• コロナとマスク2枚

    2020-04-08 22:05

    誰もが例外なく受け取れるのがマスク2枚だけと分かったとき自分は失望したが、ある出来事をきっかけにこれは実に厄介な問題を含んでるじゃないかと気づき、考えを改めざるをえなくなった。

    2~3日前、事務所で個人的な会話をしていた時にマスクを持ってますかと聞かれ持っていないと答えたら、相手が2枚マスクをくれた。それは事務員の引き出しに別にしまってあったのでおそらく私物だろう。そもそも職場には職場のマスクが置いてあるので自分たちはなくても問題ないのだ。

    事務員は接触感染の対策なのだろう、ビニール袋を手袋替わりにマスクを取り出した。ビニール袋を裏返しにすれば触れずにマスクを袋ごと渡せると考えたものらしいが、袋から出すときに手を触れざるを得ないので気休めというか礼節だろう。

    しかし自分はマスクが「1枚」ではなく「2枚」だったことにえらく感動した。2枚というのは決して多い数ではないしその用途を考えたらむしろ少ないが、この状況下で自分のマスクを「2枚」も誰かに渡せる人間がどれだけいるだろうか。ケチではない自分でも「1枚」ならポンと渡せるような気がするが「2枚」となると善意の見返りのようなものが必要になると思う。要するに自分は私用のマスク以上のものを受け取ったことになる。


    こんな状況になってくると政府のマスク2枚も単なる飛沫感染防止以上の意味があるかもしれないと考える必要が出てきた。政府は単に1枚を洗っている間にもう1枚をつければいいくらいの思い付きで2枚にした可能性はある。ただ世帯ごとに2枚という話なのでそれすらも考えてないかもしれない。平均世帯人員が2.47人くらいなので学校で別途配るにせよ対象が5000万世帯では足りない世帯の方が多いはずである。

    足りない場合は厚労省で検討中とのことだが、あえて足りない段階でマスクを配ると発表した理由は家族の中で優先順位をつけさせるのが目的だからではないだろうか。祖父母につけるか、両親につけるか、子供につけるか、あるいは磯野家のようにペットにつけるか。需要に対して圧倒的に足りない医療資源(マスク)を社会(家族)の中で最高効率の分配をしなければならない。社会(家族)内部の新しいヒエラルキー(身分)が確立される。そういう将来を準備させるための社会実験なのではないだろうか。この古典的な問題に解答するのは至難の業だが、命の取捨選択はどうしたって避けられない。まして「2枚」なら医療資源を巡る協力も含めるので様々な展開や戦略が想定される。

    つまり政府は医療崩壊の相当先のことまで考えてマスク2枚を打ち出したことになる。冷たい方程式というSFでは限られた燃料を温存するために18歳の少女を宇宙に放り出すが、その場合少女が善意で「自ら」エアロックに入ることを暗黙の了解にしている。この保守派が好みそうな「美しい」自己犠牲を読者や他の乗員が期待した様に、政府が想定する医療崩壊後の社会政策には人の善意を喚起し利用する「冷たい」論理が伴うはずである。鴨長明は養和飢饉の際に母親が餓死している横で赤ん坊が泣いているのを見て、これは子供の命を優先させたなと感じ「その思ひまさりて深きもの、必ず先立ちて死ぬ」と書き残したが、今も家族はそういう途轍もない善意や利他主義をイメージとして喚起して自己犠牲へと仕向ける絶好の場ではないだろうか。

    コロナ以後の最適化した社会では自分にマスクをくれた事務員のような者は「進んで」犠牲になるしかない。「美しい」自己犠牲の背後にはその人自身や周囲にとってのっぴきならない葛藤があるのは言うまでもない。



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  • 自己責任論と「平等」な税率

    2019-12-24 00:08
    「貧しさ」が自己責任なら「豊かさ」は個人の努力や資質の結果である。

    金持ちは自身の物質的な過剰性をこのように誇っている。そして貧困や暴力や搾取を「個人が悪い」の一言で片づける。貧しさは自己責任で政府が支援する必要がないと答える割合は世界最高の38%である。アメリカ28%、ドイツ8%、中国9%よりも圧倒的に高い。公的扶助のGDP比がアメリカの5分の1である事実を考えると日本社会は社会問題を自己責任とみなす傾向が強い。

    しかし基本給17万の介護職員や労災すら入っていない下請け労働者は金持ちがいうように資質や努力を欠いているわけではない。「資質」があって「努力家」でもあるはずの金持ちは過酷な現場から1日以内に逃げ出すだろう。
    これらの職種が低賃金なのは労働集約型の産業構造や多重下請けの中抜きのせいである。
    また賃金は個人の生産性よりも労働組合の組織率や企業の剰余価値率に依存している。

    誰しも社会がなければ生きていけないが、所得はその社会の在り様を反映している。
    金持ちがいうように所得が個人の努力や資質の結果ならばトヨタの役員は無人島でも役員報酬以上の付加価値を産み出すだろう。実際は火を起こすことも出来ない。年収2億円の人間も安全に金儲けできる社会環境が無ければ100円ライターに劣るのである。

    累進課税は良く批判されるがこの環境を整備するのに必要な財源を得る手段である。道路インフラや健康保険制度なしでトヨタの車を購入する馬鹿はいない。税金は金持ちにとってより多く利益をもたらすインフラや制度の整備費用だから金持ちほど多く負担するのは理にかなっている。

    日本では1974年まで所得税の最高税率は住民税と合わせて93%だった。アメリカですら1952年に92%である今55%であるから累進課税は後退している
    たしかに所得に応じて税率が上がるのは不平等である。しかし元々の所得が不平等なのだから、税率についてだけ平等主義者になるのは都合が良すぎる。
    富裕層が税金を完全に同率・同額にしたいのなら、所得も同じにして共産主義社会を実現するほかない。

    機会の平等と結果の平等は違う、前者のみ保障すべきという考えがある。しかし生まれや育ちが違う時点で機会も不平等である。
    東京医大の試験で女性の受験生は男子に比べて減点されていた。
    機会の平等以前に不正入試であるが、彼女たちの世帯は医大受験する余裕があるだけマシだ。
    年収400万円未満世帯の子どもと1000万円以上世帯の子どもでは学習費に2.7倍の格差がある。そして高所得世帯は低所得世帯に比べて2倍多く子どもを大学に進学させている
    低所得家庭に生まれたというだけで大学受験の可能性すら狭まる。萩生田大臣に言わせれば身の丈で済む話だろうが、機会においても平等などは存在しないのだ。

    教育の「機会」は親の所得という「結果」に左右される。機会の平等と結果の平等を切り離して前者だけを肯定することは出来ない。結果の平等があってはじめて機会が平等だと言えるのだ。どっちの平等も存在しない日本社会で税率だけを平等にする必要は一切ない。

    とはいえ全世界的に法人税や所得税のような累進課税の割合が下がっている事実がある。
    ピケティは世界同時課税すべきというが国家利害の対立がある以上、国際社会が同時課税の合意に至ることはない。世界について考える前に局所的な問題を全体化すべきである。
    例えば日本の人口減少は世界の過剰人口を解決する過程の一部なのかもしれないと認識することだ。閉鎖的な日本社会が移民社会を受け入れるには多大な困難を伴う。しかし移民政策は人口減少=過剰人口問題を同時に解決できる唯一の方法である。そして移民を含めた人の移動や所得を捕捉すれば、航空券連帯税や金融取引税のようなグローバル課税も可能なのだ。これには海外資産の譲渡益にかかる税金記録を各国の税務署が把握する必要がある。

    長くなるので人口や税金についてはまた次の機会に書こうと思うが、自分たちが本当の問題に向き合うためには自己責任論のようなガキの屁理屈から脱却しなければならない。

    ※グローバル資本主義の問題をユダヤ人の陰謀だと主張するのは、自分が電車に乗り遅れたのはJRの陰謀かもしれないと思うのと同じくらい馬鹿げている。












  • 私が投票棄権を訴えている理由

    2019-11-16 03:53


    よく投票棄権は自民党への白紙委任だと喚いてる人がいるが、棄権した結果自民党が勝利するとは限らない。組織票が自民党より多ければ野党でも政権奪取が可能だからだ。当たり前だが選挙というのは投票率が仮に1%になったとしても組織票が多い方が勝つ。野党が本当に政権交代を目指しているなら、まず組織票を増やし低投票率でも確実に勝利できる仕組みを作るべきなのである

    枝野幸男は「生活が苦しくなるのがかまわない人は棄権して下さい」とか「棄権したら安倍さんを助けたことになる」と無党派層に訴えている。彼のような政治家は一見まともな事を言っているようでいて、組織票の獲得という困難な課題から逃げている。組織力の欠如という自らの無能力を無党派層の「政治的無関心」や「棄権行動」の問題にすり替え、自らの支持母体である企業別労組の戦略的な失敗をまるで反省していない。

    厚労省の労組活動調査によればパート・契約の6割、派遣社員の9割は組合への加入資格すらないのが現状である。組織拡大に取り組んでいる単位労働組合は全体の3割に過ぎない。大多数の労組が組織化に取り組まない一番の理由はもう十分な組織化が行われているからだという。要するに正社員だけで組織化は十分という事だろう。

    もちろんこの場合の正社員とは大企業の正社員の事で、そもそも小規模企業の99%には労働組合自体が存在しない。実際自分が正社員で働いていた会社に組合はなかったし、契約社員だった時の会社には一応組合はあったが非正規の自分は加入できなかった。

    こういった労組の閉鎖性や村社会的性質は組合が企業別に組織されたという経緯に由来する。企業の正社員であることが労組加入の資格とされたため、非正規への勧誘は基本やらないことが常識となった。尾高邦雄が高度成長期に行った調査では大企業労働者の大多数は企業と組合双方に帰属意識を持っているそうだ。正社員の二重帰属意識の高さは「正社員による」企業別組合が採った労使協調路線の結果である。

    日本型雇用がそれなりに機能して全体の所得が増えていく時代には正社員=組合員で成立したのかもしれないが、今や労働者の約4割は非正規社員である。労働者の約半数を占める非正規を組織票に変える仕組みがなければ、選挙で過半数を取り続けることは難しい。

    既存労組が持つ企業への強い帰属意識や内輪意識は退職者や非正規への組織拡大を阻んでいる。この帰属意識や内輪意識は非常に強固なため、無党派層の棄権によって選挙に負けたのだという論理のすり替えが野党政治家に受け入れられる心理的下地が生まれる。

    無党派層という風頼みの選挙は組織拡大よりリスクが大きい。

    政権交代をスローガンに無党派層を取り込んだ旧民主党は09年衆院選で3347万票獲得するが、12年選挙では962万票しか得票できなかった。たった3年間で2385万票(09年得票数の7割)を失ったのである

    無党派層の投票行動は変わりやすい。衆院選で政権交代しても、次の参院選で敗北してねじれ国会が生まれ、さらに次の衆院選では大敗する。こういうパターンが出来ている。
    追い風が吹いているうちは良いが逆風になったとき沈没しないためには、どんな時でも支持してくれる組織票がなければならない。

    また、低投票率だから質の低い政治が行われているといわれるが、低投票率なのは悪質な政治の結果であって原因ではない。過半数の有権者は庶民を欺く政治にもうこれ以上加担したくないから選挙に行かないのである。現に棄権理由の中で「今の政治を変える必要がないから」と答えた割合は0%である(明るい選挙推進協会調べ)。
    高い投票率で良い政治が行われるというのも空想にすぎない。09年の投票率は7割であるし、05年郵政選挙の投票率は67%もあった。その高い投票率の後、質の高い政治が生まれただろうか。パフォーマンス、内部分裂、党利党略に終始したではないか。

    無党派層頼りの選挙は安易な分リスクが高い。しかし組織票を拡大すれば無党派層の動向はさほど気にする必要はなくなる。無党派層が選挙に行かないせいで負けたと嘆いて、肝心の組織化を怠るようでは政権交代は永久に不可能だろう。

    結論としては、投票を積極的に棄権することで、野党の政治家に組織力の欠如という事実を突きつけ、地道な組織化こそが選挙で確実に政権を奪取するための唯一の方法だと彼らに教える必要がある


    ※選挙という形式に拘らなければ組織票の獲得以外にも政権奪取する方法はあるが、それについて書くと天皇制の古層に触れる必要があるので、また次の機会に譲る。