『ドッジボールは野蛮なスポーツ』論争から見る、問題の本質を見抜く大切さ
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『ドッジボールは野蛮なスポーツ』論争から見る、問題の本質を見抜く大切さ

2015-06-05 01:37
  • 3
ネットニュースに載っていた『ドッジボールの是非についての騒動』の記事を読んで、
問題の本質を見抜けていないと感じた。

騒動の発端は、あるコラムニストの方の
「ドッジボールを学校でやらせるのを早く禁止するべき」というツイート。
その方は、「義務教育で全員参加させるべきではない」
「やりたい人だけがやれば良い」と、条件付きではあるが禁止説を主張。

その根拠として
 ①「他人にボールをぶつける野蛮なスポーツであり、イジメにも繋がりやすい」
 ②「暴力性が強く、運動が苦手な人は恐怖心に苛まされる」
 ③「当てるほうも当てられるほうも、心優しい人ほど傷付くスポーツ」などを挙げた。

代替案として、ダンスやシンクロ、テニスなど複数のスポーツの中から選択制にするのは
どうかというものを出した。

賛成する方々もいたが、ネットではどちらかというと反対の意見が多く見られた。
自分もこの意見には反対だ。

まず①のイジメにもつながりやすいとのことだが、そもそもイジメをやる人間なら
ドッジボールに限らずなんでもイジメのツールにしてしまうだろう。
ドッジボール自体にいじめの要素を含んでいるとは到底思えない。

②の運動が苦手な人が恐怖心を覚えるとのことだが、
ドッジボールにおいてわざわざ苦手だとわかっている人間に本気で投げる人は少ない。
そもそも球技は基本的にルールとして、自分に球が向かってくるように出来ており、
球が向かってくることが恐怖につながるのならば、
球技全般がその禁止すべき対象になり得てしまう。

③については最初からすべての加減がわかるわけではないが、
当てる方も当てられる方も、やることで加減や各人の目的達成するにはどうしたら
いいのかを学ぶ。

代案についても、現実問題として難しいように感じる。
代案のスポーツを例にとって考えてみると問題点は・・・
 ①スポーツの選択肢の分だけ、教員が必要になること
 ②道具がそれなりに必要なこと

①については体育だけで選択肢の分だけ教員を裂けるか怪しい。
②についてはドッジボールはボールだけでなんとかなるが、
例に挙がったスポーツは全て道具をそろえるのにお金がかかる。
私立の高校ならそれもそんなに難しくないかもしれないが、
小学校には難しいように感じる。

ながなが書いたが、言いたい事は
『安易に、しかも的外れな規制をするのではなく、
本当に解決したければもっと物事の本質を見抜くことが必要だ』
ということです。

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だいたい、この論争は、スポーツといじめを無理やりこじつけていることや、スポーツと暴力の違いもわからずコメントすると言う、コメンテーターとしては基本中の基本がわからない人が発言したもの。ドッチボールは全ての運動機能の基本動作を学習できる唯一のスポーツだけではなく、団体生活をする上での基本も学べるもので、今の小学校には不可欠なものですよ、ら
58ヶ月前
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>>1
コメント、ありがとうございます。
かずさんの言う通り、
最近のコラムニストやコメンテーターにありがちな、
『よく実情を知りもせず勝手に頭の中だけで結論を出す』という
典型例な気がします。
僕も小学生の時、ドッジボールをやっていましたが、
シンプルながら色々感じ、考え、学んだ気がします。
この話に限った事ではありませんが、
最近日本は規制だらけで閉塞的な社会になっている気がします。
58ヶ月前
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さて、日本はいろいろ自由な国だったので、こうして全世界を見たときにガラパゴスっていわれるような文化が発展したんだと思います。漫画文化、オタク文化、思想とか、考え方もですね。
しかし、今のご時世、本当に何でも規制しようとします。
物事に対して、悪い面だけを見て、だから規制だ!ばっかりです。

物事の1面だけ見る奴は、ものを情報程度にしかとらえられてない。そして情報を都合のいいように捻じ曲げる。
物事の様々な面をちゃんと見れるやつは、知識としてさまざまな事に役立てられる。

今のお偉いさん方は、上の2つのうちどっちが多いか、書かなくても分かっちゃうから溜息が出ます。
57ヶ月前
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