなら、全員を肩車しないといけない。
    じゃないと不公平だからだ。実に分かりやすい。子どももこれを分かっている。
    ひとクラス30人前後を、全員肩車するのは体力的にキツいと即座に分かる。

    おまけに、1人を支えるために完全に手が塞がる。他の子に手を差し伸べることが実質不可能になる。
    物理的に高い、というリスクももちろんある。
    ○○○先生も十分これを把握していて、「肩車」は土曜保育など、ごく子どもが少ない時くらいにしかしないちゃんと考えているんだ
    実際、肩車が原因で子どもに大きな怪我をさせたことは、1度も無い。


    逆に考える。女性保育士はなぜ、「肩車」をしないか。
    ほぼ「イメージ」を優先するためだろう。

    女性が、子どもを肩車するなんて、はしたない

    肉体的に男女差があり、体力が無いという点もあるだろうが、子どもがごく少ない、おまけに体重が重い子も居ない状況でも絶対にやらないのは、この感情が最も大きいのではないだろうか。

    ここで、女性保育士としての葛藤が発生する。
    そのきっかけは、例えば子どもの「なんで△△△せんせい(女性)は、肩車しないの?」の質問だ。
    正直に答えるとすれば

    「○○○先生(男性)の方が力持ちだから、できるんだよ」
    わたしがやると危ないから、しないんだよ」

    ここで「女性がやるもんじゃない」というイメージの話をしても、子どもは納得できない、だからこう言うしかないだろう。
    つまり、男性保育士の力(物理的な意味)を認め、それに比べ女性(自分)は力が劣っていると説明しないといけない
    普通ならここで、男は力が強い、女性は細かい作業が得意とかいった、そういう性別による能力の差、得意なことは人それぞれ違うということを、子どもが学ぶ機会として転換すべきだ。
    特に、幼児教育を学んだのなら、普通はそうする。
    そうすれば、職員同士お互いの仕事を尊重する


    【女性特有の、強烈なナワバリ意識・マウンティング】

    しかし、○○○先生の保育園ではそうならなかった。何故か。
    ひとりだけ浮いた○○○先生は、叩く存在。もっと言うなら、イジメの対象にしておきたいからである。
    そうなると、女性職員はさっき挙げた「肩車」の件を、どう扱うか…

    △△△「園長先生。○○○先生が子どもを肩車してたんですけど、危ないからやめさせてもらっていいですか?

    こうなる。
    園長先生は、その訴えをそれとなく、もしくは直接的に○○○先生に伝える。
    ただ、○○○先生の性格的に「わかりました、やめます」とはならない
    先に挙げたような理論と、実際に怪我をさせていないこと、子どもも喜んでいるという理由を盾に、続けるだろう。
    園長先生も、理由があってやっていると分かるので、それ以上は言えないわけだ。
    恐らく、△△△先生にも、○○○先生の言い分をそのまま伝えるだろう。

    これは…扱いを間違えると、本当に最悪な方向にしかいかなくなる。
    △△△先生的には、ダメなこと(危ないこと)を続けて○○○先生サイアック!!と悪口を言う口実になる
    ○○○先生的には、理由があってやっている、危なくないように配慮している、子どもも実際喜んでいると良いことづくめなのに、こいつら何言ってんだ??となる。

    そういったものが積み重なって、女性職員の中では「○○○先生は変なこと、危ないことばかりをやるダメなやつ」という認識になっていき、それを言い合うことで○○○先生を叩くのが当たり前、あいつはダメなやつと下にみることで、女性職員同士の仲間意識を高めるという…まぁあまり褒められたものではない効果があったわけだ。

    ○○○先生としては、聞こえないところでやってくれてれば別にいいよ。(俺は、子どもが楽しいことをしたいから職員のご機嫌はとらないよ)という感じで、なまじ子どもの人気が高いだけに余計に女性職員としては気に入らなかっただろう



    【ついに出てしまった本性】

    そうした下地がありつつ、例の「○○○先生が悪口を言われた」事件につながる。
    聞こえてないところで言っていた悪口を、聞こえるように言ってしまったのだ。

    ○○○先生の言い分的には、「幼児教育に携わる人は、それだけはやってはいけないことだ」という点で、逆鱗に触れたのだ。
    おまけに、その様子が防犯カメラで撮れてしまったという点も非常に大きい。

    悪口を言ってしまったふたり(若い方をA、年上の方をBとする)は、実は○○○先生とは浅からぬ因縁があり、たびたび直接衝突していたのだ。(とくにA先生は露骨に○○○先生を毛嫌いしていた)

    なぜ、このふたりが悪口を聞こえるように言ってしまったのかは、ひとつ大きな理由がある。
    それは、A先生が、ある行事のチーフの立場だったからだ
    自分が中心となって行事を回す中、正直に言って○○○先生はそれほど積極的に手伝ってはいなかった。
    まさに最低限といった感じの役割をこなしていた。
    それが気に入らなかったのだ。

    自分がチーフとして行事を回す。自分の指示でみんなが動く。
    誤解を恐れず言うと、A先生は偉くなった気持ちになってしまっていた

    自分は偉いんだから、働き方がヌルい○○○先生には何を言ってもいい。
    むしろ、言ってやらないとダメだ!
    ・・・とまで、思ったかもしれない。
    もちろん、先に挙げたように「○○○先生は最悪だから叩いていい」という風潮に後押しされて、である。

    実際、悪口を言った後の言動は全て「私は当然のことを言っただけ」という態度を貫いていた。



    【どうすれば回避できたのか】

    はっきり言うが、園長・主任クラスがもっと毅然とした明確な態度でないといけなかったと、強く思う。
    例に出したのが「肩車」なので、どうしてもそれを例に説明するが…
    例えば、

    △△△「園長先生。○○○先生が子どもを肩車してたんですけど、危ないからやめさせてもらっていいですか?

    があった場合。
    まず、こういう訴えが出る時点でモロに黄色信号なのだ。
    態度を明確に示さないと、非常にマズい事態になる。

    態度を明確に示すとは、つまりどういうことか。

    1.園長・主任命令(つまり、上司命令)として、肩車を禁止する

    2.△△△先生に、○○○先生の意図を伝え、そんな訴えをすること自体が間違っている、子どもが男女差を学べる機会にしなさい。と、△△△先生を叱責する



    「1」は、○○○先生を制する方向。
    「2」は、△△△先生を制する方向である。

    実際になされた対応は、△△△先生がとても納得できる対応ではなかったため、わだかまりが高まるだけになってしまった。

    客観的に見る目が大事だ。
    ○○○先生は、別に常識を逸脱した保育をしていたというわけではないのだ。(性格に難はあるとは思う)


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