中島敦へのオマージュとしての『バケモノの子』
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中島敦へのオマージュとしての『バケモノの子』

2015-08-02 22:21
    細田守監督の『バケモノの子』について、観終えたあとずっと考えていることがある。
    「何それ」って言われそうだけれども、書き残しておきたい気分なので、ここに書く。
    で、完全ネタバレなので、まだ未見の人、これから映画館やDVDなどで観る予定の人は、観終えてから読んでくださいね。いや、そんな偉そうに言える立場じゃないけど、ネタバレされるのも、するのも悲しいから。


    本当にネタバレですからね。


    さて、このくらい前置きをしておけばよかろう。
    この映画って、「父と子の物語」だと語られがちだし、僕もそうだと思っていたんですよ。
    でも、よくよく考えてみると、どうも、それだけじゃない。
    いや、細田守監督は、もしかしたら、「父と子」ではなくて、「師匠と弟子」あるいは「名人から弟子への技の伝承」について、描きたかったのではなかろうか。
    これは「中島敦へのオマージュ作品」なのではなかろうか。


    この映画のなかに、中島敦の『悟浄出世』の一節が出てきます。
    前半では、熊徹と九太は、日本各地の「達人」たちのもとを訪れて、「強さ」に対する各人の考え方を訊くのです。
    この部分って、物語の「本筋」にとって、本当に必要なのだろうか?
    もしこの映画をテレビ放映することになって、時間短縮が求められるとすれば、最初にカットされる場面かもしれません。
    でも、映画において、上映時間内に起こることには、すべからく、監督(最近の一部の映画ではスポンサー)の意図がある。


    『バケモノの子』って、本当は、中島敦の『名人伝』みたいな話にしたかったのではないか、と僕は思うのです。
    というか、『名人伝』みたいな話なんですよね。


    中島敦『名人伝』(青空文庫)


    そんなに長い小説ではないので、ぜひ読んでみていただきたいのですが、僕はこの作品が昔から大好きで。
    なんというか、講談風というか、マジックリアリズムですよね、これ。


    『バケモノの子』の最後で、「九太は、その後、生涯剣をふるうことはなかった」ということが語られます。
    これって、あえて言葉にして観客に伝える必要があったのだろうか。
    そこはご想像におまかせします、に、しなかったのはなぜか。


    僕は「九太のその後」を聞いて、「ああ、これは紀昌の晩年とリンクしているではないか」と思ったんですよ。
    細田監督は「本当の強さ」を、中島敦の作品に見出していたのではなかろうか。


    ちなみに『悟浄出世』も、ものすごく「こじらせた人の小説」で、僕は大好きです。

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