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臓器移植『提供者』という家畜が実在して欲しい(だいちゃん.com)
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臓器移植『提供者』という家畜が実在して欲しい(だいちゃん.com)

2016-03-07 16:30
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    今回はだいちゃんさんのブログ『だいちゃん.com』からご寄稿いただきました。
    臓器移植『提供者』という家畜が実在して欲しい(だいちゃん.com)

    臓器移植の為だけに作られたクローン人間。

    彼らは幼少期から閉鎖的な施設で絵画や詩など芸術分野の教育だけを受け、運動などをして体力をつけて反抗されないように育てられてきた。

    そんな彼らは「提供者」と呼ばれる一種の家畜であり、一般人へ臓器を提供する為だけに育てられ、そして施設でどんどん臓器を取られていき、死んでゆく。

    こういったクローン人間を国家規模で作り上げている。

    綾瀬はるか主演のドラマ「私を離さないで」のあらすじである。

    元の小説はイギリスでの発売で、カズオ・イシグロの長編小説だ。

    さて、前置きが長くなってしまったが、何故このドラマの話題を書いているかと言うと、私自身が臓器提供を待ち望んでいるものだからだ。腎臓移植をね。

    臓器移植の為だけの人間を作る意味

    正直ドラマを見ていて、

    「そんなクローン技術があるのならば、臓器だけを培養したほうが倫理的にもいいんじゃねえの?」

    と思ったのだけれど、ドラマの中ではクローン人間を作り出し、生殖機能も失わせて、臓器移植をさせる人間を家畜のように育て上げているので、そのことに合わせて話を進めていく。

    そういったクローン人間を国家規模で作る。それは倫理的にどうなのか、という話である。

    クローン人間だろうとやはり「人間」だ。当然、夢も持つし、本人の意思無くして臓器提供のみだけの為に作り上げる。果たしてそんなことが許されるのか、という議論が勃発しそうなものだ。

    しかし、臓器提供を望むものからしたらそういった「提供者」という家畜を作り上げることは大賛成である。

    例えば、少し話をそらすけれど、テレビのニュースなどで飛行機の墜落事故やバスの事故、その他の事故が起きて人の命が失われたとする。私はそういったニュースを見ると、無残だな、人の命はこうも簡単に失われるのだな、と思う前に、

    「その臓器を提供出来ていたら、どれだけの人間の命が救えただろうか?」

    と考えてしまうのである。遺族には申し訳ないのだけれど。

    話を元に戻すと、牛や豚などの家畜は人間に食べられる為だけに育て上げられている。それを私たちは当たり前だと思って生きて生きたからそれらの家畜が屠殺されることを考えもせずに食している。

    だが、人間となると自分自身の問題にもなる。自分自身が人間だからだ。なのでどうしても、臓器提供のみの為に家畜のように育てられる人間が存在することが許せない。

    だが私は思う。

    「なんで豚や牛なら許せるのに、人間だとダメなのか?」

    これは一種の生物差別ではないだろうか?

    きっとドラマを観ている人の多くは、

    「なんて可哀想な生き方をさせられているのだろう」

    「なんて酷いことを国家規模でやっているのだろう」

    と思っているだろう。

    こういった考えに国民をさせてしまうドラマであるということは、すなわち臓器提供の意思を示す人間が減っていくということだ。

    「なんだか分からないけれど、臓器提供って怖い。だから自分もしたくないし、子供にもさせたくない。」

    そんな遺族が増えてしまうだろう。

    だが、考えて欲しい。そうやって臓器提供の意思を自分が示す、家族に示させるのが嫌なのであれば何故、このような家畜を作り上げることにも嫌悪感を示すのだ? なんだか都合が良くないか?

    人間というものは感情の生き物だ。なんだか酷いものを見ると目を背けたくなる。だがな、臓器提供を望んでいる者からすれば感情論なんて不要なんだよ!!

    臓器提供を自分たちが示さないのであれば、臓器提供のみの為にクローンを作り上げることを許容すべきだし、それが嫌なのであれば臓器提供の意思を示せ!!

    私は声を荒らげてでもこう発言したいのです。

    臓器提供の為のクローンに自我などいらない

    ドラマ(小説)の中では「提供者」に自我が芽生えてしまっている。それはとある一人の教師のせいだ。教師が外の世界の話をしてしまったが故に臓器提供のみの為に作られたクローン達に自我が芽生えてしまった。

    私はこの教師のやったことは無責任かつ、何も考えていないバカだと思った。

    こういったクローン達は自我など芽生えさせずに、淡々と臓器提供をさせる為だけに育てればよかったのだ。なのに余計なことをこの教師がしてしまったが為に、自我が芽生え、このクローン達は自分たちの立場について考え、苦しむことになってしまった。

    そう、この教師はクローン達の哀れんだが為に逆にクローン達に悲惨な現実を突きつけてしまったのだ。

    クローンは最終的には臓器を取り除かれて死んでいくのだ。だったら世の中のことなど知らずに一生を終えたほうがいい。それなのに余計なことをしやがって。

    一般の方ならこの教師に共感しそうな部分で、私は舌打ちをした。

    クローンに自我などいらねえんだよ。

    家畜のように作り上げたのならば、最後まで家畜のような存在として突き通せよ。

    最後に

    臓器提供の為だけに育てられるクローン人間をあなたは望みますか? と聞かれれば、私は速攻で「YES!!」と答えるだろう。実際、福島の震災が起きたときも、福島の惨劇を嘆くのと同時に、

    「これだけの臓器があればどのくらいの人間が救えただろうか。なんと勿体無い」

    と思ったくらいだからだ。

    そのくらい、臓器移植を待ち望んでいる人間は追い詰められている。

    批判するならばすればいい。

    私は常に思っている。

    臓器移植『提供者』という家畜が実在して欲しい、と。

    だいちゃん(∀)

    執筆: この記事はだいちゃんさんのブログ『だいちゃん.com』からご寄稿いただきました。

    寄稿いただいた記事は2016年03月07日時点のものです。

    RSSブログ情報:http://getnews.jp/archives/1424969
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