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会場には日本兵の霊が舞う。ミャンマーの歴史を変えた試合を見た!
2016-01-19 15:00今週のお題…………「私が興奮したベスト興行」
文◎山田英司(『BUDO-RA BOOKS』編集長)
ミャンマーラウェイの闘いは、日本の相撲と同じく民族の美学が根底にある。ルールで禁止されていなくとも、横綱が立ち会いで変わったり、猫騙しを行ったりすると、横綱らしくない、と非難される。反則ではないが、日本人独特の美学がルールとは別に、土俵の力士の動きを制限する。
柔道などでも、しっかりと組んでから投げるのが当たり前だと日本人は思っているので、オリンピックなどで外国選手がルールの穴をつくような変則的な攻めをしてくると、思わぬ不覚を取ったりする。
余談だが、ムエタイにもこうした暗黙の禁止技がある。空手などでは普通に行われている上段前蹴りだ。別にルールで禁止されているわけではないが、敬虔な仏教徒であるムエタイファイターは、仏様が宿っている頭部を足げにすることは仏の教えに反すると考える。相 -
究極の打撃格闘技、「ミャンマーラウェイ」を見た!
2016-01-13 12:00今週のお題…………「私が理想とするプロファイター」(なぜか、遂にお題まで無視されています)
文◎山田英司(『BUDO-RA BOOKS』編集長)………水曜日担当
今週もお題があるようだが、とりあえず無視して、「ミャンマーラウェイ」の話を続けよう。
私が格闘技雑誌を編集していた80年代はラウェイの情報も少なく、当時は「ムエ・カッチューア」と呼ばれていた。後で知ったが、これは古式ムエタイのように、紐を手に巻いたり、バンテージのみで闘うルールを指すタイ語だった。タイにも、ムエタイルール以外に地方ではこうした闘いが行われており、ミャンマー国境付近では、お祭りの時にミャンマー対タイのムエ・カッチューアルールが今でも行われている。
ミャンマーの格闘技情報はこうしたタイサイドからの情報しかなかったため、ミャンマー武術もムエ・カッチューアと呼ばれていたわけだ。私はこうした情報を自分の雑誌で紹介 -
「私がシビれた異種格闘技戦とは?」 実は、武術の構造を理論しないと回答不能の難問なのである。
2016-01-05 17:25今週のお題…………「私がシビれた異種格闘技戦」
文◎山田英司(『BUDO-RA BOOKS』編集長)………火曜日担当(本当は水曜日担当)
異種格闘技戦と一言で言っても、実は非常に定義が難しい。まず、プロレスのリングで行われた異種格闘技戦は、問題外にするとしても、これまで公衆の面前で行われた異種格闘技戦があったかと言うと記憶にない。
無論、一つの格闘技をバックボーンにした格闘家が他のルールで闘ったり、両者のルールを包含する総合ルールでマッチを組まれることは多数あった。
しかし、ボクサーがK-1で闘っても、これはK-1ルールだし、総合で闘ったら総合ルールになる。顔面なしの空手家がK-1でたら、顔面パンチを振るう。なぜか? 有利だからだ。ボクサーだって、場合によったらローキックを放つ。誰でも試合に勝ちたいから、自分の競技内で反則になっている技だって、有効だと思えば出す。従ってここで測 -
ムエタイ王者は、道場六三郎の料理を上手いと思うか?
2015-12-29 18:40今週のお題…………「2015年」
文◎山田英司(『BUDO-RA BOOKS』編集長)………火曜日担当(本来は水曜日でしたが、火曜日担当の山口日昇さんの原稿が遅れたため)
このブログはお題が決められているので、なかなか深い理論的な考察に至らないが、それは仕方がない。
今回のお題は「2015年」。今年は還暦パーティも開いてもらったし、武術的な発見や、進歩も飛躍的にあった年だが、そんなことは見る側の人達に語ってもしょうがない。では、なぜ「しょうがない」のか?について考えた方が、やる側と見る側の距離感が明確になって良いかもしれない。
分かりやすく、料理を例に取ってみる。料理とは作ったり、食べたりするものだが、昔、『料理の鉄人』と言う料理人の腕を競い合う番組があった。テレビの演出で結構面白く見せたが、本来、矛盾を抱えた番組なので、今は影も形もない。お察しの様に格闘技的な視点を料理に持ち込 -
「見る側」の民意ほど恐ろしいものはない! 私が『巌流島』を認めないのもそこにある!
2015-12-23 12:00今週のお題…………「大晦日と格闘技」
文◎山田英司(『BUDO-RA BOOKS』編集長)………水曜日担当
一応、このブログはお題があるので、それに沿って話しを進めてみよう。今回は、「大晦日と格闘技」だ。一般の人達の格闘技観、すなわち民意が大晦日の格闘技を見ると良く分かる。
大晦日の格闘技、と言われるものは、プロレスを除外すればボクシングと総合とK-1。そのマッチメイクを見ると一目瞭然。ボクシングは常に世界タイトルマッチ。競技内の最高の技術を人々は見たがる。相撲なども横綱同士のトップレベルの取り組みをファンは見たがるのと同様だ。これは競技が成熟し、人々も見る目が養われているからだろう。
しかし、今回の総合やK-1はどうだ? 曙やボブ・サップが総合のトップレベルの技術を持っているとは思えないし、魔裟斗も現役の選手ではない。要するに、技術的にレベルが高いかどうかに人々の関心 -
巌流島も大武道も、プロレスファンを切る覚悟はあるか?
2015-12-16 12:00今週のお題…………「私と『大武道』」
文◎山田英司(現『BUDO-RA BOOKS』編集長)………水曜日担当
大武道の創刊号をざっと見。武道と銘打っている割りに純粋な武道家が登場せず、プロレスと総合関係、あとは武道と関係ない人物。
このスタンスから武道を語っても、周辺を徘徊するだけで、なかなか武道の中身にまでは踏みこんでいけないのではないか。この足踏み感は、私が前回のブログで「巌流島の民主化は避けるべき」と言った理由と、根本で共通しているように思える。一言で言えば、武道や武術のいわゆるマニアックな世界の志向性と、一般の格闘技ファンの民意には、差がある、と言うことだ。
『巌流島』でも武道性を目指す、と谷川氏は語るが、だとすると、民意と純粋な武術家の認識とのギャップに、これまで以上に苦労することになる。先端技術や基礎技術の追求と民生用に製品化されるまでに時間的ギャップがある -
『巌流島』は「民主化」をやめるべき。「一党独裁宣言」こそ、成功に繋がる!!
2015-12-09 12:00今週のお題…………「巌流島・再始動に期待すること」
文◎山田英司(現『BUDO-RA BOOKS』編集長)………水曜日担当
基本的に私は『巌流島』のコンセプトに賛同しているわけではない。
ルールをファンの意見で作り上げていくことが「民主的」だとは思わないし、また、試合ルールを民主的にしていいとも思わない。
仮に民主的にするとしたら、巌流島プロモーションの株式をファンに買ってもらい、興行がコケたら一緒に負債を抱えてもらう。これならば、有権者としての発言権も認めてもいいかもしれない。しかし、何の責任も負わぬ人の意見を聞いて企業が戦略を立てる訳にはいかない。これと同じである。
むしろ『巌流島』に望まれるのは、石井館長や、谷川貞治氏のような強烈な個性を持ったプロモーターの出現ではないか。自分が借金を抱えても見たいマッチを実現する。かつてのK-1には、こうした潔さがあったから、フ
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