かぐてゐ小話
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かぐてゐ小話

2015-07-25 18:50
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 庭の隅でぽんぽんと身体に付いた土を払っていると、姫様がちょいちょいと手招きしているのが見えた。「私の膝にお乗り」と促しているようだ。土が付いてしまったことを理由に遠慮しようとしたけれど、姫様は「それがいいのよ」といって譲らない。別に、姫様がいいと言うのなら、私も構うことはないのだけれど。ただお師匠様に見つかった時のために、しっかり言質は取っておかないといけない。
「こんなに土にまみれて、何をしていたの?」
「野菜を育ててるんだよ。裏に回ると畑があるからね」
「お野菜?永遠亭の食事では足りないの?」
 本気で言っているのだろうか。……姫様のことだから、多分本気なのだろう。永遠亭に出入りする人々が増えて、知識は順調に増えていっているのに、不思議と世間慣れする様子はない。イナバ達の食料を全部永遠亭で賄おうとしたら、恐ろしい量になってしまう。お呼ばれしてお相伴に預かったり、気紛れに施しを受けたりすることはあるけれど、基本的にイナバの食料はイナバ達自身で賄っている。そう答えると、働き者なのねえ、と言って感心された。多分この会話も、重要な知識の引き出しには入っていないのだろう。
「人型になっても、生活は変わらないよ」
「そうみたいね」
「食べ物も、衛生観念も変わらない。だから、基本的に何でも触るし、何でも食べるよ」
 言っていて、突然悲しくなった。自分がそのように生きていることに疑問なんかないのだけれど、姫様の膝の上に居ると、何故だか自分の汚れていることを激しく意識してしまって辛い。姫様の側にいられて幸せ、という気持ちよりも、姫様を汚す存在になりたくない、という気持ちが強かった。
「大丈夫よ。安心して、乗っかってなさいな。ちっとやそっとじゃ、私は汚れたりしないわ」
 姫様は私の髪をさらりと撫でた。汗でべとついたはずの髪が、姫様の手に梳かされると、そこだけ洗われたように感じられた。
 そういえば、と思う。
 本当に、姫様は汚れないのだ。お師匠様が月を隠したあの異変を経て、永遠亭は幻想郷の一員として認知された。多くの人間や妖怪がこの場所を訪れ、永遠亭の面々とそれぞれの縁を作ったけれど。それによって、姫様は何も変わることがなかった。社交的になったり、新しい言葉を覚えたりはしたけれど、それはあくまで外向きのもの。中身はかつての姫様のまま、気性も価値観も変化していない。どんな相手も状況も迎え入れるのに、その出会いが彼女を変えることはないのだ。樹脂で加工された鍋みたいに、ひと拭きすればするりと汚れが落ちてしまう。汚してしまわないようにと気を使い、側にも寄れずにいるよりは、ずっとよいのかもしれないけれど。私と話したことや、一緒に過ごした時間が、姫様に残すものは何もないのだろうかと考えると、ちょっと(だいぶ)寂しくもある。
「……そうだよね。姫様は、姫様だもんね」
 汚れとは「変化」のことかもしれないわね、と姫様は言った。きれいな花も、旬を過ぎて、畳の上に花弁を散らせば汚れになる。紅も差しっぱなしにすれば汚れだし、豪勢な料理も残した段階で汚れだ。価値の在ったはずの有機物が、時間を経て価値を失う。それが即ち「汚れ」なのではないかと、姫様は言うのだ。成程、と思った。とすると土は汚れの塊かな、と聞くと、いいえ土は純粋だわ、と姫様は答えた。
 どんな汚れも、乾いて風化して、土に戻っていく過程で、無機物に近づいてゆく。無機物は純粋だ。汚れも不純も時間が経てば、純粋な存在へと回帰する――。その示唆は、私のように長く生きた者にとって、福音のように聞こえた。生きることは、汚れを溜め続けることと同義だ。長く生きれば生きるほど、どうしようもなくなったあれこれを引きずって、身体も精神も重くなる。それはもう仕方のないことなのだと思っていた。けれど、もしも全ての有機物が、長い時間を経ることで、やがて無機物に至り、純粋に戻りうるのだとしたら。もっともっと長く生きた暁に、私もまた、純粋な何かに戻れるのだとしたら。それは、とても素敵なことだと思ったのだ。少しでも、いつか夢見た透明さに近づけるのかもしれないと。勿論、姫様のような存在には、程遠いとしても。
「……座ったら、急に疲れてきちゃった」
「眠っていいわよ」
「重いでしょ?」
「平気よ。貴女くらいの重さなら」
 ねんねんころりよ、と歌い出す姫様。節に合わせて背中をさすり、まるきり子供扱いだ。腹を立ててもおかしくないのに、不思議と全く嫌ではなかった。私は姫様の膝を枕にして、ころんと横になってみた。別段特別でもない、当たり前の体温を持った肉体だった。
 昼日中から、膝枕をしてもらって、子守唄を聞きながら寝転んでいる。こんなところをイナバたちに見つかろうものなら、威厳も丸つぶれだ。私はあの子たちの保護者だから、こんな姿は絶対に見せたくない。……その一方で、できるだけ長くこうしていたい、なんて感じている自分もいた。誰かに甘えるということが、こんなに気持ちのよいことだということを、久しく忘れていた。姫様の歌声と、掌の温もりは、膝の上に私を縫い付けてしまう魔力でも在るかのようだった。
「おやすみなさい、イナバ」
 穢れ無き月の民と、穢れた地上の妖怪兎。その境目はいつだって明確で、交われることはないけれど。こうして眠りに落ちる瞬間だけは、何もかもが溶けて、一つになってしまえる気がした。夜空から地上を見守る、満月のような優しさに包まれて――私は為す術もなく、眠りの世界へと落ちていった。


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蓬莱の薬で変化しないって、何も外見や歳だけでなくて
内面とか、生まれの性質も含んでいるのかもしれないね
50ヶ月前
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なんと、蓬莱の薬とは生きながら土に還る薬であったか(短絡)
情景は微笑ましいのに、なにか月世界のような寂しさも感じる・・・。
50ヶ月前
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