自分のためでなく彼や親、会社のためなどに頑張ると、普段より頑張れるし、美談に聞こえます。しかし自分では良かれと思ってやったことでも、うまくいかなかったり、相手に負担をかけてしまうのもよくあること。「~のために」と思う時には、気を付けなければいけないことがあるんです。
【関連記事】 他人や社会からの評価を無視すべき!?より生きやすくなるための5つの方法「~のために」の落とし穴
1、「~のため」→「~のせい」になる
全てに共通することですが、はじめは「~のために」と張り切って頑張っていても、うまくいかなかったり、失敗するとたちまち「~のせい」に思考が変わるもの。「~のために」は、責任の所在を示す言葉でもあるんです。
自分以外の人のためにと考え過ぎると、失敗した時に責任転嫁をしてしまいがちになります。
2、重く捉われがち
特に恋愛関係で起こりやすいのが、重くなるということ。「~のため」の対象になる相手にとって、自分のためにされていると思うと嬉しい時もありますが、状況によっては重く感じてしまいます。「依存しないで」「自分で勝手に決めたのに」と思われることもあります。
3、中途半端になりやすい
特に親や会社のために頑張ると起こりやすいのが、中途半端に終わること。本当に自分の好きなことや興味があることでない場合、何事も中途半端で終わりがち。物事を突き詰めたり、その道のプロにまではなれないことがほとんどです。
「自分のため」と「誰かのため」のバランスをとろう
もちろん「自分のため」だけの行動をしていても、すぐに行き詰まります。しかし「他人のため」だけの行動も、上記のような問題が浮かび上がるのです。
目標を設定する時には、両方のバランスをうまくとるように決めましょう。その上で常に「自分の信念に沿うか?」と問いかけることが大切。例え失敗しても責任転嫁せず、「自分が決めたことだから」と考えられる視点が必要です。
今日から「他人のため」を、自分が甘えるために使うのはやめましょう。常に自己責任という意識を忘れないで下さいね。
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この考えのせいでいま、自分は自分。幾ら家族でも自分以外の人は他人って風に考えないから 自分のことあんまり大事にしなかったりする
この間なんて知人が、自分の家族の話、さらには仲良くも無い同僚のこと悪口でもないのにうわさされるのがいやで私のことスパイみたいに裏で言ってたら報告して!なんていわれて全く理解できず疲れちゃったよw
悪口やあることないこと言われるうわさなんて生きてどっかで人とかかわってる限り絶対あるし、それをましてや自分から聞きたいだなんてw
>>1
日本語でおk
まずは冷静になれ、話はそれからだ。
この記事は、記者自身が自分に言っているようにしか思えないな。
つらい過去でもあるんだろうか。
まぁ、がんばれよ。
あまり深く考えるなってことだな。
~のために、が~のせい、になるなんてあり得ないよ。
そんなになる前に「やっぱやめた」って思えばいいわけで。
この記事の筆者もそうだが、意地を張らず肩の力を抜いて生きようぜ。
「~~のため」というものは、人によって時によって場合によって1つ1つ前提条件が違うわけだから、この記事みたいに総括しちゃうとおかしな主張になる。
もっと曖昧に大きく見れないと、まさにこういった思考で自分を追い込んじゃうのよね。
ファジーの重要性が世界的に主張されてる中で、こういった教条主義者が記事を書くのはどうかと思う。
自分の為か他人の為かは関係なく必須でないことと趣味でないことは大抵中途半端になる。生きる為に必要な生活行為は躊躇ったり遣りたくなくても遣るが、他人を喜ばせる為に楽しくないのに誘いを受けても充実しない。頼まれていないのに自分が他人の為になると思って行うのは、相手の真意を知らないから途中で本当に喜んでもらえるのかと行動に自信を無くして断念してしまったり、その相手が望んでいないことだと分かり時間と労力を無駄にしたと愕然としてしまったりなど失敗のショックが大きい。逆に楽しいことである趣味は自分が思っている以上に上達したり満足感を覚えたりする。疲れることでも同等に体力を使う趣味ではないことに比べたら疲労を感じなく長時間行える。結局は生きる上で必須なことと趣味が自分の為に行うことで、それ以外の本能的に不本意なことが他人の為行うこと。人間は一人では生きれないから後者を行う。どちらか一方だけ遣っている人はいないから万人は自分の為のことと他人の為のことをしていることになる。確かにそれらの均衡が取れれば争いがなく平和になるからバランス良くすることは重要なこと。社会的に何らかの形で示唆すべきことだと思う。
自分のためならいいけど他人のためとかになると〇〇のためにしてあげたのにって、見返り求める欲求に変わりがちだから、そっちのほうがきついわ。会社とかだと特にきつくて見返りがサービス残業ですか^^;;;って思うことが多くて困るわwここら辺考えすぎると人間不信になりそうで怖いなぁ・・・
>>失敗するとたちまち「~のせい」に思考が変わるもの
>>今日から「他人のため」を、自分が甘えるために使うのはやめましょう。
と、いきなり特殊な事例をまるで一般のように話していて
「この人大丈夫か?」と思ってしまいました。
「自分より優先して他人を思いやる行動」が「他人を悪者にして下げる思考」には基本つながりません。
そういう人は最初の動機の時点で実は利己的ではないのかと思います。
成功したらしたで「私のおかげだ」と自分本位に思うのではないでしょうか。
筆者がどういう経験をしてそう言っているのかは知りませんが、
「他人が好きで、思いやる行動」まで丸ごと否定しているように見えて、筆者が偏屈に見えました。
この記事を読んで、素直に解釈された方は危険です。
プライベートは好きにしてかまいませんから、仕事では会社のために行動してください。
「自分のため」の行動が「会社の利益」になるのでしたらまだいいですが、
そうでないのに、仕事で「自分のため」と「会社のため」のバランスをとられると迷惑です。
もちろん、会社が「常識的な場合」ですが。
魔法少女のこと?(すっとぼけ)