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靭帯断裂という怪我

2017-06-19 13:37
    根暗先生は靭帯断裂を経験しています。

    多少、込み入ったブロマガになりますが、辛抱してお読み頂ければと思います。

    受傷は卓球をプレイ中になりました。

    当時の状況を整理、列挙します。

    1.アニメを馬鹿にされた事を恨んでいた。
    2.アニメを馬鹿にした相手の得意な事は卓球、そして高校県大会2位の実績がある人。
    3.当時の私の体重は3桁というヘビーウエイト。
    4.卓球道具の新調を進め、「初めて卓球シューズを使用」した。
    5.当時の私の卓球の腕前は、シェイクハンドラケットのバックハンドが出来ない低レベル。

    という感じ。


    根暗先生の報奨系の快楽パターンはチョット変わっています。 自分の痛みを知らせるのに「相手の得意な事を壊して知らせる」という意地の悪いものです。 一種のサド傾向です。 しかし、相手に苦痛を与えるまで、マゾ傾向が展開されます。 相手の得意な事に飛び込むのですから「自分をワザと痛めつけるようなもの」です。 そして苦痛を長い時間耐える傾向がある。 常人では理解に苦しむ思考展開にハマり込むのです。 アニメを馬鹿にされた事を相手の得意分野を破壊して報復完了なのです。 懲罰の考えが個性的過ぎるのです。 そして褒められる事や称賛も、あまり好まないのです。 世間的に有名になったり、称賛されると興味から外れる傾向があります。 アニメが昔より受け入れられるのは嬉しいのですが、自分が満足するか?は別なのです。 どちらかというと、いつも不機嫌な日常が当たり前の生活なのです。 苦労は買ってでもしろ。そんな事をマジでやるような性格なのですw


    受傷時のプレー

    相手プレイヤーは上記の人。 フォア側中心にラリーを打ち合うプレーが続き、バック側のプレイを混ぜ始めた。 相手のバックサイドに速い球を打ち込んだ返球がバックサイドの深い所に返って来た。 その球を返そうとフットワークが追い付かない不十分な位置、無理な体勢でバックハンドでの返球を試みた、「ブチッ!」と音がし、目の前が真っ暗になった。 「やば!」と思った。 すぐに視界は元に戻った。 プレイは一時中断し、様子を見たが、膝に違和感があるが、動きに支障は無かった。 プレイを再開して。すぐ膝がグラグラ動く感じでまともにプレイ出来ないと判断した。 休憩を挟んで初心者とプレイするが、山なりの打球も追い掛けられる状況では無かった。

    私が考える受傷原因

    体重が重かった事があるし、動きに無理があった事や卓球技術の問題もある。 だが、問題だったのは「卓球シューズ」の存在かな?

    今まで本格的なスポーツ経験が無く、スポーツの時の履物は普通のズックだった。 町履きと変わりの無いものを使っていた。 卓球シューズはとても軽く作られ、滑りにくい特性を持つ。 履いた瞬間から滑り難いのを感じる。 それまでのズックは「滑る」のが当たり前で、私の動きも滑るズックの使い方が染み付いていた。 受傷した瞬間、シューズは凄い力で踏ん張っていた。 普段のズックでは余分な力は「滑る」事で逃げてくれるが、この時の卓球シューズは力を逃がさず踏ん張った。 重い体重で無理なスイングと遅いフットワークで返球しようとした時、力は「膝に集中」し、靭帯が切れた。

    Yahoo!に前十時靭帯の話題があった。 再発リスクの話題だ。 その中でカッティング(cutting)ランディング(landing)ストッピング(stopping)がヤバイぞ!と言っている。 
    そしてコンタクトプレー(接触)が必ずしも原因では無く、接触をしない状況で、膝に引っ張り以外の力が加わった時に受傷するケースがあると指摘する。 私の場合も当てはまる事だ。  
    私は元々、爪先が外側を向く体の作りだった。 一般的、表現では「ガニ股」と言われるけど、一概にガニ股と呼べない。 男性は体の構造上、ガニ股が多い。 女性は知らん。 外反、内反という言葉を覚えて欲しい。 若い女性に多いのは爪先が内側を向く状態。 「内反足」で「外反足」は爪先が外向きだ。 ガニ股が外反足に必ず当てはまる状態ではない事に注意。 
    膝は「ねじり」とか「ひねり」の力に弱い。 膝に太い靭帯が4本あるのもひねりに対しての作りだ。 他の関節には靭帯は2本程度或いは細いのが大半だ。 スポーツには膝に外反、内反のひねりの力がかかりやすい。 足の向きが少し外反、内反状態で無理をすると怪我の危険は飛躍的に増す。 内反でも受傷場所が外反とは別の靭帯に及ぶだけだ。 私の時は:爪先は外を向き、その状態で腰を捻り溜めを作り左重で腰の回転と共に上半身を回しバックハンドをスイングした。 左重心になったのは、左にフットワークして荷重が左足に残っていた状況。 右足には体重はあまり乗ってなかった。 膝は軽く屈伸していたと思う。 普段のプレイでは当たり前のフォームだ。 滑らない靴と外反、内反がヤバイのは、膝にヤバイ、力がかかりやすい。 そんなフォームで力一杯フルスイングしては駄目なんだ。 滑る靴と滑らない靴とでは「体の使い方が違う」案外知られない事だ。 外反、内反の怪我のバフ(追加効果:ゲーム用語)がついたら? 危険度は大きい。 正しいフォームの重要性は「怪我無く上達」の必須条件だ。 漫画で名監督や名コーチが才能を見抜くシーンがある。 それは「体の使い方」が出来ているかを見る事が多い。 競技によって理想のフォームがあるが、各関節の角度が正しいか?という事を見る。 正しい?ちょっと違う「理に適っている」フォームか?という事。 だが、日常の生活では、爪先の向きは意識しない。 知らないで外反状態で無理な動きをすると・・・「人生、最大の激痛」を味わう事になる。 目の前が真っ暗になるのは「痛みが酷過ぎて脳に痛みの信号が辿り着く前に痛みの情報を遮断」したのだ。 一時的に視覚情報が無くなる「視界が真っ暗」になるのだ。 実は若い女の子の爪先が内向きになっているコの多さに気になっていた。 スポーツをプレイしたら「大怪我するな?」って見ていた。 そう単純ではないけど、心配していた。  

    受傷後・・・。

    足に違和感を感じながら普通に生活した。 病院は暫く受診しなかった。 テーピングの本を買ってそれに習って膝に自分でテーピングを施し卓球をプレイを試みたが駄目だった。 体育館に居合せた音楽療法士に「卓球やらなきゃ良いじゃん」とか言われて、カチンときた。 その言葉に受診を考え始めた。 その夜だったかな? 寝転んでいる親の体を乗り越えようと跨いだ瞬間に膝の異変が起きた。(狭い家なので人を跨いでの移動は日常的) 痛みと共に膝が固定されてしまった。 ある角度で膝が動かせない状態「ロッキング」というものだ。 動かそうとすると激痛が走る。 その場から動けない状態。 流石にどうしようも無くなり、救急車を呼んで貰った。 救急病院に搬送され、検査を受ける。 お医者さんが私の足を持って、よくわからない事をする。 足を持って動かしたら、動いた? 施術でロッキング状態を解いたのだ。 その後に診断を告げられる。 「靭帯損傷の疑いがある」と。 手術をした方が良いと言われたが、その病院では「精神病持ちの患者は手術できない」と断られた。 別の病院を紹介された。

    手術する事は考えていなかったけど「卓球が出来なくて」困った。 生活も不自由だったし、色々考えて手術を決意した。

    紹介された病院を初診に行って、一日中ずっと待たされて、やっと診断がついた時は「グッタリ」した。

    因みにこの病院の先生は膝の手術では有名な人らしい。 人気の医者だ。 会話もソフトで人当りが良い人だ。 とても「医者」のイメージと一致する人だ。

    この先生の「説明」はわかりやすい。 とても手慣れている。 難しい事も数多く説明してきた経験を感じさせる。 事実、お年寄りに説明する時も平易な言葉で難しい病気を説明している。 診察室の様子がモヤモヤと聞こえてくるのだが先生は最後に「転ばないように気を付けてや」と声を送る。 私の中で随分とこの言葉を気に留めた。 「あーこの先生の言う事は守らなくちゃ」そう思った。 私にもこの声掛けはしてくれたのが、有難い。

    病院の説明では予約が一杯で手術出来るのは「半年後」と言われた。 それまでの間に装具を作ったりした。 装具は高価な物らしい。 カーボン製とか言われた。 しかも外国製。 色も選べるお洒落仕様? 赤とか青とかもあるらしいが、目立たない黒色にしてもらった。 


    手術・・・。

    手術の入院期間は2週間の予定。 病院に行って病室に落ち着いた所で、「爪」を切るよう言われた。 そして「入浴」を指示された。 手術前はみんなそういう事をする?らしい。 そして医療ミスが無いように足にマジックで目印を書かれた。 「ACL」そう書かれた。

    そして絶食が始まる。 手術を考えるとメシも食べてはイケナイらしい。 当然だが手術室に初めて入った。 麻酔の先生に「10秒数えてください」とか言われたら麻酔が効いて意識を失った。 気づいたら病室のベットの上にいた。 酸素マスクがついている。 傍に親がいた。 手術の時は付き添いがいないと駄目らしい、付き添いがいないと手術は断られると聞いた。 

    手術は上手くいったと思う。

    麻酔が消え、日常では「機械」を使えとしつこく言われた。 「機械」は強制的に足の曲げ伸ばしを繰り返しさせる為の物。 ずっとそれをやる。 理由は「足の機能の維持と回復目的」で行う。 これをサボるとオモワシクナイ事になる。

    手術後は足を床に着いてはイケナイのだ。 体重をかけてはイケナイ。 体重で繋いだ物が駄目になるからだ。

    靭帯再建術・・・。

    色々説明は必要だと思う。

    靭帯とは何ぞや? 簡単に説明すると「骨と骨を繋いである筋」?そういう感じ。 筋肉だけでは骨同士は繋げない。 人体の構造上必要なものが「靭帯」だ。 

    膝には複数の靭帯が存在する。 内側側副靭帯、外側側外靭帯、前十時靭帯、後十字靭帯、と4つの靭帯が膝にはある。 私は前十時靭帯が切れた。

    損傷と断裂は違うと言っておこう。 損傷は「傷付いた」状態? 断裂は「無い」状態?

    損傷は回復の見込みがあるのだが、断裂すると「一生治らない」のだ。

    組織が蘇生して回復とはならないのだ。

    切れた靭帯を繋いだり、他の物で代用するのが「再建術」だ。

    作り治すという意味合いだ。 再建術にも色々あるから一様に言えない事に注意が必要だ。

    スポーツ選手には「2重折」とかの多重折靭帯を使ったりもするらしい?です。

    使われる靭帯も様々で、色々な手法があります。 採取する靭帯も様々な方法で確保する。

    ハムストリングからとか頸脛靭帯、人工靭帯+自家組織、人工靭帯、とかがある。

    靭帯同士縫い合わせる方法は今は5%位しか行われない手法らしいです。

    そして、複合的に多いのが「半月板損傷」もなんです。

    靭帯で固定されない骨が動くと半月板も傷付く?のか?

    半月板の部分切除や切除も多い。 私も部分切除した。

    よくわからないのだが、再建術は「固定している」だけみたいだ。

    再建の靭帯をどうつなげている?事に注意して考えて欲しい。

    骨に穴を空けてトンネルを作って靭帯を通すのだろうか?

    その靭帯をどこに止めるの? 接着剤? それとも釘みたいなもの?

    そういう事は医者に聴いた方が良い事だ。

    手術すれば安心な医療では無い。 手術後は日常で注意が必要な事は多い。

    2週間で退院したが、自転車にも満足に乗れない。

    歩く時は必ず「装具着用」だ。 トイレの時もだ。

    装具を着けないで立つ事自体好ましく無いので、入浴も控える。

    装具がお洒落な理由も常に着用するからだ。

    装具は服の上からでも着用出来るらしい?が私は直に着けていた。

    この方法は履く物が限られる。 装具を着けても足が通るズボンなどが必要。

    ジャージは便利だ。 

    そういう状態で食料品調達が必要な事になってしまったので買い物にスーパーに行くが、

    買い物中の客の動きに参る。 こちらは人の動きに合わせられない。

    多くの人が買い物に夢中で「動かない」のだ。 商品棚の前で止まる。

    足の事を考えると傍に近づけない。 細かい足の動きが出来ないので動きが不自由だから、

    人がいる商品棚には近付けない。

    心の中で「頼む、お願いだから避けてくれー」って思いながら買い物する。

    見た目にどこも悪いところ無さそうでも、障害を抱えている人がいる事を知った出来事でもある。

    健康な人が我が物顔で通路を行き交い、障害を抱えた者が避けて歩くのが理不尽だと思った。

    余談だが、実はこの時、親は心筋梗塞を起こしたのだ。 歩くのが不自由な私だったが、原付免許とスクーターを所持していたから乗り越える事が出来た。 親の面会とかもスクーターがあったからだ。

    心筋梗塞でも着替えは必要だし、絶対安静中はオムツが必要な事もあるので、

    まるっきり病院に行かない訳にならないのだ。

    実は言えなかった事がある。 母の面会の帰りにアクシデントに会い不用意に手術した足を激しく地面に着いた。 それから膝に曖昧さが出るようになった。 KT-2000や徒手検査等で診断がつかない事が度々あった。 KT-2000が検査の内容に判断できないで、あやふやなデーターを吐き出す。 数値を判断する作業療法士さんも首を傾げる。 本当の事は言えなかった。

    更に白状すると雪が降る中でバイクに乗った。 雪国ではスクーターにも冬タイヤがある。

    だが万能では無い。 積雪が多いとスクーターの小さいタイヤでは雪は乗り越えられない。

    アイスバーンも普通に滑る。 そんなスクーターは邪魔な存在だ。

    それでも生活するには乗るしかないのだ。 バスは通らない場所に住んでいるし、

    普段の買い物も不便な場所だ。 今はスーパーが出来たから不便には見えないが。

    冬にスクーターの運転で転んだ時は大事になる覚悟はしていた。 幸い転ばなかった。

    冬に手術して春まで不便は続いた。

    定期的に病院通いをするようになる。 レントゲンと必要に応じてMRIをする。

    そしてサイベックスみたいな機械で筋力の計測とKT-2000での膝の緩みを計測します。

    サイベックスみたいな計測装置はとにかく鬼畜な機械で「出せる力、全開で筋力を測定」するのです。 時には筋が痛くなる事もあります。 こんな事したら靭帯切れそうな事なのです。

    でも、実際には靭帯への負荷は無いのです。 靭帯と筋肉の役割の違いを感じます。

    医者からは「30㎏以上の重い物は持たないように」とかアドバイスされたりした。

    健康な靭帯と比べたら6割程度の強さしかないという話も聞いた。

    医者は割と高齢だが見た目は若い。 PCに不慣れな様子でキーボードで情報を入力する。

    今、その様子を思い出すと凄いと感じる。 医療用のPCで検査指示や薬の指示を出すからだ。 色んな病院を少なからず見て来たが、ちゃんとPCで各部署に情報を回せる医者は案外いない。 多くの医者は文章の入力で精一杯で治療関係の指示は出せない事が多いし、なかにはやり方を知らない医者もいる。 膝を診てくれた医者はキーボードの入力は拙いが、レントゲンの情報やMRIの情報の読み取りは熟練している。 徒手検査の技量も凄い。 あっと言う間に終わらせる。 徒手検査に一分もかけるだろうか? 手際の良さに時間を感じないのだ。 いつも笑顔だが、一度、真剣に怒られた。 入院中に装具を着けずに松葉杖でジュースを買いに行った時に、装具を着けるように叱られた。 いつも笑顔の先生を真剣に怒らせた事に反省した。 私の人生の中で「唯一医者の仕事した人」だと思っている。 私に医術を施した医者は事実上この先生だけと言える。 他の医者は「適当な仕事」で済ます人だった。 生活保護や精神病の肩書を持って医療を受けると「手抜き」されるのだ。 医療機関なんてそんなものだ。 大抵の看護師や医療事務だって我々の扱いは酷いものだ。 標語ポスターとかの医療の嘘を見るとやるせない想いになる。 嘘ばっか。


    正直、どの位の期間、不自由な思いをしていたか覚えていないのですが、

    年単位の期間不自由な生活をしました。 装具を使わないで生活できるようになったのは、

    手術から5年以上経ってからだったと思います。

    装具を着けながら、リハビリを始めました。

    歩く事から始めて、ジョギングに移行しました。

    卓球でのフットワークを考えて「道路の変化」を利用してリハビリしました。

    マンホールを見つけると、マンホールに沿って右に一周、左に一周して歩きます。

    歩道の縁石では積極的に乗ります。 平均台を渡る感覚で歩くのです。

    歩いている最中は右に回ったり左に回ったりしながら歩行します。

    とにかく足捌きに変化が欲しかった。 色んな変化をつけて歩きました。

    それがリハビリになると思ったのです。 そんな変な歩き方は普段は出来ません。

    リハビリの時間は深夜や早朝になりました。

    気持ちは「卓球で倒したい奴がいる」と自分に言い聞かせていました。

    卓球で勝つ事を目的にして「リハビリに励んだ」のです。

    そういう想いが無いと生活できないのです。

    アニメを馬鹿にした奴を恨む一方で感謝の気持ちもあります。

    目標があったから頑張れたのです。

    そんな私を見て周囲は私が熱望する相手では無く、余り卓球が上手くない人ばかりとプレイさせるのです。 正直、上手い人と卓球をプレイしたい気持ちが沸々とあったけど、自分を抑えて上手くない人と卓球を繰り返しました。 その人達のレベルに合わせてプレイしますから、周囲から実力が見え辛くなった面もあると思います。 実力は以前より格段に上がっているのに、評価は以前より下がったのを空気で感じるのです。 結局、傷つけられるだけ傷つけられて、何か知らない内に向こうが被害者として周囲が認識しているのです。 そして周囲は正しさを振りかざし私を責めるのです。 元の出来事を知らず、私の内面を考えず、間違った正しさで押さえつける人達に説明は無駄だと、ブロマガを頻繁に書くようになって、社会を見る面が養われて、見識が広がった。



    装具を着けながら卓球をしたりもした。

    装具を着けないで卓球が出来る程回復した。

    そして、治療終了のお墨付きも頂いた。

    その後も膝は労わりながら生活していた。

    最後に精神科に入院した時に看護師の一言でキレた。

    暴れて取り押さえられて保護室に入れられた。

    周りは、私が悪い事になっているが、

    元は看護師の言葉がキッカケである事は知られていない。

    この出来事で靭帯は再び切れた。 今、膝はグラグラしている。

    精神薬の副作用の問題もあり、精神科と縁を切る事にした。

    靭帯断裂では、通勤や通院は出来ない。

    仕事をするなら通常は通勤が必要になるし、通院だって移動があるから不自由なのだ。

    事実上、ひきこもり生活をしなければならないのだ。

    幸い元からひきこもり体質だから構わないのだ。

    靭帯が切れた事で通院が困難になった事を相談したくても、させてくれない状況は苛立つものだった。

    解決が必要な問題は数多くあって、一つ一つ消化しないと相談出来ないのに話を聞こうとしない福祉や医療は「何なんだ?」と思っていた。

    医療から離れて正解だっと思う。

    気が楽だからだ。 だが、切れた靭帯の膝の生活は不便に感じる。

    生活保護のケースワーカーに「医療は受けない」と言ったら。

    Kケースワーカーは「どんな医療も受けないんですね」と言った。

    今はその認識で過ごしている。 別に不満は無い。

    ケースワーカーは精神科を受けさせたいだけで、そういうやりとりを展開する。

    相談行為にならないのに、社会では「相談しました」となるし、

    都合が悪いと「話しは聞いていません」「そんな事実はありません」となる。

    世の中の情報は実は物凄く捻じ曲げられたものが多いのだ。

    ニュースが事実だと思わないで欲しいと思う。 だが、人生経験の量で真偽の

    差異が出るのだ。

    仙台の裁判所で刃物を振り回して暴れた人がいる。というニュースを聴いて気の毒に思った。

    その犯人は多分、自分の正しさを示したかった人だと思う。

    過激派という報道も一部であるが、それよりも、なんで迷惑防止条例で裁判を受けているのかが気になる。

    犯罪が目的なら「簡単な方法は沢山あるのに何で判決を読んでいる時に暴れたのか?」

    という事が気になる。 犯人の行動は明確な意思があると感じるのだ。

    刃物5本も解せない。 戦う意思があったでしょ? そう感じる。

    どうでもいい報道には、注意が必要な事も含まれる。

    時々、頭がおかしいような事件もあるが、それの影にどの位の真実が含まれているのか?

    実は真実は何一つ伝わってない事も多いだろう?と自分の経験で言えるのだ。

    靭帯断裂の話題のブロマガだが、執筆のキッカケは「世間の情報の真実」が、

    モラルの低さの問題だったら、情報発信の意味なんて無いのでは?

    私にはそう見えるから、情報に触れると「精神科と生活保護の嫌な論理展開」を

    思い出して、ウンザリするのだ。

    嫌な記憶はパブロフの犬的な反応をしてしまうのだ。

    とても暗い気持ちになる。

    2017/6/19

    靭帯断裂の怪我は近くに先人がいたのです。 病院職員でバレーボールが好きな女性です。 ハッキリ言って大柄な体格。 その人が靭帯断裂の怪我を経験していた。 私の手術もその女性も執刀医は同じ医者です。 地方の医療では受けられる医療の場所は同じ事が多いのです。 その人が手術後に病院の体育館でバレーボールの練習をしていた。 仕事の時間を終え、夜遅くに体育館でバレーボールの練習をする。 練習相手もいたような、いないような?それでもひとりで練習に励んでいたのは覚えています。 何でそんなに頑張るのだろう? 当時も今もよくわからないのです。 足には装具着けられていて、時折、足を気にしていました。 その出来事を思い出しても「本人の事は本人しかわからんよな?」って思うのです。 







    自分の人生を振り返ると大きく3種類の人達と出会った。 一つは「私を馬鹿にする人達」、もう一つは「中立な人達」もう一つは「私を高く評価する人達」の3種類だ。 馬鹿にする人達は軒並み普通の人だ。 一生を変化無く生活する人達とも言える。 中立な人達は、実はあまり多くない人達だ。 特別な才能は無いように見えるが、とても有能な人達だ。 私の価値を認める人達・・・は実はわからない人達だ。 私のどこが良いのか?なんでそんなに、応援してくれるの?って思う人がいる。 この人達は私の前に姿を見せない特徴がある。 陰から私を見つめている存在だ。 理由はそれぞれあるだろうが、どこから私を見つめているのか、いつも不思議に思う。 そういう存在を知ったのはRCレースでだ。 レース会場で男の子に声を掛けられた。 正直、その位の年頃の子は付き合いが無く、男の子の顔も知らない。 でも、向こうは、何でも知っているらしく、私のレースの事も詳しく知っている。 話す内容で「観察されていたんだ」と思った。 会ったのも話したのもこの一回だけだが強烈に覚えている。 その後、一度も見なかった。 時々、変な方向から自分を知る事もある。 同じく別の年のRCレースで小学生の、数人が私のピットで私のクルマを見ている? 持ち主なのに後ろで小学生の様子を伺っていた。 会話はマシンの事だった。 「すっげ~」「「この間も
    このタイヤだったよな?」「こないだ勝った時これだったよな?」「速かったよな?あん時?」「今日も勝つかな?」・・・これ以上聞くのはイタタマレナイから後ろにいると存在を示したら。 少年達はモジモジした後そそくさと立ち去ってしまった。 例として、よくわかんない人達はこういう感じの人達だ。 一方で面と向かって「○○さんのココが凄いね!」て言う人がいる。 記憶を遡れば女性に言われる言葉だ。 そういう事を言い出す人は思慮深くて何処か影のある人だ。 男性でも立場や地位に関係無く誉める人はいる。 少なくても、表に出てこないけど応援してくれる人達に「恩返し」したいと考えてる。 存在が見えないから、事実上いないと思ってはいるが、意識はそっちを向いている。 私が生きている間はそういう人達の姿は見えないだろう?と思っている。 自分の生き方は、どこかそういう人の想いを背負って生きている気がする。 だから自分を投げ出す事は出来ないのだ。 自分を信じるしかないのだ。 自分は人を裏切るけど、人の想いは裏切り切れないと想う。 その場から逃走しても想いは背負っていたりする。 自分の人生で泣かせたり辛い想いさせてる人も多いしいると思う。 「長くこの稼業をやっていると、さすがに肩のあたりが重くはなってくるが・・」漫画版パトレイバー18巻の後藤隊長のセリフを引用するが、まったくその通りだと思う。 「風邪薬の論理」は面白いし理想の姿だ。 後藤隊長も私も気持ちを持て余すし「辛くてやってられん」とか思いますよ。 こういう歳になったから言えるのは、後藤隊長が言うように「本質的に手遅れなんだ」という事なんです。 「覚悟する」しかないのですね。 若い時にこの漫画を読んで受け入れる事が出来ない考えでした。 今は激しく同意します。 風邪薬の論理の通り「解熱剤には解熱剤の咳止めには咳止めのプライドがある」のを信じてる毎日過ごしているのです。 その程度のものですよ。(笑)     


    自分の好きな事は実はよくわからないのが本音です。 世の中に面白い事はあるのか?ってテーマは自分には大きな意味があります。 世の中の欲求をある程度経験して思うのは「面白い事には限度がある」と思っています。 どんなに面白くても「飽きる事が訪れる」というところが今の思考状態です。 そして、ある程度の経験を積めば、大体の出来事の考えは知れると思っています。 世の中の論理的な展開はあまり差異は見られません。 複雑なものでも、単語や言葉や計算に違いがあるだけで、面白いとは感じないのです。 そして人の未熟さがつまらない状況に拍車をかけてしまった。 すぐに怒る人達が増えたのがつまんない一因です。 意見を述べたりするとたちまち一斉攻撃される。 私が探す面白さの概念からも「怒り」は要らないのです。 今、辛うじて楽しい事は画面の動きに合わせてボタンを押すのが楽しいですね。 PCで文字を入力したりゲームのパッドで操作して画面に反映されるのが楽しいです。 だからポチポチボタンを押して反応が返ってくるのが面白い、オンラインゲームはプレイヤーの数だけ反応が変化するのです。 パッケージゲームでは味わえない複雑な変化です。 命令形のコマンド入力はフィードバックが同じで飽きます。 FF14がオンラインでありながら飽きてしまったのは、入力が同じだからです。 マーケットでアイテムを売っても画面の反応はあまり変化しません。 戦闘は好きですけど同じ敵を狩り続けると印象が良くないでしょ? ボス戦に行きたくても、コミュ力が不足してボス戦に参加できないのです。 仮にボス戦に行けても戦い方が違うので、仲間外れになる。 そうすると複数のマッチングが必要なゲームのボス戦はできないのです。 強いアイテムは必要にならないし、求めると同じ敵は相対的に弱くなるので歯応えが不足するのです。 強いアイテムは自分の中のゲームバランスが崩れるのです。 自分の楽しみ方をすると他人が「邪魔する」のです。 私には娯楽が無いのです。 その悩みは誰が解決するのでしょうか? 自分が解決する事ですね? 承知していますよ。 ただ、折角見つけても、壊されるのですから「つまんない」のです。 楽しい事って、何?

    話せない事は沢山あったんだ!ってハナシ。

    PCやゲーム実況を求めたのは、膝の問題もあった。 再度靭帯が切れる前の数年前から膝の状態を気にしていた。 日常の生活の中で年々膝の靭帯が緩くなっている事を体感していた。 医者にも再手術はありえる事だ、と言われていた。 手術したから絶対に大丈夫だとは言えない、寧ろ膝を労わって生活しないと再手術はいつかは来るかも知れないのだ。 そういう事を意識して将来を考えた。 高齢になって靭帯再建術をもう一度受けるのか?そう考えた時に「歩けない生活」を考えるようになった。 家の中で何でも完結する生活を考えた。 ネトゲを経験する内に「PCの便利性」に気づいた。 もしかしたらPCで収入を得られるかも?そんな甘い希望を持ち始めた。 PCでデータ入力の仕事も悪くないと思ったが、ネックは病院の通院だった。 精神薬を飲み続ける生活では通院は必須になる。 歩けない生活を考えると外出する事は否定しないと生活のシュミレーションが成り立たない。 生き方を模索していた頃にゲーム実況で収入が得られるという情報を知った。 PCを使う仕事だし、自宅で可能な仕事?自分の能力も通用するかも?色々期待が膨らんだ。 PCの勉強を始めてゲーム実況の準備を始めた。 保健所の相談員に20万円のPCが欲しいと言ったら「そんな高いの必要?」と聞かれた。 ゲーム実況めざしてるなんて言えなかった。 それでも頑張ってゲーミングPCを手に入れた。 紆余曲折を繰り返して今に至る。 多くの人が「信じられない」と思う。 本当にそんな事考えて生活していたのか?って疑問は「でなきゃ説明つかない事があるだろ?」って事はブロマガに書いていく。 誰にも言わない想いは誰にも潜んでいるのだ。 だから会話が必要だ!と精神科の治療中に散々訴えたのに「頭がおかしい病人扱い」されては「どうしようもない」と思うのだ。 そりゃ暴力的になるのも当然なのに・・・。 縁切りされるのは、精神科がその程度の能力だからという真実が露呈したのだ。 心の病を扱う所では無いと確信した。 それを社会に訴えても「医療や医者を信じる」人がいるから、権力を疑う動機になる。 権力を疑うと裏の動きも気になりだす。 私はある程度の収入があって自由に平穏に暮らせれば、争いに参加したいと思わない。 攻撃してくる人がいるから情報を睨む。 でも、敵わない力だと知った。 私はもう敗戦したのだ。 自分の限界が見えたのだ。 話しても理解されない事があるのだよネットには。 2017/6/23
     
    怪我の後も卓球上達を諦められずに「トレーニングに科学的な理論を取り入れよう!」と思って「栄養学」「スポーツトレーニング」「スポーツ科学」「カロリーブック」「スポーツ栄養学」等の書籍を読んだ。(本のタイトルでは無いです) 色々読み進めていくと、世の中の健康情報と随分違いがあるな?と感じる。 そして、ダイエット等に代表される考えに「楽して○○!」とかの「お手軽情報」が、社会にウケていた? 本の売り上げ上位には、簡単に?とか安く?とか、「楽して生きたい」考えが当たり前に展開されていた。 筋肉を着けたい時に「筋トレ」をするのは常識ですが、筋肉を体に着けるには「最低3か月筋トレが必要」なのです。 ジムで1週間に1回バーベルを持ち上げても「筋肉は着かない」のです。 それよりも低負荷で毎日、或いはそれに近いサイクルで筋トレが有効になる。 他にも「糖質制限」の考えも疑問になる? それって正しいか?  今、私が日々思うのは「特別な健康法を求めない方が良い」と思っている。 健康が大切?って考えが当たり前だけど「理想が高過ぎて社会的に歪みが出ているんじゃないか?」って世の中を眺めている。 どんなに完璧を求めても「死ぬ」なら同じだと思う。 完璧になっても「死」は避けられない。 逆に屑でも「死」は訪れる。 必死に求めているものの「正体」は何? そう考えると、社会的なランクなんて、つまらないものに思える。 世界一美味しいご馳走を目の前にして「隕石落下!地球消滅!」したら、ご馳走何て意味無いwww 隕石落下も世界一のご馳走も常識的に考えると自分の身に起こらない。 毎日、適当に食事して過ごしているよね? それ以上望むものってある? なんとなく気になるのです。 トレーニングして筋肉を着けると思うのです。 「一生トレーニングが必要になるな?」って。 筋肉は使わないと衰える性質を持っています。 筋肉を維持しようとすれば、トレーニング習慣は必須になります。 筋肉を維持する為に「犠牲」になるものは多いですよ? 国民全員に健康を求めると・・・「無理でしょ?」ってなる。

    世間知らずな情弱な部分がある?

    私は納屋先生のコラコラコラムを時々聴きます。 納屋先生の考えが聞きたくなるときがあるのです。 良い悪いでは無く色んな人の考えに触れる必要がある。 納屋先生は辛口な発言だから嫌われる人だけど考え方は為になる。 私は介護や卓球上達に生活の大半の時間を使っていた時期は、テレビや新聞、等のメインメディアの情報に触れる暇は無かった。 ネットは使っていなかったし、寝る時間や炊事の時間、、、とにかく暇が無かった。 生活しながら地元のラジオ放送を一日中流しっぱなしにするが、情報の絶対量が少ないし、ラジオの情報も上の空で過ごす。 余裕が無い暮らしは人を酷く情弱にする。 コラコラコラムを聞いたりすると、「新聞が~」って話題が出てくるけど、私には「?」の話題なのです。 ネットでも新聞が~って話題が出るけど、、、何で?どういう経緯でなにを問題にしているか?わからないのです。 話題になっている新聞社ってどこの新聞社?話題になってるのは2、3社あるようだけど?事態が掴めないのです。 入り組んだ事が沢山ありそうで、どこから入れば良いか取っ掛かりが見えないのです。 ブログとかで時々、触れちゃいけない話題に引っ掛かってる?ときもあるのかな?って思う。 世間のデリケートな部分を知らないのだ。 それは私の黒歴史とされる10年は情報に触れる暇が無かった時期だ。 黒歴史はとても無駄な時間に思えてくる。 コラコラコラムの納屋先生の整理された思考は、失った時間を取り戻せる気がするのだ。 今は論理的思考がしっかりした情報が少ない。 読んでも思考の未熟な内容のニュースが多い。 短い文章でしっかりした思考や論理展開された文章を書くのは不可能だ。 短い文章のニュース記事が多くてもなーって情弱な私は思うぞい。 今のメディアの情報は「単語の羅列」が多いのです。 森友学園ガーってニュース記事を見ても「何が問題になっているか?」がわからないのです。 森友学園のどこが問題になってるの?どうして問題になるの?そもそもなんで話題になってるの?放って置けばイケナイ事なの?って争点が見えないニュースばかり?「事象」ばかり伝えられてもなあ?って思う。 問題になっている理由とか、このニュースを取り上げる理由とか、この話題をする事の利点は、この話題をしないデメリットは、そういう事もちゃんと記事にして欲しいのです。 トランプさんの話題も「そう」です。 トランプさんの何がイケナイの?が私はわからないのです。 ちゃんと筋道立てて報道しているメディアは見当たらないです。 事象?ばかりでは無く、「駄目な理由?」を知りたいのです。 駄目な理由を知ってから「じゃあ、駄目な人がなんで大統領になったの?」とかの疑問を聞きたいのです。 トランプさんの必然性って何? ちゃんと、「ロジック」を見せて、聞かせてって思うのです。 感情的に批判していては、見えない事ばかりなんですよ。・・・ (´・ω・`) 

    私の発言には論理や思考という言葉が散見します。 その事にも意味があって「今を生きる人の考え」がいまいちわからないのです。 ゲーム実況を見ていて実況者の不規則で過酷な生活状況が薄っすらイメージした時に「実況者の体調が心配になった」それでコメントに実況者に「体調に気をつけて」の意味を込めたコメントを打った。 内容的には「いつお風呂に入るのですか?」的な事? このコメントに実況者が注意を促した、他のコメントも「セクハラ」と指摘した。 私は「ええ、なんで?セクハラになるの?」って思った。 当時は色々わからなかった。 今は多少理解できる。 私のコメントには「行動パターンを知って犯罪行為をする人もいる」そして「性的な話題に引っ掛かっていた」「放送内容とは関係ないコメントで放送の空気を乱した」等々が反発につながった。 ニコ生初心者の私は「ひたすら疑問に感じた」たしかに「風呂のワードを選んで発言したのは不適切」かも知れない? 放送を見ていると実況者は「食事も睡眠も起床時間も謎が多かった」日常生活は伏せて生活しているらしい? それで「風呂」のワードになる。 「入浴習慣がちゃんとしている人ならば体調は恐らく大丈夫だろう?」と探ったのだ。 そのコメントが「事案」になるの?って思った。 福祉や医療関係の人間はこういう話で「その人の状況を探る」のである。 医療のテクニックだ。 私は精神科医療と長く付き合ったので「医療のテクニックが自然に見に付いた」のだ。 ブログ内の言葉の使い方も少し医療テクニックの要素が入っているのです。 食事のハナシでも睡眠のハナシでも体調は伺える。 それで思ったのは「そこまで情報を隠さないと実況者って活動できないの?」って疑問が沸々と湧いた。 実況者の仕事に興味が出たのである。 同時に「事案になる理由も気になる」たしかに風呂は良くないワードかも知れない。 それが直接「事案」に結びつくのがわからないのだ。 性的なニュアンスが含まれていても或いは行動が特定されるような内容でも「何で直接犯罪に結びつけるの?」その論理はどこからくるの? 疑問に思った。 ニコ生で他にも色々な放送を視聴した。 色々な放送主の発言を聞いた。 考えの違いに戸惑った。 どうも私の考え方は「非常識」な要素が多いらしい? ニコ生を視聴するのは「考えを知りたい」からだ。 色々放送を見て精神科分野では「認知の歪み」を抱えたままで発言しているのでは?と疑った。 発言を何でそう受け取るの?って思う事が多かった。 
    「頑張れ」と言ってはいけない?不思議だった。応援するのが駄目な行為なんだ?認知の歪みでは無いか?頑張れの言葉に「更にプレッシャーをかける意味」もあるから「頑張れ」は使えない言葉になって来た。 私達の古い世代は「頑張れ」と応援してもらうと「良い成績」につながると思っている。 若者は応援では無く、追い詰める言葉が「頑張れ」らしい? 戸惑った。 意味が違う? 年齢で言葉が違う? かなり言葉の使われ方が「制限されている?」
    今は大体理解してるよ? 最近実感したのは「ネットに期待」をしないように生きよう。と生き方を少し変化させた。 目指していた「ゲーム実況」も目標から外した。 生き方として「閉鎖した生活」をしようと思った。 ネットで発言しても、人の考えは聞きたくない、と悩む人がいる。 世代間の思考のズレがヤバくて・・・・・? 私には解決策が見えない。 色んな考えがある事は感じたし、ブログにも私の思考パターンや思考順序など、思考の組み立てが、どう行われているか? 考えの流れがどうなっているのか?が見えるので、それがブログを書く良さだ。 (上手く纏まらないね?) 私がデイケアの行事でリーダー役にされるのも私が医療的な考えと病人的な考えの両方の要素が含まれた考え方だったから?とも言える。 多くの場合、医療をする側と、医療を受ける側はわかれている。 だから両者の考えは「お互いの表面しか見えない」それの中間にいるのが「私」なんだよね。 幸か不幸か最初に触れたデイケアの思想に私の考えは影響受けた。 その根っこには「ありのままを受け取る」「肯定的に捉える」という考えがある。 人と接する時は「変な情報に惑わされず人と接する」これが、難しい。 相手が女装した男性だった場合を想定して欲しい。 どっちの「性」を受け止めて相手と接する? 見た目が女性でも中身は男性だから「男性扱い」としてその人と接するの?会話するの? 女装する意味は?・・・・。 じゃあ、「女性扱い」で良いのですか? 結構、微妙で難しいですよね? ですから、男性扱い、女性扱いなんて偏らずに、相手の良い所を探す、見るのです。 説明の為、話題が飛びます。 例としては、男性の爪が綺麗に手入れしてあれば「ほめる」のです。 「わー爪が綺麗」とかね。 男性の爪が黒かったらどうします? 普通「不潔」「汚い」「触んな」とか思いますよね? でも、男性に「手、見せて(触りながら)働いてきた手ですね。苦労したでしょ?」と話しかけるのです。 人は単純ではありませんから「手を引っ込める人」もいれば「自分の苦労を話し始める人」もいます。 手を引っ込めた人には、距離と時間を置き、様子を見て「声」をかけます。 その時も「相手の何か?」を観察するのです。 それは「批判」目的では無く「相手を認める」目的で観察するのです。 相手の良いところを見つけたら「声に出して褒める」のです。 「○○さん雨の中、頑張って来てくれたんですね」( ´∀` ) って。 雨の中、歩くの当たり前だろ?そんなんで褒めるのかよ?という考えは「現状の貴方は雨でも困らないかも知れない」でも「雨が降ると買い物出来なくなる高齢者であれば雨で買い物出来なくなり食事に困る人」もいるのです。 そして次に「○○さん何で来たの?歩き?何時に家出たの?大変じゃなかった?」この手の会話は介護や医療の現場ではよく耳にしますね。 実は雨も関係ないのです。 相手を褒めるなら雨でなくても良いのです。 晴れたら「良い天気ですね。今日も暑くなるなあ?○○さん暑い中大変でしたね。暑さで倒れそうになりませんでしたか?お互い気をつけましょうね?」。・・・・・・・こういう事を良いか悪いかではなく、「自分基準の意見が多い」のが気になります「自分は出来るから意見が言える」という考えです。 ですが高齢者問題を語る時に「俺、高齢者だから、寝たきりで過ごす奴の気持ちわかるよ。速攻でトイレ行ってくるから待ってな」・・・・・? 気持ちがわかる?・・・・・・? 長い文章になりました。 まだ、本質に切れ込んだ文章ではありません。 簡単に「真実」が出せるなら文章そのものも必要無いとなってしまうのです。 私の知識は浅いものです。 間違いを書いているかも知れない。 時々、専門家の方の指摘を見ます。 「間違った事書かないで欲しい」と(ネット上の他のブログ) 私はその考えが嫌なのです。 間違いはない方が良いです。 でも100%正しいは無理んなんですよ。 貴方が100%の能力が見に付いていても、それ、他の人に求めるのですか? 50:50 30:70 80:20 とか人の能力は様々です。

    能力だけでは無く障害もなんです。 障害 50:50 30:70 80:20

    だー”””書きかけで放置しっぱなしーぃぃぃっ! ハズイ! 




    グワーッ・・書きかけの文章があったとはーっ。。忘れていた。 知らないで、上の写真をUPしようとブロマガを開いたら・・・。 上の写真は「靭帯再建術で私の膝の中に埋め込まれていた留め具」です。 この留め具は、治療が進むと「得られる?」ものです。 靭帯再建術は二度の手術をします。 靭帯を作り直す時と、もう大丈夫?と思われる時点で「抜去」の為の手術をします。 留め具を体内に留めて置く事もあるそうです?(不確実な知識) 医師に再手術を言われた時に「取り出した金具、欲しい?」と聞かれた。 私は「なんでですか?」と尋ねた。 医師は「お守りとして欲しい人には渡している」と言った。 貧乏性の私は「お金かかるんですか?」と尋ねたら「捨てる物だけど、ちゃんと消毒して渡しているよ」と笑顔で仰った。 それで、手術後、留め具を貰えるようお願いした。 手術が終わって約束通り留め具が渡され、初めて留め具を見た時に「ふーん、これが膝に入ってたの?」って思った。 別に違和感が無く、自分の切った爪を見るのと同じ感覚だ? 時々、自分が恥ずかしくなる時がある。 問題に対して私が騒ぎすぎてしまって、大袈裟になってしまう事が多々ある。 周りは問題に対してちゃんと考えているのに、話を大きくしてしまう? 周囲の力で問題が解決すると、私は「大騒ぎして恥ずかしい(/o\)」となる。 自分のそういう部分は「馬鹿っぽくて嫌い」なのだ。 もっと、スマートにやりたい部分でもある。 2017/8/11






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