「何故ホラー映画は面白いのか」考察してみた!
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「何故ホラー映画は面白いのか」考察してみた!

2017-01-29 12:58


    こんにちはFujiヤマトです!
    やっと二回目の記事ができましたので投稿します(^^)
    今回は「何故ホラー映画は面白いのか」について考察して参ります。
    筆者はホラーが大好きです!特に和ホラーが好み。そしてふと思ったんです。
    何で怖いのに面白いのか。なので自分なりに調べて考察してみました!
    それではゆっくり読んでいってね!


    目次
    ①はじめに
    ②嫌悪感から生まれる遮断して殺そうとする心
    ③好奇心から生まれる共感しようとする心
    ④いじめとホラー
    ⑤ホラーは文化、芸術
    ⑥最後に



    ①はじめに

    私は子供のころよくホラー映画を見ていた。
    そして怖いシーンは目をつむってみていた。
    しかし怖いモノ見たさで手の隙間から目を半開きにしてみていたのだ。
    何故怖いとわかっているのに見てしまうのか。
    そこには恐らく好奇心が働いていたに違いない。
    「怖いけれど見てしまう」
    そこにはホラーに対する嫌悪感と好奇心が僕の中にあったに違いない。
    嫌悪感と好奇心とは相反するようなものだが、
    この矛盾する感情を同時に抱かせるのがホラー映画である。

    ②嫌悪感から生まれる遮断して殺そうとする心

    嫌悪感とは自分の道徳心に反するものに対して遮断しようと催す感情だ。
    例えば恋人が大きなオラナをこいたとする。人によっては笑って許せる人もいるが、
    中には許せない人もいるだろう。この恋人の行為が自分にとってはありえないことであり、
    その行為に対して嫌な気持ちになったり、その行為をした恋人から離れようとする。

    つまり嫌悪感とは自分にとって「ありえないもの」に対して抱く感情であり、
    そしてその「ありえないもの」を排除するよう行動を催す感情なのだ。

    もし家にゴキブリがいたら嫌悪感を抱いて殺そうとする。
    また自分を侮辱する相手を殴ろうとしたり、避けようとしたりすることもそれにあたる。

    ホラー映画では幽霊やゾンビ、殺人鬼が罪のない人々を襲うシーンがよくあるが、
    幽霊たちの行為が自分にとってはありえない行為であり、
    それに対して嫌悪し、目をつむってしまうのである。
    惨殺したり呪い殺したり、そのシーンは自分にとってはありえないものだ。
    なんでこんなひどいことをするんだと嫌悪感を抱いているのである。
    そして気持ち悪い虫を見たら避けるのと同様に、
    その残酷なシーンに対して避けようとして目をつむるのだ。

    ③好奇心から生まれる共感しようとする心

    それでは好奇心とは何か。
    好奇心とはある対象に興味を抱き、その対象に共感しようとする働きのことをいう。
    学校や職場の友人でミステリアスな人がいたとしよう。
    その人はとても魅力的でこの人はどんな人なんだろうと考える。
    つまりその人のことを詳しく知りたいと興味を抱くのである。
    そしてその人の価値観、道徳心を理解しようとする。つまり「共感」を試みるのだ。

    ホラー映画で無残にも襲われる人々がいる。
    この人たちはただ幽霊やゾンビに殺されるために用意されたキャラクター達なのだ。
    襲われているシーンを見ていると阿鼻叫喚な彼らたちに共感を抱く。
    そしてそんな人たちを襲う幽霊たちは本当にひどい奴らだと思うはずだ。
    しかし何故幽霊たちはこんなひどいことをするのか。
    何故自分にとってありえない行為をするのか。
    そこにも興味がわくのである。そして共感を試みようとするのだ。

    「最後どうなってしまうのだろう」

    そんな結末や成り立ちをしりたいという欲求がホラー映画を見ているとわいてくる。
    その知りたいという欲求が本来嫌悪して目をつむった行為から手の隙間から目を半開きにして
    見るという行為へ誘うのだ。


    ④いじめとホラーは共通するのか

    襲われている側に共感を抱き、襲っている側に嫌悪感を抱くのが一般的だと思われる。
    しかし中には襲っている側に共感し、どうやって殺すんだろうかとワクワクしてみている人もいるらしい(ガクブル・・)。
    よく「いじめ」を問題として日々議論がされているが、
    この「いじめ」にもホラー映画と同じ構図が見られる。
    いじめている側が幽霊たち、いじめられている側が襲われている人々、
    そしてそのいじめの現場を見ている第三者がいる。
    第三者はいじめられている側に共感を抱き、
    いじめている側に嫌悪感を抱くのが一般的だろう。
    この場合第三者はいじめられている方を助けたり。
    いじめている奴らを懲らしめたりする行為につながるはずだ。
    しかし逆にいじめられている側に嫌悪感を抱き、いじめている側に共感を抱けば、
    先程の行為とは変わってくる。いじめに加担したり、いじめをみて楽しむ奴らもいるのだ。

    ホラー映画もこのようにいじめの現場を客観的に見ているのと一緒だ。
    一方的に罪のない人たちが怪奇にやられていく。その一部始終を客観的に見ているからこそ
    嫌悪感と好奇心の二つの感情を同時に感じることができる。

    ホラー映画といじめの違いはフィクションかノンフィクションの違いだ。
    実際にいじめの現場に出会ったり、殺人鬼に人が襲われているところに出くわしたりしたら
    僕らは何かしらのアクションを要求されるだろう。襲われている人を助けるか、さっさと逃げるか、殺人鬼たちと戦うか、むしろ加担して襲うか…などなど。

    しかしホラー映画は違う。フィクションなのだ。それがあらかじめ分かっているからこそ、
    僕たちは安心して「その状況」を楽しむことができる。

    ホラー映画は所詮作り物だ。
    なかなか普段では味わえないスリル満点な状況を疑似体験できるのだ。
    もし本当にその状況に出くわしたら、安心なんてできないだろう。
    安心して見れるからこそホラー映画は芸術であり文化であり続けるのだ。


    ⑤ホラーは文化、芸術

    人間というのは残酷な一面を持っている。これは紛れもない事実だ。
    残酷でなければいじめ、殺人、戦争なんて存在しないだろう。
    その「残酷さ」の根本的な感情は嫌悪感にある。
    「ありえない」からこそ自分の道徳心、常識を守るためにありえないモノを排除するのだ。

    相手を嫌悪するか、共感するかで物事は変わってくる。
    嫌悪感は相手を殺すように促す。そこからいじめにつながり、最悪殺人につながる。
    さらに戦争だってやってのけるのだ。
    ホラー映画は客観的に見ているからこそ文化になれる。楽しむことができる。
    しかし主観的になったら僕らは被害者にも殺人鬼にもなりえるのだ。

    そんな行き過ぎた世界はホラーだけで十分だと思う。
    いじめや殺人などなくすことは非常に困難だ。
    されどそのような行為はフィクションホラーとして存在すれば十分なのだ。

    ホラー映画は客観的に見れるからこそ楽しめる。嫌悪感と好奇心の狭間でスリル満点で
    恐怖に満ちた世界観を体験することができる。非常に魅力的な文化であることは間違いない。


    ⑤最後に

    今回は嫌悪感と好奇心という二つのキーワードから考察してみましたが、
    ホラーを楽しめる要因はもちろん他にもたくさんあるでしょう。
    何故ホラーは楽しいのか。今後もいろんな観点から追及していきたいと思います。
    暴力的で恐怖感に満ち溢れた世界観は皆を楽しませる。
    ただフィクションであって、客観的に見れるからこそそう言えるのでしょう。
    もし本当にそんな世界に出くわしたら、筆者はすぐ心臓麻痺で死ぬでしょうね。

    次回以降は「統計学は本当に最強なのか」または「東方プロジェクトは何故広まったのか」の
    どちらかにいついて記述したいと思います。

    初回と今回と次回と全く関連性が無いのは申し訳ありません<m(__)m>
    ただ自分の書きたいように書いているだけです( ´∀` )
    (表現と創造という広いテーマにしてごまかしているのは内緒(-_-;))

    自分の興味ある分野についてただ記述しているだけのブログではございますが、
    もし興味がありましたらフォローお願い致します。

    それでは乙ですたー(^^)/



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