ども!ギンです。

今日は、創作や表現をしてる人なら一度は経験あるかもしれない──
「昨日の自信作が、今日見たらゴミに見える問題」について、語ってみたいと思います。

……うん、あるよね。めっちゃあるのよこれw


書いた直後は「いいじゃん!」って思ってたのに

たとえば、イラスト・文章・動画・何でも。
「よし、いいのできた!出すの楽しみ!」ってテンションで原稿を寝かせて、
翌日になって見返すと……

 「えっ…これ、わたしが書いたんですか……?」

ってなって、そっと保存フォルダにしまい込むやつ。笑
わたしも、つい先日その現象がバッチリ起きました。


あの現象、もう名前つけようと思う

イラスト練習してる人とか共感してくれるのかなぁと思うんだけど
昨日の自信作が翌日には“黒歴史寄り”に見えるやつ。

この 「昨日の自信作がクソに見える現象」(便宜上、以後は略してYJK現象とする)

いやこれホント、不思議すぎる。
なんで数時間で自分の感覚がこんなに変わるのかっていうくらい、急に冷める。
まるで別人の作品を見てるかのように、自分に厳しくなっちゃう。


その理由は、“成長”と“距離”のせいかもしれない

このYJK現象、わたしなりに考えてみたんだけど、
理由はたぶん大きく2つ。

① 感覚が先に進んじゃう(=ちょっと成長してる)

表現って、その瞬間の「自分の感性」を閉じ込める行為。
でも、人の感性ってめちゃくちゃ早く変化する。

つまり、昨日の自分と今日の自分、もう“微妙に違う人”なんです。
だから、「昨日の感動」が今日にはもう古く感じたりする。
それってある意味、ちゃんと前に進んでる証でもある。


② 時間が経つと“目”が評論家モードになる

書いた直後はパッション全開の「プレイヤー目線(クリエイター目線)」。
でも、時間が経つと俯瞰して見えるから「批評家モード」に切り替わる。

するとね、あらが目につく。稚拙に見える。
結果、「こんなの出せない……」ってなる。

でも、それって当時の感性に共感できなくなってるだけなのよ。
作品が悪くなったわけじゃなくて。
ただ、“今の自分の解釈”に合わなくなっただけなのかなぁと。


じゃあどうする?──“その瞬間の自分”でいい

わたしが最近あらためて思ってるのは、
やっぱり表現って、出すタイミングがけっこう大事だなってこと。

感じた時に出す。思った時に届ける。
……って、自分に言い聞かせてるんだけどねー!

粗くても、ちょっとまとまってなくても、
あの瞬間の感情がこもってるうちに出すのがいちばん自然だったりするし。

時間が経つと、どんどん出しにくくなって、
「直したいとこあるし……」→「まぁ今じゃなくていいか」→「なんか恥ずかしい」→
結果、お蔵入り。って流れ、マジであるある。

そういうの、ほんともったいないなって思うけど、
よくやっちゃうんだよね。

特に超大作のいいゲーム作品ほど、感想動画やレビュー動画に気合いが入って、
何度も書き直していくうちに上の流れ。
で、タイミング逃しちゃう。

昔、友達に言われたことあるんですよ。
「トイレで○○○するみたいに、パッと出してサッと流せ。いちいち見返すな」ってw
(※もちろん比喩です!誤解しないでw)

この記事書くまで忘れてたけど、
この言葉、定期的に思い出したいところ。


「通過点」くらいでいい

もうひとつ思ってることがあって。

YouTubeの動画や配信って「あの時の自分、こうだったな〜」って思える通過点の記録みたいなものでいいよなぁって。

あとから見返すと恥ずかしいんだけど、まぁ当然というか。
それって別に悪いことじゃなくて、
過去の自分を「ふふっ」って見守る感じでいい気がしてる。

過去の自分よりちゃんと進んでるってことなんだと思うし。


まとめというか、自分メモというか。

自分が出したものが、明日には「うわ」ってなることもあるけど。
それでも、出さなかったら何も残らないし、
その時感じてたことが、流れていってしまうのもなんか寂しい。

だったらもうちょっと、
ラフに・軽く・深刻になりすぎずに出していこう。

……とか言って、また次もフォルダにしまうかもしれないけどw

まぁでも、改めて「その瞬間の自分でOK!」って今の自分は思えてるのでね。
○○○するみたいにね!パッと出してサッと流す!うん!

では!