Wミノルさん のコメント
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今週のお題…………「 私が興奮したベスト興行」
文◎山田英司(『BUDO-RA BOOKS』編集長)
ミャンマーラウェイの闘いは、日本の相撲と同じく民族の美学が根底にある。ルールで禁止されていなくとも、横綱が立ち会いで変わったり、猫騙しを行ったりすると、横綱らしくない、と非難される。反則ではないが、日本人独特の美学がルールとは別に、土俵の力士の動きを制限する。
柔道などでも、しっかりと組んでから投げるのが当たり前だと日本人は思っているので、オリンピックなどで外国選手がルールの穴をつくような変則的な攻めをしてくると、思わぬ不覚を取ったりする。
余談だが、ムエタイにもこうした暗黙の禁止技がある。空手などでは普通に行われている上段前蹴りだ。別にルールで禁止されているわけではないが、敬虔な仏教徒であるムエタイファイターは、仏様が宿っている頭部を足げにすることは仏の教えに反すると考える。相撲、ムエタイ、そしてラウェイも神事に関わる伝統武術には、しばしば民族特有のタブー技があるのである。
田中塾長はラウェイのルールと彼らの闘い方を事前に研究して、その穴に気づいていた。
噛み付きや脊柱への攻め以外は立ち技で何をしても良い、と言うアバウトなルールがラウェイルールだ。
このラウェイルールの中で、田中塾長は田村選手に授けた作戦は、パンチを狙う相手に対し、打ち合いを避け、組んで倒す。3ラウンドまでひたすらこれを繰り返す。クリンチや投げは禁止ではないが、堂々と顔面を打ち合うことが前提のラウェイルールにおいて、その戦いを制して王者になった相手は、全くこうした攻撃への対応力がない。投げられ慣れていない選手が投げを食らうと、精神的にも肉体的にもダメージが大きく、スタミナのロスも大きくなるものだ。
案の定、3ラウンドになると、ラウェイ王者の動きが鈍くなってきた。倒された後、立ち上がる動きが遅くなってきた。田村選手は、ここで初めて攻勢に出た。相手の首を取り、ボディへの膝の連打。ロープ際まで押し込み、もつれた瞬間、左膝が上段に伸びる。ラウェイ王者はそのままロープにもたれかかり、糸の切れた人形のようにマットに崩れていく。
その瞬間、地鳴りのような歓声が会場を覆い、渦を巻いた。ミャンマーラウェイの歴史上、初めて王者がKOで敗れたのだ。
田村選手の手をレフェリーが手を上げる。私を始め、日本人応援団は興奮してリングの中に飛び込み、田村選手に抱きついた。観客の熱狂振りも只事ではない。その様子を見て、私は少しゾッとした。ひょっとして暴動が起こるかもしれない。会場にライフルを構えて警備している軍人はその為にいたのか、とそのとき気づいた。
そんな混乱の中、一人冷静だったのが田中塾長だ。ゆっくりとリングに上がり、田村選手に近寄り、「よくやった。練習通りだったな。」と労う。まるで最初からこの結果を予測していたかのようだ。
後から聞くと、まさにそうだった。3ラウンドまで倒し続け、スタミナを奪い、疲れさせ、ラストは首相撲でボディ狙い、フィニッシュは顔面への左膝。これで相手は失神KO。田村選手は催眠術にかかったように、田中塾長の言葉通り動いた。まさに田中マジックである。しかし、観客達の騒ぎは収まりそうもない。よくよく観客を見ると観客達はどうも喜んでいるように見えるのが意外だった。
後で知ったのだが、実は多くの観客は実際に日本人選手の勝利を喜んでいた。ミャンマー王者が倒れた瞬間「会場の天上には、日本兵の霊が舞っているのを見えた」などと話すミャンマー人もいたくらいだ。
実は当時のミャンマーでは、スーチー女史を幽閉する軍制に反感を持つ民衆が多く、今回の大会も軍の力を誇示する目的で開催されたそうだ。軍の面目がかかったビッグマッチで、あろうことか、初めてミャンマー王者が破れた。それを日本人がやってのけた。それは、かつて日本軍が西洋列強を敵に回し、勇敢に闘ったため、独立できた。今回も、日本人が圧政を敷く軍のメンツを粉砕してくれた。そんな観客の思いが、日本軍の霊が飛び交ったなどと観客に口張らせたのだろう。
この試合の勝敗は、単なるスポーツの枠を超えて、極めて政治的な意味を持っていたのだが、軍関係者にとっては、考え得る限りの最悪のシナリオになったようだ。苦り切った顔をする軍関係者と熱狂する観客。そんな騒然とした中で、最後の挑戦者、新見がリングに上がった。
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