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『トライアングルストラテジー』レビュー:魅力的な選択肢とHD-2D表現がもたらす壮大な歴史の渦に飲み込まれる作品
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『トライアングルストラテジー』レビュー:魅力的な選択肢とHD-2D表現がもたらす壮大な歴史の渦に飲み込まれる作品

2022-03-15 10:30
    筆者はPVを見た際に、感激のあまり思わず叫んでしまった……そんな話題作、『トライアングルストラテジー』がとうとう発売された。期待のあまり発売日前にニンテンドーeショップで購入、あらかじめダウンロードを済ませ万全の態勢で発売日を迎えたほど。

    そんな筆者の期待はどんな結果を迎えたのか? この記事でお話ししたい。

    歴史のうねりを描く大河ドラマ的タクティクスRPG

    『トライアングルストラテジー』は、スクウェア・エニックスからリリースされた新作タクティクスRPG。特徴はそのビジュアルにある。スクウェア・エニックスが『オクトパストラベラー』で見せた、HD-2Dが使用されているのだ。HD-2Dとはいわゆるドット絵をベースとしたキャラクターに、3DCGの効果を加えた背景を合わせることで、独特の立体感や空気感を演出するグラフィック表現のひとつだ。

    ……このビジュアルを見て、グッときたゲーマーは筆者だけではないだろう。おそらくPVを見た瞬間に購入を決意した人も少なくないはず。そう、『トライアングルストラテジー』は、単なる新作タクティクスRPGではなく『タクティクスオウガ』の息吹を有する一作なのだ。

    『タクティクスオウガ』? いやいや、それを言うなら『ファイナルファンタジータクティクス』だっていいじゃない……そう思う人もいるだろう。だが、ゲームの歴史を振り返る上で挙げるべきタイトルは、『タクティクスオウガ』、あるいはその前作『伝説のオウガバトル』だ。

    ゲームの歴史において名作という称賛に留まらず、歴史を変えたと言われる作品がわずかに存在している。

    たとえば、『ドラゴンクエスト』や『スーパーマリオブラザーズ』、『バイオハザード』。いずれも、そのゲームジャンルのお手本といえるタイトル。その作品がなかったら、ゲームジャンルそのものが生まれていなかったかもしれないほどだ。

    筆者が思うに、『伝説のオウガバトル』や『タクティクスオウガ』もそんなタイトル。ファンタジー世界の政治や軍事、宗教などを極力リアルに再現した大河ドラマにも近しい要素を持つスタイルは、この2作がオリジンといっていいのではないかと思う。なお、『ファイナルファンタジータクティクス』は、この2作が生み出した流れの上の一作と捉えている。

    近年は3D技術が発達し、ファンタジー世界をリアルに再現した作品も多い。ただ、3Dゲームの場合はオープンワールドや一人称のアクションRPGとして作られることが多いため、どうしても作品が描く物語のスパンが短め。シリアスなテーマを歴史のうねりとともに語る、大河ドラマ的作品というのは少ないように感じていた。

    だからこそ筆者は、『トライアングルストラテジー』に期待していたのだ。

    タクティクスではなくストラテジー?

    ところで、PVが発表された時点で、筆者にはひとつ気がかりなことがあった。PV的にはどう見てもタクティクス系のRPG。にもかかわらず、タイトルは『トライアングルタクティクス』ではなく、『トライアングルストラテジー』なのだ。

    タクティクスとは「戦術」で、ストラテジーとは「戦略」。この2つの定義は諸説あるのだが、基本的に「戦略」の方が「戦術」よりも大局的で規模が大きいとされる。

    新作タイトルをアピールする上で、過去作よりスケールが大きいことをアピールする上でこの言葉を使ったのだろうか? それとも何か意味があってこの言葉をタイトルに入れたのか?

    本作をプレイしたうえでの筆者の感想は後者だ。本作は『トライアングルタクティクス』ではなく、『トライアングルストラテジー』と呼ぶべき作品だろう。なぜなら本作は3つの国家がそれぞれに抱く「戦略」、そして思惑が絡み合うことによって壮大な物語を作り出しているからだ。

    3つの国家・3つの選択・3つの価値観

    本作の舞台「ノゼリア大陸」には、3つの国家が存在している。ひとつは、船による交易で栄えるグリンブルグ、ふたつめは鉄の産地であるエスフロスト、そして、塩の産地である聖ハイサンド。この3か国は、鉄と塩という資源をめぐり、長年紛争状態にあった。

    しかし時が流れ、和平の道を模索し、3か国共同で新たな鉱山の採掘計画をスタートさせる。だがその裏に隠れた、3か国ぞれぞれの思惑が、さらなる戦乱を生むことになるのだ。なるほど、『トライアングルストラテジー』!

    だが、トライアルなのは国家だけではない。本作の強力な魅力となっているのが「選択肢」。ゲームを進めていくと、しばしば会話に3択の選択肢が登場し、選択を迫られる。

    会話に選択肢が登場するゲームなんて、腐るほどある……そう感じた人もいるだろう。確かにその通り、会話に選択肢が出るゲームなんてたくさんあるし、選択肢が出たから即おもしろいかといえば、そんなことはない。だが、本作はこの選択肢がおもしろいのだ。

    筆者もクリエイターとして選択肢つきのゲームシナリオを書いたことがあるのだが、おもしろい選択肢を作るというのは難しい。というのも、単に選択肢を用意するだけでは、選択肢として機能しないのだ。

    何を言っているかわからないと思うので、具体例を示すと、たとえば『ドラゴンクエスト』のエンディングでは「はい」「いいえ」という選択肢が登場する。エンディングということでどんな内容かは伏せておくが、この選択肢は基本的に「はい」を選ぶまで何回でも繰り返す。

    また、これと似たタイプでは、「A)わかった! B)了解!」みたいな選択肢もある。表現は異なるものの内容は一緒、どちらを選んでも変わらないというパターン。

    こうしたタイプの選択肢は、プレイヤーの作業的に選択は行うものの展開が分岐しない。なので選択肢として機能していない。

    では、ただ分岐させればいいのか……というと、それだけでは不十分。分岐していても、正解が明らかという場合は、やはり選択肢として楽しいものにはならない。たとえば、「A)村人を助ける B)村人を見捨てる」みたいなパターンで、「A)村人を助ける」を選ぶとお金やアイテムがもらえるものの、「B)村人を見捨てる」を選ぶと何ももらえなくなる。

    このパターンは、もしプレイヤーが結末を知っていれば、確実に「A)村人を助ける」を選ぶだろう。「B)村人を見捨てる」を選ぶメリットがない。一見選択できるようで、選択の余地がないのだ。

    また、あてずっぽうの選択肢というのもつまらない。

    たとえば、分かれ道が会った時に、「A)右へ行く」「B)左へ行く」という選択肢が表示されても、それだけではどちらを選ぶのか決められず、プレイヤーはあてずっぽうで選ぶことになる。あてずっぽうということはどちらでもいいので、選択していることにならない。やはり選択肢としては機能していないことになる。

    こうした選択肢の基本を完全におさえ、どの選択肢も選ぶことにも楽しさを生み出していた傑作が『タクティクスオウガ』だった。『タクティクスオウガ』は、ファンタジー世界の政治や軍事、宗教などを極力リアルに再現することで、選択肢に重み社会的を生み出していたのだ。たとえばとある街では、「住民を皆殺しにし、それを敵の仕業と見せかける」という作戦が提案される。

    確かにこの作戦を採用すれば、戦略上の優位性を作り出すことができる……つまり、メリットは大きい。一方で、何もしていない住民を殺害することは、道義的に間違っている……つまり、モラルに反する。メリットか? モラルか? どちらを選ぶべきか、非常に悩ましい。

    本作『トライアングルストラテジー』も、『タクティクスオウガ』が持っていた政治や軍事、宗教などの社会性を基盤にしたリアルさを継承しており、選択肢に重みを生み出すことに成功している。さらに本作は選択肢に「Moral(道徳)」「Benefit(利益)」「Freedom(自由)」という3つの価値観を背負わせることで、整理した。どの選択肢にもそれなりの理があるため、選ぶのが悩ましいのだ。

    そして、だからこそ楽しい。選ぶのに悩むほど重い選択肢を選ばなければならない……それは、歴史上の人物たちが味わって来たであろう場面なのだ。だからこそ、本作をプレイしていると、自分がノゼリア大陸の歴史に立ち会っているかのような気持ちになる。

    それは、これ以上ないほどの感情移入なのだ。

    局面を戦術で打開せよ! 熟考が求められるタクティカルバトル

    続いては本作のメインといえる、バトルについて触れたい。本作のバトルもまた、『タクティクスオウガ』が持っていたターン制のタクティカルバトルが継承されている。四角形のマスで区切られたフィールドで、自軍ユニットを移動させ敵ユニットを攻撃、バトルごとに設定された目的達成を目指すというものだ。

    本作のように、タクティカルバトルとRPG要素を融合させた作品の場合、「育成」と「戦術」とどちらを重視するのかが作品によって分かれる。「育成」を重視した作品の場合、ユニットの動かし方を多少間違えても、ユニットが十分育成されていればOK。誰でも気軽にプレイできる反面、戦術を考える楽しさは少なくなる。

    一方、「戦術」を重視した作品の場合、ユニットをどう動かしていくかが重要になる。ユニットの動かし方を一手間違えると、全軍がピンチになることも。このため、気軽にはプレイできなくなる反面、戦術を考えてゲームを進める楽しさはより強まる。

    では本作はどちらか。『タクティクスオウガ』が「戦術」を重視したのと同様、本作もまた、「戦術」重視の作品だ。

    本作で重要なのが、ユニットの配置と特性、そして行動順だ。本作のユニットには方向の概念があり、背中方向から攻撃を受けると必ずクリティカルヒットが発生、大ダメージを受けてしまう。また、ユニットの前後を挟んでの攻撃は2ユニット連携しての挟み撃ちとなるため、さらにダメージが増加する。

    このため、自軍ユニットを敵集団の近くで孤立させてしまうと、クリティカルヒットからの挟み撃ちで最悪、撃破されてしまう。敵に背後を取らせず、逆に背後を取る……そんなユニット配置が重要となる。

    有利なユニット配置を実現するためには、各ユニットの特性を知らなければならない。ユニットごとに魔法による遠距離攻撃、飛行、2回行動などの特性があるため、ユニットの特性に応じた動かし方が重要だ。

    戦況を有利なものにするためには、ユニット同士の特性を連携させなければならない。たとえば、移動能力の高い飛行ユニットに防御力アップのバフをかけ、遠く離れた敵を攻撃し、すぐに離脱する……といった具合に。そのために重要なのが、ユニットの行動順。

    画面下に表示された行動順を確認し、ユニットをどう連携させるかを考えるのだ。

    ユニットの配置と特性、そして行動順……これらは間違いなく本作のバトルの本質。しかし、どのバトルでも同じように動かしていては勝つことができない。本作のバトルは、「遠距離中心の敵にどう近づくか?」「高台に居座る弓兵をどう処理するか?」など戦い毎に異なるコンセプトが設定されているからだ。

    このため、バトルごとに「今回はどのユニットをどう動かすか?」をしっかり考えなければならない。頭を使う楽しさが堪能できる。それはつまり、本作がタクティクスRPGの醍醐味を正面から実現しているということだろう。

    HD-2Dが見せるゲームならではの表現形態

    最後に、本作のビジュアル面、HD-2Dについて触れておきたい。最初に「PVを見た筆者が、感激のあまり思わず叫んでしまった」と書いたが、これはつまり、本作はPVをちょっと見ただけでわかるほど、ビジュアル的に『タクティクスオウガ』の遺伝子を継承しているということになる。

    FPS(一人称視点)にTPS(三人称視点)、トップダウンビュー(見下ろし視点)にサイドビュー(横視点)……と、あらゆる視点のゲームが存在する現在となっては、本作のビジュアルは特に新しくない。しかし、『タクティクスオウガ』がリリースされた時点では、斜め見下ろし型の視点は非常に珍しく、さらに斜め見下ろし型であることを活かして、2Dでありながらマップに高さの概念を持ち込んでいるところも新鮮だった。つまり『タクティクスオウガ』はビジュアル面でもエポックメイキングな作品だったのだ。

    だからこそ、HD-2Dという技術によってビジュアルがブラッシュアップされたことがうれしい。

    HD-2Dとは、一見、16Bitゲーム時代のレトロな2Dビジュアルのように見えるものの、最新技術によって現代的な美しさが付加されたビジュアルのこと。たとえば本作の背景は、一見『タクティクスオウガ』のクォータービューのように見えるが、実際には3Dで描写されているため、自由自在に回転させることができる。……もっとも、背景の3D化だけでいえば、『ファイナルファンタジータクティクス』の時点で実現されていた。

    本作ではさらに、被写界深度……カメラのピントが合っているところだけシャープに表現し、ピントが合っていないところはぼかすといった表現や、光の処理などが加わり、2Dとも3Dともつかない、独特の美しさを実現している。筆者は本作において、これらのHD-2D表現が、ただ「美しい」だとか、「懐かしいのに新しい」といった以上の意味を持っていると思った。

    それは、「ゲームという文化独自のビジュアル表現」の実現だ。

    「リアル」と「リアリティ」とは違う。たとえば現実の人間がそのまま登場する実写映画は、人形劇と比べて間違いなく「リアル」だ。けれども人形劇に「リアリティ」がないかといえば、違うだろう。

    人形劇で主人公がピンチのとき、観客はハラハラするし、主人公が活躍すればワクワクする。つまり観客は人形劇の内容を「その世界における現実のこと」として受け取っているのだ。「リアリティ」とはこのこと。

    その上で、人形劇はそのビジュアル表現に独自の価値を持っている。人形が演じるという表現形式そのものに、人形劇としての価値があるのだ。決して、「本当は実写映画にしたいんだけど、予算やもろもろの都合からしょうがなく人形劇にした」のではない。

    翻って、ゲームではどうだろう。筆者個人的には、ドット絵によるビジュアル表現は、人形劇と同じように、ゲームという文化独自の価値を持ったビジュアル表現だと思っている。

    ただ、進化スピードの速いゲーム業界では、過去の表現はチープとされがちだった。たとえば、ファミコン・スーパーファミコン時代は3Dが使えなかったから2Dなのであって、3Dが使える今となっては、2D表現は古い……という風に。

    しかし、スマートフォン向けのライトなゲームの普及やインディーゲームの台頭、HD-2Dの登場によって、そうした状況は変わってきた。

    実際のところ、ドット絵を使ったディフォルメキャラクター表現には、独自の利点がある。代表的な例が「省略」だ。

    たとえば、『ドラゴンクエスト』では、世界全体が舞台になり、世界すべての国・街・ダンジョンをめぐる。その上街ではすべての建物に入り、勝手に人の家の家具の中を調べ、アイテムまでゲットすることが可能だ。また、国や街が違っても、使っているタンスやテーブルは共通している。

    こうした表現は、ネタにされることも多々あるものの、プレイするにあたってさほどの違和感はない。それは、『ドラゴンクエスト』が、デフォルメ表現を使っているからだ。もし、実写のようにリアルな3Dビジュアルだったら、違和感が強すぎて『ドラゴンクエスト』世界のリアリティは成立しないだろう。

    『タクティクスオウガ』や本作が、とある大陸の歴史の流れをという壮大なスケールを描くことができるのも、ドット絵のデフォルメがあってこそ。

    そう考えると、HD-2Dとはゲームが切り開いた、ゲームならではの価値を持った独自の表現形態のひとつといえる。「現実にどれだけ近いか?」という価値ではない。人形劇にとっての人形だとか、影絵にとっての影だとかいったものに近い、アート的な価値だ。現在進行中の大河ドラマ内の解説パートでゲーム由来のマップが採用されていることの意義と言えばわかってもらえるだろうか。もはやゲーム内での優れた表現形態、手法は、ゲームの世界を飛び出しているのだ。

    アート的な価値……などと小難しいことを書いてしまったが、もちろん、そんなことを意識せず本作は楽しめる。大河ドラマのような壮大なストーリーを味わいながら、タクティカルバトルに知恵を絞る時間は至福……! 物語を丁寧に描くため、序盤はやや展開が遅く感じるかもしれないが、第5話くらいから一気に引き込まれ、プレイが止められなくなる。間違いなく名作だと思うので、興味のある人は「様子見」や「見送り」ではなく、「購入」を選択肢として選ぶべきだろう。

    文/田中一広

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