PRIDEはなぜ成功したか?と私に聞かれても分かる訳がない。そもそもPRIDEはヒクソン以外見たことないし、あとは興味も無い。興行に携わった訳でも無い。バリトゥードの回に、開発側の立場からの原稿は既にかいたので、それと同じである。
一度開発したものを、企業は様々な民生用デザインや販売戦略を立てて顧客にアピールするだろうがそんなものは、開発側は口を出すことでは無い。それと同じである。という訳でPRIDEの話しは終わり。
そんなことより木村政彦である。「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という本をようやく読み終えた。この本には、開発側にとっては、PRIDEの分析なんかより、巌流島にとってはもっと重要な格闘技に対するキーコンセプトが隠されている。
あまりに重大であるが、多くの人には気づかれていない既成概念が格闘技界にはあり、予想どおり、本の筆者もその既成概念にとらわれたまま筆を置いているので、結局「力道山対木村戦」の総括ができていない。何とも中途半端な作品として終わっていた。
そもそも本の筆者は、後出しジャンケン的にバリトゥードやPRIDEなどの総合格闘技が一般に知られるようになり、そのルーツを作った総合格闘家として木村政彦の資料を追い続けたのだろう。だから、「実戦ならば、木村政彦のが力道山より強かった」という前提で本は書かれている。それなのになぜ片八百長で負けにされたまま、力道山に復讐しなかったのか?という疑問の答えを本書で模索している。その答えは本書には書かれていないが当然である。筆者はその問い自体が論理的に矛盾していることに気づいていない。
しかし、私は生前の木村先生に、その問いを発したことがある。
私が木村先生にその問いを発したのは、87年の秋。まだ、ヒクソンもバーリ・トゥードも日本に知られていない時代、私の雑誌で、拓大同期の塩田剛三先生との対談を組んだ。対談がすみ、お酒が入ると両者はようやく本音で色々語りだした。私は木村先生得意の大外刈りを掛けてもらったり、塩田先生の実戦談を聞いたりしたが、どれも本に書けない。中でも木村先生が慚愧に耐えぬ表情で力道山戦を語りだした内容は当然、本には書けなかった。
その中で木村先生は、「力道山を殺したのは私だ」と語りだした。「私が殺の文字を額に浮かべると人は死ぬ。力道山だけではない。私を裏切った人間に殺の思いをかけると皆死んで行った。だから今は決して人を怨まない」こんな凄まじい内容を語りだしたのだ。因みにその時は、木村先生と陽気に話していた塩田先生は既に酔い潰れ、酒席でしらふでいたのは、木村先生と酒の飲めない私だけだった。
私がムエタイや空手など打撃格闘技が好きだと知ると木村先生は私に親しみを感じてくれたのか、プロ柔道やブラジルの何でも有りの話しを自分から語りだした。木村先生の実戦観には圧倒されたが、その中で、プロレスは八百長なのに、力道山戦はなぜあんな結果になったんですか?と私はストレートに聞いた。「あれは引き分けにする予定が、力道が裏切ったんだ」その答え自体は私も周囲から聞いていた内容と同じで別段驚きはしない。しかし、その後に前述の発言があり、私は思わず身を引いてしまった。聞いてはけない事を聞いたかもしれない、と思い、酒席をお開きにするようにお願いした。
しかし、今ではあの問いに対して私は自分なりに答えは出している。木村先生の実戦観が成立する場は、柔道であり、総合格闘技であり、バーリ・トゥードであり、男と男が一対一で正々堂々と戦う場であった。その中でおそらく木村先生は世界最強であったと思う。本の筆者もそうした場を前提に実戦を語っている。
しかし、林先生の喧嘩術の例を出すまでもなく、その実戦観はあまりにスポーツ的ではないか。我々は兵法の達人と言えば宮本武蔵や塚原卜伝の名を思い浮かべるが、伝説上の兵法家は明らかに木村先生の実戦観とは隔たりがある。「闘う前に勝つ。段取り8割。身体を使って闘うのは残り2割」。これは林先生の喧嘩術の師匠の教えである。この教えに添ってかつての兵法家は闘っていた。力道山と木村。どちらが兵法上手か問うまでもない。力道山は引き分けという筋書きを作り、木村先生に念書まで書かせ、自分は書かない。試合後、「八百長破りだ」と主張する木村先生に対し、念書を見せて反論。試合では自分から反則をし掛け、木村先生が反則をし返したらそれをきっかけに一気に本気で潰す。その後の記録映像では木村先生の反則シーンから編集すれば、ついカッとなって本気を出してしまった、という自説の裏付けになる。さらにこの試合の遺恨が残らぬように自ら手打ちを木村先生に持ちかける。完璧ではないか。何という喧嘩名人。いや、兵法家だろうか。木村先生は喧嘩名人にしてみたら、肉体を使う2割の部分で闘っていたのに対し、力道山は肉体は勿論、木村先生が全く頓着しない8割の部分の段取り作りに試合前、そして試合後も奔走していたのである。
木村先生は力道山に再戦をを申し入れていたそうだが、もし、再戦していても木村先生の勝利はなかったと思う。無論、柔道ルールや総合ルールで闘えば木村先生は圧倒することは間違いない。しかし、喧嘩名人は自分が勝てる段取り作りがなくて闘うことはない。8割の段取り世界を、格闘技というルール内に深く浸かれば浸かるほど見えなくなったり、見えていても軽視するようになる。
力道山vs木村戦は、肉体以外の8割がいかに勝敗を左右するかをおおやけの場で実証した、格闘技を超えた喧嘩術、いや兵法試合だったのである。
コメント
コメントを書くまさかプロレス嫌いの山田さんが力道山をそこまで評価するとは思いませんでした。
あの戦いは皮肉にも「昭和の巌流島の決闘」と呼ばれていたそうですね。
その意味では確かに今後の重要なヒントを秘めているかも知れません。
山田さんが携わる巌流島には、グレイシー柔術で固定化されてしまった強さの概念・定義をコペルニクス的転回で塗り替えていって欲しいですね。