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ケイスケさん のコメント

  個人的には、興業の格闘技は段々衰退しているように思えて残念だから巌流島には是非とも頑張って欲しい。 
後、格闘技にDQN的なイメージが付き纏うようになったのもなー。
No.2
106ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
今週のお題…………「なぜ、K-1は成功したのか?」 文◎谷川貞治(巌流島・事務局)……………月曜日担当 『巌流島』はご存知のとおり、格闘技の復興を目指して作られた新しいコンテンツです。では、この『巌流島』プロジェクトを成功させるには、何が必要なのか? 今月のお題は、 この20年間で成功した格闘技コンテンツである「K-1」「PRIDE」「UFC」から、その秘密を探ってみたいと思います。まず、今週のお題は「K-1はなぜ成功したのか?」について。それぞれの立場で感じたことを書いてもらいます。 まず、月曜日の担当である私から。私の場合、K-1については始まる前から石井館長とパートナーのようにやってきましたし、フジテレビも初めから会議に参加してK-1を盛り上げるために心血を注いできました。2000年代に入ると、石井館長の脱税事件により、プロデューサーを担うことにもなりました。その意味で、私にとってK-1は青春そのものです。 このK-1成功については、特にフジテレビを始めとするテレビ局の影響が大きいでしょう。しかし私は今回、メディアについてではなく、格闘技コンテンツそのものについて、なぜ成功したのか?   振り返ってみたいと思います。 K-1の意味は、カラテ、キックボクシング、ケンポー、カンフー、カポエイラなど、打撃格闘技の頭文字に多い「K」の「1」番を決める大会という意味です。この「K-1」という名前がシンプルで、しかもコンセプトが伝わりやすくて良かった。そのことは、今でも海外のプロモーターたちに褒められます。ネーミングって、非常に大切ですからね。しかし、ルールは正直に言うと極めて「キックボクシング」に近い。しかし、初期の頃、石井館長は特に「K-1はK-1で、キックボクシングとは全然違う」と言い切っていました。当時は、キックボクシングというと、イベントもマイナー感が漂っていたし、団体も乱立して、テレビ局からも見放された時代遅れの格闘技に思われていたからです。つまり、K-1はキックボクシングが名前を変えて、ハデな演出をすることで全く新しい格闘技に見せたイベント。だから、いまだに業界の人間でも「K-1といっても、所詮名前を変えたキックボクシングだろ?  俺たちとやっていることは変わらない」と考えている人は多いと思います。 しかし、果たしてキックボクシングを「K-1」という名前に変えたら「K-1」になるのかというと、私の答えはNO!です。それを説明するには、創設当時K-1が成り上がるためにどんな仮想敵を描いてかを考えると分かりやすいでしょう。 創設当時、K-1には三つの仮想敵がありました。 ●プロレス ●極真空手 ●キックボクシング 1、プロレス まず、当時はまだプロレスに最強の神話性もあり、格闘技に比べて絶大なファン数を誇っていました。格闘技の真のブームを作るには、このプロレスを越えなければいけません。そのプロレスに勝つために、K-1はガチンコ(真剣勝負)の面白さをアピールするのはもとより、プロレスラーより大きなヘビー級、また当時日本人対決が多いプロレス界に対し、外人をたくさん集めることによって「世界」を見せようと心がけました。また、フジテレビを始めとすテレビ局のゴールデンタイムで放送することで、K-1は次第にプロレスを人気面で凌ぐようになっていったのです。この仮想敵・プロレスに対しては、「真剣勝負」「ヘビー級」「世界」「テレビ」で対抗することによって、超えようとしたのです。 2、極真空手 K-1が誕生した時はまだ大山倍達が睨みを効かせていた時代であり、格闘技人気のナンバー1は地上最強のカラテ「極真」でした。K-1はこの極真も視野に入れて、時代を作っていく必要がありました。そんな極真に対抗したのは、当時空手界で話題となっていた「顔面パンチ」でした。極真は直接打撃制を売りにするものの、人間を倒すために重要な顔面パンチがルールにありません。しかし、その当時はその矛盾が空手界のテーマとなり、K-1はグローブをつけての顔面あり空手の延長としてイメージ付けていったのです。しかも、アンディ・フグやマイケル・トンプソン、サム・グレコといった極真空手・世界大会の上位選手が多数参戦したのが大きい。のちにフランシスコ・フィリョやエベルトン・テイシェイラら極真の世界王者が参戦したこともあり、K-1はキックボクシングというより、新しいグローブをつけたプロ空手というイメージとなり、キックボクシングの対立概念として存在したのです。 3、キックボクシング ルールは極めてキックボクシングに近いK-1ですが、先の空手界からの多数の参戦、試合自体を「空手vsキックボクシング」をはじめ、異種格闘技戦に見せようとしたことで、キックボクシングの大会というイメージを払拭してキックボクシングを上回ろうとしました。私がMAXのような中量級でも須藤元気、山本KID、安広一哉、渡辺一久、長島自演乙、川尻達也らを毎回入れたのも、キックボクシングにしたくなかったからです。また、演出面でキックボクシングのイメージである血や汗、泥臭さのイメージを払拭し、オシャレでカッコいい格闘技イベントにしたのも、キックのイメージを脱却する戦略でした。キック界が打倒ムエタイに走る中で、K-1はあくまでも「世界」にこだわったことも、スケールとしてキックボクシングを超えた理由でしょう。 このように、K-1には裏に隠れた仮想敵が存在し、それを打ち負かそうとしたからこそ、コンテンツ的に成功したのだと思います。けしてキックボクシングにならなかったからこそ、新しい格闘技として成功を収めたのです。「裏に隠れた仮想敵」と表現したのは、露骨に対抗意識をむき出しにしたのではなく、それらの選手を巻き込んだこと。それは石井館長や私のプロデューサーとしての個性に違いありません。 [お知らせ] 『巌流島』のオフィシャルサイトをリニューアル致しました。アドレスが変わりましたので、ご確認ください。→   ganryujima.jp
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