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 梵烏(ぼんがらす)を検索すると“栃木県真岡市の地名”と出てくる。割礼の宍戸幸司、ソウルフラワーユニオンの奥野真哉、そして箕輪政博(イルボーン、Canis Lupus)による新バンドがどうしてその名にしたのか、まだ聞いていないが2025年3月1日のファースト・ライヴからだいぶ時間が経ってしまったので先を急ぐことにする。
 MANDA-LA2はほとんど立錐の余地もないほど混んでいた。この日の数日前にすでにメンバー側の公式SNSなどでソールドアウトが発表されていたが、キャリア30年を超すベテランたちによる新バンドは並々ならぬ注目を集めていた。
 フロントアクトのヤマジカズヒデ・ソロの余韻をじんわりと残したままやがて場内BGMがフェイドアウトしつつスペイシーな電子音が棚引く。特に予想立ててはいなかったけれど、物凄く意外な始まりに耳は異常に吸い寄せられていく。いったいこの場にいたオーディエンスの誰か一人でもイースタンユースの「一分間」のカヴァーだとわかった者がいただろうか。私ももちろん後付けで知った。箕輪によればこの晩のメニューはすべてがカヴァーだったという。ネタばらし的なことはしたくないとのことで、こちらもあえてその詳細は尋ねていないが、宍戸のソロ曲やアンコールでの割礼「溺れっぱなし」以外は、ひどく渋く、早川義夫やティム・バックリーといったなんとなく“らしい”固有名詞を帯びた選曲だった。ただし、この感想も完全に後付けで、箕輪に駄々をこねてメンバー間だけで使われたセットリストを入手して検索しまくった結果による。現場でとった私のメモには“ホークウインド、デッド風ジャムサウンド、グルグルのようなガジェット的アヴァンギャルド”と、バンド側の選曲にほとんど関係のない感想がしたためられていた。
 箕輪と奥野のMCを合わせると、宍戸のソロ・ライヴで箕輪は数十年ぶりに宍戸に邂逅、そこで一緒にやろうとなり、keyを入れたいということから、奥野を誘い、2024年の9月から月1ペースでリハーサルに入っていったそうだ。
 初めてのライヴだけではこのバンドの志向性は計り知れない。なんとなくだが、キイを握っているのは奥野のkeyプレイのように映った。というのも彼のプレイ・タッチにはそこはかとなく漂うプログレ臭やサイケ感が皆無で、クラシックやジャズの素養の方が強いように思えた。この感想が正しければ宍戸になくて、箕輪には通じる奥野の音楽的明度がこの新バンドのバランスを絶妙にしているように思えたのだ。
 鬼気迫るもの、立ち竦むようなテンションを求めていたなら少しかわされたような気になったかもしれない。つまりインタープレイの快楽よりもその場で音楽を創りだしていく、元曲は愛あるきっかけであり、もともとの物語は異なるかたちへと紡いでいく様が梵烏なのだろう。
 というもっともらしい言いぐさはアンコールの「溺れっぱなし」で吹き飛んだ。ヤマジとkeyの細海魚のフロントアクト組が合体した音像は曲名通りに、毛穴の隅々にまで染み渡るフィードバック粒子の逆ブラックホール状態となり、何かネタでも食らったかのような気持ちいい痺れが全身を貫いた。これでサウンドバランス的に箕輪の精緻極まりないドラム音がもっと明瞭に、大きく聞こえていたらどうなっただろう。
 梵烏は耳年増のつもりでいた聴覚に未だ知られざる衝撃をもたらしてくれた。
(石井孝浩、撮影・Noriko Akiyama)