【1章】

 その日も、朝から静かな一日だった。

 午後の陽光が小さな窓を抜け、傷んだ木床を容赦なく炙る、静寂に包まれた兵舎。 歩を進めるたびガチャガチャと鎧が擦れ、頼りなさげに廊下が軋むその先に、古ぼけながらも見慣れたドアが私を迎えてくれた。いつものように手甲に魔力を籠め、丸いドアノブをゆっくりと捻る。なんの抵抗もないままに限界まで回るそれは、留守中、この部屋に侵入を試みた不届き者が存在しないことを告げていた。

 その身を室内へと預け入れると同時に、肺に溜まった陰鬱とした空気をふぅっと吐きだし、ドアを閉める音でそれをかき消す。さきほどまでの鉄と汗にまみれた臭気は薄れ、薬草の類を乾燥させた香気が漂うこの部屋は、グリフォンが軽く寝がえりをうてる程度には広い。窓から入り込んだ陽射しの向こうには寝室へと続く扉が見え、その手前を、よく磨きあげられた木製の執務机が遮っている。

 古書や魔法書が押し込められた書棚、薬液瓶が乱雑に並ぶ作業台などを横目に、それまで左手を占有していた書状の束を机上に叩きつけると、幾度目となるか分からない溜息がまたこぼれた。


 しばしの沈黙ののち、視界の端でなにかが動いたような気がした。反射的に視線を向けた先にあったのは、曇りがかった鏡台に映りこむ自身の姿。やけに赤々とした重装甲の全身鎧、それに似付かわしくないエルフ特有の長耳、そして緑の長髪の根本には、夢魔や淫魔の象徴とされる巻角がその人物性を表すように捻じくれ、どちらかといえば長身の背丈をさらに後押ししている。

 ひどい顔だな、と思った。蓄積した疲労と不満をただ表に出るに任せた顔。加えて、人々に忌み嫌われる魔族の角。何度これを斬り落とそうとしたことか知れない。ふと「それでも女のつもりか」と誰かに言われたことを思いだしたが、そいつには後ほどキッチリと【ご挨拶】に伺ったところまで記憶を巡らせると、薄ら笑みを浮かべていた鏡の中の顔にまた嫌気がさし、我に返った。


 机上にばら撒かれた書状に視線を戻す。いわゆる報告書と呼ばれるそれの、所属と官姓名の記入欄に目がとまった。

 所属、帝国聖騎士団。
 秘匿名、不落。

 この簡素な文字の並びが、今の私をあらわすすべてだ。詳細な部署区分も階級もなければ、私がもつ本来の名前すらもここでは必要としない。それは私としても都合が良いことだが、聖騎士団などという絢爛な名称には未だ慣れる気はしない。さらに言えば、この報告書の内容だ。城内清掃、倉庫整理、害獣駆除など、およそ聖騎士に似付かわしくない任務の数々が並ぶ。それ自体は些末なことだが、それらがすべて欺瞞に満ちたものであると知る身からすれば、なんとも夢のない話だと思う。

 不意に、廊下が軋む音が聞こえた。その少し後に、二回、三回、一回と特徴的に鳴らされるドアノック。漏れそうな溜息を堪えながら同じようにノックを返すと、ドアの隙間から一枚の紙片が捻じ込まれ、訪問者は何を言うでもなくその気配を消した。紙片には緊急の文字とともに要人救出の任務内容が綴られており、その最後はこう締めくくられていた。

『……報告書への記載は【巡回警備】とすること。なお、この指示書は読了と同時に消滅する』
 
 声を出す暇もなく、紙片は閃光を発して燃焼四散した。十秒ほど視界が失われる中、聖騎士団とは何なのかその定義の再構築を試みたが、乾いた笑いが込み上げそうだったので考えるのをやめた。




【2章】

 沈みかけの日に周囲が赤々と染まる頃、隣国との国境近く。この付近一帯は深い森に覆われており、一本の街道だけが頼りなさげに国同士を繋いでいる。そこから少し外れに分け入った先、人の肩幅はあろう樹木の影。認識阻害の魔法結界に身を潜めながら、私は指示書の内容を思い返していた。

 要人救出、対象は帝国の高官ゴードン・ゴルトマン。以前一度だけ見掛けたことがあるが、歳相応の交じり白髪と顔の皴、そしてまっすぐ射抜くような力強い眼に、それまでの経験に裏打ちされたであろう信念と精神性を感じたものだ。しかし高潔で知られる彼を、それゆえに帝国内部では煙たがる者も多い。そんな彼が何者かに拉致され、その命と引き換えに高額な身代金の要求があったのだという。

 事件の解決にあたっては帝国上層部でも意見が割れたらしいが、馬鹿正直にカネを払えば相手がつけあがるだけとする判断のもと、偽金を持たせた交渉役を単身突入させての殲滅救出作戦に決まったそうだ。それはそれで大した馬鹿さ加減と思うが、だからこそ聖騎士団の、それも魔族混血の私にこの任務がまわってきたのだろう。上手くいくならそれで良し、失敗するなら厄介者のゴルトマンは消え、その責を私に取らせる。性根の腐ったお偉方や反魔族主義連中が考えそうなことだ。そんな思惑が見え透いてなお、親愛なる我が聖騎士団長さまがそのまま任務をお通しなさったのは、信頼が厚い証拠と考えるほかない。

 ほどなくして、夕日の赤が宵闇に呑まれていった。小鳥のさえずりは虫の音に消え、優しく揺れていた枝葉が大袈裟にざわつき始めると、まとわりつくような湿った風が吹き抜けていく。身代金引渡しに指定された古い坑道跡はすでに目視圏内だ。頃合いと見て私は、魔法結界の解呪を済ませた。


 廃坑道の入り口は、かつての賑わいを想像するのも難しいほどに荒れ果てていた。打ち捨てられたであろう何かの金属片や木材、くり抜かれた岩壁ですらが、みな等しく腐食腐朽し自然物に呑まれつつある。犯人側の指示によれば、ここで松明か照明魔法いずれかを灯りとし、しばらくその場に留まれとのことらしい。後者を選んだ私の頭上には、爆炎魔法を球体状に押し固めたものが煌々と浮かんでいる。こんな状況下ではただ照らすだけの光源よりも、いつでも炸裂させられる攻撃的なものの方が良い。その時のための防護魔法ももちろん展開済みだ、それらを使ってはならぬとの指定は受けていない。

 やがて、坑道奥からわずかな風の流れとともに、湿った砂利を踏み鳴らす音が聞こえ始めた。次いで、松明の灯り。ゆらゆらと、しかし規則正しく近付くそれは、一度こちらを見据えたであろう動作を経てなお戸惑う様子もなく、ゆっくりと迫ってくる。そして、焦げた木の香りがいっそう強くなったところで、その歩みは止まった。

「……まさか、あんたが来るとはな」

 聞こえてきたのは、粗野ではあるが無骨さは感じない、かすれた男の声。どうやら私を私として認識しているようだが、欠片も狼狽える様子が見られないのが気に掛かった。人質を手にした優位性によるものか、それとも、それほどまでの戦力と人数を揃えているのか。

「私では不満か?」
「いや上等だ、入ってくれ」

 促されるままに入り口をくぐると、照明代わりの爆炎球がようやく坑道内を燈色に照らした。男はすでに背を向けており顔はよく見えなかったが、無造作に首元まで流した頭髪と革を基調とした各種装備は、いかにも山賊然とした佇まいだ。男は、ところどころ枝分かれする通路を一切の迷いなく先導していく。しばらくの後、男が喋り始めた。

「さすがは音に聞く『不落』さまだ、こんな状況でも静かなもんだな」
「なにか喋った方が良いのか?」
「普通の神経してたら、不安を紛らわそうと口数が増えるもんさ」
「世間話は苦手でな」
「そうかい、まぁその度胸は認めるぜ。だが……こっちはどうかなッ」

 男は瞬時に踵を返すと、上体を捻る動作から松明を横薙ぎに投げ付けてきた。回転する燃焼部は一瞬のうちに視界全体を明滅させ、かと思えばすでにそれは目前に迫っている。避けようと思えばできないことはない、この程度の不意打ちならば過去にいくらでも経験してきた。だがこの狭い通路で回避行動を取ったとしても、前もって展開していた防護魔法のどこかに当たることは避けられない。ならば、このまま動かずとも問題はない。

 パァンと弾けるような音とともに、防護壁の妨害を受けた松明は火の粉を撒き散らしながら空を舞う。その向こう側、光源を1つ失い暗闇となった視界の奥から、腰だめに短刀を構えた男が突っ込んでくるのが見えた。ギラついた眼と、噛みしめた歯を剥き出しにしたその表情は、心なしか笑っているような気さえする。この攻撃手段は非常に厄介なものだ。石ほどの重みしかない短刀でも、体重を乗せれば強力な貫通力を得る。すでに勢い付いた突進を止めることも難しく、下手にいなせばそのまま組み付かれて滅多刺しだ。そしてここは両隣を岩壁が陣取っている。だからこその、防護魔法でもあるわけだが。

「防壁だよりか、舐めるなよ!」

 男は、それでもお構いなしとばかりに突撃を敢行してくる。そして、短刀の切っ先が防護壁に触れた瞬間、その理由が分かった。バチバチと瞬くような青白い閃光とともに、防護壁に亀裂が走っていく、つまりこれは──。

「防壁破りの解呪刀だ、俺を甘く見過ぎたな!」

 短刀から広がる亀裂は勢いを増し、全体にまで行き渡ると、防護壁は硝子が割れるような音を立てて砕け散った。青い残光が男の表情をさらに印象深く浮き上がらせ、やはりそれは笑っているように見えた。男は、私との間に空いたほんの少しの距離を限界まで踏み込み、一度は止まった突進に最後の加速を乗せる。その手に妖しく輝く短刀は、私の心臓を標的にまっすぐ突き出された。

「これが『不落』か!? この程度も凌げねぇようじゃぁ、どの道……ん?」

 突き立てたはずの短刀。しかし違和感を覚えたのか、男は呆気に取られた表情で手元を確認する。そこにあったのは、青白い閃光とともに防護壁に沈み込む短刀だった。男が『あっ』と言うや否や、私はその手首を捻り上げ後ろ手に回し、そのまま岩壁に叩きつけて押さえ込んだ。

「舐めてなどいない。念入りに準備をしてきただけだ」

 防護魔法の多重展開は、一般的には不可能とされている。だがそれは、単一展開式のものが広く伝わっているだけであり、私の用いるそれとはそもそものモノが違うのだ。大体、解呪刀一本で私を殺れると思っているのなら、それこそ甘く見過ぎているという話だ。舐めているのかね。

「わ、わかった、俺の負けだ! 降参だ、降参……!」

 呆れるような降伏宣言でむしろ清々しさすら感じるが、まだ人質の安否も掴めぬ今、戦力も不明な相手の神経を逆撫でするのは得策ではない。私は拘束を解いた男を適当に投げ捨て、燃え転がる松明を拾い上げた。後ろで男の声がする。

「……や、やけにあっさりじゃねぇか。いいのか、またやるかもしれんぞ?」

 私は手にした松明を、岩壁にもたれ掛かる男に突き出した。逃げ場なく壁に後頭部を打ち付ける男。その眼前で燃焼部分が空中をコツコツと叩き、その度に軽く火の粉が舞い落ちた。先ほどとは違う形式の防護魔法を男に施してやったのだ。外からは当然ながら内からの干渉にも対応する優れもの、その内部に、私が照明代わりとしていた爆炎球を放り込んで。男も、それが何を意味するのかは早々に理解したようだ。

「案内を続けろ。妙な真似をすれば、今度はお前自身が照明魔法になる」

 男は何か言いたそうではあったが、気まずそうに頭をかきむしると、何も言わずに歩き出した。





【3章】

 私の意思一つで起爆する爆炎球を肩に浮かべながら、男は坑道内を先導し続ける。その背中を常に視界のどこかに捉えながら、私は少なからず違和感を覚えていた。

 この男が廃坑入口で言った『あんたが来るとは』という言葉。あれは、私の存在が想定外であるからこそと思った。しかし、私を『不落』として認識しながら少しも狼狽える様子はなく──これでも不埒な輩どもにはそれなりに名が知れている身だ──にもかかわらず身体検査も武装解除もないままに招き入れ、そうしておきながら単独での不意打ち。窮地においては仲間を喚ぼうとすらしなかった。それらに加えて、匂いだ。この男がただの山賊風情であるなら、組み伏せた時に油脂が腐り固まったような特有の不快臭がしてもおかしくなかったはずだ、だがそれも無かった。過去の経験則に当てはまらない事例などいくらでもあるが、それが二度ならず三度を超えてくるなら話は変わってくる。

 この違和感をどう捉えるべきか。この連中がまだ駆け出しの素人集団であるだけなのか、或いは……。

「着いたぜ、ここだ」

 振り向く男の声に不意を突かれ、ハッと我に返る。動揺を悟られぬようゆっくりと視線を向けた先には、一際暗い横穴が口を開けていた。ほんの少しの間を置いて視線を戻すと、燈色に照らされた男がわざとらしく片眉を上げる。お先にどうぞということらしいが、この状況で敵に背中を見せるなど、余程の自信家か考え無しの阿呆がすることだ。私にその気がないと悟った男は、やれやれといった表情で歩き出す。その後ろ姿を蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られながらも、視界の通らない通路を十歩ほど進んだ先には、それまで反響していた足音すべてを吸い込むような、開けた空間が広がっていた。


 ここは廃坑の中継地点だろうか、今までの狭苦しい坑道とは違い、帝国軍の練兵場を思わせるほどに壁は遠く天井も高い。その至る所に木組みの足場や階段などが巡らせてあり、壁に掛けられた松明やランタンがそれらを淡く照らしている。案内の終着点はどうやらこの広間の中央らしく、粗末な椅子やテーブルを十人ほどが囲んでいる。そのほとんどは案内役の男と同様の身なりをしていたが、その中に異質な者が二人いた。

 一人は、遠目にも椅子に拘束されていることが分かった。政府高官に支給される男性用の官服に身を包んでおり、足や胴体に食い込む荒縄は見るからに痛々しい。おそらく両手も椅子の背に縛り付けられているのだろう。頭には雑に編み込まれた袋を被せられておりその表情は見えない。

 それを遮るように、もう一人が堂々と椅子に身を預けていた。周囲の連中よりも目立って重装備であり、急所になり得る箇所には金属板による補強がなされている。頭部すべてを覆う兜には視界確保のための切れ込みがあるようだが、この薄暗がりでは、近付いたところでその内部までうかがい知ることは難しいだろう。だがその容姿や威風からして、連中を束ねる頭目であることは容易に想像できる。

 彼らから少し離れた位置で足を止めた案内役の男は、私の歩みを制しながら言った。

「交渉人をお連れしました、聖騎士団の『不落』です」
「……ほう、随分と大物が来たものだ。首尾は?」
「上々です。多分いけますよ、多分ね」

 頭目らしき兜付きのくぐもった声は、相応に年齢を重ねた男のものだ。話を続けようとする案内役を押しのけながら、私は男に施していた防護魔法を解除、照明代わりの爆炎球を私の頭上へと追随させた。そろそろ交渉の時間だ。

「自己紹介は必要なさそうだな。こちらはカネ、そちらはゴルトマン氏の身柄、それで取引は完了だ。まずは氏の無事を確認したい」

 私のその発言から、しばしの静寂がその場を支配した。誰も喋らず、誰も動かない。あと二~三秒ほど誰も喋らないようなら、とりあえず案内役の男に回し蹴りでも喰らわせようかと思い始めたところで、頭目が周囲を一瞥した。それに応えるように、配下どもが無言のままに頷いて見せる。そして、改めて私を正面に見据えると。

「……良いだろう、顔を拝ませてやる」

 言うや否や頭目は、ゆっくりと自らの兜に手を掛けた。なんの抵抗もなくスルリと脱ぎ捨てられたそれは、坑道内すべてに響き渡るほどの音を立てながら、引っ掻き回すように地面を転がっていく。そして露出する、顔。そこに、これまで得ていた違和感の正体を垣間見たのだ。交じり白髪に、顔の皴、射抜くような眼……間違いない、こいつは。しかし、なぜ。

「ゴードン・ゴルトマンだ。話すのは初めてだな、『不落』殿」




【4章】

 決して表情に出すまいと平静を装うに努めたこの数秒が、私には途方もない時間に感じられた。

 今回の任務は、何者かに拉致されたゴードン・ゴルトマンの救出と実行犯の殲滅だったはずだ。しかし今、その頭目らしき男がゴルトマンを名乗り、確かにその顔は過去の記憶と一致している。面倒なことになりそうだと思った。とりあえずここにいる全員を死なない程度に痛めつけてから考えるのも手だろうか? ……そんなことを考えていると、ゴルトマンを自称する男が口を開いた。

「安心してくれたまえ、我々は敵ではない。まだ味方でもないがね。少なくとも君に危害を加えるつもりはない、まずはそれを認識してもらえれば結構だ」

 まっすぐな眼だった。匪賊奸賊といった類の下卑たものとはまるで違う。だがそれだけで腹の内すべてを探れるはずもない、裏表のある人間なぞいくらでも見てきた。現に私は、ここに至る道中で不意打ちを仕掛けられているのだ。思わず振り向いた視線の先では、案内役の男がまるで意に介さぬとばかりに肩をすくめていた。

「その男は言わば試験官だ、交渉人を見定めるためのな。他に質問は?」

 視線一つを質問と捉える判断力にいささか苛立ちを覚えつつ、私は言葉を選ぶ。

「お前は何者だ?」
「もはや自己紹介は必要なかろう」
「こいつらは?」
「私の部下だ」
「そこで拘束されているそいつもか?」
「それは言えない、まだ君が敵か味方かわからないのだから」
「……お前たちの目的は、なんだ?」

 しばしの沈黙を経て、男は椅子から立ち上がる。そして、その場の全員に聞こえるほどの呼吸を一つ済ませると、ゆっくりと身体を前傾させ深々と頭を下げて見せた。

「助けてほしいのだ、『不落』殿」

 その瞬間、周囲を取り巻く空気が一変した。部下だという者たちは一様に、ある者は顔を伏せ、天を仰ぎ、また背を向けたのだ。それは背後のふざけた案内役も同様だった。ゴルトマンを自称する男が地面に落とした視線は、おそらく変わらずにまっすぐ地を穿っているのだろう。その様を部下たちが見まいとするのは、上官に対する敬意か、それともこの状況への不満の表れ、またはそれらが入り混じったものであるのか。この男が本当にゴルトマン本人であるかの確証はない、しかし否定もできぬ程度には、私自身がこの状況に呑まれている。

 だとしても、まったくもって要領を得ない申し出だ。そこにどんな理由があるにせよ、地位ある人間が部下と共謀し偽装犯罪を起こしたとすれば重罪である。その上で交渉人を値踏みするかのような仕掛けを労し、挙句の果てに助けを乞う意図とは一体なんなのか。

 それを問い質そうとしたその時だった。卓上で静かに揺らめいていた一つのランタンが、小さく爆ぜるように明滅を繰り返し始めたのだ。全員の視線がその一点に集中する。

「十、二十……五十はいるぞ! おい『不落』よ!」

 案内役の男が詰め寄ってくる。

「てめぇ、一人で来るって取り決めを無視しやがったな!?」

 どうやらこのランタンには、侵入者を検知する仕掛けが施されているらしい。だが、後詰めの部隊が突入するなどという話を私は聞いていない。そのように反論する間もなく、別のランタンが同様に明滅を繰り返し始めた。

「もうそこまで来てやがる、『不落』てめぇ……!」

 まるで私が奸計を巡らせていたと言わんばかりの、怒りに満ちた眼。そしてまた、傍らではもう一つのランタンが明滅を繰り返し始めている。

「よさないかロナン! 『不落』殿、何か言うことは?」

 ゴルトマンの静止に、案内役の男──ロナンという名らしい──が不満げに踵を返す。離れ際に「これだから帝国は腐ってるんだ」などといった旨の悪態がいくつかこぼれていたが、私に言われても困るというものだ。もう慣れたことではあるのだが。しかし想定外の状況が発生していること自体は、私の望むところではない。

「私の任務は単独での交渉と救出だ、後詰めなど不確定要素にしかならない」

 それに加えて殲滅だが、この場では伏せるべきだろう。余計なことは言わないに限る。

「……そうか。そうだろうな。おそらく『不落』殿も嵌められたと見るべきか」

 私「も」と言ったか? そう思うや否や、廃坑全体に沁み込むように地鳴りが響き始めた。おそらく件の侵入者たちが大挙として押し寄せる音だ。迫り来るそれらからは、廃坑内に数ある分岐路を迷っている様子は感じられない。やはり私が後詰めを誘導しているのだろう、とすれば、交渉用に持たされた偽金袋に細工がなされていたのか? だがこれを用意したのは誰あろう親愛なる我が聖騎士団長さまだ。

 少しの間もなく、土中を這いずりまわっていた地鳴りは、破裂するかのような数多の金属音へと様相を変えた。広大な廃坑中継地点、その天井にまで届くであろう耳障りな音を立てながら、勢いそのままに帝国兵が突入してきたのだ。五十どころか百にも及ぶ規模と見えるそれらは戦闘用に武装されており、すぐさま出入り口を封鎖するように布陣を終えた。その陣奥から、指揮官らしき兵士が前に出る。

「我々は帝国聖騎士団である! 案内ご苦労であったな『不落』殿」

 魔法や矢弾に適した距離を空けて尚、頭部を覆う兜で籠った声に聞き覚えは無かった。

「新顔にしては数が多すぎるな、貴様らなど私は知らんぞ」
「聖騎士団長殿の命令により急遽編成された部隊である」
「それを証明するものは?」
「書状がここにある。任務終了後に確認するがよい」
「いま見せろ」
「そのような命令は受けていない、これ以上の問答は任務妨害とみなす」

 その瞬間、先ほどの仕掛けランタンが一つ弾け飛んだ。ゴルトマンらはそれが威嚇攻撃と見たのか帝国兵を睨み付けているが、しかしこれは私の精神の昂りが魔力感応を起こしてしまった結果だ。妙な状況に発展する前に気を静めなくてはならない。そのための深呼吸を一つする間に、指揮官兵がさらに続けた。

「今より貴様ら全員、許可なき言動に対しては一斉砲火をかけるものとする」
「……それは、私もろとも始末するということか?」
「警告したぞ『不落』殿、場合によってはそれも止む無しとの命令だ」
「ほう、その程度の数と火力で私を殺れると、あの団長が言ったんだな?」
「弩弓隊、構え! 次は無いぞ!」

 刹那、身体中に血と魔力が急速に巡り、残りの仕掛けランタンが跡形もなくすべて爆ぜた。やってしまったと思った。ゴルトマンらがそうであったように、帝国兵側もそれを敵からの攻撃と捉えるに違いなかったのだ。当然のごとく、指揮官兵の怒号が廃坑に響き渡った。

 放たれた矢弾の群れからは、死肉を喰らう凶鳥、その鳴き声に似た音が聞こえた。




【5章】

 私の知らぬ間に急遽編成されたという帝国聖騎士隊。耳慣れぬ声をした指揮官の弩弓斉射号令。『不落』たる私を前に遅滞なく命令を遂行する弩弓兵。殺意を乗せて飛来する矢弾の群れ。

 なんとも不可思議な光景だ。今この瞬間、世のすべてを敵に回した気さえする。

 一方ゴルトマン陣営は、部下一同が身体を盾にゴルトマンへの射線を遮ろうとしていた。この状況においてそれしか防御策を持ち合わせていないことに対しては言いたいことの一つや二つあるのだが、命を投げ出すことに躊躇いなどないその姿には感心する。おかげで防護魔法の展開も容易に済むというものだ、防衛対象は小さく纏まっている方が都合が良い。

 私の左前腕部に固定装備されている小型の丸盾は、このような緊急時にその性能を如何なく発揮する。盾に魔力を流し込むとその外周から噴き出すように力場が展開され、即席の防護壁となるのだ。魔力流入量によって防御範囲や強度の調整も利く優れものなのだが、過去この用法を兵装管理課に提案したところ「扱える者などいるか」と一蹴されたことがある。


 ともかく、撃ち放たれた矢弾はすべて弾き落とすに至ったわけだが、ここで新たな疑問が二つ浮かんだ。一つは、帝国聖騎士隊が撃ち放った矢弾の中に、防壁解呪用のものが見当たらなかったこと。彼らの裏に件の聖騎士団長さまが本当にいるとすれば、それ相応の装備を手配するはずだ。もう一つは、ゴルトマン陣営の動き。部下たちが身を挺してゴルトマンを守るのはわかる、だがそのゴルトマン自身が、椅子に縛り付けられている偽ゴルトマンをかばうように位置を取り直したように見えたのは、考え過ぎだろうか。

 思考が巡る間に、さらなる号令のもと弩弓斉射が続けて着弾する。これを防ぎ続けるのは容易だが、埒が明かぬと白兵戦を仕掛けられれば、多勢相手かつ多面的な混戦となり対象防衛に隙が生じやすい。ゴルトマンの真意はさておき彼がこの件の重要参考人であることに違いはなく、ここで死なせるわけにはいかないのだ。そこで私は、彼らにこう告げた。

「お前ら、位置はそのままで目と耳を塞げ」
「どうするつもりかね」
「あれを使う」

 私の指さす先には、この廃坑を訪れるにあたり照明魔法として用意した爆炎球が揺らいでいた。正確には、炸裂し続ける爆炎魔法を防護魔法の応用で無理やり球状に押し固めたもので、その封を解けば即座に大爆発させることが可能な代物だ。敵対象との距離が開いている今の状況ならば使わない手はない。照明魔法として振る舞う欺瞞効果にも期待できるため、不意を突いた運用が効果的なのだが、これも過去に魔法開発部から「人としてどうか」と提案を却下されたことがある。

「良いのかね、彼らも同じ聖騎士団なのだろう?」
「知るか。私まで殺そうとするなら等しく殲滅対象だ」

 改めてゴルトマンたちに用意を促す。そして、彼らが目と耳を塞いだことを確認したその時。

「待てーい」

 その声はゴルトマンらの後方から聞こえた。そこには、椅子に縛り付けられこれまで身じろぎ一つしなかった偽ゴルトマンが、相変わらずそのままでいる。

「あくまで無力化にとどめろー、殲滅は許可しない」

 頭に被せられた雑編みの袋越しに聞こえる声は、聖騎士隊指揮官の怒号と矢弾の弾着音に混ざり合い、過去の記憶と合致するものを見出せない。思わず、お前は誰だと口をついて出た。

「俺だよフラァ~ク。敵に容赦する必要はないが、時に行き過ぎるのがお前の悪い癖だ」
「お前は誰だと言っている!」
「まだ分からんか。今回の変装術式はなかなか具合が良いらしいな」

 そう言うと偽ゴルトマンは、拘束された足首から先を器用に動かし、つま先で地面を叩き出した。二回、三回、一回。少しして、二回、三回、一回。そしてまた、二回、三回、一回。割れたランタンの破片によるものか、その都度に引っ搔くような音が混ざり込み、特徴的な動作をいっそう際立たせた。

 ほんの少しの間をおいて、それまでの湧き上がるような昂りと少しの苛立ちを、一つの溜息で吹き散らす。そして、こちらも二回、三回、一回と、つま先で抉るように地を蹴って見せた。緊急時におけるこの簡易識別暗号を、ゴルトマンに成り済ましていたこの男が認識できるのかどうか、それは些末な問題だ。今この瞬間においては、私がそのように返すこと自体が最優先事項となる。


 それが、帝国聖騎士団長の命令だからだ。


「……了解、ではそのように」

 かくして、照明魔法として揺らめき続けてきた爆炎球はついに本懐を遂げることとなる。威力そのものは指向性を持たせて対象外の空間へ、しかし閃光と爆音はそのままに最大限の炸裂を。もちろん自分の耳には防護魔法による簡易耳栓を展開済みではあったが、廃坑内すべてに行き渡ってなお余りあるであろう破滅的な轟音は、全身の皮膚を、骨を、内臓をも叩き、突き抜けていく。当然、こんなものを耳と鼓膜で直接受ければひとたまりもなく、加えてこの薄暗い廃坑内での閃光である。気絶することができなかった者は自分の不運を呪うことだろう。


 誰も死なせない、誰も殺さない。
 それが、どんなに難しいことか。
 しかし時として『不落』には、それが望まれるのだ。


 そう言えば、団長の耳に防護魔法を施すのをうっかり忘れていた。誓って任務受注時の返礼ということではなく、あくまで咄嗟の判断に誤りがあっただけであるが、今のうちに始末書の内容でも考えておくとしよう。




【6章】

 その日も、朝から静かな一日だった。

 星明りが硝子窓を抜け、傷んだ木床を撫でるように照らす、静寂に支配された兵舎。歩くたび擦れる鎧の音を耳障りに感じながらも、軋む廊下の先、暗がりに溶け込む見慣れたドアは、いつもと変わらずに私を迎えてくれた。魔力を籠めながらゆっくりとドアノブを捻る。侵入者の形跡なし。誰もいないとわかっていながら誰にも聞こえないように漏らした溜息には、湿った土煙が混ざっているような気がした。

 ドアの隙間から滑り込ませた照明魔法が、室内と調度品の輪郭を淡く浮かび上がらせる。普段ならランプのいくつかに火を入れるところだが、今はそれすらも面倒だ。努めて音を立てないよう後ろ手にドアを閉め、しかしその後は放り出すように身を椅子に預けると、【巡回警備】とだけ書かれ詳細は手付かずの報告書を机に投げつけた。


 目を閉じ、深く大きな呼吸を一つ。
 このまま寝てしまいたいと思いながらも、先刻の任務内容に思考を巡らせる。


 何者かに拉致されたゴードン・ゴルトマンの救出。彼を無事に連れ帰ることだけを考えたなら、この任務は問題なく成功したと言える。だが、そこで起きていた状況はそれとは違う現実だ。

 今回の事件は、ゴルトマンとその部下らの偽装工作によるものであった。聞けば、所属派閥内における機密費横領を見咎めその告発準備を進めていたゴルトマンだったが、同僚や協力者が次々に買収され孤立。政敵と化した連中に無実の罪を着せられ失脚寸前に陥り、果ては、暗殺を示唆する脅迫を受けるほどにまで追い込まれていたらしい。誰が敵で誰が味方かも判然としない中、この手の厄介事を取り扱う帝国聖騎士団にも表立って協力を打診することができぬまま、心身ともに磨滅する日々を送っていたという。

 そこに、我が親愛なる聖騎士団長さまが単身極秘に介入、ゴルトマンに接触し、一連の絵図を描いた結果がこの顛末ということらしい。

 帝国上層部、ゴルトマン、その政敵、加えて私すらも、知らぬ間に団長の掌で踊らされていたに過ぎないのだろう。そして表向き聖騎士団は、『上層部の決定に従い極秘に要人救出任務を遂行した結果、帝国内における腐敗とその謀略に巻き込まれた』という立ち位置を取る。公正中立を旨とする聖騎士団や私のような魔族混血を疎ましく思う者が、帝国上層部にどれだけ潜んでいるのか知れないが、そのような連中にとって今回の事件は手痛いものとなるに違いない。と同時に、この件がしばらく尾を引くであろうことを考えると、先の見えぬ政争にまた感情が淀むばかりであった。


 不意に、廊下の軋む音が聞こえる。
 少し後に、二回のドアノック。
 次いで、聞き覚えのある男の声。


「さっきは世話になった、ロナンだ。入っても良いか?」

 閉じていた目を開いたが、返事はしなかった。とにかくもう面倒だったからだ。

「おい、いるんだろ? ドアの隙間から照明魔法が漏れてるぞ」

 しまったと思った。今さら解呪するわけにもいかない。ここはこのまま無視して、任務に疲れて眠っていたということにでもするか。

「あんたみたいな人がこの状況で、眠りこけたままってこともないだろうしな?」

 なんだこいつは。私にだって時には、物音に気付かず熟睡することくらいあるはずだ。というか、そうしたいのだ、本来ならば。

「……挨拶、しとこうと思ってよ。これが最後かもしれねぇし」

 なんとも嫌な物の言い方をする。ゴルトマンやその部下である彼らの今後がいかなるものか想像に限界はあるが、『最後』を自覚する人間は、大抵ろくでもない結末に向かうというのがこれまでの経験則だ。致し方なく、彼を迎え入れることにした。

「カギは開いてる、勝手にどうぞ」

 少しして、申し訳なさそうにドアが開く。

「……あっれ、出迎えてくれねぇの?」
「また斬り付けられては、かなわんからな」
「あー、さっきはスマンかった、あれも命令でよ」

 少々荒々しい所作ではありながら、しかし音を立てぬようドアを閉めたロナンは、物珍しそうに室内を見回したのち、壁に追いやられていた来客用の椅子に勝手に座り込んだ。いまいち素性の掴めない男だ。高官ゴルトマンの部下という割には、その立ち居振る舞いに上品という言葉は似合わない。

 少しの沈黙。なにか話があって来たはずの当の本人は、椅子と壁に寄りかかりながら、肘掛けを撫でたりパタパタと指で叩いたり、かと思えばまた室内を見回したりと、落ち着きがない。話をする前に茶の一杯でも出せということなのだろうか。ロナンに聞こえるように溜息をついた私は、吊るしていた薬草を少し手折り、陽光と星明りに晒した魔素入りの水で即席の霊水を振る舞った。

「美味くはないがな」
「お、おぉ」

 椅子に戻りながら、私も口中の土埃を洗い流すように霊水を飲んだ。それを見てからようやく口を付ける辺り、この男もそういう世界で生きてきた人間なのだろう。

「たしかに変な味だな、なんだいこれ?」
「幻覚剤」

 言うや否や噴き出すロナンに、それまでの鬱屈とした気分が少し晴れた。冗談に決まっているだろうと投げ掛けながら、わざとらしく霊水を注ぎもう一杯飲んで見せてやる。

「だが、これで少しは話しやすくなったか?」
「……」

 毛虫でも見るような表情をしつつ、手にした霊水と私に向けた視線を何度か行き来させると、ロナンは覚悟を決めたように一気に飲み干す。そして、カラになった硝子杯を弄びながら、こう切り出した。

「あんた、どこまで知ってたんだい?」
「何をだ?」
「とぼけんな、今回の件についてだよ」
「さて、どこまでと言われてもな」

 弄ばれる硝子杯が、調光を絞った照明魔法の光をぼんやりと乱反射し続ける。少ししてロナンはゆっくりとした動作でそれを目の高さまで掲げると、片手で器用にまた弄び始めた。先ほどよりも輝きを増す硝子杯に目線は向けているが、その焦点はどこか別のところにあるように思えた。

「……俺ぁ、なんにも知らなかった。うちの御大将が抱えてたこととか、これからやろうとしてたこととか、隠し事が下手なくせに聞いてもなかなか教えてくださらねぇ。今回の件、事前に聖騎士団長サマと話を付けてたってのを知ったのも、ついさっきさ」

 私と似ていなくもない境遇だ。団長とはもう十年からの付き合いだが、彼の立案する作戦や任務はいつも唐突かつ無理難題が多く、事後に詳細を聞かされるというのも、もはや珍しいことではない。

「そんな主人に付いていくのは、大変か?」
「そういうあんたは、どうなんだよ?」

 咄嗟にお互いの視線が交差した。ロナンの眼差しからは、怒りとも不安とも知れぬ複雑なものを感じる。それは、ゴルトマンに対する忠誠心によるものか。

「私は帝国聖騎士団の『不落』だ、それ以外に身を置ける場所を他に知らん。それに団長は間違ったことをする人でもなくてな、紆余曲折あっても終わってみれば結果は上々というのがいつもの流れだ。お前のところはどうだ?」
「……」

 掲げた硝子杯とロナンの目線が、彼の膝まで落ちた。

「べつに、知らなかったことに不満があるってわけじゃねぇ。情報なんてのは漏れたら終わりだ、必要最低限に伝わってりゃそれでいい。だからせめて、御大将が命を預けたあんたらは、ちゃんと知る側であってほしいんだ」

 そこにはもう怒りも不安もなく、覚悟を決めた男の顔があった。なるほど、自分たちだけでは主人を守れなかった不甲斐なさはあれど、想いだけでも誰かに託しておきたいといったところか。このロナンという男、思ったよりも表情豊かで、いささか青臭い人間のようだ。私はそんな奴が嫌いではない。

「団長自ら首を突っ込んだ事件だ、悪いようにはしない。だがな」

 私は執務机の引出しから、一つの首飾りを引っ張り上げた。私が以前、革紐と金具と小ぶりの魔石だけで戯れに創ったものだ。私はそれを、相変わらずロナンが弄ぶ硝子杯へと、垂らすように放り込む。ロナンが怪訝そうにこちらを見た。

「大したものじゃないが、防護魔法を付与した首飾りだ。……最後の砦がお前たちであることに変わりはない、さぁそいつを持ってさっさと主人の護衛を再開しろ、私は報告書をまとめなければならないんだ」
「あ、ちょっと、おい……!」

 ロナンの襟首を掴み無理やり立たせると、硝子杯だけはしっかりとご返却いただいた上でご退室願った。ドアの向こうで小さく悪態を吐きながら、しかし何か吹っ切れたように廊下を軋ませる足取りに、少しの安堵と、併せて罪悪感を覚えた。

 彼にくれてやった首飾りは確かにある程度の防護効果がある。だがそれと同時に、魔石に盗聴魔法を仕込んであるのだ。関与した組織や人物への超法規的情報収集は、団長の方針であり帝国聖騎士団の専売特許だ。だからこそ、闇に葬られてしまうような事件すらも我々聖騎士団が介入し続けることができている。もちろんそれを知り得る者は一握りも存在しない。帝国聖騎士団はどこにでもいるが、どこにもいないのだ。

 さて、あとは今回の事件をどう報告書にまとめたものか。すでに【巡回警備】という名目は決まっている。あとは想像力を働かせた文章をでっち上げて、帝国聖騎士団の『不落』は今日も一日、適当な任務に就いていたことにすれば良い。


 そして今日も、何事もなかったはずの静かな一日が終わっていくのだ。




静かな日、完。