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根暗先生の一番したくない話し ※泥沼を見たい人向け
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根暗先生の一番したくない話し ※泥沼を見たい人向け

2017-03-23 09:35
    根暗先生は真面目な話しをしなければならないようです。

    ずっとこの機会を待っていました。

    微睡から覚めた時に「この話題」が入った。

    朝のNHKラジオから「予防精神科医療」?的な話題が流れてきた。

    「ああ精神医療の話題か」深く考えなかったけど、聞いているうちに

    「えらいこっちゃ!」ってなった。 色々な意味で。

    アナウンサーと斎藤環氏のやり取りで問題点が炙り出される。

    社会の一部に「措置入院の権限拡大」を望む声がある。

    それは去年の「相模原障害者施設殺傷事件」がキッカケで大きくなった声だ。

    「頭のオカシイ奴は隔離しろ」そういう考えだ。

    精神病の人を「強制的に入院」させるには「措置入院」を行使する事になる。

    措置入院の運用は「慎重に行うべきだ」

    斎藤環氏の発言には「経験からくる精神科医療の実態と危険性」を感じる。

    精神科医療に警鐘を鳴らしているのだ。

    斎藤環氏は「精神科医療の判断では拡大解釈されて措置入院が運用される」

    「警察や医療、対応するもの達の都合で法律が運用される」のだ。

    病気とか関係なく「理屈をつけて措置入院を運用できる」のだ。

    「精神病」とか「病気」は関係なく行政は都合の良い制度として

    「措置入院」を使いたいのだ。 もの凄く「危険」な事だ。

    「自傷自害の恐れ」があると「措置入院」の対象事案になる。

    予防精神医療の権限拡大の危険は「拡大解釈」で判断される事。

    「恐れ」とつければ「行政は権力を行使」する事ができる。

    口実となるし、言い訳にもなる。 行政に便利な事だ。

    当人は「死ぬ意思が無くても」「自傷自害の恐れ」があれば「運用」できる。

    現場の警察や医師が「恐れ」を付ければ「何にでも使える」のだ。

    警察官が現場で「自殺の恐れ」を理由に「措置入院」になる。

    警察官が現場で「他害の恐れ」を理由に「措置入院」になる。

    もう、冗談にできるほど「措置入院」は便利な制度だ。

    拡大解釈を「我々も使うと」こうなる。

    警察官がマンション屋上で下を見ている人物に「自殺の恐れ」があれば

    「措置入院」の対象になる。 拡大解釈的だが。

    警察官が包丁を買った人物に「他害の恐れ」を感じれば

    「措置入院」の対象になる。 拡大解釈的だが。

    警察官の部分を「医師」に変えても問題ない事例だ。

    屁理屈に思えるかもしれないが「屁理屈みたいなもの」で 

    「相模原障害者施設殺傷事件」みたいなものは

    「扱えない」のに「解決」しないのに「精神科に頼る」のだ。

    社会は「精神科を疑わない」が「危険」な事だとは思わない。

    むしろ「精神科を都合良く」利用している「市民」がいる。

    ようは「気に入らない奴は精神科へ」とホイホイ利用する存在がいる。

    タチの悪い冗談みたいなものが「措置入院」制度だ。

    根暗先生は「冗談みたいな制度」の経験者だ。

    この制度で「人生は失った」とも言える。


    中学生の時に根暗先生は「いじめ」にあった。

    色々頑張って学校に通っていたが、足を骨折してしまった。

    ギプスをしながらも学校に通った。

    学校の行事で山登りがあった。

    根暗先生はギプスでも参加の意思を示した。

    行事の日程が迫ったある日。

    家に電話があった。 担任の教師からだ。

    母が電話にでて私に内容を伝えた。

    「学校が来ないでください」って。 そう伝えられて私は

    「学校に来るな!と言う事?」

    「学校に行っちゃいけないの?」

    「いじめられても頑張ったのに」

    ・・・・・・・

    根暗先生は学校に行けなくなって「不登校」になった。

    それから一日も登校しなかった。

    登校しない「中学生」の存在は「大人達の体裁」で問題にされた。

    「このままではマズイ」周囲の大人の意識・・・。

    行政はあの手この手で介入するが「私が拒否」した。

    その頑固さに「手を焼いた行政」は強硬な手段を使う。

    障害児施設に入所させ「通学の体裁」を取りたかった行政。

    しかし「好きなアニメが見られない環境」を私を拒んだ。

    もし「Zガンダムが見られる環境」なら大人しく施設で暮らした。

    それが良いか悪いかは「わからない」が施設を逃亡して家に戻った。

    「Zガンダムの最終回」を見る為に。 見る事ができた。

    最終回では「カミーユの精神が崩壊」した。 カミーユに自分を重ねてガンダムを

    見ていた私はガンダムを見終わったら「自分の人生を決める」そう思っていた。

    そんな想いは誰にも話していない。 カミーユの物語りがハッピーエンドなら

    「学校に行こう」または「仕事しよう」と思ったいた。

    色々甘いけど・・・。

    続編「ダブルゼーターガンダム」が放送・・・? カミーユは?

    続編でもカミーユは出番があるらしい? 見なきゃ!

    行政は力ずくで施設に連れ戻しに来た。

    それに対して私は近くのストーブの石油タンクの灯油を頭から被って

    拒否した。

    死ぬ気は無い。

    行政や大人達に「構わないで!」そういうメッセージだった。

    その場は行政は手を引いたが。

    すぐに「精神科に強制入院」になった。

    家に来た看護師は「物凄く手際良く私を取り押さえて注射」した。

    暴れる人間なんて精神科の看護師は「当たり前」なのだろう。

    看護師というよりも「暴力団」みたいな手際の良さ。 それが社会の姿。

    精神科では「学校を行かない理由」は一切聞かれなかった。

    完全に「精神病扱い」なのだ。

    もう、瞬時に悟った「常識から外れた」と。

    精神病患者の看板を背負って生きてい行かなければならない。

    瞬時に悟った。 辛い人生になると。

    精神病かどうかは、私はこだわらない。

    私には、どうでもいい事だと思っている。

    根暗先生の過去は「辛い」のだが、行政の動きとか考え方は多少理解できる。

    予防医療も措置入院も「行政」の都合で使われるものだと書いた。

    根暗先生の過去でも「病気かどうか?」の「診断」はされていない。

    診察行為もされない状態で病名が付けられた。

    「統合失調症」

    私はこの病名を否定しない。 間違いでも「受け入れる」

    だって、意味がない事は「自分が知っている」のだから。

    予防医療や措置入院の権限の拡大は

    悲劇を生む。

    拡大解釈で誤診が繰り返される「怖さ」を社会は知らない。

    根暗先生の「灯油を被る行為」は「措置入院」の対象になる行為なのだ。

    死ぬ意思が無く。 行政の力を拒否する為の行為だとしても

    マズカッタ行為だ。 情弱だった当時は、他に方法がなかった。

    佐藤環氏が警鐘を鳴らす「恐れ」の「拡大解釈」の危険性は

    警鐘をどう受け取るか?人間の人格が試されている問題なのだ。

    警察官も医師も嘘をつく存在なのだ。

    総理大臣も嘘をつくだろう。

    そういう中で「予防精神医療」なんて信じられないし、

    信じたくない。

    そして「日本のつまらなさ」に

    「嘘だ!」って言って欲しいのだ。

    2017/3/23





    ※補足みたいなもの? 記事内容がどういう事かわからない人に向けてハッキリ言えば「社会を信じるな!」そういう事だ。 特に役人や公務員、行政や公的機関は信じる対象では無い。 ニコニコで放送された岡田斗司夫の番組内で「痴漢」の話題があった。 警察や駅員に任せておくと無実の男性が「犯罪者」に仕立て上げられる状況が「痴漢冤罪」なのだ、と。 これもわかりにくい事かも知れないけど「権力の行使が間違っている」状態なのだ。 女性側が「痴漢された」と訴えれば「男性の犯罪は確定」されるのだ。 事実?そんな物はいらないし、必要ない物だ。 状況が揃っていれば「権力の行使」ができるのだ。 真実は「痴漢行為は存在しない」事であっても犯罪は立証される。 警察は面倒な事件に対し「事実を無視」して簡単な方法で解決する。 行政とかの権力は気をつけて見張る必要がある「力」なのだ。 
    こういう「変な力」を行使する人は社会には多い。 私の中の価値観には、一部の犯罪者を「可哀そうな社会の被害者達」に思える。 本当は犯罪行為に走らないで済む人が、社会の偏見によって「犯罪行為をしてしまう」のだ。 社会構造的に「妙な力関係が働く」のだ。 その力は「当事者しか感じられない」。 普通の生活をしている人は感じない力が「被害者、加害者」に掛かっている。 私は周りから「貴方は知らない方が良い世界だ」と幾度となく忠告された。 言われても意味はわからなかった。 そういう忠告をする人達が何故そんな事を言うのか?さえも理解できなかった。 社会には「ヤバイ事が沢山転がっている」のだ。 だから「社会を信じるな!」に繋がる。 問題は自分で解決するしかない。 人に頼ると「泥沼」にハマルからね!    ・・・・わかってもらうのは無理だよなぁ。やっぱし・・・。



    今、Zの動画を見ると感慨深い。 当時、私は親に対して「敵意」を持っていた。 敵意の理由は「いじめ」で辛い想いをしている私を置いて「男性と遊ぶ」からです。 大人になって今なら、わかるケド「生きている」なら仕方がないんですよ。 「性」って嫌悪するものだけど生きるなら上手にしなきゃいけない事なんです。 富野さんは「親」の事で悩んでいた。 Zを作った頃にも普通に親が生きていた。 親から解放された晩年の富野さんには「良い作品が無い」。 つまり親に対する想いが「創作の源」だったと私は解釈している。 Zには嫌な大人が沢山登場します。 十代がイメージする大人はZに出てくる大人なのです。 それが組織や社会に対する見方として「刷り込まれた」のです。 でも、悪い事じゃなくて「大人を疑う」事を教えてくれたのです。 私はカミーユに自分を重ねて見ていたけど、振り返ると、結構違う部分がある。 私もカミーユばりにすぐ殴る人なんですw でも好きで殴る訳じゃないんです「そうしないと、いけない」何かがあるのです。 カミーユの中には「正義の感情」が渦巻いている。 「こいつを殴らないと誰かが不幸になる」そういう身勝手な正義がカミーユにはあるんです。 フッと思ったのが「作中にカミーユの欲が描かれていたかな~?」って記憶を辿る。 カミーユってお金も興味なさそうだし、グルメに走るような奴じゃないし、女性だって美人に囲まれているのに興味がなさそう? んー、アイツ何に興味があるんだー?
    ストレスのはけ口が無いじゃないか! 富野さんの闇を書く・・・・。

    父と母が美知子の遺骸のそばで、パクパクと物を食う。
    それを見ると悲しいから、弟は、箸を持つと泣いてしまうのです。
    寝ている美知子が起き出して、物を食べてくれ!・・・・・と!
    母のかわりに、美知子が物を食って見せてくれ、と・・・・・!
    まして、父も一緒に物を食っているという光景は、弟にはとても無念なのです。
    とても、残酷なことなのです。
    これが分からないのなら、死んでしまえ、という事です。
    しかし、今回の葬儀も百六十万円かかります。お二人で三百二十万円です。
    一度も葬式を出した事がないお二人の人生ではこのお金の重さの意味が分からないでしょ。死ぬためには、一円でも貯金しなければならないのが、お二人の立場なのです。
    それは、ありませんよね。今年は、もう葬式は出せません。
    死んでもらっては困ります。
    このふたつの事からも、あなた方は、生きる事も死ぬ事も出来ないと分かってください。
    考えようでは、これは地獄なのですが、それは想像できないでしょうね。ご両親!
    ほかにも気配りしなければいけない事がいっぱいあるのが人生なのです。
    ですから、せめて生きていられる間は、周囲にたいして、感謝の心を持つことぐらいのことはして下さい。
    心配するだけならだれにでもできます。心配するだけでは何ごとも終わりません。
    母の心配の仕方は、心配するだけなのです。
    それでは、何ごとかを成し遂げなければならないと頑張っている人たちの神経を逆撫でにするだけなのです。
    生きている人が、行わなければならないのは、その時にしなければいけない事を為す事なのです。
    今のお二人なら、一円の貯金をすること。弟の前では、隠れて物を食べてやることです。これが、子供にたいする親の示すことができる優しさなのです。
    これができなかったのが、あなた方でした。
    自分の健康だけが気になっている強欲さと、我を口にする業にとりつかれた年寄り。
    物が聞こえなくなって、考えることをしないですむ父。
    最後まで生き残るということは、自分の葬式を出してくれる人がいないという事。
    そういったことを想像して、子供に可愛がられる老人になるように修行してください。
    それができない人を、餓鬼というのです。

    「∀の癒し」 -臨終行儀ーより抜粋



    カミーユの両親は「子育てをちゃんとしなかった親」なんです。 私の親も似ていた。 私の親は周囲から見ると「良い親」に見えるらしい。 子供がいじめに合ってる時期にも「男と夜のお付き合い」はあったし、社会では親の仕事をしているように見えるらしい。 世間の評判は親に味方する事が多かった。 生まれてから言われ続けられた呪文がある。 「親を大切にしろ」と。 100%に近い人が私の事を無視して「呪文」を投げつける。 「親を、親を、親を、親を大切にしろ」と。 そういうものに反発を繰り返すが「誰も心の声を聴かない」、私の親は一度も私を「怒ったことが無い」。悪い事に対して窘められた事はあるが、親が死ぬまで「私をおこらなかった」。一度疑問をぶつけた「何で怒らないの?しつけをしないの?」と問い詰めた。 答えは「大きくなってから教えようと思った」だった。 目の前の子供が中学生でも「そう言うのか?」・・・。 世間の目は私が「酷い息子」と見ている事も承知だ。 カミーユのセリフに「親には親をやって欲しかったんですよ!」がある。 その台詞に激しく同意した。 ウォン・リーの修正は当時は理解出来なかった。 理不尽だ!と。 逆にクワトロ大尉の不甲斐なさもわかる気がする。 「人間がそんなに便利になれる訳ないでしょ?」誰のセリフだったか定かでは無いが「凄く正論」だ。 シャアが早く大人になっていれば「カミーユの悲劇は生れなかった」かも知れない。 シャアは間近でカミーユを見て「自分の自身の成長の必要性を感じた」のだと思う。 エマさんやウォンさん、ブライトさんやヘンケン艦長ら多くの人が不甲斐無いシャア・アズナブルを支えた「理由とか背景」を考えると「大人になる」しかない。 こういうアニメを「悪だ!とか悪影響が!」とか言われるケド、、、子供を育てない親とか社会が言う正しさって「信じられる訳ない」でしょ?って事。 少なくとも「私の想いを汲み取ったのはアニメだった」それだけです。 私が今のアニメを嘆くのは「メッセージ性が薄くなっている」からです。 別に命とか人生を語れって事じゃなく「人の心を大事にするメッセージ」を見せて欲しいのだ。 それが「けものフレンズ」「君の名は」でも構わない。 そこから派生する物語りでも良い。 生きるのが簡単な時代になったなという想いもある、一方で若い人の生き辛さも感じる。 ニコニコのブロマガで書くような事ではないかも知れないが、私の過去を書く事にした。 動画の中で「個人的な感情を吐き出す事が事態を突破するうえで一番重要な事ではないか?」と言うのです。 まさかね・・30年前のアニメのセリフと同じ考え方で「今の自分の表現に繋がっている」事に戸惑うのですw


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