一方、北朝鮮の拉致問題について北朝鮮が全面的な再調査を約束し、それを受けて日本政府も制裁措置の一部解除を約束するという進展もあった。これをどう考えるか。
まず、集団的自衛権の具体的事例を細かく掘り下げていけば、想定している事態が明確になる一方、結果的にカウントの仕方次第で事例の数が増えていくのは自明である。集団的自衛権行使に反対する新聞はそこを突いて「集団的自衛権もう拡大」(東京新聞)とか「首相、答弁で事例増殖」(毎日新聞)、「自衛隊派遣、中東も想定」(朝日新聞、いずれも5月29日付朝刊一面)と批判した。
これは十分に予想された展開である。なぜなら、集団的自衛権を行使するような事態は戦争に突入しているか、一歩手前の緊張状態だろう。そうであれば、敵がどういう手を打ってくるか、完全には予想できない。15どころか100も200も事例が増えたっておかしくはないのだ。
「ポジティブリスト」は公明党対策
本来なら、緊迫した事態で自衛隊が「何をしてはいけないか」を定める「ネガティブリスト」を決めるのが理想である。それは軍隊を規律付ける国際標準でもある。政府もそれは十分、分かっているが、それでは公明党が納得しない。そこで政府は集団的自衛権の議論を始めるに際して、最初に「何をするのであればOK」と言える「ポジティブリスト」を作る作業を選んだのだ。ポジティブリスト方式でいくと決めた時点で「細部を詰めていけば、いくらでも枝分かれして事例は増殖していく」のは承知の上だった。だから政府は当面、事例増殖の批判は覚悟のうえで論戦に応じるだろう。
私自身がどう考えるかといえば、5月8日公開コラムで書いたように「日米安保条約で極東(韓国、台湾、フィリピン)防衛に米軍が日本の基地を使うのを認めた時点で、集団的自衛権の行使は容認されている」という立場なので、日本海で自衛隊の艦船が米艦の防護に動こうと動くまいと本質は変わらない、と考える。
事例を枝分かれさせて、いくら細部を突いてみても、そもそも朝鮮半島有事で米軍は日本の基地から出撃するのだから、それはナンセンスな議論ではないか。反対派が「日本は絶対に戦争に巻き込まれたくない、他国の戦争に関わり合いたくない」というなら、極東有事で米軍の基地使用を認めないという話になる。それなら日本海の話ではなく、安保改定を主張すべきだ。
ペルシャ湾の機雷除去について言えば、どこかの国(たとえばイラン)が機雷を敷設すれば武力行使に当たる。その機雷を日本が除去するのも武力行使になるから「戦争に巻き込まれるじゃないか」という議論がある。それは「日本が巻き込まれた」のか。そうではなくて「日本の生命線が狙われた」という話ではないか。
そういう事態に対する必要最小限の準備として、国際社会の合意の下で、他国とともに機雷を除去する「選択肢」を持っておくのはおかしくない。これは「選択肢」であって、必ず除去するという「政策決定」ではない点にも注意が必要だ。
実際に除去するかどうかは、現実の情勢を見極めて、政府が国会の承認を得たうえで決定する段取りになる。判断が間違っていれば、政府は国民の批判を浴びて、政権が倒れる場合だってある。それが歯止めだ。私は政策判断として戦闘中に自衛隊が出動しない場合もあると思う。それは、ときの政府と国会次第である。