あやはた小話
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あやはた小話

2015-07-27 18:50
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 気紛れに文の家に遊びに行くと、文は寝室で一人寝転んでいた。ど、どうしたの、体調悪いの?と聞くと、体調ではなくて、精神的な方です、と文は答えた。殺風景とも言える寝室で、カーテンを閉めきり、この気温の中で一人毛布にくるまっている文の姿は、正直異様だった。……そしてその淡々とした返答から、恐らく文はこういう行為を、これまでに何度も繰り返してきたんだろうとも推測できた。
「……相談してくれたら、良かったのに」
「相談、ですか」
「だって、文は、私が駄目になった時、相談に乗ってくれるじゃん」
「それは私が貴女の家を定期的に訪ねるからでしょう……私の方からわざわざ貴女の家に行って、相談に乗るよう頼むのですか」
「う……」
 そりゃそうだ。文が来てくれるから、私も相談のきっかけが掴めるのである。って、納得しちゃ駄目なんだけど。
 文の言葉に悲壮感は感じられないけれど、その代わりに倦怠感が強く滲んでいる。本当にしんどいのだろう。下手に話しかけないほうがいいのかな、と思う。でも、そうやって遠慮して、色々駄目にしてきた気もする。もしも助けが必要なら、多少強引でも私が頑張らなきゃいけないはず。文が嫌だって言ったら、すぐやめよう。言わなかったら、もう少しだけここにいよう。とりあえずそう決めて、私はベッドの脇に腰を下ろした。
「いつもこうしてるの?……その、こういう時は」
「いつもは仕事や、付き合いで解消できます。こんな風に内側に貯めこむのは、完全に滞った時だけ」
「システムがあるんだ……凄い」
 私ときたら汚れた部屋と綺麗な原稿用紙を行き来してぐるぐる回ってるだけなのに。文は自分の精神まで、仕事道具のようにメンテナンスしているんだ。
「凄くありません。怖がりなだけですよ」
「何が怖いの」
「停滞」
 文に怖いものなんかあるのだろうかと思っていたけれど。聞いてみると、確かにそうだろうなと思える。停滞。移動でも仕事でも最速を誇る彼女にとって、成程停滞は何よりも恐ろしいことだろう。完璧なまでのスケジュール管理は、見方を変えれば、変調への過剰なまでの恐怖なのかもしれなかった。
 天狗の姿を得て間もない頃の私は、もっと疾く、もっと強く、などと子供じみた夢をみたこともあった。天狗という種族の能力の高さ、自由さに有頂天になっていたのだ。けれど、私より疾く高く飛ぶ仲間たちを見て、なんだ私は別に特別じゃないんだ、と感じた。恥という概念を覚えるとともに、夢は急速に冷めていった。諦める能力だけは、他の誰よりも優秀だったと思う。お陰で無駄に傷つかないで済んだし、効率のいい道を探す目も養えた。何より、負けた時の言い訳がとても上手くなった。自虐じゃなく、開き直りでもなく、本当にそれは良いことだったと思うのだ。納得出来ないけれど受け入れなければならないことを、まず口の中で10回繰り返し。次に自分を正当化する言い訳を、また口の中で10回繰り返す。目を開けるのはその後でいい。これだけで、随分息がしやすくなる。少なくとも、後頭部から地面に倒れこむような、立ち直れないショックを受けることはなくなった。情けないけれど、負け慣れた者だけが持つ、曲がりなりにも一つの武器と言えると思う。
 だから、勝ちを常態とする存在にとって、停滞のショックはさぞ大きかろうと思う。諦めてしまえば楽になれることを、それでも立ち上がろうとする。受け流すべき風を、正面から立ち向かって越えていこうとする。それが文のやり方だった。これまでもずっと。
「積み重ねた先に、あるものを」
 毛布の隙間から、文の言葉が切れ切れに紡がれる。
「掴んだ時……私は果たして、初めてことを成した日のように歓喜できるのかと、そう考えると」
「うん」
「恐ろしくなります。心の核が抜き取られたように、寒く」
 文の声は震えていた。もしかしたら呼吸だけでなく、体も震えているのかもしれないと思った。抱きしめてあげたら、少しは和らぐだろうか、なんて思ったけれど、きっとこれは外から暖められるような代物じゃないのだ。せめて手でも繋いであげたいと思ったけれど、手も含め全身が毛布の中にすっかり収まっていた。仕方がないから、毛布の余り部分をきゅっとつまんだ。
「……私は、この時間を、不毛とは思っていません。この恐怖と向き合う時間こそが、明日の私をより先へと飛ばすと知っているからです」
 空虚な強がりとは思わない。蓄積による、確かな説得力のある、魂の篭った声だった。けれど、その熱が、どうしても今、この瞬間、文の震えを止めることが出来ないのだと考えると、とても不可解だった。こんなにも文は「見えている」のに。何が足りなくて、彼女は未だに恐怖の檻の中に幽閉されているのだろう。
 ありがとうございます、少し楽になったかもしれません、と文は言った。それは私が帰りやすくなるよう促す言葉に他ならなかった。文が一人で戦うと決めている以上、邪魔をする訳にはいかない。ライバルに追いつき追い越すことを、私はいつだって夢見ていたはずだった。けれど、あの文の孤独で壮絶な戦いを目の当たりにして、それでも上を目指すと言えるかと聞かれたら、簡単に答えられそうになかった。情けないけれど、いつものように、私は「保留」の回答しかできなかった。
 誰も届いたことのない場所に、文は居る。それすらも更に塗り替えて、未だ見たことのない世界へと、文は突き進んでいく。都度恐怖に囚われ、都度振りほどきながら。初めて見た彼女の苦悩は、痛々しく、禍々しく、そして気高かった。追いつけないにしろ、離される訳にはいかないと思った。彼女の戦いを、もっと側で見ていたい。ライバルでいたいから……少なくとも私は、彼女をライバルだと思っていたいから。興奮の冷めやらぬまま、私は仕事机に向かった。二三行書いてみたけれど、やはりいつもと変わらず、文章は早々に破綻して駄目になった。いつもならここで投げ出すところだけれど、今日はもう一度くらい、チャレンジしたいと思った。それとて、また挫折に終わってしまうものなのだとしても、せめてもう一度。


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確かに、過剰に凹み過ぎないように考え方を調整してしまう事ってありますね…。
こんな苦闘も生のあるうちと思えば勿体ない気もしますにゃ。
この場では何にもならなかったかもしれないけれど、
それでも、はたてが居てくれて文には良かったのかもなぁと思います。なんとなく。
50ヶ月前
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思いの熱が冷めてしまったら、駄目なんですよね・・。鉄は熱い内に打て。
47ヶ月前
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