アマチュアブロガ―にとっての「勝利条件」
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

アマチュアブロガ―にとっての「勝利条件」

2013-08-09 13:34
  • 22
参考リンク:なぜ、私たちはブログを書くのにわざわざ貴重な時間を使うのかという問いを、ブログ10周年の今年だからこそ改めて考えたい#ブロガ―サミット(tokuriki.com)


Twitterやfacebook、mixiなどのSNSが一般化するにつれ、もう、個人ブログは役割を終えたのではないか、と考えることもありました。
ネットにはたくさんの情報があって、専門家が書いたものも「まとめブログ」みたいな集合知も、ほとんど無料で読むことができるし。


この10年くらい、ずっと個人サイトやブログ、SNSをやっていて痛感するのは、「ネットの世界と現実の世界がボーダレスになった」ということです。


「そんなの、昔からそうだったんじゃない?」
そう思う人も多いのではないでしょうか。
それはたしかにその通りで、ネット上に何かを書けば、誰にでも読まれる可能性はあったのだけど、少なくとも、書いている側には、それが理屈でわかっていても、「まあ、知り合いに読まれる機会なんて、そうそうあるもんじゃない」という気持ちもあったのです。


10年前のネットで個人サイト、あるいはブログを書いていた人には大まかに言って2つのタイプがあって、ひとつは「とにかく自分自身をアピールしたい!」というタイプ、もうひとつは「何かモヤモヤしたものがあって、それを誰かに話したいのだけれど、知り合いには恥ずかしくて(あるいはトラブルになるのが怖くて)話せないので、匿名でネットにボトルメールのように流したい」というタイプでした。


前者は、個人サイトがブログになり、SNSになっても、とくに大きな影響は受けません。


後者にとっては、SNSというのは、ちょっと敷居が高いのです。
彼らは自分が書いたものを「目の前のあなた」に読んでもらいたかったわけではなくて、「お互いに知らないし、知る必要もない誰か」に読んでもらいたかったのですから。


個人サイト、個人ブログの時代に僕が面白いと感じていたのは、雑誌に投稿したり、自作の詩を路上で売ったりするような「表現者としての覚悟」を持たない人たちの作品が、ネット上でたくさん読めるようになったことです。
「自分が書いたものを誰かに読まれるなんて恥ずかしい」
そういう人たちでも、ネット上になら「公開」しやすかった。
なかには、倫理上の問題があるものも少なくなかったけれど、そういったものだけではなく、「カッコいいこと」や「正しいこと」あるいは「自分の話そのもの」を他人に語ることに恥ずかしさを抱く人も少なくないのです。
これまでは、「書くこと」+「表現する勇気」が必要だったけれど、ネットは、「弱虫な表現者」たちを舞台に押し上げていきました。


まあでもそれは、ネットにとっては、「期間限定」でしかありませんでした。
文学賞に投稿するよりは、「物理的な手間」は少なくなっても、「文学賞に私小説で応募する」よりもネットにプライベートなことを書くほうが危険なことをみんな知っています。


徳力さんのエントリの前半を読んでいて、僕に違和感があったのは、「ブログにはこんなメリットがありますよ」ということが羅列されていたから、なのです。
この10年間、個人ブログが盛り上がりかけて、結局、それが一過性のものにしかならなかった理由は、多くの「アルファブロガ―」やメディアが「ブログで稼げる」とか「友達をつくれる」とか「作家デビュー」なんていう万馬券が当たるくらいの頻度でしか起きないことを「売り文句」にしてしまったからなのではないか、と感じています。


ほんと、儲かりませんよ、ブログ。
ひとり友達をつくれるくらいアピールすれば、その何倍かのアンチや粘着を生むリスクがあります。
「作家デビュー」したければ、投稿文学賞に応募するほうが、よっぽど近道です。


僕はブログと10年間つきあっているのですが、やっぱり、「誰かが読んでくれている。自分の存在を知ってくれている」という高揚感というのはあります。
徳力さんの「ブログはコピーロボット」という言葉には、素晴らしいたとえだと感銘を受けました。
(とはいえ、あまり深くかかわるのもめんどくさい、とか思っているわけです。われながら、しょうもない人間だ)
でもまあ、ものすごく簡単に言ってしまえば、ほぼ毎日何かを書いて、それに対してなんらかの反応があるかな、と期待する日常のなかのアクセント、なんですよ僕にとってのブログは。
魚釣り(というのは、ネットではあまり好意的に使われない言葉だけれども)みたいなものです。
朝、仕事をはじめる前に、餌をつけて、糸を垂らす。
仕事を終えて、帰るとき、竿を上げて、何か魚が釣れていないか、確認する。
ある意味、その「竿を上げてみる瞬間」のために、毎日エントリを書いているようなものです。
もちろん、僕の場合は、他の人を引っ掛けよう、騙そうとしているわけではなくて、餌というのは自分の考えであり、それを投げ込むことによって、少しでも世界が過ごしやすくなってくれればいいなあ、身勝手ながら願ってもいるわけです。


ネットで個人が文章を書くことのいちばんのメリットは「儲けなくてもいい」ことだと思うんですよ、僕は。
だって、職業作家や作家志望者、メディアで文章を書く人は、多少なりともそれをお金に変えられなくては生きていけません。
となると、意識的、あるいは無意識のうちに「話題になるようなネタ」に触れるようになるし、刺激的・攻撃的にもなりやすい。
逆に、批判を怖れて、多くの「禁忌」もできてしまう。
「スポンサーの悪口は書けない、載せられない」のは、生きていくための手段として書いている人にとっては、いたしかたないことなのです。
もちろん、不本意だという人は、たくさんいるでしょうけど。


ところが、「プロブロガ―になる必要はなく、趣味で書いている」と、自由度は「それを仕事にしている人」より高くなります。


Quick Japan/Vol.62」(太田出版)の「総力特集・山下達郎」より、山下達郎さんと山口隆さん(サンボマスター)の対談の一部。

(音楽の「主流」とは?という話になって)

山下:主流は筒美京平さんとかであって、僕の音楽はまったく主流ではない。

山口:そうかなぁ。でも1位とかガンガン獲ってたら、本流じゃないんですか?

山下:経済活動とかチャートで1位を獲っても、それをもって主流とは言えない。音楽についての勝ち負けというのはすごく難しい。相撲だったら横綱にならなきゃ勝ちじゃない。オリンピックだったら金メダルを獲ればマイルストーンになる。しかるに、音楽にどうやって勝ち負けを付けるかと言えば、それは1位なのか、東京ドームで公演することなのか。でも、1位を獲っても、100万枚売っても、その曲に対してある人は涙を流して感動するけど、ある人はゴミだと言う。1億3千万の日本人を全員満足させる音楽はない。しかも、それがどんどん細分化されていっている。

山口:それで達郎さんは何を勝ちだと?自分の満足?

山下:勝ち負けは人が決めること。あとは、自分が顧客(カスタマー)でいて欲しい人たちの観念(イデア)に向けて発信したものを、その人たちがいいと思ってくれること。


 実際は、山下達郎さんは音楽で高収入を得ている人ではあるのですが、僕は「アマチュアブロガ―にとっての勝利」って、まさにこの「自分が読んでいてほしい人たちに向けて発信したものを、その人たちがいいと思ってくれること」だという気がするのです。
 ある意味、「稼ぐ」より、よっぽど難しいことではあるのですけど。

 でもまあ、「稼ぐ」ためには、やはりある一定数以上のアクセス数とかが必要になるわけです。いまのネットでの「集金システム」の世界においては。
 ところが、「ブログで稼ぐこと」を捨てれば、極論すると「誰かひとりの読者を満足させられれば、それで十分」にまで、ハードルを下げられる。
 もっと突き詰めれば、「書いている自分が満足できれば、それでいい」。
 人間の「欲」っていうのは、なかなかそこまでシンプルに割り切れるものじゃないですけどね、僕の経験からいっても。
 ただ、そういう考え方もあるのだ、ということは、知っておいて損はしないと思います。


 個人的には、この10年間のブログを停滞させてしまった大きな原因は「ブログを書くこと」と「実利」を過剰に結びつけ、期待を煽ってしまったことではないかと感じています。
 ギターの入門書に「プロになって食えるようになれる!」とか「ファンの女の子にモテてウハウハ!」なんて書いてないですよ。
「弾けるようになったらカッコいい」「仲間と音楽を演奏するのは楽しい」くらいのものです。
 なのに、ブログは、ITバブルの影響もあってか、「楽しさ」よりも「メリット」ばかりが採り上げられてしまったのです。
 考えてみれば、そこらの一般人が、眞鍋かをりになれるわけないじゃないですか。


 いやほんと、ブログには実利って、ほとんどないです。
 むしろリスクのほうが大きいくらい。
 でも、インドア派、文章を書くのが好きな人間にとっての「趣味」としては、なかなかの優れモノなんじゃないかと思います。
 昔から、「一生退屈したくなかったら、魚釣りを覚えなさい」と言われているのですが、僕はこう感じています。
 「魚釣りも面倒なら、ブログを覚えなさい」と。

広告
他12件のコメントを表示
×
納得・・・!

私もニコニコ動画の投稿者の一人だけど、
お金とか名誉とか関係なく
共感してくれる人にコメントしてもらうために
やってるようなものだからね。
見る人も楽しいし、コメントしてもらえるのも嬉しいし、
それで自分も満足できるし。
66ヶ月前
×
文才がないね。
ただ長文なだけ
66ヶ月前
×
まぁ俺が書くと嫉妬乙とか言われるかもしれんが、タレント化(笑)みたいな生主とかうp主とか見てるとなんか本当に面白くても萎えたりするなぁ。
66ヶ月前
×
そこで私がやってるニコニコの楽しみ方。
人気があろうが無かろうが、動画がメインだろうが何だろうが、
生放送をしている人にだけ価値を見出し、
コラボやら面白い何かを作ることなど端から捨て置いて、実際に会いに行く。
現物を見て知れる情報、ネット上の嫉妬や噂との実物の乖離を肌で感じる。
誰も感じられない快感。楽しい

机上でカタカタやってるだけ、ファンとして晴れのライブを見に行くだけじゃ一生得られない。
折角ニコニコに関わるなら裏に染み込まなきゃ!
66ヶ月前
×
>東大卒や成功した人が書く文章というのは簡潔明快で、短文であってもすぐ内容が頭に入る。文章の1文1文に中身があるため
こういう文章書く人ってたいてい,自分が東大卒だったりするよねw。成功した人だけでいいんでないかな?
それから,短文じゃなくて長文だと思うな。短文が頭に入るのは当たり前だよね。
66ヶ月前
×
趣味娯楽絵日記ブログ5年やってるけど、ここ最近は頻繁に投稿するようになった。
やっぱり自分はただの趣味の一つかな。インドア派だし、そんな難しく考えてないけど。
66ヶ月前
×
昔、誰かのブログで

「インターネットは表現のプロになる覚悟や余裕が無い人でも
承認願望や創作欲を満たせる環境を作り出した。結果、最大瞬間風速で
プロすら上回る素人――かつてはその一部は一発屋と呼ばれたであろう――の
ユニークな創造物を多くの人間が楽しめるようになった点が素晴らしい(大意)」

という意見を読んだけどこれと生産者、消費者で対になる話かしらね。
66ヶ月前
×
楽しく読ませていただきました。
私は釣られてしまいましたねwww
66ヶ月前
×
>>15
お前は何を言っているんだ
66ヶ月前
コメントを書く
コメントをするには、
ログインして下さい。