今週のお題…………「巌流島・再始動に期待すること」
文◎田中正志(現『週刊ファイト』編集長)…………木曜日担当
良くも悪くも、RIZIN旗揚げの影響を食らってしまった巌流島。しかし、世界地図で業界全体の2015年をおさらいするなら、いわゆるUFCに象徴される一極集中はよろしくないという議論は正論この上ない。また、あちらさんの考えるルールがGlobal Standard(世界標準)なんだと押し付けられても、武道発祥の地としても、プロ格闘技興行なる新ジャンルを最初に定期的に確立させたU系プロレスから始まる市場の歴史からも、反撃していく機が熟しているという前提は、マスコミ側としても断固支持すべき出発点だと思う。
なにか新しいルールと、お客様に見せるプレゼンテーションというか、見た目の斬新さは必要である。巌流島は、それは達成できていたのではなかろうか。新しい実験には意義を感じるし、質の高いイベントは提供出来ていた。
対世間、お茶の間からの目線ということでは「格闘技」は長いブランクもあった以上、選手にせよ昔の名前に頼っても仕方なく、新しいスターを作っていく作業も必要不可欠であり、そうなればフジテレビなりが長期コミットをしてもらわないと実現不可能なプロジェクトなのは理解して欲しい。あえて一回だけのイベントとして、なんらかのお題目を掲げ新旧スター揃えて大会を主催、スポンサー様からの分含めて黒字興行にもっていくことは可能だが、巌流島は5年後、10年後の市場も見据えた「日本流格闘技」のオルタナティブ(代案の)選択肢がないと、真の日本の業界復権にはならないとの使命感も覚える。こういった肝についての骨格事情は知るべきだ。いくら仮にRIZINがうまく軌道に乗ったとしても、UFCの世界支配構造に変わりはないからだ。
ここからシビアな分析も入れるが、巌流島には生まれつきのハンディもある。プロレス格闘技のキーワードに少しでも引っかかる日本のお客さんは、意外と嗜好が保守的なのが各種データからも指摘されていること。イロモノ格闘技みたいな扱いで冷やかな専門メディアだってあるし、ルールが別なんだから扱わなくていいみたいな無視組のみならず、ネット論客みたいなファン層含めて、なかなか認めようとしない側面がある。かえって「巌流島が好きだ」と言えるまでになる壁が高いからだ。
UFCというのは、金網の檻のなかで戦う見た目のイメージがあるのに対して、例えばRIZINはわかりやすいリングだ。PRIDE復活を旗印にしたプロモーションである。髙田延彦のふんどし太鼓を筆頭に、なんかド派手な入場とか魅せてくれるものとの期待度がある。モンスター路線の方が日本人のテイストに合うとライト層のお客様に聞かされたら、そうなんだろうと思うしそこに正しい、正しくないもない。
北米では、2015年のもっと凄かったプロアスリートは誰かという議論において、ボクシングでなく総合格闘技UFCの、男性でなく女性の元柔道五輪金メダル、プロ無敗王者ロンダ・ラウジーこそNo.1だと騒がれた。その2015年最後の戦いでニューメキシコ州アルバカーキ出身のホリー・ホルムにKOされて王座陥落。PPV購入件数は100万件を越したと目されている(本稿執筆時点では推定値)。しかし、もしかしたら上記は、日本の一般的な「格闘技好き」程度のファン層は、知らない話かも知れないという比較を込めて地上波放送コンテンツになにを求めるかであって、必ずしもマニア層の意見が重要ではないからだ。
金網でもリングでもなく、会場の天井桟敷席からもテレビ中継画面からも完璧に見やすい円形闘技場の巌流島というのは、どうしたら柔道競技中継をカラフルに見せるかのノウハウの実験にもなる課題。UFCにも、PRIDEの亡霊RIZINにも勝る大きな見やすい利点はある。「三匹目のドジョウを狙っても、お客さんの許容範囲を超えてる」という意見は聞いた。
ただ、PRIDEが復活するのなら、別の選択肢としての新しい和製格闘技の壮大な試みは続けるべきだ。金網へのアンチテーゼとしても、闘いの場の輪(サークル)を出たら、それは(3度で失格とするのが良い悪には別にして)なんらかの罰と記録されるというのは、実は温故知新というか、古武道でもそうだった等もあり、和製の純格闘技プロ興行版がようやく世間・大衆に認知・浸透を始めるかも知れないとの期待はある。
すでにある程度、いわゆる『総合格闘技』と称されるものと、視覚的な面を軸になにか別のものであるというフォームは提示されたと思う。ルール細部から大会までをさらに改善、意見するチャンネルは常にオープンなのが巌流島の特徴だ。あとは、変に傍観者のふりをせずに、どうかライブに来てみてください、語ったり意見してみたり下さいということ。巌流島はナマモノです!参加者になった方が絶対に面白いことは請け合いなのだ。