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長谷川幸洋コラム第45回 ジャーナリストにとって「社外原稿」「社内原稿」の違いなどない!
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長谷川幸洋コラム第45回 ジャーナリストにとって「社外原稿」「社内原稿」の違いなどない!

2014-04-24 21:15
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    photo thinkstockphotos

    ロシアのクリミア侵攻について書いた私の新聞コラム「私説」に対して、ジャーナリストのF氏が「政府与党が喧伝するそのまんま」と批評した。

    東京新聞での「F氏の再反論」

    私が指摘したポイントは「国連の無力化」と「中国への伝染効果」そして「集団的自衛権の行使を前提にしたアジア太平洋地域における集団防衛体制構築」の3点である。

    私は続編の「私説」や本欄コラムで、F氏の批評について「デタラメを言ってもらっては困る」と反論したが、F氏はその後も東京新聞の「新聞を読んで」(4月13日付)というコラムで再反論を載せている。

    短い文章だが、ジャーナリストやジャーナリズムの本質を考えるうえで見逃せない部分を含んでいるので、もう一度、書いておきたい。

    まず、F氏とはだれか。『週刊ポスト』の連載コラム「長谷川幸洋の反主流派宣言」(4月18日号)で実名を公開したので、ここでも明らかにする。二木啓孝である。二木は13日付の新聞コラムでこう書いている(残念ながらネット上には公開されていない)。 

    <「ところで前回のこの欄で集団的自衛権行使容認の『私説 論説室から』に触れたところ、3月19日の『私説』で反論があった。『論説委員が社説と異なる意見を公表できないようだったら、全体主義と紙一重だろう。東京新聞には言論の自由がある証拠と受け止めていただきたい』」>

    問題は、この次の部分だ。

    <「私は『私説』の主張に違和感があることを述べたのであって『こんな主張は載せるな』とはひと言も書いていない」>

    これだけ読むと、あたかも「二木が『こんな主張は載せるな』と唱えた」と私が書いたかのように読める。これはまったくの間違いだ。

    私の意図はコラム本文を読んでいただければ、完全にあきらかである。問題の部分は二木の批評を指して書いたのでは「ない」。

    コラム冒頭で断ったように、別の一般読者から社に寄せられた「社説と真逆で許されない」という意見に対して書いたものだ。「社説と異なるのはダメ」という一般読者の意見があったので「いや、それだったら全体主義と紙一重じゃありませんか」と反論したのである。

    詐術もいいところ

    二木について書いた部分は、最初に引用したように「政府与党が喧伝するそのまんま」という批評についてである。次の通りだ。

    <「『新聞を読んで』(3月16日付)という外部執筆者のコラムでは『(私の)論法は政府与党が喧伝するそのまんま』という批評もあった。だが、私と同じロジックで今回の侵攻を解説した政府与党関係者の発言は寡聞にして知らない。私の意見は完全に私のオリジナルである」>

    つまり、二木は私が言ってもいないことを、あたかも言ったかのように書いてみせ、そのうえで「『こんな主張は載せるな』とはひと言も書いていない」と居直っている。 
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