「日米安保条約で米軍に基地を提供したときから日本は集団的自衛権を容認してきた」という論点を、5月2日公開コラムで紹介した。今回はその続きを書く。
米軍基地と「戦争巻き込まれ論」
まず1960年に改定された日米安保条約を確認すると、第6条で「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」とある。
ここで条約は「日本の安全」とともに「極東における国際平和と安全」にも寄与する、と定めている。とはいえ当時、日本側の主たる関心は「日本自身の安全」だった。一方、米国側は日本はもとより、極東の平和にも重大関心を抱いていた。米国は韓国、台湾と相互防衛条約を結んでおり、西側自由陣営の盟主として韓国、台湾が共産勢力の手に落ちるのは絶対に阻止しなければならなかった。
日米の関心のズレが明確になるのは、その後、沖縄返還交渉が始まったときだ。波田野澄雄・筑波大学名誉教授(外務省の日本外交文書編纂委員長)が2013年12月に外交史料館報に書いた「沖縄返還交渉と台湾・韓国」という論文によれば、当時の佐藤栄作首相は「極東防衛と日本防衛のバランスについて発言のぶれが目立つ」という。
つまり、韓国と台湾という極東の安全が日本にとって重要と認識しつつも、国内では「日本防衛以外の目的で基地が使用されれば、日本が戦争に巻き込まれる」という国民感情が強かった。
そこで、佐藤は政府要人や外務省幹部に対して「(沖縄の基地は)『日本の安全のために必要』という考え方の徹底が必要なり」と説いていた、という。
「戦争巻き込まれ論」はいまに始まった話ではない。沖縄返還をめぐる交渉時にも「日本が戦争に巻き込まれる。だから基地は日本だけのために使え」という議論が起きていたのだ。
ちなみに、当時の巻き込まれ論は「基地は日本だけのために使え」論だったが、いまの巻き込まれ論は「武器は日本だけのために使え、友邦のために使うな」である。両者はどこが違うかといえば、使用する武器弾薬は日本の基地で補給されるのだから、戦う相手側からみれば、本質的に違いはない。
さらに言えば「基地や武器を日本だけのために使え」論なら、日本防衛のために使う基地や武器という話になるから個別的自衛権で説明できる。ところが友邦のためにも使うとなると、集団的自衛権でないと説明できない。
沖縄返還時には極東防衛のための基地使用を容認
脱線した。本論に戻す。
日米の関心は当初、日本だけか、それとも極東をどう含めるかでズレていたが、結局、日本は極東、すなわち韓国や台湾にも沖縄の基地は重要と認めて、沖縄返還交渉をまとめる。
それが先のコラムでも触れた佐藤首相のナショナル・プレスクラブ演説だ。つまり、朝鮮半島有事に基地が必要になったときは「前向きに、かつすみやかに態度を決定する」と表明した。事実上、基地の使用はOKと米国に譲歩したのだ。
極東の範囲についても議論になった。日本は朝鮮半島有事を想定していたが、米国は当時、台湾や戦争中だったベトナムも含めるべきという立場だった。結果的に日米共同声明や佐藤演説で言及されたのは韓国と台湾だけだ。
とはいえ、日本は沖縄返還後もベトナムに出撃する米軍に基地使用を認めてきたのは事実である。極東の範囲には過去の議論で想定されていた韓国、台湾、フィリピンのほか、ベトナムも周辺地域として含めることを事実上、容認していた。
つまり何を言いたいか。日本は日米安保条約で日本だけでなく極東の平和にもコミットしたが、沖縄返還時には具体的に一歩踏み込んで、朝鮮半島有事でも基地の使用を認めた。認めなければ、沖縄が戻ってこなかったからだ。
先のコラムで紹介した岸信介首相や内閣法制局長官の国会答弁(1960年3月31日、参院予算委員会)は、目的を日本防衛に限ったうえで「米軍への基地提供は集団的自衛権とも考えられる」という内容だった(東京新聞の署名コラムlも参照)。
だが、それから10年以上を経た72年の沖縄返還のときには、日本防衛だけでなく極東、とりわけ朝鮮半島の防衛にも基地の使用を容認したのである。そうであれば、ますまず集団的自衛権の容認にならざるをえない。
繰り返すが、波田野論文にあったように佐藤首相は当初、日本防衛が主眼である点を強調しようとしていたが、それはあくまで国内向けだった。最終的には、演説で述べたように韓国防衛にも基地の使用を認めた。韓国防衛が日本防衛につながるからだ。