けねあきゅ小話
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けねあきゅ小話

2015-07-31 18:50
  • 4

 昼下がりに控えめに扉を叩く音、その正体は阿求であった。私の書いた歴史書をまた読みに来たという。割合頻繁に読みに来るので、以前貸し出す提案をしたのだが、ここで読む方が書かれた環境も一緒に味わうことが出来ていい、ということだった。大人顔負けの礼儀正しさを持つ少女であり、手間や迷惑がかかる気遣いはまずない。私はお茶を出してやることにした。
「ありがとう、慧音」
 こくこくと麦茶を飲み干す阿求。熱の篭った書斎なので、上気するのは納得できるが、それにしても少し様子がおかしい。額に触れてみると、どうも少し熱があるようだった。
「夏風邪か」
「んー。知恵熱かな」
「無理は後々祟るぞ」
「分かっては居るんだけど……」
 阿求は額に手を当て、困ったように笑う。物静かな風貌からは想像できないくらい、彼女はあらゆる方面に好奇心が旺盛だ。調べることにも書き記すことにも、彼女は飽きることがない。休む、というより、作業から離れることが、既に耐え難いのかもしれなかった。
「人間は寿命が短いから。阿礼乙女となると尚更」
「ならば余計に、拗らせるわけには行かないだろう」
「――ということが、感覚的に理解できてないの。まだ」
 なるほど、風邪をひくと面倒だと言うのは大人の分別である。壮年の大工ですら、無理をして書き入れ時を棒に振っているところを何度も見た。阿求はまだ思春期の少女だ。そういうことを知識として理解してはいても、感覚として理解するだけの齢を重ねていないとは言えよう。
「私は人より高い記憶力を持っていて、その分、一つの体験を何度も追体験することができる。だから、人よりも幾分充実した生を送っていると思うのだけれど」
「うん」
「その分だけ、自分の体験に縛られてしまうの」
 なるほど。同一の成功(或いは失敗)ばかりを何度もなぞり直すのであれば、次も同じ結果が出るだろうと思い込んでしまうのは道理である。
「だから、私は多くの知識を得たい。私の記憶を、私一人分の体験で埋め尽くすのは余りにも勿体無いから」
 妹紅に、よく飽きないね、と言われたことが在る。例によって、私が歴史書を編んでいる時のことだ。書き記す作業は徹頭徹尾地味であり地道である。世にどんな事件が在ろうとも、己にどんな思想が在ろうとも、それを一朝一夕で形にすることはできない。一文字一文字を、日々積み重ねていくほかない。そしてまた、私の残すのは他でもない、歴史書である。書いている間にも、新しい歴史が積まれていく。いつまで経っても目的地に辿り着けない、そんな日々をもどかしく思ったりしないのか、と妹紅は言うのだった。
 私にとっては、そんなことは考えるまでもなかった。どんな仕事だろうと同じであり、人生だって同じことである。成功を願い、成果を焦っても、即座に手に入るものではない。豊かな生を得たければ、ただ目の前の一日を重ねてゆくことを目的にするしかないのだ。働くのも、学ぶのも、鍛えるのも、書き記すのも、ただ日々を過ごすのも、同じこと。解るだろう、と言うと、妹紅は頭を掻きながら、何となくは、と答えた。
「悩んだりはしないのか」
 立ち止まったり、俯いたり、振り返ってしまうことは、ないのだろうか。この情熱的な阿礼乙女には。
「まさか。悩むよ、いっぱい。……でも、どうせなら、走りながら悩みたい」
 人間には時間がない。阿礼乙女には、尚更時間がない。その分だけ、目一杯走る事が出来る。己の体力の限界を知らず、それ故にいつも全力疾走できる子供のように。日々の記憶が数えきれないほど積み重なった後に、その全てがゆっくりと憂鬱に変わってゆくということを、彼女はきっと生涯知ることはない。持って生まれたエネルギーを使い果たすまで、人生を、そして運命を走り切るだろう。私は阿求を羨ましく思う。
「……熱。辛くないんだな?」
「うん」
「辛くなってきたら、素直にやめること」
「ありがとう」
 彼女は歴史書に視線を戻す。自分の書いたものが、こうもらんらんとした目で眺められる体験はそうない。誰かに見られる為ではなく、単純に書き残すことを目的とした歴史書だが、柄にもなく誇らしくなって、私の顔も少し上気してしまった。貪欲で居られることは幸福だと、久方ぶりに思った。歴史を書き残すことも、寺子屋で子供達に様々な知識を与えることも、結局は刹那的なものだ。妹紅と共に居ると、頻繁にそのことを考える。それはとても良い示唆だと思う。妹紅にとっては、私もまた阿求のように、熱に浮かされた幼い少女のようなものなのかもしれない。
 不意に生まれた気紛れな情熱を、さて何処に向けようかと思案する。それは私がまだ半人半妖となって間もない頃、満月の夜の己の肉体を鎮めかね、従事する仕事を探していた、あの頃の感覚とよく似ていた。そしてそれはひょっとすると、妹紅が輝夜と決闘する、その感覚とも同一であるのかも知れないと思った。


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どうせなら、走りながら悩みたい・・・素敵だ
ちょっと真似したくなる生き方だなぁ
50ヶ月前
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ただ目の前の一日だけが人生だ、みたいな。
物書き2人の、互いに胸を熱くするような交流がなんだか尊い物に感じる・・・。
50ヶ月前
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大人になったとしても、日々を希薄な物ではなく新鮮に過ごせるかどうかが
人生を楽しめるコツだと思うの
50ヶ月前
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気持ちは真っ直ぐ、けれど道のりは曲がりくねっている。阿求の生き急ぐ姿がとても尊く見えるなぁ、と
50ヶ月前
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