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長谷川幸洋 コラム第20回 ねじれが解消し形骸化の懸念がある今こそ メディアは本来の使命を果たせ!
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長谷川幸洋 コラム第20回 ねじれが解消し形骸化の懸念がある今こそ メディアは本来の使命を果たせ!

2013-10-03 20:00
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    福島第1原発を訪れた安倍首相 [Photo] Bloomberg via Getty Images

    福島第1原発の汚染水問題で、国会の閉会中審査が27日と週明け30日の2日間にわたって開かれる。日本中が心配する汚染水問題がようやく閉会中とはいえ、国会の場で議論されるのは良かった。

    いや「良かった」というのは適切でないだろう。こんな大問題を国民の代表である国会議員が「どうなるのか、どうするのか、こうすべきだ、ああすべきだ」と議論するのは当然である。むしろ、遅すぎたくらいだ。

    今回の対応はもしかしたら、これから先数年間の国会のありようを象徴するかもしれない。大問題が起きても国会の動きは鈍い。ようやく取り上げられたと思ったら、なんのことはない、野党は型どおりに政府与党を追及し、政府はといえば用意した答弁を演説して「はい、おしまい」。そんな結果になりはしないか。

    与党が衆参両院で多数を握ったので予算は必ず成立する

    つまり、国会が形骸化するのだ。

    なぜ、そういう懸念があるかといえば、衆参両院のねじれ状況が解消してしまったからだ。
    政府与党は衆参両院で多数を握っているから、予算案と内閣提出法案(閣法)は必ず成立する。べつに野党が審議拒否して「寝てしまった」ところで、最終的に採決さえすれば決着するのだ。

    国会がねじれていたときは、野党が参院で反対すれば、衆院で与党が3分の2以上の多数で再議決しない限り、法案は通らなかった。衆院の議決が優越する予算案も、予算本体が成立したとしても、関連法案とりわけ特例公債法案(赤字国債を発行するための法案)が野党の反対で成立させられないと、たちまち政権運営が立ち往生してしまう、という事態が続いていた。

    そんな状況を新聞はじめマスコミは「決められない政治」とさんざん批判してきた。今回、ねじれが解消したから「ようやく決められる政治になる」と半ば歓迎するきらいさえある。

    この「決められない政治」というキャッチフレーズは、野田佳彦元首相が2012年1月の施政方針演説で初めて使った言葉だ。
    私は財務省が「消費税引き上げを決める」ために演説の中に入れ込んだのではないか、と疑っている。当時、多くの新聞は演説をそのままパクって、社説などで「決められない政治からの脱却」を訴えた。

    だが、ねじれ状態を解消して実現する「決められる政治」とは、実は「形骸化した国会の下で政府与党が独走する政治」なのではないか。
    そんな政治を新聞が歓迎していいのだろうか。 
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