今回はRootportさんのブログ『デマこい!』からご寄稿いただきました。
※すべての画像が表示されない場合は、http://getnews.jp/archives/1373468をごらんください。
少子化の原因が分かったので対策書く/書籍『失敗すれば即終了』の補足(デマこい!)
1.2人──。
これは2050年における老人と現役世代の比率だ。現在は老人1人に対して現役世代2.4人だが、30年少々でこれが半減してしまう*1。
*1:「少子高齢化による人口構成の歪みで国民皆保険は危機的状況」 『健康保険が危ない 崩壊前夜!日本の医療』
http://special.nikkeibp.co.jp/as/201401/kenpo/column/vol1/
ホモ・サピエンスには20万年以上の歴史があるが、これほど苛烈な高齢化社会が出現したことはない。まるで〝サイエンス・フィクション〟のような世界に私たちは向かっている(河野稠果『人口学への招待』中央公論新書(2007) p25)。
社会福祉は崩壊し、年金は有名無実のものになるだろう。日本語の通じない外国人介護士に虐待されて、殴られるのが怖いから糞まみれのオムツを枕の下に隠す。あるいは、一人暮らしの自宅で転んで骨折し、助けを呼べないまま餓死を待つ。これは妄想ではない。将来、私たちが直面する未来だ。
現代の医療なら、多くの人が100歳近くまで生きる。いま60代だからといって、少子高齢化のもたらす地獄から逃げ切れると思ったら大間違いだ。30年後、あなたは何歳だろう?
幸いなことに、出生率は死亡率ほど正確には予想できない。人口の年齢構造の変化には、出生率の影響が大きく、死亡率の影響は小さい(河野稠果(2007) p27)。先進国では死亡率がほぼ一定だが、出生率は社会・経済の情勢によって変動する。子供が大人になるまでには20年ほどかかる。今すぐ手を打てば、破滅的な高齢化社会は避けられる。少なくとも、ソフトランディングさせられる。
では、なぜ少子化は起きたのだろう?
どうすれば出生率を回復させられるだろう?
少子化のメカニズムは、上掲の図1枚に要約できる。日本を含むアジア諸国では、戦後、ほぼ例外なく少子化を経験した。それらのデータを比較検討した結果、このメカニズムが浮かび上がってきた。
まずは、意外な事実からお伝えしよう。
「経済的に豊かな国では少子化が進む」と信じている人は多い。学校の社会科で、いわゆる「人口転換論」を教わるからだ。しかし、事実はまったく逆である。実際には、「少子化の進んだ国は経済的に豊かになる」のだ。
※この記事は拙著『失敗すれば即終了!日本の若者がとるべき生存戦略』(晶文社、2016年1月22日発売)の内容を補足するものです。
日本の少子高齢化
下記のグラフはネットに出回っている画像だ。これが事実なら、日本政府はことごとく合計特殊出生率の予想を外したことになる*1。合計特殊出生率とは、再生産年齢(※15~49歳)にある女性の年齢別出生率を合計したもので、「1人の女性が生涯に産む平均的な子供の数」を表していると言える。
歴史上、合計特殊出生率がもっとも高かったのは1660年以前生まれのフランス系カナダ人で、11.4だった(マッシモ・リヴィ=バッチ『人口の世界史』東洋経済新報社 (2014) p16)。これはヒトが生理的に可能な出産数の上限に近い。またハテライトと呼ばれるキリスト教系信者のコミュニティも多産で知られており、合計特殊出生率は8.5~9くらいになる。避妊も堕胎も禁止されているからだ。
私たちの祖先に近い暮らしをしている狩猟採集民族の場合、合計特殊出生率は4.5ぐらいだ(グレゴリー・クラーク『10万年の世界経済史』日経BP社(2009)上巻p138)。つねに住居を移動する生活では、複数の子供を同時に育てるのが難しい。そのため出産の間隔が開き、生涯に産む子供の数は少なくなる。農耕と定住により出産間隔の短期化が起こり、合計特殊出生率は7.0程度まで上昇した。そして世界人口の増加が始まった(マッシモ・リヴィ=バッチ(2014) p40)。
ネットを探せば、少子化の原因についてもっともらしい(しかし救いようなく間違った)言説を見かける。たとえば女性の社会進出、識字率の向上、初婚年齢の高齢化……。これらは少子化をもたらした犯人として名前が挙がるが、現実のデータを調べると、容疑は限りなく無罪に近い。なぜネットの論客(笑)たちは、こうもバカげた間違いを繰り返すのだろう?
おそらくそれは、データをきちんと見ていないからだ。
戦前からの長期推移を見ると、日本の合計特殊出生率は1949~58年の10年間で大幅に下落したことが分かる*2。産業革命期のヨーロッパの水準である4.5前後から、現代の先進国の水準である2.0前後まで急降下した。日本の少子化(※少産化)は、この10年間で進んだのだ。したがって、この期間に何があったのかを調べれば、少子化の原因を特定できるはずだ。
*2:「厚生労働省・合計特殊出生率の推移(1925, 1930, 1937-1940, 1947-2012)─女性と男性に関する統計データベース(xls)」 『Winet』
http://winet.nwec.jp/toukei/save/xls/L100120.xls
詳しくは拙著『失敗すれば即終了!』に書いたが、少子化の犯人としてよく名前の挙がるものでは、この10年間の変化を説明できない。たとえば初婚年齢は、男女ともに1932~40年に高齢化していた。これは戦争の激化によるもので、終戦と同時に初婚年齢は一気に下がった。少子化社会への転換が完了する1958年になっても、初婚年齢は戦中よりも低年齢だった*3。たしかに初婚年齢の高齢化は少子化をうながすだろう。しかし、主犯格ではない。
*3:「戦前の初婚年齢の推移をグラフ化してみる(2016年)(最新)」 『ガベージニュース』
http://www.garbagenews.net/archives/1642786.html
少子化を確実にもたらすほぼ唯一のものは、死亡率の低下だ。とくに子供の死亡率の低下が、少子化社会への転換をうながすようだ。上記のグラフでは、乳児死亡率(※生まれて1年以内に死亡する子供の比率)を示した*4。一見して分かるとおり、合計特殊出生率と寄り添うように推移している。
*4:「厚生労働省・性別乳児死亡数及び死亡率の推移(1900-2013)─女性と男性に関する統計データベース(xls)」 『Winet』
http://winet.nwec.jp/toukei/save/xls/L100240.xls
20世紀前半に、子供の死亡率を引き下げる医療技術が相次いで発明された。戦後、それらが日本に持ち込まれ、子供たちの生存率が大幅に改善された。団塊世代が登場したのは、戦後に女性がたくさん子供を産むようになったからだとしばしば誤解される。しかし戦後に合計特殊出生率が跳ね上がったという事実はない。団塊世代が登場したのは、女性たちが生涯に産む子供の数を増やしたからではない。医療技術の恩恵で彼らの多くが生き残ったからだ。
興味深い点は他にもある。上記のグラフは購買力平価1人あたりGDPの推移を示している*5。購買力平価1人あたりGDPとは、1人あたりGDPを物価やインフレ率を補正して1990年の米ドルに換算したものだ。時代や地域を越えて「1人あたりの豊かさ」を示す尺度である。
*5:「フローニンゲン大学GGDCマディソン・プロジェクトデータベース」
http://www.ggdc.net/maddison/maddison-project/data.htm
日本の高度経済成長は1955年から始まった。1960年代には東京オリンピックで戦後復興を世界に見せつけ、1970年代には押しも押されぬ経済大国の地位を手にする。80年代には日本企業が世界を飲み込むとさえ言われた。ところが、このような経済成長が始まる1955年の時点で、合計特殊出生率は2.37まで下落していた。爆発的な経済発展よりも以前に、少子化社会への転換が進んでいたのだ。これは世間に流布している俗説に反する。
俗説では、まず経済が豊かになり、それによって価値観や生活習慣が変わり、医療が向上して、生まれる子供の数が減る。そして少子高齢化社会になっていくはずだ。この俗説が正しいとしたら、合計特殊出生率は経済が豊かになった後に下がるはずだ。少なくとも、経済成長と同時に下がらないとおかしい。経済成長よりも先に下がるはずがない。
しかし、現実のデータには一致しない。
経済成長が少子化をもたらすという俗説は、疑わしい。
経年変化をグラフにすれば一目瞭然だ。日本では、まず合計特殊出生率が大幅に下落して、その後、経済的に豊かになった。このグラフだけでも、経済的豊かさが少子化をもたらすという俗説の反証になりうる。
では、子供の死亡率はどうだろう。乳児死亡率と合計特殊出生率の経年変化を示したものが上記のグラフだ。両者の下落はほぼ同時であり、乳児死亡率のほうが若干先に低下を始めている。このことは、子供の死亡率が少子化をもたらすという仮説と矛盾しない。
今までの話をまとめれば、つまりこういうことだ。
合計特殊出生率と1人あたりGDPとの関係を見ると、少子化(※少産化)が経済発展よりも先に起きている。結果、グラフはL字に近い形(※左下に膨らんだ形)になる。グラフがこの形になるということは、「経済発展が少子化をもたらす」という仮説には一致しない。
一方、乳児死亡率との関係を見ると、グラフは「逆さのL字」に近い形になる。乳児死亡率の低下が、少子化に先行もしくは同時に起こっていたことを示す。このことは、「死亡率の低下が少子化をもたらす」という仮説と一致する。
少子化の原因は、経済発展か、死亡率か──。
じつは、日本のデータだけでは結論を出せない。
というのも、上記の1人あたりGDPのグラフが「L字」に見えるのは、1960年代以降の爆発的な経済発展を取り込んでいるからだ。それ以前の短い期間のデータだけで作図すれば、グラフは(L字ではなく)右下がりの直線に近い形状になる。つまり、経済発展と合計特殊出生率が同時に下がった、というグラフだ。
「少子化をもたらすには1960年代の日本程度の経済的豊かさで充分だ」という仮定にもとづけば、上記のグラフだけでは「経済的豊かさが少子化をもたらす」という俗説を否定できない。購買力平価1人あたりGDPが1960年代の日本の水準、つまり3~4,000ドル程度まで経済成長する過程で、少子化社会への転換が起きるとも考えられるからだ。
経済発展と死亡率のどちらが少子化をもたらすのか?
他国のデータを調べてみよう。
アジア諸国の少子高齢化
経済発展が少子化をもたらすかどうかは、合計特殊出生率と1人あたりGDPの経年変化を調べれば分かる。ここでは、グラフの形状をモデル(A)~(C)に分類した。
モデル(A)は、経済発展が少子化よりも先に進んだ場合に見られるグラフだ。合計特殊出生率は際限なく下がるわけではなく、(日本の1959年以降のように)約2.0まで達すると下落しにくくなるようだ。したがってモデル(A)-2のように、[1人あたりGDPの増大]→[合計特殊出生率の低下]→[低下が穏やかになる]というS字カーブを描く場合もあると考えられる。モデル(A)-1、(A)-2は、どちらも「経済的豊かさが少子化の原因である」という仮説に一致する。
一方、モデル(B)は、経済発展よりも先に少子化が始まった場合に見られるグラフだ。左下に膨らんだ、L字に近い形状になる。日本もこのモデルに当てはまる。
モデル(C)は、経済発展と少子化に相関が無い場合に見られるグラフだ。グラフは一定の軌道を取らず、ランダムな動きを見せるだろう。
モデル(B)、(C)は、どちらも「経済的豊かさが少子化をもたらす」という仮説を否定するものだ。
同様に、乳児死亡率の低下が少子化をもたらすかどうかも検証しよう。上記の通り、グラフの形をモデル(α)~(γ)に分類した。(※アルファ~ガンマ)
モデル(α)は、乳児死亡率が合計特殊出生率よりも先に下がった場合に見られるグラフだ。合計特殊出生率は2.0前後よりも下には落ちにくい。そのため、モデル(α)-2のようなS字を描く場合も考えられる。日本のデータも、モデル(α)-2に当てはまる。モデル(α)-1、(α)-2は、どちらも「乳児死亡率の低下が少子化をもたらす」という仮説と一致するグラフだ。
モデル(β)は、乳児死亡率よりも先に合計特殊出生率が下がった場合に見られるグラフだ。
また、モデル(γ)は、乳児死亡率と合計特殊出生率に相関が無い場合のグラフだ。
モデル(β)、(γ)は、どちらも「乳児死亡率の低下が少子化をもたらす」という仮説を否定するものだ。
もしも少子化の原因が「経済的な豊かさ」だとしたら、多くの国で上記のような組み合わせが見られるだろう。1人あたりGDPのグラフはモデル(A)-1、(A)-2のどちらかになり、乳児死亡率のグラフはモデル(β)、(γ)のどちらかになるはずだ。こういう組み合わせの国が多ければ、「経済的な豊かさが少子化をもたらす」という仮説を肯定できる。
一方、もしも少子化の原因が「子供の死亡率の低下」だとしたら、多くの国で上記の組み合わせが見られるだろう。1人あたりGDPのグラフはモデル(B)、(C)のどちらかになり、乳児死亡率のグラフはモデル(α)-1、(α)-2のどちらかになるはずだ。
では、実際にデータを検証してみよう。
今回は、20世紀後半に少子化を経験したアジア諸国のうち、14の国を対象に調査を行った*6。
*6:「世界銀行・合計特殊出生率データベース」
http://data.worldbank.org/indicator/SP.DYN.TFRT.IN
じつを言えば、この14ヵ国は、もともと「識字率の向上が少子化をもたらすかどうか」の調査対象だった。20世紀に識字率が改善した国としてユネスコのホームページに掲載されていた国である*7。(※結論は、識字率は少子化とは関係ない)調査対象を広げる必要性は認めるが、今回の調査のために恣意的に選んだ国々ではないということを強調しておきたい。
*7:「アジア太平洋の識字状況」 『ACCU』
http://www.accu.or.jp/shikiji/overview/ov04j.htm
結果を以下の表にまとめた。なお、個々の国のグラフは、この記事の末尾に付録として掲載している。
日本を含む15ヵ国のうち、もっとも多かったのは「日本型」だ。1人あたりGDPのグラフはモデル(B)で、経済発展よりも先に少子化傾向が始まっていた。一方、乳児死亡率のグラフはモデル(α)-2で、S字カーブを描いていた。つまり、少子化の原因が「経済的豊かさである」という仮説を否定し、「乳児死亡率である」という仮説に一致する国々だ。
「パキスタン型」は、経済発展と子供の死亡率のどちらが少子化をもたらすのか特定できない国だ。1人あたりGDPのグラフはモデル(A)で、経済的な豊かさが少子化をもたらしたかのように見える。一方、乳児死亡率のグラフはモデル(α)で、子供の死亡率低下によって合計特殊出生率が下がったようにも見える。経済的な豊かさが少子化をもたらしたのか、それとも経済的な豊かさによって(栄養状態や医療が改善して)子供の死亡率が下がり、少子化につながったのか、グラフでは判断できない。それが「パキスタン型」の3ヵ国だ。
「中国型」は、経済発展と乳児死亡率の双方に先立って合計特殊出生率の低下が始まった国だ。中国は1979年から「一人っ子政策」を導入したが、合計特殊出生率はその10年前から急落していた。また、フィリピンは1970年代初頭~80年代初頭にかけて、乳児死亡率は下がらないのに合計特殊出生率だけが低下する時期があった。これはフェルディナンド・マルコスの独裁政権が戒厳令を敷いていた期間と一致する。
最後に、どちらかのグラフがランダムな動きを見せた国が2つある。それが「その他」のカンボジアとモンゴルだ。カンボジアは60年代にクメール・ルージュによる強烈な虐殺が行われたことで知られている。その余波が現れたのかもしれない。
とはいえ、「日本型」に分類されているインドネシアでは1965年に「9月30日事件」が起きたし、ベトナムは今でも共産党の独裁政権じゃないか、という話も出てくる。政治・社会情勢が合計特殊出生率に与える影響については深く立ち入らず、示唆するにとどめよう。日本の「丙午(ひのえうま)」を見れば分かるとおり、文化風習や突発的な事件が合計特殊出生率に大きな影響を与える場合もある。グラフのランダムな動きは、そういう事件によって引き起こされるようだ。
話を戻そう。
今回調査した15ヵ国のうち、およそ半分が「日本型」だった。合計特殊出生率の低下は、経済成長よりも先に、そして乳児死亡率の低下よりも後に始まった。順番を整理すれば、まず子供の死亡率が下がり、それを追うように合計特殊出生率が低下し、最後に経済発展が起きたことになる。「経済的豊かさが少子化をもたらす」という仮説を否定し、「乳児死亡率の低下が少子化をもたらす」という仮説を支持する結果だ。
なお、俗説通りに「経済発展の後に少子化が起きる」という動きを見せたのは「パキスタン型」の3ヵ国のみだ。この3ヵ国においても、所得増加が少子化を引き起こしたのか、それとも、所得増加によって子供の死亡率が下がったから少子化が起きたのかを区別できなかった。
極めつけに、「少子化に対する経済成長の影響が明らかな国」は1つも無かった。1人あたりGDPのグラフはモデル(A)-1、(A)-2のどちらか、そして乳児死亡率のグラフはモデル(β)、(γ)のどちらかになるという組み合わせの国だ。
この結果から、「経済的な豊かさが少子化をもたらす」という俗説はきわめて疑わしいと言える。経済学者ゲーリー・ベッカーらがこの俗説に似た主張をしているが(グレゴリー・クラーク(2009)下巻p155)、今回調査したアジア諸国の状況を鑑みると、彼らの主張は根拠薄弱である。
死亡率の低下が少子化をもたらすという調査結果は、カレン・O・メーソンやジョン・クリーランドらによって報告されていた[(河野稠果(2007) p119)。今回私が調べたデータは、これを裏付けるものだった。
どうやら少子化は死亡率、とくに子供の死亡率の低下によって引き起こされるようだ、驚くべきことに。
ヒトの繁殖パターン、そして少子化のメカニズム
なぜ驚くべきかと言えば、生物の基本的な習性に反しているように思えるからだ。
じつは、死亡率低下が避妊や中絶の普及とともに出生率低下を引き起こすことは「人口転換」としてよく知られている。出生率低下によって「人口ボーナス」が生じ、経済成長の原動力となることは常識だ。しかし、「常識だから」で終わらせるのは思考停止にすぎない。「なぜ死亡率の低下が出生率の引き下げるのか?」という疑問に答えなければ、少子化の原因を解明したことにはならない。
生物は、基本的にたくさんの子孫を残そうとする。うまく子孫を残せた者だけが絶滅を逃れられる。死亡率がどうなろうと、たくさんの子供を産めばよさそうなものだ。にもかかわらずヒトは、死亡率が低い環境では子供を少なく産もうとするらしい。なぜだろう?
一見すると、子供の死亡率低下が少子化をもたらすという現象は、生物の習性に反したものに思える。しかし、ヒトの繁殖パターンを考えれば、疑問は氷解する。
生存曲線とは、ある生物の個体数が時間変化にともなってどう変化するかを表したものだ。誕生直後(※グラフの左端)では100%の個体が生き残っている。一方、寿命の時点(※グラフの右端)では、生存個体はゼロになる。
Ⅰ型の生存曲線は大型哺乳類に見られるもので、生まれた直後から親の庇護を受けるため、多くの個体が大人になれる。そして寿命が近づくと老衰によって死亡率が高くなり、個体数が急減する。
Ⅱ型の生存曲線は小鳥などに見られるもので、生涯を通じて死亡率があまり変わらない。親も子も、捕食等で命を落とす可能性はほぼ同じだ。たとえばツバメのヒナは、わずか20日ほどで巣立ちを迎える。彼らは年に1~2回の繁殖を行うという。子育て期間を短くして、そのぶん繁殖回数を増やす戦略だ。
Ⅲ型の生存曲線はカエルや魚に見られるもので、生まれた直後がもっとも死亡率が高い動物だ。親はたくさんの卵を産むが、そのうち大人になれるのはごく一部だけだ。Ⅲ型の生存曲線を持つ動物は、卵は産みっぱなしで、子育てをしない場合が多い。
Ⅰ型の生存曲線を持つ動物は、子育てに多大なリソースを投資する。哺乳類の場合、妊娠期間中は新たな繁殖ができず、胎児のぶんまで栄養を摂取しなければならない。赤ん坊を身ごもるだけで、時間や栄養といったリソースを投資しているのだ。ゾウは典型的なⅠ型の生存曲線を持つ動物で、妊娠期間は22か月、子供の成熟には十年以上かかるという。
そしてヒトも、Ⅰ型の生存曲線を持つ動物だ。ヒトは誰かに教わらなければ、毒草と食草の区別ができない。狩りの方法も分からない。飲み水の確保さえおぼつかない。ヒトは誰かから教育的投資を受けなければ生存できない。
裏を返せば、ヒトの大人には「子供に投資したがる」という習性があると考えられる。実子はもちろんのこと、血縁者の子供や、場合によっては他人の子供にいたるまで、ヒトの大人たちは子供にカネと時間をかけようとする。拙著『失敗すれば即終了』ではかなりの字数を割いて、この習性の実例を並べた。
自分の子供でなくても、お菓子を買い与え、おもちゃを与え、読み聞かせを行い、ときには遊園地や動物園に連れていく。子供に投資したがるのはヒトの習性だ。遺伝的にプログラムされているからこそ、私たちは子供を「可愛らしい」と感じる。(※とはいえ、そのプログラムがいつでも実行されるわけではないので話がややこしくなるのだが……それはまた別のお話)
子供に投資したいという習性は、しかし、「何人の子供を持つか」という判断にジレンマを生じさせる。
子供1人あたりの投資されるリソースは、子供の数が少ないほど多くなる。一方、病気や事故で子供が死んだ場合には、投資したリソースが(子孫を残せないという点で)ムダになってしまう。リスクヘッジをするためには、できるだけたくさんの子供を持ったほうがいい。
リスク回避のためにはたくさんの子供が必要だが、子供が増えると1人あたりの投資が減ってしまう。そういうジレンマが生じるのだ。
したがって、女性が生涯に産む子供の数は──合計特殊出生率は、子供が死亡するリスクと、子供1人あたりの投資最大化とが均衡する点で決まるはずだ。
上図は、このことを模式的に表したグラフだ。
曲線Iは、子供1人あたりへの投資量を示している。母親が生涯に利用できる育児資源を100%とした場合、子供が2人なら、50%ずつを投資できる。子供が4人に増えれば、子供1人あたりへの投資量は25%になる。子供が増えるほど、子供1人あたりへの投資量は減る。したがって曲線Iは右下がりのグラフになる。
曲線Rは、母親がリスク分散のために産む子供の数を示している。縦軸には右側、親のリスク回避性向を取る。文明が始まる以前の、子供が簡単に命を落とした時代を思い浮かべてほしい。リスク回避性向が強い(※つまり子供を失うリスクを大きく見積もる)母親ほど、リスク分散のためにたくさんの子供を産んだはずだ。したがって、曲線Rは右上がりのグラフになる。
このモデルでは、曲線Iと曲線Rの均衡する点Pで、女性1人の生涯の出産数が決まる。その社会の合計特殊出生率が決まると言い換えてもいいだろう。
日本では、年間所得500万円以下の世帯では子供の数が減る傾向にある。一方、500万円を超えても、子供は増えない*8。
*8「いま失敗すれば、日本終了。」 『デマこい!』
http://rootport.hateblo.jp/entry/2015/05/13/004054
カネが無いと子供を減らすが、どんなにカネがあっても子供の数を増やさないのだ。この現象は、上記モデルに当てはまる。世帯所得が一定以下ではヒトは結婚をためらうし、子供を作らない。なぜなら子供に充分な投資ができないからだ。反面、どんなに所得が増えても、子供を増やそうとはしない。子供の数をいたずらに増やすよりも、子供1人あたりへの投資を最大化しようとするためだ。
ここで、母親の暮らす社会で死亡率が下がった場合を考えてみよう。
栄養状態の改善や、医療技術の発達によって、子供が死にづらくなった社会だ。するとリスク回避性向が変わらなくても(※つまり子供を失うことを恐れる気持ちが同じでも)リスク分散のために産まなければならない子供の数は少なくて済む。したがって死亡率の低下は、曲線R全体が左側にシフトすることで表現できる。(※シフト=平行移動)
死亡率の低下により、曲線Rが曲線R’まで左側にシフトすると、曲線Iとの交点P’が新たな均衡点になる。母親はP’の水準で子供の数を決定するため、生涯の出産数は少なくなる。
死亡率の低下にともない、合計特殊出生率が低下するのはこのためだ。自然法則に反したものではなく、むしろ自然環境に適応するために進化した習性が、現代社会では少子化をもたらしているのだろう。
では、少子化を解決するにはどうすればいいだろう?
まさか子供の死亡率を高くするなどと言う乱暴なやり方はできない。低死亡率を維持したまま、合計特殊出生率を向上させる方法はあるだろうか?
戦後日本をふり返れば、1964年に団塊世代の第一陣が18歳を迎えた。ここから十年間に渡り、合計特殊出生率は回復傾向だった。1970年代は第二次ベビーブームで、団塊ジュニアと呼ばれる世代が産まれた。しかし、乳児死亡率は上昇しておらず、むしろ低下を続けていた。
当時は高度成長の華やかなりし頃だ。日本は戦後からの復興を世界に知らしめた。白黒テレビがカラーテレビに置き換わり、クーラーで真夏も快適に過ごせるようになり、マイカーを買えるようになった。このような社会情勢のなかで、結婚・出産を奨励する風潮が広まったのだろう。
言い換えれば、この時代の人々は、将来の所得が増えると信じることができたのだ。そう遠くない未来に、欧米の先進国に追いつけるだろうと素朴に考えることができた。「自分が将来利用できる育児資源は増えるだろう」という合理的な期待を持つことができた。それが高度経済成長期だった。
もちろん実質的な所得は、80年代やバブル期の人々のほうが多かった。が、その頃には日本は「坂の上の雲」に到達してしまい、将来の自分の所得が倍増する姿を想像できなくなっていたのではないだろうか。日本は飛び抜けて豊かな国になり、具体的な将来像としてモデルにできる国は、もはや無かった。「将来の育児資源が増える」という合理的期待を持つことができず、合計特殊出生率は低下の一途をたどった。政府が具体的な少子化対策に着手するのは90年代に入ってからだった。
将来利用できる育児資源が増える場合、子供の数は変わらなくても、1人あたりの投資は増える。現在、利用可能だと思える生涯の育児資源を100%とした場合、子供が2人なら1人あたり50%ずつだ。これが将来120%まで増えると予測できたなら、子供1人あたりに60%ずつを費やすことができる。
したがって、将来の育児資源が増えることは、曲線I全体が上向きにシフトすることで表現できる。
曲線Iが、曲線I’までシフトした場合、持つべき子供の数は新たな均衡点P’の水準で決まる。人々が、将来の育児資源が増えるという期待を持つことができれば、合計特殊出生率は回復するはずだ。高度経済成長期に(乳児死亡率の低下にもかかわらず)合計特殊出生率が下がらなかったのはこのためだ。
では、どうすれば将来の育児資源が増えるという期待を形成できるだろう?
まず生殖年齢にある10代後半~30代の男女の所得を増やさなければならない。私の調査では、世帯の年間所得500万円ぐらいが、結婚するかどうか、子供を作るかどうかの閾値になるようだ*8。現在の日本でこの水準に達している20代男性は少なく、非現実的でさえある。しかし夫婦の共働きであれば現実味を帯びてくる。女性労働力の活用と、出産・育児が機会損失にならない仕組みの構築が必要だろう。
また、子供の医療費や教育費の無償化も効果的だろう。今まで親が負担していた費用を行政が肩代わりすれば、そのぶん、別のもので子供に投資できる。子供1人あたりの投資を増やせるのだ。
大切なことは、将来の育児資源が増えるという期待の形成だ。
たとえば円安を誘導する場合、中央銀行が「円安にします」と宣言するだけでは、充分な期待は形成されない。実際に市場に介入しなければ、目標額の円安にはならない。少子化対策も同様だろう。「対策します」と宣言するだけでは無意味だし、ちょっとやそっとでは焼け石に水だ。「子供を3人、4人作っても大丈夫だ」と信じられるぐらい手厚い対策を行って、ようやく効果が出るものと思われる。
現代の少子化と、技術と教育の競争
合計特殊出生率が4.0以上から2.0前後まで下がった現象と、2.0前後から1.5以下まで下がった現象は別だと考える人もいるようだ。しかし、ホモ・サピエンスは20万年以上の歴史があり、その大半を狩猟採集民族として過ごしてきた。合計特殊出生率は4.0~6.0で推移したものと思われる。農耕の開始以降、これが上昇した。これほど長期間に渡って、4.0以上の水準を維持してきた。合計特殊出生率が2.0前後まで下がったのは、最近のわずか数十年のことだ。このタイムスケールで考えれば、2.0と1.5はほとんど誤差の範囲だ。
合計特殊出生率が2.0を割ると、個体数を維持できなくなる。このことから、現代の少子化は過去のものとは違うと考える人もいるらしい。しかし、これは生物の世界では珍しいことではないだろう。たとえば資源が限られた環境でいたずらに個体数を増やせば、個体群そのものの絶滅に繋がる。繁殖を抑制して、資源が充分に増えるまで待つという戦略を持つ生物がいてもおかしくない。
何より、この記事で紹介した少子化メカニズムのモデルは、現在の人口減少についても矛盾なく説明できる。
たしかに戦後すぐの「人口転換」と、現在の少子化は、表面的には異なった現象に見えるかもしれない。しかし、表面的には違う現象だからといって、違うメカニズムが働いているとは限らない。月の公転と隕石の衝突は、引き起こす結果は大きく異なる。しかし、働いている重力のメカニズムは共通だ。地球とリンゴは似ても似つかぬ物体だが、万有引力が働く。少子化メカニズムも同じだ。時代を問わずに当てはまるものだ(と私は期待している)。
ここでは親の生涯所得が変わらないにもかかわらず、教育費が高騰した場合を考えてみよう。たとえば、教育・養育にかかるコストが2倍に増えた場合、子供の数が変わらなくても、その子への投資は半分になってしまう。このことは、曲線Iが下向きにシフトすることで表現できる。(※シフト=平行移動)
曲線Iが曲線I’までシフトした場合、新たな均衡点P’の水準で親は子供の数を決定する。したがって、合計特殊出生率は下がる。
ここでは「教育費が高騰する場合」を考察したが、人々の所得低下でも同じことが言える。
将来、自分の生涯所得が増えない・もしくは減るだろうという予想が成り立つなら、それは曲線Iの下向きシフトで表現できる。新たな均衡点P’が1人以下の水準まで下がった若者は、子供を作ろうとしないし、結婚もしない。日本は婚外子が極めて少ない国で、結婚と出産が強く結びついている*9。子供を作らない(作れない)なら、同棲しているカップルであっても結婚に踏み出さない場合が多いようだ。
*9:「図録▽婚外子(非嫡出子)の割合(国際比較)」
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1520.html
日本では戦後、男女を問わず高学歴化が進んだ。
(※余談だが、とくに注目すべきは女子の大学進学率だろう。合計特殊出生率が比較的高く第2次ベビーブームの起きた1964~74年は、ちょうど女子の大学・短大進学率が急上昇した時期に重なる。したがって女性の高学歴化が少子化をもたらすという俗説は間違っている)
第二次大戦後に高学歴化が進んだのは日本だけではない。多くの先進国で同様の現象が見られたという。にもかかわらず、賃金所得の格差は戦後、それほど広がらなかった(トマ・ピケティ『21世紀の資本』みすず書房(2014) p282以降、p316以降)。個人的な感想から言っても、日本で格差拡大が盛んに議論されるようになったのは21世紀に入ってからという印象がある。終戦から20世紀末の長期間に渡り、日本では賃金格差はあまり広がらなかった。
高学歴化が進んだにもかかわらず、だ。
つまり、以前なら中学校卒業レベルの所得階層の仕事を、現在では高校卒業レベルの人々がやるようになった。以前なら高卒レベルだった所得階層の仕事を、現在では大卒の人々がやるようになった。だからこそ、高学歴化にもかかわらず、賃金格差はさほど広がらなかったのだ。
技術革新は、低スキルの仕事を機械に置き換えて、より高いスキルが必要な新たな仕事を生み出す。昭和の「お茶くみ」の仕事を、現在は自動販売機がやるようになった。昭和には数人がかりで作っていた営業資料を、現在ではパワーポイントがあれば1人で作れるようになった*10。技術革新はお茶くみと資料作成の仕事を奪う代わりに、自動販売機を管理する仕事や、MOS試験の監督官という仕事を生み出した。
*10:「もしもインターネットがなかったら・・・」 『Yahoo! BB』
http://bbpromo.yahoo.co.jp/special/showa/
つまり、技術革新の進む社会で、子供が親と同じ所得階層に属するためには、親よりも高度な教育を受ける必要がある。
これが技術と教育の競争だ。
現在では技術と教育の競争により、子供1人が必要とする教育コストは跳ね上がっている。これが曲線Iの下向きシフトを引き起こし、少子化解消の足かせになっているのだろう。このことからも、教育や子供の医療の無償化は少子化対策として有効だと思われる。
現代の少子化については「第2の人口転換論」という仮説がある。ライフスタイルが変化し、女性の権利が拡大した結果、女性はより強く男性を選り好みするようになった。その結果、結婚が難しくなり、少子化が進んだというのだ。
一見すると説得力を感じる説明だが、ちょっと待って欲しい。
ヒトという動物の身体的特徴を見ると、わずかだがハーレムを作る動物の特徴を備えている。他の霊長類に比べれば微々たるもので、ヒトは基本的には一夫一妻制の動物だ。が、それでも「ゆるやかなハーレム制の性質」を持つことは事実だ。(※詳しくは拙著に書いた)この性質があるということは、有史以前から一部のオスが複数のメスと繁殖していたことを意味している。女性が男性を選り好みするようになったのは、別に現代になって始まったことではない。ヒトの繁殖行動には20万年を超える歴史がある。ここ数百年で生まれた「人権意識」が出生率低下の根本的な要因だとは信じがたい。
そもそも、ライフスタイルの変化が少子化をもたらしたという言説は、何かを説明しているようで何も説明していない。循環論法になっているからだ。「少子化の原因はライフスタイルの変化だ。現実にライフスタイルが変化したことが証拠だ」と言うのは、「人がいるのは神が作りたもうたからだ。人の存在が神の奇跡の証拠だ」と言うのと大差ない。「花が咲いたのは妖精のおかげ」と言うことはできる。しかし、花が咲いているからといって、妖精の力を証明することにはならない。
「ライフスタイル」の部分を、他の言葉に置き換えても同じだ。「価値観」「倫理観」「恋愛観」「結婚観」「生き方の多様化」等々。これらの言葉で少子化の原因を説明しようとすると、大抵の場合、循環論法に陥ってしまう。これらの言葉はブードゥー教のおまじないと大差ない。
「第2の人口転換論」は、北ヨーロッパの国々では有力な仮説とされてきたらしい。スウェーデン、デンマーク、ドイツ、オランダ、ベルギー等だ。一方、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア等のアングロサクソン系の国々では、あまりポピュラーな説ではないという。
オックスフォード大学教授のデヴィッド・コールマンは、この学説が当てはまるのは一部の西欧諸国だけで、南欧・東欧諸国、さらに日本を含む東アジア、インドを中心とする南アジア、アラブ諸国を含む西アジアと北アフリカ、さらにサハラ以南のアフリカには適用しにくいと指摘している。ほとんど地球全体で、第2の人口転換論は当てはまらないようだ。
加えて、ロバート・D・レザフォードらの日本に対する研究、ロナルド・R・リンドファスらのアメリカに対する研究によれば、価値観の変化というものは出生率低下のような人口動態の現実的変化が生じた後に起きるのであって、その逆ではないという(河野稠果(2007) p132、p136-138)。「第2の人口転換論」を信じたいのであれば、北欧諸国等の限られた国のデータではなく、複数の国のデータを見るべきだ。日本の少子化について論じるのなら、少なくとも日本のデータに基づいて仮説を検証すべきだろう。
「価値観」などという抽象的で数値化不可能なもので現実の現象を解明しようとするのは、科学というよりも信仰に近い。
まとめ
少子化の原因は、死亡率の低下だ。他にも様々なものが少子化の犯人として名指しされている。女性の社会進出・高学歴化、価値観の変化、家族計画・教育の普及、そして経済的豊かさの向上──。詳しくは拙著『失敗すれば即終了』で述べたが、これらの容疑者は実際のデータには一致しない。いわば濡れ衣を着せられている。
死亡率の低下が少子化をもたらすという事実は、にわかには信じがたい。なぜなら、生物は一般的にたくさんの子供を残そうとするものだという、私たちの直観に反するからだ。加えて、「子供の死亡率を下げるのは無条件に良いことだ」という倫理観が、ますます判断を鈍らせる。死亡率の低下が少子化の原因だという考え方に納得できない人も多いだろう。
しかし、科学は倫理的ではないし、民主的でもない(マイケル・モーズリー、ジョン・リンチ『科学は歴史をどう変えてきたか』p15)。現実のデータと一致するなら、どんなに信じがたい理論だろうと正しいと見なされる。それが科学だ。地動説や進化論は、当初、人倫にもとる神への冒涜だった。大陸移動説はバカげた妄想だと笑われて、誰も信じなかった。しかし、現在ではそれらの理論が正しいと見なされている。現実と一致するからだ。
少子化のメカニズムは、この記事の冒頭の図1枚に要約できる。
「ヒトには子供に投資したがる習性がある」と仮定し、子供の死亡するリスクと、子供1人あたりの投資最大化との均衡によって「持つべき子供の数」が決まるとすれば、死亡率低下が少子化をもたらすという事実を上手く説明できる。また、日本において貧しい人は結婚せず子供も作らないが、富裕層だからといって子供の数を増やすわけでもないという事実にも一致する。
今回調査したアジア15カ国のうち、およそ半数が「日本型」だった。すなわち、まず乳児死亡率が低下し、それが合計特殊出生率の下落を招き、最後に爆発的な経済成長を遂げた国だ。もちろん、調査範囲が狭いことは認めるし、結論の出し方が強引であることも認める。充分な追試が必要だろう。
ところで、賃金の高さが産業革命をもたらしたという考え方がある。18世紀の欧米は、世界でも飛び抜けて賃金の高い地域だった。たとえば当時のロンドンとボンベイを想像してみるといい。欧米の資本家や経営者は、労働を節約するために資本(※紡績機等の機械設備)の使用を増やした。とくにイギリスは労働が割高で、資本が割安だったため、機械の導入によって利益を出しやすかった。だからこそ産業革命はイギリスから始まったというのだ(ロバート・C・アレン『なぜ豊かな国と貧しい国が生まれたのか』p44)。
賃金が安い地域では、資本集約的な産業に転換するメリットがない。機械を使うよりも、労働者を使うほうが安上がりだからだ。そのため労働集約的な経済から脱出することが難しくなる。
また一方で、子供の少ない親ほど子供1人あたりの教育的投資を増やす傾向があることが知られている(グレゴリー・クラーク(2009)下巻p156)。このことを鑑みると、「日本型」の国々は少子化を経験したからこそ、経済発展ができたのかもしれない……と、考えることもできる。
つまり、まず乳児死亡率の低下により、合計特殊出生率が下がった。子供が減ったことで、子供1人あたりの投資が増え、彼らの教育水準が向上した。それが賃金の増大をもたらし、資本集約的な産業への転換をうながしたのかもしれない。このシナリオなら、「日本型」の国々の経験をうまく説明できる。
少子化の原因として名前が挙がるものの多くは、じつは少子化の結果かもしれない。たとえば女性の社会進出だ。日本で女性の労働力率や大学入学率が上昇するのは、少子化社会への転換が完了した後だ。つまり、生涯に生むべき子供の数が減ったからこそ、彼女たちは労働や勉学に時間を割けるようになったのだ。
正しい原因とメカニズムが分かれば、適切な対策を取れる。細菌が発見され、伝染のメカニズムが分かったからこそ、私たちは病気を予防できるようになった。少子化も同じだ。日本政府は90年代半ばから、約20年も少子化対策に取り組んできた。しかし、目立った成果は上がっていない。これは、原因が分からないまま闇雲に手を打っているからだろう。少子化の正しいメカニズムを突き止めれば、効果的な対策を打てるようになるはずだ。
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タイトルは『失敗すれば即終了!』です。
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付録:アジア諸国の合計特殊出生率の推移
▼「日本型」の国々(日本以外の6ヵ国)
(1)インドは典型的な「日本型」だ。日本よりも長い時間がかかっているが、グラフの形状はよく似ている。
(2)インドネシアも比較的綺麗な「日本型」の形状になっている。1人あたりGDPを見ると、1997年のアジア通貨危機の影響がくっきり。だが、所得が下がっても合計特殊出生率には影響していない。
(3)グラフ全体を見れば、タイも「日本型」と言っていいだろう。タイやインドネシアでは、グラフの最初のほうが「パキスタン型」になっている。経済発展と乳児死亡率の低下が同時に進み、その後、合計特殊出生率が低下するという動きだ。
(4)バングラデシュは、1人あたりGDPの最初のほうがランダムな動きをしている。また現在でも、1958年の日本の所得水準よりもずっと貧しく、1人あたりGDPは半分程度という点に注目したい。
(5)ベトナムは、バングラディシュと同じく1人あたりGDPのグラフの初期状態がランダムな動きをしていた。また、乳児死亡率が昔から低めだったことも特徴だ。
(6)マレーシアは乳児死亡率のグラフがやや変則的な形状になっている。合計特殊出生率3.5ぐらいで低下が一度止まり、その後、再び下落に転じるという動きだ。モデル(α)-2とモデル(α)-1を組み合わせたような動きになっている。
▼「パキスタン型」の国々(3ヵ国)
(7)パキスタンは、1人あたりGDPのグラフでは経済成長の後に少子化社会への転換が始まったことが分かる。しかし乳児死亡率のグラフを見ると、こちらもやはり死亡率低下の後に合計特殊出生率が下がり始めている。これでは「経済成長の影響で少子化が始まった」とは言えない。経済成長によって栄養状態や医療が改善し、死亡率が低下した結果、少子化が進んだとも考えられるからだ。
(見られない方は下記URLからご覧ください)
(8)ラオスの1人あたりGDPのグラフはモデル(A)-2のほうが良かったかも……と、文章編集中に気づいた。いずれにせよ「パキスタン型」であることに変わりなく、経済成長と子供の死亡率のどちらが少子化の原因なのかは判断できない。
(9)ネパールは、1人あたりGDPのグラフの初期にはランダムな動きを見せていた。一方、乳児死亡率のグラフは驚くほど滑らかな曲線を描いている。
▼「中国型」の国々(3ヵ国)
(10)経済成長と子供の死亡率のどちらも少子化の原因ではなさそう──。それが「中国型」だ。モデル(B)とモデル(β)の組み合わせが特徴。中国と言えば一人っ子政策が思い浮かぶが、少子化社会への転換はそれ以前から始まっていたようだ。
(11)スリランカは(中国以上に)「中国型」の特徴がよく現れている。
(12)フィリピンは1985年に1人あたりGDPが大幅に下がり、その後、しばらくランダムな動きを見せた。しかしそれ以外の部分をつなげればモデル(B)のような推移を見せていると言っていいだろう。
▼その他(2ヵ国)
(13)カンボジアはどちらのグラフもランダムな動きをしている。1人あたりGDPは初期にランダムな動きを見せたあと、モデル(B)の形状に落ち着いた。バングラディシュやベトナムと同様の動きだ。より興味深いのは乳児死亡率のグラフで、1977~85年には死亡率が低下したにもかかわらず、合計特殊出生率は伸びた。一方、1985~97年には、乳児死亡率は微増傾向だったにもかかわらず、合計特殊出生率は下落した。
(14)モンゴルは1人あたりGDPのグラフがまるで酔っ払いの足取りのようにランダムな動き方をしている。フィリピン等にも言えることだが、「経済的豊かさが少子化をもたらす」という仮説では、大規模な景気後退期に合計特殊出生率が上がらない理由を説明できない。ゲーリー・ベッカーらの主張どおり、子供が(ジャガイモ等と同様)下級財だとしたら、所得が減った際には子供の数は増えるはずだ。しかし、現実には一致しない。
執筆: この記事はRootportさんのブログ『デマこい!』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2016年1月30日時点のものです。